INTERVIEW

デザインの魂のゆくえ

デザインの魂のゆくえ 「デザインと教育」篇 その1:小田雄太×佐賀一郎
「学生に対して言葉をたくさん与えることが教育の目的。」

2017デザインと教育-02

本連載「デザインの魂のゆくえ」の第1章「デザインと経営」に続く、第2章のテーマは「デザインと教育」。その第1回目の対談として、グラフィックデザイナーの小田雄太さんと同じく多摩美術大学グラフィックデザイン学科で教鞭をとり、ビジュアルデザインやタイポグラフィを教える佐賀一郎さんをゲストに迎え、まずは『色彩の設計』を支える背景にまつわる対談をお届けします。

●下記からの続きです。
 前編:「美大はもっとデザインの定義やデザイナーの生き方をアップデートしていくべき。」
 中編「色は言葉に勝るとも劣らないイメージ喚起力を持っていつつも、そこに解釈の幅がある。」
●「デザインと教育」篇 序文はこちら

言葉にならないものをつくるために

佐賀:ぼくが悩んでいるのは、デザインはいま、希望や世の中から求めるものに応えるものとして存在できているのか、ということです。たしかにぼく自身は美大らしい教育が大事だと信じているけれど、一方で、いくら「手だ、手だ」と言っても、時代錯誤な部分があることを感じていないわけではありません。つまり、世の中のデザインにマッチした、フィットした学生を送り届けるようなカリキュラムを、かならずしも組めているわけじゃない。それはわかっている。だからこそ、信じたいと願うわけです。肉体は絶対に残る、人間の感覚が結局は一番普遍的な価値を持つ、基礎課程はつねに応用が効く一般教養みたいなものだ、と。

小田:ぼくは学生に、色相環に対する訓練を1年からやっています。学生たちは色相環の話自体は理論としては理解できます。しかし「赤」というイメージのなかに黄色や青、つまりイエローやシアンが混ざっていることが理解できない人たちがいる。色相環の話をすると納得するのに、「赤にはいろんな色が混ざっている」と話すとわからないんです。
 だから、ぼくはすでに撮影された写真を4色のモノトーンで再編集する課題を出させるようにしています。モノトーンなので、赤や青に色が振れていてもいいのですが、グレースケールではなくCMYKのバランスで整える。そうすると、明度に対するいわゆるデッサン的なアプローチに加えて、自分がどの色をモノトーンの核に設定するかにもよりますが、その色が持つ彩度の深さに対する総合的なアプローチが必要になってくる。そうやって色が持っている複雑で豊かな階調への気づきが得られるわけです。
 学生に最終的に出してもらう課題は非常にカラフルなものになるのですが、4色のモノトーンにはすごく気づきがあるらしい。やっぱり1年や2年だと、大学で教えていることに対する認識が一義的になりがちじゃないですか。そういうところを1個ずつでもずらしていってあげることが、持てる選択肢を増やすことにつながります。

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 ぼくはとにかく一番最初に学生に対して言葉をたくさん与えることが教育の目的だと思っています。たとえば「赤」を表現する際にも、それがどんな「赤」なのかを言葉にすることで、最終的な他者とのコミュニケーションのあり方が違ってくる。身体的ないわゆる手仕事としてのアプローチももちろんですが、他者とのコミュニケーションのあり方が言葉にできること、それがこれからのデザイナーに求められていると考えていて、そのつもりでいつも教えているんですけど。
 ただ、言葉にできることと、つくるものとはまた違います。出来あがるものに関しては言葉にならないものをつくることが、デザインの基本的な役割だと思うんです。そういう意味で言うと、言葉にできる程度のデザインはデザインとしてはあまり有効ではありません。言葉にできるデザインは、誰もが複製可能なものになってしまうので。少なくとも美大の学生にはやっぱり言葉にならないものをつくるために、ギリギリまで言葉でデザインを説明しなきゃいけないとぼくは思っています。そこから先はおのおのが努力するしかありません。

佐賀:ぼくはけっこう言葉を信仰してしまっているからなぁ(笑)。でも、言葉にならないとか、よくわかります。

より自由になるために言葉を紡ぐ

小田:ぼくは絵を描ける/描けないというところに対する基準は、日本人はもっと気にしなくていいんじゃないかと思っているんです。一切のエスキースも描かずに、パソコンにも触らない、でもデザイナーとして成立する、そういう人がどこかにいるような気がする

佐賀:いたらおもしろいよね。

小田:おもしろいですよね。ぼくはどこかにそういう人がいてもいいと思う。その人が何をよりどころにしているのかは知りたいですけど。デザイナーとしての文脈のあり方っていうのは、もっと自由でいいんじゃないかなっていう気がしていて、そのためにも言葉にすることは大事なんです。
 そう思うと、言葉にするものと、形と色のあいだにあるものって、すごく補完的ですよね。全部あるとうるさいけれど、どれか一つだけをとって他の二つを補完するような話をすると、すごくイメージが豊かになる。『配色の設計』はそういう本だと思いました。色によって形と言葉の話をしたり、言葉によって形と色の話をしたり。

佐賀:アルバースの授業スタイルは、基本的に課題条件と目標設定をしてクオリファイするラインを示したら、あとは学生がやるのを見守っていたらしいです。なるべく短い言葉で学生に対してコメントを出して、授業が終わった後にはかならずディスカッションさせていたそうです。それが非常に学生の役に立っていた。
 彼は学生にとってすごくいい先生だった。威厳はあるけれどすごく人間的に教えていた。個別対応とディスカッションですね。授業のなかで、言葉は重要な役割を果たしていたのでしょう。

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小田:いいですね。ぼくも毎回、授業が終わるたびにディスカッションさせてみようかな。

