INTERVIEW

デザインの魂のゆくえ

デザインの魂のゆくえ 「デザインと教育」篇 その1:小田雄太×佐賀一郎
「色は言葉に勝るとも劣らないイメージ喚起力を持っていつつも、そこに解釈の幅がある。」

2017デザインと教育-02

本連載「デザインの魂のゆくえ」の第1部「デザインと経営」に続く、第2部のテーマは「デザインと教育」。その第1回目の対談として、グラフィックデザイナーの小田雄太さんと同じく多摩美術大学グラフィックデザイン学科で教鞭をとり、ビジュアルデザインやタイポグラフィを教える佐賀一郎さんをゲストに迎え、まずは『色彩の設計』を支える背景にまつわる対談をお届けします。

●下記からの続きです。
 前編:「美大はもっとデザインの定義やデザイナーの生き方をアップデートしていくべき。」
●「デザインと教育」篇 序文はこちら

音楽としての色、フォルムとしての言葉と文字

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小田:色についての認識は、案外、後天的なものだったりしますよね。たとえば赤になにが紐づくのか。怒りの感情だったり、危険を知らせるサインとしての象徴性がある一方で、ローカライズされたイメージ回路を持っていたりもします。一例を挙げると、日本だと女性が赤で、男性が青というのが、なぜか南から北まで統一されていますけど、海外だと違う。2ヶ月ほど前に、フランスにル・コルビュジエ[★3]の建築として有名なラ・トゥーレット修道院[★4]に行ってきたのですが、トイレのサインが黄色と緑と赤のコンビネーションなんです。そうなると、もうどっちが男性用でどちらが女性用なのかわからない。

ラ・トゥーレット修道院[Wikimedia Commonsより]

ラ・トゥーレット修道院[Wikimedia Commonsより]

★3: ル・コルビュジエ(Le Corbusier/1887–1965)
スイスで生まれフランスで活躍した建築家。メインとなる素材に鉄筋コンクリートを使用し、装飾を排除した平滑な壁面処理を施した合理的な建築により、モダニズム建築の提唱者として知られる。サヴォア邸、ロンシャン礼拝堂、国立西洋美術館など、数々の名作建築を残した。
 
★4: ラ・トゥーレット修道院
フランスのリヨン郊外にあるカトリック・ドミニコ会の修道院。ル・コルビュジエが手がけた建築のなかでも後期を代表する作品として知られている。水平・垂直線だけからなる矩形としてデザインされており、一見無機質な印象を与えるが、リズミカルな配置の窓枠から取り入れられた外光により、室内空間には有機的なあたたかさが宿る。宗教的な厳しさとその修練のために住まう人々との調和を建築的に表現したモダニズム建築の傑作。

 つまり、ぼくは色はアフォーダンス[★5]にはならない気がしていて。もちろん危険を感じさせる赤とかはわかります。ほかにも安心を感じさせる色だったりとか、心理学的な意味と色を関連づけることはできると思う。ただそういう固定化された意味関係ではなくて、トイレのサインの例が端的に示しているように、もっと自由に、色と形は言語的なものになり得ると考えているわけです。色と形の関係から生まれる物語がある。そこにおもしろさを感じています。
 その意味で、アルバースは色だけでなにをやろうとしたのかを、ずっと考えています。彼は「持ち場を探せ」と言っていたり、形をつくるときにカラーペーパーをそのまま使うとエッジが強いからちぎったものをかならず使えと言っていたり、色が色として相互作用を生みだすための境界線のつくり方をすごく意識していた気がする。

★5: アフォーダンス
1950年代後半に、アメリカの心理学者ジェームス・ギブソンが提唱した概念。物体が備える属性が、その物体をどのように取り扱えばいいかをメッセージとして発しているとする考え。たとえば、われわれはドアノブを前にして、疑いもなくドアノブをひねるが、それはドアノブが「ひねるものである」という情報を発信しているから。アフォーダンスはとくにUIデザインを設計する際に重要となる概念である。

