INTERVIEW

デザインの魂のゆくえ

デザインの魂のゆくえ 「デザインと教育」篇 その2:小田雄太×たかくらかずき
「絵文字はその意味付けや感情値がみんなにあらかじめインストールされている」

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本連載「デザインの魂のゆくえ」の第1部「デザインと経営」に続く、第2部のテーマは「デザインと教育」。第2回目は、ドット絵を使った独特の世界観で、イラストレーター、アーティストとして活躍するたかくらかずきさんをゲストに迎え、『図説 サインとシンボル』を底本に、現代における「サイン」と「シンボル」、そしてその伝達を探る対談をお届けします。

●「デザインと教育」篇 序文はこちら

(左から)たかくらかずきさん、小田雄太さん"

(左から)たかくらかずきさん、小田雄太さん

無秩序を作るプロセス

小田雄太(以下、小田):今回はアドリアン・フルティガー[★1]の『サインとシンボル』(小泉均・監修、越朋彦・翻訳、研究社、2015年)が課題図書です。

★1: アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger/1928–2015)
スイス生まれのタイプフェイス・デザイナー、サインやロゴのデザイナー、屋外造形家、書体研究家。「ユニバース」「フルティガー」など多くの著名なフォントをデザインすると共に、シャルル・ド・ゴール空港など、公共機関のサインシステムの設計なども手掛けている。JR東日本や東京メトロなどでも視認性に優れた「フルティガー」が使われている。国際書籍コード(ISBN)の「OCR-B」も氏が作った書体。企業ロゴも数多く手掛け、フランス国立美術館財団のmマークやロダン美術館、そしてスイスのPTTのマークなどは氏の作品。

小田:フルティガーはこの本の中で、「サイン」と「シンボル」を次の次元に押し進めていくために、その一つ一つを証明するということをしている。最後の章にまとめて書いてあるんだけど、ざっくり言うと、神話を象徴とする「星と蛇」から人工物としての「矢」や「鏃」へ変化し、そこから信仰の対象である「十字」というものへ。さらに「断面図、模式図、平面図」っていう「描写」に入っていって「シンボル」と「サイン」へ、最終的には「信号」で終わる。ただしその「信号」がもっと組合わさると最後は「星と蛇」のような神話主体の何かになり得る。そうやってぐるぐる回っている、という内容の本。たかくらくんは、読んでみてどうでしたか?

たかくらかずき(以下、たかくら):無意識的に並べられた点などの図像からでも人間の意識が様々な印象や記号性を紐づけてしまう、というところに興味を持ちました。これって音楽アプリのランダム再生が難しい、みたいな話と似ているなと。iTunesなどでランダム再生をするのに、確率的なランダムだと同じ曲が何度もかかることになるので、ランダムに感じるランダム性のコントロールみたいなものをしている、っていう話。手で(サインやシンボルを)描くときに、無秩序だとか、点の配置がランダムだとか言うじゃないですか。でもそれも手で描いているわけで。その演出がすごく上手っていうか、本当に計算してちゃんとランダムに見えるような絵って面白いなと思います。

小田:この本にも書いてある「秩序と無秩序」という話をすると、どうしても我々人間は成長しながらいろんな図形を潜在意識に刷り込まれているから、秩序を持った形っていうのはすごく作りやすい。だからその逆で、ある程度までは無秩序と言えても、どこから無秩序と言えるかは相対的なものでしかない。たかくらくんが作っているものは、たかくらくんの中ではすごく秩序立っていると思うんだけど、見る人にとってはすごく無秩序に見えるような作品になっているわけでしょう。自分の中では、秩序と無秩序に対しての線引きはどこにあると思っているの?

たかくら:ある時期までは思い浮かんだ全部のイメージを描こうと思っていたんですけど、今はあまりそういうことがなくて。ここしばらくは要素となる文字やアイコンを書き出して、そのアイコンを組み合わせています。

※アイコンを組み合わせて制作した作品例

小田:アイコンってどの程度のアイコン?

たかくら:それこそ「サインとシンボル」にあったような蛇とか十字とか植物とか。例えば、なんらかのシンボルキャラクターにはもともとの要素と印象があって、千手観音の手の形とか、決まった文脈がある。そういうもののソースから形を省いていったん文字に戻し、コラージュするような感じです。それこそこの前の個展(「有無ヴェルト」2017.7)に虫と木の絵があったと思うのですが、あれの最初のラフは「虫と木、虫をよく見るとドットが丸くなる」と文章が書かれていました。

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小田:それ、どうやってイメージを膨らましているの?

