INTERVIEW

『サルまん2.0』刊行記念座談会
『サルまん』と、封印された『サルまん2.0』について語ろう vol.2

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1989年に『ビッグコミックスピリッツ』で連載開始となり、マンガ業界のみならず出版文化そのものを震撼させた伝説の作品、『サルでも描けるまんが教室』。しかし、その続編たるべく2007年に『IKKI』でスタートした『サルまん2.0』は、第8回の連載を最後に中断。以後、10年近くに渡り沈黙を保っていた『サルまん2.0』だが、2017年6月、小学館クリエイティブから『サルまん2.0』が刊行される。10年の沈黙は何を意味していたのか? 『サルまん2.0』は何を目指したのか? 『サルまん2.0』が今問いかけるものとは何か? その深淵を、相原コージ氏、竹熊健太郎氏に加え、『サルでも描けるまんが教室』から生まれた「相原賞」出身の漫画家・ほりのぶゆき氏をゲストに迎え、徹底的に語り尽くす。

●以下からの続きです。
「『サルまん』と、封印された『サルまん2.0』について語ろう vol.1」

「相原賞」と昔の話 part.2

竹熊:そうそう、それはね、同じように「原稿が落ちた」のがきっかけ。一色まことさんが……あの人も作品へのこだわりが強い人で、時間がかかってね、土壇場まで頑張ったけど原稿を落としたということがあった。そのときにまた江上さんが飛び込んできて、一色さんが落としたから3日ぐらいでなんとかできないかと相談された。で、何をしましょうかと。また「落日新聞」のように落としたネタをしてもおもしろくないから、漫画賞をやりましょうと提案した。当時スピリッツには雑誌独自の漫画賞がなかったんです。だから、おもしろければなんでもいいっていう漫画賞をやろうと。応募要項にはかまぼこの板に描いてもよい、畳にタバコの焼け焦げで描いてもよい、と書きました。どんなやりかたでもいいからおもしろければいいということでやって、相原賞の告知ページを、一色さんが落としたページの代わりでつくったんですね。そうやって生まれたのが相原賞なんです。それで第1回が……いつだっけ、1987年? 

ほり:そうです。87年の秋。

竹熊:そうだそうだ。当時スピリッツは売れていてね、今は見る影もありませんが。160万部ぐらいだっけ? だってねえ、「サルまん」をやる前はね、『めぞん一刻』でしょ、『YAWARA』でしょ、とにかくヒット作品だらけだった。とにかくそういう時期だったんでね……。だからなんでもイケるっていう雰囲気があった。だから相原賞という企画も成立したんです。なんでもありの賞というものは絶対におもしろいはずだと。これは元ネタがあって、戦後の「読売アンデパンダン展」という、現代美術の展覧会があったんです。戦後すぐに始まった展覧会なんですが、民主主義的な美術展であるということで、権威にとらわれず、誰が応募してもよく、かつ無審査だった。それで現代美術がガッと盛り上がった。アングラ美術家の巣窟として機能していて、おもしろかった。それが相原賞の元になっている。なんでもいい、印刷できたらそれでいい、と。

黒沢:ほりさんはその賞を見て、これだと思わったわけですか?

ほり:……今だから言いますけどね、僕ね、これ応募していないんですよ(会場、大爆笑)。……大学で進級に失敗して、4年になれなくて、就職活動もしていなくて、そんな折にね、「週刊少年サンデー」編集部に私の肉親がおりまして。

竹熊:ほりくんのお兄さんが小学館の編集者だったんです。

ほり:原稿が集まっていなかったらしいんですよね。で、勝手に兄貴が持っていって応募したという。アイドルのデビューみたいな感じですが。

竹熊:あれは武士調だったよね。

ほり:小島剛夕先生に憧れていまして。

竹熊:そうかー、応募してきたわけじゃなかったのか。あの相原賞っていうのは結構いろいろな人が応募していたんですよ。この間亡くなられた藤野美奈子さんとかね。

黒沢:賞金がなかったのに。

竹熊:小学館の内規があって、お金のかかるものは、やはり稟議というか会社の会議を経ないと設定でいきないということで、賞金がなしになったんですよ。でね、藤野美奈子さん、ほりさん、それから三好銀さん……あの方もこの間亡くなられましたが……それから「ゴールデンラッキー」の榎本俊二さんも相原賞に応募してきた過去がある。大学ノートを破っただけの紙の表と裏にボールペンで描いた漫画で。妙に印象深かったなあ。そしたらね、その後講談社で連載持って大ヒットして。中尊寺ゆつこさんも応募してきましたね。その時すでに漫画家として活躍されていましたが……。ああ、そうだ中尊寺ゆつこさんも亡くなられましたね。