佐賀:自分なりにしかしゃべれませんけど、多摩美の八王子キャンパスは多摩丘陵地帯がありますよね。多摩丘陵地帯は『万葉集』の舞台になっていて、よく防人(さきもり)を置くところなんですよ。ぼくのなかでは防人の歌と、額田王(ぬかたのきみ)の歌がかぶっていて。額田王の歌に「茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」という一首があります。最近よく多摩美の近くの野原へ行って、1時間近くぼーっとしているんです。ぼーっとしていたらね、夕日が射してくる。夕日は赤い。この歌は茜=夕日が射している野原があって、恋人が手を振っていると。
 でね、「茜さす紫野行き」って言ったときに、どちらにでも解釈できるんですよ。つまり「茜さす」を紅葉に燃える山裾にも、夕日が射している様子にも読み解ける。本当のところはわからない。
 それでじっと見ていたら、緑色の野原がオレンジ色の太陽に照らされて、少しずつ微妙な色合いをつくっていくわけですよ。それをまたぼーっと眺めているんだけど、ふと、「あ、これが『茜』なのかな」と。そういう、言葉とは違った意味で、色は言葉に勝るとも劣らないイメージ喚起力を持っていつつも、そこに解釈の幅があるというところで、すごく独特だと思うんです。

小田:そうですね。

佐賀:タイポグラフィがなぜ大事なのかと問われれば、言葉は非常に明瞭に物事を伝えることができる最大の道具であり、それをグラフィカルに表せるものだからです。色と文字の違いっていうのは、そういうところなんだろうなというのが、ぼくなりの回答になりますね。色が音楽みたいなものだとしたら、言葉や文字は、輪郭を明瞭にしたフォルムだと思います。

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合理主義への懐疑と抵抗

小田:アルバースはこの本の冒頭で、「サンセリフは使うべきじゃない」と言っています(『配色の設計』p.19)。サンセリフに物語性はない、と。けれどその一方で、アルバースの造形に対するアプローチはサンセリフ的でもあります。形でいったら、セリフよりもサンセリフ的。なぜ最初に不要とも思える批判を入れたのかが、本書最大の謎なんじゃないかって思っています。アルバースは色と形が指し示す形式第一主義にはなりたくないとつねづね言っていると思うのですが、ぼくたちが考えているような形と色の境界線が、じつは彼にとってはもっとあやふやなところにあるんじゃないかという気がしていて。佐賀さんは、なぜアルバースがサンセリフをこんなところでいきなり揶揄したのだと思われますか。

佐賀:どうやって短く話そう(笑)。まず、アルバースがローマンがいいって言うのは結局、サンセリフにはニュアンスがないという話なんです。おそらく色彩と対応関係になっていて、アルバースにとって色彩はニュアンスの塊なのだろうということが読み取れる。
 アルバースは最初に学校入ったときにフランツ・フォン・シュトゥックという美術家・画家に学んでいます。シュトゥックはポスターをつくっていて、どんなポスターなのかというと完全にアール・ヌーヴォーの様式。アール・ヌーヴォーは、史上はじめてポスターと文字を石版印刷という技法を用いて融合させた芸術の一様式で、フランスから始まってヨーロッパ全土で流行するわけです。その後、今度はドイツでユーゲント・シュティールといって、同じく石版印刷で文字と絵を組み合わせるスタイルが生まれるのですが、フランスで起こったような絵画的なアプローチではなく、たとえば商品ポスターだったらその商品と商品名だけというグラフィックデザイン的な処理をするところにまで到達します。おもしろいのは、絵画の延長線上にあったポスターを、伝える内容を明確にしたうえでヴィジュアルコミュニケーションするところまで進めていく過程で、書体も非常に整理されていくんですよ。

小田:なるほど。

佐賀:じつはぼくらが見るアール・ヌーヴォーの多くのポスター、とくにアール・ヌーヴォー後期のポスターっていうのは、ペーター・ベーレンスとか、アルフォンス・ミュシャあたりのポスターは、手書きにしか見えないんだけど、ほとんど活字化されているんですよ。

小田:そうなんですか。

アルフォンス・ミュシャによるポスター[Wikimedia Commonsより]

アルフォンス・ミュシャによるポスター[Wikimedia Commonsより]

佐賀:アール・ヌーヴォーは当時「モデルネ」、つまりモダン=現代と言われていました。なにが現代なのか。それは「規格化する」ということなんです。こうした時代のあとでバウハウス[★6]が登場するのですが、バウハウスはいろいろな芸術運動の総体であり、単純にデザインの延長線上にだけ考えることはできないし、どちらかといったら建築の学校です。でも建築も含め、規格化を進めて積み重ねていくという思想が、バウハウスの前段階でほぼそろっていた。アルバースはたしかにバウハウスで学び、教えた人だけれど、その人物がバウハウス以前に経験していた事柄にも、じつはバウハウスにつながるモダンな思想が胚胎されていたと言えると思うんです。バウハウスはサンセリフの使用や、小文字しか使わないといったことを強く推し進めて、それがドグマのように伝わってしまったところがある。