たかくら:多分、文字そのものを描いちゃうとアイコンだけになっちゃうんですよね。そこに見立てを入れるっていうか。そこは演劇っぽいんですけど、木と虫で何かを作りましょうっていうときに、そこに別の意味が出てくる。昔僕がやっていた絵文字で大きな絵を描くってやつも、細部と全体でモチーフが変わる。この前展示をやっていた野菜で騙し絵作る人、いるじゃないですか。(ジュゼッペ・)アンチンボルド。あれに近いかもしれないです。

小田:でもたかくらくんの場合、野菜で人の絵を描くって言うのとは違って、絵文字はもともと一つの単位で意味を持っているよね?

たかくら:アンチンボルドはどちらかと言うと全体のために個々のオブジェクトがあるんですよね。写実的な野菜で写実的な人の顔も描いている。この場合に野菜で描いている意味合いっていうのがたぶん何かあるんですよね。アンチンボルドの場合の野菜が、僕の場合は絵文字だったりドット絵のオブジェクトなんですが、僕が主に使っているドット絵っていうのは写実的解釈や立体的解釈で捉えるものじゃなくて、マンガ的というか、それぞれが記号的・意味的に機能する。何と言うか、曼荼羅ってそうじゃないですか。曼荼羅ってその一か所一か所が記号的解釈でできていて、それぞれの「◯界の◯◯」っていうのはモチーフで語られている。宗教画は大体そうだと思うんですけど。

小田:ある意味たかくらくんにとって、絵文字は実用的なものというよりも、何かのプロセスの一部になっているということなのかな。

絵文字に感じていた魅力

たかくら:そうですね。一時期、絵文字ですごくいいなと思っていたのは、ここ数年でその意味付けとか感情値がみんなにインストールされているってことですよね。初心者からのスタートじゃなくて、みんながもうレベル5ぐらいから始まってるというか。

小田:多分アルファベットを突き詰めていくと信号的なものになって、それを脱却するために絵文字が作られて、またその絵文字をパーツにして大きなその物語を描くっていう手法が出てきてる。だから、『サインとシンボル』ということで言えば、フルティガーが描いている世界の2周目の世界になってきてるってことだよね。

たかくら:そうですね。絵から発展してきた文字が、今は逆行して文字から絵文字になってきている。いろんな絵文字が出てきて、「楽しい」「かわいい」「気持ちいい」とか、そういった感情のハッシュタグと化していく段階があったじゃないですか。「いいね」みたいな。今はそのハッシュタグとして設定された絵文字が誤読されて新たな価値観を生んだり、あたらしい複合的な感情値をもった絵文字が誕生したり、というフェーズな気がします。絵文字が持っているニュアンスって割と複雑ですもんね。文章との組み合わせにもよるけど、形容詞の最たるものみたいな。“感”っていうか、“感じ”。意味が複数あるものとか言語以外のものをぎゅっと一つにしながら、それでも共通認識がある程度取れているって、結構不思議なことだと思う。

小田:確かにね。でもそれって、何だろうね……言語的なものが溢れすぎちゃっているのかな。

たかくら:多分、言語一つ一つの意味合いが文節的になっているんじゃないかなって。だから複数の言語を連携させることによって、その意味を語るということに切り替わってきている気はしますね。

人生初のGUIの記憶

小田:その切り替わりって、たかくらくんはどの段階で認識した? たかくらくんと僕は世代的には離れていて、僕にはその「変わった」って感覚が全然ないんだよ。どこでスイッチが切り替わったのか。昔はインターネット生まれとかデジタルネイティブとかって言われていたけど、もう今は具体的な表現としてスタンダードなのがGUI(グラフィックユーザーインターフェース)になっているわけでしょう。絵文字もGUIの一つだとして、我々が避けては通れない表現の軸みたいなものが、いつからGUIにゆるやかに切り替わっていったのかっていうのはすごく面白い。もしかしたら、たかくらくんの制作のタイムラインもあてはまるんじゃないかなって個人的には思っていて。たかくらくんはどういう環境からこう認識したんだろう。

たかくら:どうなんだろう……Photoshopとかはわりと早めに出会いました。小5ぐらい。

小田:小5から? マジか(笑)。それは早いね。

たかくら:中学卒業のときまではWindowsで、高校でMacを買ってもらって……。あ、それより前に小学校1年生のときから紙とデジタルで絵を描きはじめて、そのころのデジタルツールはスーファミの「マリオペイント」と、コナミが出している「ピクノ」っていう、ペンタブレットをテレビに繋ぐとそのまま描ける、みたいなものを使ってました。僕が最初に買ってもらったデジタルデバイスは多分ピクノなんですよね。

小田:ペンタブ?