相原:ちゃんと人を輩出しているんですね。

竹熊:そうなの。賞金がなくても、ちゃんと評価をするんだという姿勢が受け入れられたのか……まあ、当時のスピリッツは有名雑誌だから賞金がなくても応募は来るだろうとは思っていましたが。最盛期は300通近く応募があったから。それを全部ちゃんと読んで、ちゃんと審査して、ちゃんと評価した。

相原:第1回はこなかったけどね、その後はすごかったですよ。

竹熊:評価できるものは評価して。

相原:まあ何でもありって言う割にはみんなちゃんと紙に描いてきていましたけどね。

竹熊:一人だけ芸大生がね、おちんちんの彫刻みたいなのを送ってきたけどね、どこが漫画なんだと。

相原:あとカセットテープに不気味な音声を入れて応募してきた人もいましたね。

竹熊:そう、おもしろければいいんだけど。

相原:変わったことをやればいいってもんじゃないんだよね。

竹熊:その精神は僕が今やっている電脳マヴォでも続いている。素人でもいい漫画を描く人が。でもまあ、編集者と喧嘩してデビューを断念したという人も結構いるかな、そういう人の中には。付き合ってみるとね、ああ、こりゃ編集者は見放すわってわかるんだよね。ちょっと意見をいうと「きぃいいいいいい!」ってなっちゃう。

相原:オクラホマ美樹子先生(編注:『サルでも描けるまんが教室』の登場人物。編集者が少しでも作品に物申そうものなら、すぐさま手首を切ろうとする厄介なまんが家として描かれる)だ(笑)。

竹熊:これはちょっとわかりづらいからこう変えたらって言うだけで「きいいいいいい!」

相原:「そこが一番描きたかったのにぃいいいいい!(編注:これもオクラホマ美樹子先生の定番セリフ)」

竹熊:才能のある人でデビューできない人の典型例はそれですね。でもまあ、今はコミケもあるしpixivもあるしKindleもあるし、自分で出版できる時代ですから、だからそういう人は自分でやりますよね。メディアを通さないと宣伝にはならないし、知名度を求めるならそれなりの媒体を求める必要がありますが……。ただね、本当にいるんですよ、すごい人が。そういう人は紹介の仕方かなあと思うんだけど。

生き残るための「まんがの描き方教室」

黒沢:あれですよね、現代はそういう感じで発表の場がいろいろありますけど、お三方はずーっと商業誌で30年近くやってこられて。その辺の生き残り術を……。

相原:いやなんか、僕もここ数年危機が度々ありましたけど……なんとかきますよね、もうダメだなと思うと仕事が。僕も本当に、イトーヨーカドー食品売り場のカートをガラガラ元の位置に戻す仕事をやろうと思って調べたこともあったんですけど、ギリで連載の話がきて……でも、しばらくは月産4ページでしたけど。

黒沢:ギャグは燃え尽きちゃう先生いらっしゃるじゃないですか。壊れちゃう人とか描けなくなっちゃうとか。その辺をこらえられたのは?

相原:いろいろとやってきたからじゃないでしょうか。ギャグもやったし、動物とか、サルまんとか……今ちょうどバランスとしては『コージジ苑』っていうのが4コマギャグ、『こびとねこ』が動物系で、『愛のバビロン』がシリアスストーリーで。

竹熊:相原くんは割りとコンセプチュアルなんですよね。コンセプトをまず立てる。次の作品は忍者モノ、とか。それはなぜかというとそのときに忍者モノが他誌でなかったから、とか。『かってにシロクマ』やったときは動物漫画が少なすぎるとか。

相原:ただ同時期に『ぼのぼの』が出てきたりとかありましたけど……。

竹熊:『ムジナ』っていう忍者漫画をやって後から『あずみ』が出たり。

相原:編集長に力説したんですよね、これからは忍者漫画ですよ!とかね。

黒沢:ほり先生はどうです?

ほり:描ける漫画をとりあえず描く、というところですかね。

竹熊:今シビアな時代ですからね、その姿勢は大事かもしれない。

ほり:それこそイトーヨーカドーで仕事を探さないといけないという。

竹熊:僕も仕事がぜんぜんなかったときに警備員のバイトをしたことがあります。オーライオーライって。

ほり:「サルまん」のネタっぽいですね。

竹熊:ネタならいいんだけど、実話ですから。でもね、仕事がないときは背に腹は代えられないですからね。家賃払わないといけないし。脳梗塞やった後実家に戻りましたけどね、俺が脳梗塞で倒れる前に母親が脳溢血で倒れて亡くなってね……って何の話だっけ? ああ、とにかく仕事がなくなるってのはね、シビアな問題。