バウハウス デッサウ校舎[Wikimedia Commonsより]

バウハウス デッサウ校舎[Wikimedia Commonsより]

★6: バウハウス(Bauhaus)
1919年、ドイツのワイマールに設立された、美術と建築に関して総合的かつ統合的な教育をおこなった学校。ヴァルター・グロピウス、ヨハネス・イッテン、モホリ・ナギなど、錚々たる人物が教鞭を執った。学校として存続したのはナチスによって閉校に追い込まれる1933年までのわずか14年間だが、バウハウスの教育理念を継承した人々により、戦後はおもにアメリカ経由で思想が広がった。20世紀美術および建築に与えた影響は計り知れず、文字通りモダニズムの最大の源流である。

 アルバースは最終的にアメリカに移住します。そのきっかけはバウハウスの閉校。バウハウスの閉鎖はひどかったらしいです。ユダヤ人の学生が一人、二人と減っていく。バウハウスは1年生から2年生に上がるときに学生が半分に減るほどの厳しいカリキュラムで教育をしていました。文字通り本当に選りすぐりの精鋭たちです。そういう連中が迫害でやむなく辞めてしまう、辞めないといけなくなる。チヒョルト[★7]にも通じることですが、結局、規格化を進めるだとか、知的なアプローチとしてデザインを考えるということは、完全に社会を考えることと同義だったと思うのだけれど、それを推し進めすぎると、人を傷つける、人以上にそうした理念が大事になってしまうという矛盾があったと思うんですよね。バウハウスは最終的には校舎も使えなくなって青空教室でやっていたといいます。アルバースはそういう体験をしてからアメリカに渡るわけじゃないですか。やっぱりそのときに、チヒョルトのように精神的、心理的な変化があったと思うんです。つまり、「サンセリフは無味乾燥だ」と言っているのは、サンセリフは人間の思惑を超えたところで、人間の人生、生き死にを左右してしまうぐらいの力を持ち得るという考えにつながっているわけです。

★7: ヤン・チヒョルト(Jan Tschichold/1902–1974)
ドイツ生まれのデザイナー、タイポグラファー、カリグラファー。1927年に発表した「Die Neue Typographie」(新しいタイポグラフィ)によってサンセリフ体の採用、アシンメトリーな構成など、モダンデザインのルールを高らかに宣言し、モダンデザインの第一人者となる。後年、チヒョルト自身は古典に回帰し、モダニズム主義とは距離を置くことになるが、その背景にはイギリス・ペンギンブックスのアートディレクションと組版ルールの選定、また戦争を通じた合理主義への懐疑がある。ともあれ、タイポグラフィの分野においてチヒョルトが果たした功績は非常に大きい。

小田:合理主義的なものの象徴として。

佐賀:そう。だからこそ、アルバースはこういう批判をしたんだと思います。

小田:一つの色をめぐる認識のあり方は本当にたくさんあって、「君はこちら側から見ているかもしれないけれど、あちら側からもそちら側からも向こう側からも見ることができるんだよ」ということをいちいち言うじゃないですか。どうしてここまでくどいくらい言うのかなと考えていたんですけど、いま佐賀さんからアルバースの人生についての話を教えてもらって初めて腑に落ちたというか。アルバースにはどこかで合理主義的なもの、モダニズム的な理論、整理して整えるというようなものに対して、回り回って強烈な反骨心のようなものがあったのかもしれませんね。

佐賀:しかも戦争がありましたから。戦争ほど、人に平和の重要性や人類愛のような、教科書に載っている言葉の真の重要さを思い知る機会はありません。そういう時代性もあったのかもしれない。

デジタル表現における揺らぎ

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小田:グラフィックユーザーインターフェイス(GUI)のあり方として、ちょうど3年ほど前に、いわゆるスキューモーフィズムと呼ばれている、立体のなかにグラデーションがかかった、質感のあるボタンのこんもりした形から、フラットデザインへと設計の思想が移り変わりました。その裏側には、ユーザーが求める感触、身体性が移行していったのではないかという気がしています。いちいち「これはボタンだよ」と視覚意匠的に処理しなくても、ボタンだとわかっているから押せる。でもこの本が言っていることは、モニターの話でいうと加法混色の話です。透過光のなかでの話なんですけど、スキューモーフィズムからフラットデザインに変換し補完する人間の頭のなかでは、イメージによる混色をしていると思うんです、色の捉え方として。そこに対して鍛えていくっていうのは、教育の役割としてすごく大事なんじゃないかという気がしています。
 ちなみに佐賀さんはタイポグラフィにおいて、デジタルに対するアプローチをどういう形で考えてらっしゃいますか。