たかくら:ほぼペンタブです。おえかきボードの「せんせい」とか、そういうおもちゃがあったじゃないですか。あれをテレビに繋げるバージョンなんですよ。マリオペイントはマウスで描かなきゃいけないけど、ピクノはそのとき既にペンで描けた。これはすごいぞと。

小田:なるほど!

たかくら:100%ペンタブ(笑)。ペンキとかペンとか円形とかのツールを選択するボタンは物理ボタンとしてならんでいて、それを押すと、テレビの画面上でペンキになったり、色を変えられたりする。ほぼPhotoshopでいうツールバー。コピペもあったり、SHIFTキーのように使えるボタンもあったりで、それで低解像度の絵を描いてたわけだから、ほとんど今と同じ環境ですね(笑)。

小田:それはすごい。

たかくら:これにすごくハマって使ってて。ピクノの広告に「21世紀の天才クリエイターたちへ贈る」っていうキャッチコピーがあって、がんばるぞ、みたいな。これが最初の(GUIの)記憶になっちゃった(笑)。そのせいか、大学のときは映像科で、みんなで映画撮ったりしたけど、8ミリフィルムみたいなとこにあんまりはまらなかったというか。

たかくらさんにとっての美大教育

小田:大学での教育はどうでした? 授業自体は映像の授業だけじゃなかったわけでしょ。

たかくら:造形(東京造形大学)はどの科でもある程度好きな授業を取ることができました。Illustratorの基礎、Photoshopの基礎を取ることができたり、アニメーションを描いたりとか。それで「これはできる/できない」っていうのを判別していく基準にはすごくなりました。フィルムはできない、苦手、とか。彫刻はできる、とか。2年生くらいまではそういうことをひたすらやっていて、映画も最終的に「集団制作ができない」って判断して、一人で実験映画を撮るっていう選択をして、そこから実験映画と絵を描く(のを選び取った)。絵本を作る授業で「あ、絵を描いて本にするまではできる」ってなって。それで展示をやったりとか。
 大学院では日本画をやっていたんです。大学4年生のときに日本画を好きに描かせてくれる先生がいて。美術家の中で日本画をやっているのはその先生しかいなかったので、大学院ではその研究室に入って日本画の画材を使わせてもらうっていうことをやり始めたんだけど、大学院1年生のときに「範宙遊泳」に入って、あんまり絵を描かなくなる、みたいな感じですね(笑)。

小田:(笑)。

たかくら:あとはいろんな科の人達がいたから、僕はそれぞれの科からあぶれた人たちの集団みたいなところにいて、それで染色室を見に行ったりとか、そういうのはよかったですけどね。

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小田:じゃあ、美大教育としては、たかくらくんは割とちゃんと受けてたっていうことだよね。

たかくら:割と受けてたと思いますよ。現代美術の勉強っていうのは大学院に入ってからなので、あんまりしっかりしてはいないんですけど、美術史とかはやりましたし、技術的な実践はとにかく端からやってみたという感じ。銅版画をやってみたりとかシルク(スクリーン)をやってみたりとかした中で、「これは好きだ」とか「これは嫌いだ」みたいなものをかなりしっかり判別していったイメージがありますね。「これは一人でもやるな」とか。一人じゃやらないっていうことはまず仕事ではやらないと思ってたので。

小田:なるほどね。僕がいた多摩美のグラフ(多摩美術大学グラフィックデザイン学科)とかはあんまりそういう授業はないから、手法は限られるよね。結局アウトプットはグラフィックになるから。でも確かに、そういう「選択肢をとにかく与える」っていうのはいいかもね。

たかくら:造形のコンセプトがそうだったんでしょうね。絵画科がデザイン科の授業やったり。それぞれの科で、他の科の人は入れない専攻授業もいくつかあるんですが、それとは別に開けた専攻授業がありました。映画専攻の開けてるほうの授業は、他の科の人が入ることもできるし、映画専攻の人が受けないこともできる。それが結構良かったですね。それこそ哲学とかもあったし。その辺も結構面白かったです。でもそういうのは他の美大でもありますよね。

小田:あるけどほとんど重視されてない。

たかくら:「気功と整体」っていう授業があったりして。フォークを曲げるところから始めるんですよ(笑)。名刺でキュウリを切るとか、最後みんなで手を繋いでUFOを呼んでみるんだけど来ない。

小田:すごいね(笑)。

自分がカルトだという気づきは、メインストリームを定義するところから生まれる

小田:それで大学卒業して、「範宙遊泳」があったからかもしれないけど、就職はしていないよね。

たかくら:
就活したんですけどね、学部のときは。学部で就活落ちて大学院に行ったんです。学部のときは大手のゲーム会社だけ受けてました。

小田:大学院のときは受けなかったの?