佐賀:いいですね。でも、それが実現できたのはお国柄もあるのかもしれないけれど、教える側にそうそう力量がないとできないですよね。

小田:アルバースのように、とまでは行かないですけれど、中間講評ではぼくもそういうつもりで学生たちに対峙しています。中間講評では学生たちに50人ぐらいの前に立ってプレゼンテーションしてもらい、そこれ対してぼくが批評し、質問して受け答えしてもらうんです。

佐賀:そのときに「君はどう思う」とか、ほかの学生に聞いてみるんですか。

小田:やってみましょうかね(笑)。

佐賀:そういうのできるようになりたいんですよねぇ。

小田:あははは(笑)。

デザインには人生をかける価値がある

小田:ぼくはこれからの美術大学では、先生がもっと実践的だったほうがいいと思います。
 美大には、鍛えてなんぼ、みたいなところあるじゃないですか。脳と手を連動させて、考えながら動く、あるいは動きながら考えることは、本当にジムナスティック的な活動ですから。
 あとはやっぱり、デザインが社会にどう貢献するべきといったところは、東京オリンピックのエンブレム問題に言及するまでもなく、もはや一義的なものでは済まされなくなっているので、そういう意味では自分たちが及ぼす社会的影響について、もっといろいろな面で学んでいった方がいい。
 つまり実践的というのは、社会に対する実践と、ジムナスティックな実践の、両方です。
 それと、デザインの影響力を考えることも必要でしょうね。影響力というのは、かつては駅貼りポスターがもたらす広告効果のようなものだったのだけれど、現在はもうそういう感じじゃなくなっている。もっともっと細かい、生活に寄り添っていくようなものに変化している。「生活の寄り添うようなデザイン」というフレーズ自体はクリシェというか、昔から言われてきたことではあるのだけれど、その内実が違います。かつてはデザイナーが「与える」ようなトップダウン型を意味していたけれど、いまはデザインの受け手である消費者のほうが、デザイナーよりもずっと頭がいい。ぼくらは考え方を変えなくちゃいけない。そこに対して真摯に向き合う必要がある。いまはその転換期なんだろうなという気がします。
 ……ものすごく語弊のある言い方をしますが、大学の教授ってえらい仕事ばかりしているから、そういう感覚がズレてしまっているんだと思うんですよ。みなさん本当に頭脳明晰なのに、感覚の帳合いが取れなくなっている。もちろんそういうことに自覚的な方もたくさんいますから、それをアジャストしていくためにも、大学での美術教育カリキュラムは見直しが必要でしょうね。

佐賀:完全に新しいものは若者のなかからしか生まれないのかなっていう時代にはなっていますよね。メインカルチャー、旧来型のデザイン、モダニズムの系譜に連なるデザインが新しいものをつくるというよりは、サブカル的なデザインが本当に新しいものを作っている、そんな状況があると思います。

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小田:メインかサブかわからなくなっていますよね、いま。

佐賀:そんな気がしますね。新しいものはどこから生まれてくるのかを考えたとき、メインじゃないどこかなんだろうなと思います。個人的にはそれに対して否定的なわけではなく、そういうものも大事にしていけたらいいなと思いますね。
 今日、小田さんのお話を聞いていろいろ考えていたけれど、デザインというかグラフィック学科の役割、要するに美術大学はなんのためにあるか。デザイナーの社会的な役割が、デザインという実践を通じて社会をよりよくすることである一方、「デザインのために」という視点で考えるなら、デザイナーはデザインそのものの社会的価値を高める人たちでもある。そしてそれは美術大学も同じなんですよね。大学はデザインの価値を高めてくれる人を養成し、社会に送り出すための場としてある。なおかつ、ぼくは実践だけではつまらないと思っている。理屈も楽しいからね。小田さんの意見と矛盾しないと思うのだけれど、大学としてはデザインの歴史や知識、考え方を教え、学生たちがそうして得た気づきを社会に発信していくことで、デザインの価値を高められると思うんです。いろんな役割がありますよね。
 実践も座学も通じて、学生に、デザインは人生をかける価値があるものだと思わせられたらいいですよね。それがすべてなんじゃないかな。

[了]

取材・構成:長田年伸
編集協力:五月女菜穂
写真:後藤知佳(NUMABOOKS)


PROFILEプロフィール (50音順)

佐賀一郎(さが・いちろう)

1976年宮崎県生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科講師。タイポグラフィの歴史と実践を研究。慶應義塾大学総合政策学部、ニフティ株式会社を経て、女子美術大学で美術博士号取得。共著『活字印刷の文化史』勉誠出版、『弘道軒清朝体活字の世界』女子美術大学、訳書『ウィム・クロウエル』ビー・エヌ・エヌ新社、編著『言葉のかたちとデザイン記録集』女子美術大学など。

小田雄太(おだ・ゆうた)

デザイナー/アートディレクター。COMPOUND inc.代表/まちづクリエイティブ取締役。多摩美術大学非常勤講師。 ’04年多摩美術大学GD科卒業後にアートユニット明和電機 宣伝部、その後デザイン会社数社を経て’11年COMPOUNDinc.設立。’13年に(株)まちづクリエイティブ取締役に就任、MADcityプロジェクトを始めとしたエリアブランディングに携わる。最近の主な仕事として「NewsPicks」UI/CI開発、diskunion「DIVE INTO MUSIC」、COMME des GARÇONS「noir kei ninomiya」デザインワーク、「BIBLIOPHILIC」ブランディング、「100BANCH」VI・サイン計画など。


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単行本(ソフトカバー): 206ページ
出版社: ビー・エヌ・エヌ新社; 復刊版
言語: 日本語
発売日: 2016/6/24