佐賀:デザインする前の段階でひたすら手で描くというのが、やっぱり基本としてありますね。

小田:タイプフェイスをつくっていると、たとえばアールを描くときに、イメージがあるじゃないですか。いまから描くこのアールはアンカーポイント3つぐらいのアールかなとか。そういうのをどう考えるべきなんでしょう。データ的にはアンカーポイント少ないほうが綺麗だと思うんですけど、Frutigerとかを見ても、変なところにアンカーポイントが1つあったりするじゃないですか。

佐賀:あるある、あります。

小田:ああいうのはどういう意図で入っているのでしょうか。

佐賀:やっぱり人間を中心にしたらああなるのではないでしょうか。つまり人間の視覚像は幾何学的にはできていない、ということなのでしょう。幾何学的に見せようと思ったら、逆に幾何学的な処理ができないことがある。

小田:揺らぎが必要みたいなことですか。

佐賀:エンタシス[★8]みたいなものですよ。

パルテノン神殿。エンタシスの技法が使われた代表的建造物[Wikimedia Commonsより]

パルテノン神殿。エンタシスの技法が使われた代表的建造物[Wikimedia Commonsより]

★8: エンタシス
古代ギリシア発祥といわれる建築方法で、建築物の柱のなかほどにわずかなふくらみを持たせる技法。このふくらみにより、柱を下から見あげると錯視効果で柱がまっすぐであるかのように映る。そのため巨大建築物の柱に用いられた。日本の法隆寺の柱にもエンタシスが施されている。

小田:なるほど。色もきっとそういうものですよね。

佐賀:そうだと思います。

後編「学生に対して言葉をたくさん与えることが教育の目的。」に続きます

取材・構成:長田年伸
編集協力:五月女菜穂
写真:後藤知佳(NUMABOOKS)


PROFILEプロフィール (50音順)

佐賀一郎(さが・いちろう)

デザイン史家、グラフィックデザイナー。多摩美術大学グラフィックデザイン学科准教授(美術博士)。近代以降のビジュアルデザインとタイポグラフィに力点を置いたデザイン史を俯瞰的に研究。モダンタイポグラフィ/モダンデザインとはなにか? その現代的な意義・意味はなにか? なにが普遍的で、なにがそうでないのか? そこに時代を超えて通用する原理・原則はあるのか? そもそもデザインとは一体なにか? 広い意味での造形芸術の文化的・社会的・個人的価値とは? こうした美学的な問いを探究。共著『活字印刷の文化史』(勉誠出版、2009年)、訳・解説書『ウィム・クロウエル:見果てぬ未来のデザイン』(ビー・エヌ・エヌ新社、2012年)、監訳・解題『遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生 解題:美学としてのグリッドシステム』(ビー・エヌ・エヌ新社、2018年)など。

小田雄太(おだ・ゆうた)

デザイナー、アートディレクター。COMPOUND inc.代表、(株)まちづクリエイティブ取締役。多摩美術大学非常勤講師。2004年多摩美術大学GD科卒業後にアートユニット明和電機 宣伝部、その後デザイン会社数社を経て2011年COMPOUND inc.設立。2013年に(株)まちづクリエイティブ取締役に就任、MADcityプロジェクトを始めとしたエリアブランディングに携わる。最近の主な仕事として「NewsPicks」UI/CI開発、diskunion「DIVE INTO MUSIC」、COMME des GARÇONS「noir kei ninomiya」デザインワーク、「BIBLIOPHILIC」ブランディング、「100BANCH」VI・サイン計画など。


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配色の設計 ―色の知覚と相互作用 Interaction of Color

ジョセフ・アルバース(Josef Albers) (著), 永原康史(監訳) (その他), 和田美樹 (翻訳)
単行本(ソフトカバー): 206ページ
出版社: ビー・エヌ・エヌ新社; 復刊版
言語: 日本語
発売日: 2016/6/24