たかくら:大学院のときは何だったんだっけな……「受けなくていっか」ってなったのかな、多分。あんまり考えてなかったんじゃないですか。「就職っていっても何するんだろう」と。

小田:ある種早めにアーティストとして食っていく予感みたいなものがあったのかもね。

たかくら:多分大学院のときに1-WALLとかに入賞して、大学院出るか出ないかの頃に「もっと頑張ろう」って思ったんじゃないでしょうか。それでしばらくはバイトしてたんですけど、大学院出て1年くらいで大月(壮)さんと知り合って、アシスタントさせてもらったりとかグラフィックやらせてもらったりして、「この状態で就職もなあ」と思ったんだと思います。

小田:技術的なところは色々学んだけど、それを繋げる技術というか、思想の設計みたいなところに関しては、大学ではそんなに?

たかくら:技術的なところも、仕事に使えるレベルでは学んでないですね。要は好きか嫌いかを判別するだけ。でもそれがとても重要なことだと思います。これを一人でもやるかやらないか、これについてのアイデアが浮かぶか浮かばないか。その段階を経ないと「何でもできる」って思っちゃうし、「これは人に任せよう」とかそういうことができないと自分の時間が足りなくなっちゃうから。やっぱり「Photoshopで絵を描く」ってなったときにそのPhotoshopで絵を描くショートカットや具体的なスピードみたいなものはそれこそ大月さんや仕事を始めてから出会った人から学んだので。それは今僕の仕事を手伝ってくれる人にも教えようとしているような技術的な内容であって、思想みたいなものは多分一人でやっていくうちに生まれたんだと思います。大学を出てから批評家の人やアーティストとか、それこそ小田さんとか武田(俊)とか、いろんな人と話すなかで構築されたものです。

小田:確かに、「好きか嫌いか」だけでも分かるっていうのは大学の役割としてはすごく大事だよね。

たかくら:すごく大事。「この技術なら自分は太刀打ちできる/できない」とか、「これは負けたくない」とか、「アニメーションでこいつには勝てない」とか、やっぱりそういうのがないと、他人をリスペクトする力とか、「これはこの人に任せれば絶対大丈夫」みたいな人を信頼する感覚を覚えられない。大学のときってそういうのを覚える大きいチャンスだと思います。友達が自分よりすごいっていうことが分かるとか、自分のほうが絶対すごいってわかるとか。
 美大に来てる人って、美術は自分が絶対すごい、それ以外はすごくないみたいな感覚で生きてきた人が多いと思うんですが、それ以上に細分化されていくのが仕事においては大事ですよね。

小田:たしかに。細分化されたときに「どっちが上でどっちが下か」っていうのは、仮でもいいからつけるっていうのは大事だよね。

たかくら:それって結局「楽しい/楽しくない」で繋がってくるじゃないですか。興味ないことはできないし、無理してやっても仕方ないっていうところはあるので。文字組みマジでつまんねえなって思ったりとか、イラレのパスは全然引けねえなって思ったりとか。引けないなら引けないなりに使えるレベルまで行こう、とは思うけど、それ以上すごくなろうとは思わない。割と楽しいなっていうフォトショとかは「じゃあ、すごくなろうかな」って思ったりもするけど。これって多分、チームプレイする上ですごく大事。

小田:そうだね。それはすごく思う。自分の受け持ってる大学の授業でも、最終講評のときにかならず1位を決めるようにしてるから。
 前の佐賀さんとの対談の後にカリキュラムを変えて、「授業の中で必ず1位を決める」っていう。グループに分けてグループごとにそれぞれプレゼンをさせて、その中での1位を決めさせて、さらにそこから決勝戦みたいなのをやって、クラス全員で投票するみたいな。でもやっぱりみんな楽しそうにやるんだよね。ちゃんと自分たちで選ばされてるから、誰が何を評価されてるかっていうのはある程度可視化される。

たかくら:そこで大事なのは多分、1位を取れなくても曲げないものが自分の思想や文脈だと気づくこと。僕、コンペとか持ち込みとか学生のときに落ちまくったりしてて、でも、だからといって考えを変える気はないっていう結論に至って、それをふまえて「自分の作っているものをやんわり社会に浸透させるには?」っていう方向の転換がどこかの時期でありました。「俺はダメなんだ、誰もわかってくれないんだ」みたいな時期も結構あったんですけど……いまだにちょっと思ったりもしますけど、でも、「それでお金を得るには」みたいな転換をするっていうのは、ある種“イロモノ”と呼ばれる人たちにとって重要です。ストレートに1位を取れるわけじゃない人たちがいて、その人たちがカルトになるにはどうすればいいかっていうのは、やっぱりポピュラーな“1位”を決めないと、その人たちのルートもなくなるわけです。

小田:トレンドとか流行とは違う勝負をするための訓練みたいなことだよね。

たかくら:カルトがポピュラーだと思っているのが一番ヤバい。

小田:あははは!(笑)そうだね。それすごくいい話だな。たしかにそう。

たかくら:「カルトしかねえ」みたいな諦めがあったというか。

小田:僕も早めに諦めたクチです(笑)。そもそも「メインストリーム」っていうもの自体が虚像なのかもしれないっていう前提はあるけどね。でも一応、世間一般的な評価としてやっぱり何かあるわけで、そこに与するんじゃなくて、違う山を自分で作るっていうか、その方がやりやすいっていうか。逆にそうするしかないっていうのはあるよね。

たかくら:そうですね、優等生1位的なものは作れないんだっていうのは大学のときに気づいたので、もう自分が天辺とれるフィールドから作るしかないとなった。

小田:それ、なかなか気づける大学生もいないよね。そういう全能感とか万能感とかを持ったまま卒業する人も多いから。

たかくら:でもまあ、万能感は僕もありましたけどね。カルトっていう自信が(笑)。

小田:それはカルトなりの全能感でしょ(笑)。カルト以前に「メインでもまだ行けるんじゃないか」って思いながら、手法の組み合わせみたいなのがまだ自分の中で確立せずに、何が得意技なのかわかってないまま、検証できないまま卒業していく人も多い気がする。

たかくら:その後企業とかチームで働くなら、まだ気づかなくてもいいのかもしれない。いずれ気づくか適応するので。でも、就職しないとしたら大学で学んだほうがいいなという気はしますね。この後チームプレイがないし、「自分はカルトだからチームプレイは無理だ」みたいになってたので(笑)。

小田:大学4年の時点で「自分はカルトだ」って自覚するのはかなり早い方だと思うけど(笑)。

たかくら:だから、大学は楽しかったですね(笑)。

中編「ピリオドがないインターネットに杭を打っていきたい。」に続きます

取材・写真:後藤知佳
編集協力:中西日波
構成:松井祐輔(NUMABOOKS)


PROFILEプロフィール (50音順)

たかくらかずき

イラストレーター/ゲームクリエイター/アーティスト。1987年生まれ。ドット絵やデジタル表現をベースとしたイラストで、音楽、CM、書籍、WEBなどのイラストや動画を制作。劇団「範宙遊泳」ではアートディレクションを担当。「宇宙冒険記6D」で初の脚本を担当した。個人作品ではプリントやレンチキュラーシートを使った作品などを制作。pixiv zingaroにてグループ展「ピクセルアウト」を企画/主催。2016年より「スタジオ常世」の名でゲーム開発を開始、2018年に「摩尼遊戯TOKOYO」をリリース

小田雄太(おだ・ゆうた)

デザイナー、アートディレクター。COMPOUND inc.代表、(株)まちづクリエイティブ取締役。多摩美術大学非常勤講師。2004年多摩美術大学GD科卒業後にアートユニット明和電機 宣伝部、その後デザイン会社数社を経て2011年COMPOUND inc.設立。2013年に(株)まちづクリエイティブ取締役に就任、MADcityプロジェクトを始めとしたエリアブランディングに携わる。最近の主な仕事として「NewsPicks」UI/CI開発、diskunion「DIVE INTO MUSIC」、COMME des GARÇONS「noir kei ninomiya」デザインワーク、「BIBLIOPHILIC」ブランディング、「100BANCH」VI・サイン計画など。


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図説 サインとシンボル

アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger) (著), 小泉均(監修), 越朋彦(翻訳)
単行本: 480ページ
出版社: 研究社
言語: 日本語
発売日: 2015/6/19