ほり:お二人ぐらいの実績なら波が多少あっても編集者からすればヒキがあるっていうか……。

相原:いやあ、漫画家っていうのは、大物でもつらい時代ですよ、仕事ってあっけなくなくなりますよ、突然に。

竹熊:大物でギャラが高くなるのは危険なんですよ。だから高橋留美子先生や浦沢直樹先生はギャラをあげない。これは手塚治虫にならっている。手塚先生も70年代の頭に漫画界でもっともギャラが高い人になっちゃった。それで編集者が仕事が頼めなくなってしまい、結果としてスランプになっちゃった。確か70年代でページ2万円だったかな。今の価値になおしたら、ページ10数万ってことですからね。下手したら20万近いギャラですよ。めちゃめちゃ高い。そうなってしまったせいで仕事が激減して、それで73年で『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる』で復活するんです。「週刊少年チャンピオン」で『ブラック・ジャック』を連載するときに、名物編集長の壁村耐三が「手塚の死に水は俺が取る」と。

相原:すごい。吉本浩二さんの漫画でもある種の名物編集長として描かれていますし、昔はそういう人いっぱいいましたよね。

ほり:佐藤(編注:『サルでも描けるまんが教室』の登場人物で、フルネームは佐藤治。役どころは編集者で、劇中劇「とんち番長」を担当する)にはモデルがいるんですか?

竹熊:ふくしま政美先生の『聖マッスル』という漫画があって、全裸ではじまって全裸で終わるという、すごい漫画なんですが、そこに登場する敵役がモデルです。編集者がマッチョで辮髪だったらイヤじゃないか、と。そのくせ小心者で名前が佐藤。そういうギャップを狙ったギャグですね。

相原:オクラホマ美樹子もモデルいるんじゃないかと言われるけどいないんですよね。

竹熊:青空のぼる(編注:『サルでも描けるまんが教室』の登場人物。センスのない大御所漫画家として描かれる)もモデルはいませんね。

相原:僕らは若かったけど、将来こうなったら終わりだなというイメージ。

竹熊:青空のぼるについては、白井編集長から昔話をよく聞いていて、要するに昔の大御所。子供時代に誰もが読んだような大漫画家。その人達が仕事なくなったときに持ち込んできて、その対応するのがイヤだということを話していたのをよく聞いて。それを煮詰めたのが青空のぼるです。

黒沢:そういう風に「まんが業界の暗部を描く」のは一種タブーであったようにも思うんですが、そうしたタブーを破ってるスタイルは当時としては大変ではなかったんですか?

竹熊:そうですねえ……80年代の後半から小学館に出入りするようになって…あ、黒沢さんともそこで合ってるんですよね、黒沢さんももともとは出入りのライターで。ライターズルームっていうのが小学館の6Fにあって。懐かしいなあ、バブルの頃なんて帰らないんですよ、編集者は。

黒沢:今みたいにねカードキーなんかもなくて。

竹熊:誰でも入れましたよね。警備員がいましたけど24時間フリーパスで。不夜城でしたよね、誰も帰らない。漫画が売れて売れてしょうがない時代で、何をやったって儲かるんだから。だから仕事がおもしろくてしょうがない。でも、そんな時代だから「サルまん」ができたんです。タブーを打ち破れたんです。バブルの真っ最中だからこその企画。今だったら通らないよね。

相原:通らないかもね、今はパロディがやりにくい時代だから。

竹熊:ギャグも下火だしね。

相原:白井さんがやらせてくれたってのが大きかったよね。

竹熊:Dr.スランプの編集者だった「マシリト」こと鳥嶋さん、今は白泉社の社長やってますけどね、その鳥嶋さんと話をしたときにね、「「サルまん」はこれは創刊編集長だったからできた連載だな。創刊編集長じゃなくて後釜の編集者だったらできない企画だよ」と言ってくれた。

相原:K先生が激怒して、まあ『Y』のパロディでもありますからね、小学館のスピリッツ編集部に、長々とFAXで抗議が来たという逸話があります。でもそれを守ってくれたのは白井さん。「サルまん」を切ることなんて簡単にできたはずなんだから、別に人気連載でもないし。

竹熊:『O』のほうがずっと売れているわけだからねえ。でも白井さんはそれを突っぱねた。だから鳥嶋さんが言ってくれたように、「白井さんが編集長だったからできた企画」なんですよ。大御所を怒らせちゃったら普通は駆け出しの漫画家なんて太刀打ちできないはずなのに。

相原:人を怒らせるようなネタばっかり詰め込んでますからね。

黒沢:それでいくと、落日新聞の原稿がサルまん2.0に掲載されていますよね。掲載許可を貰おうと江口寿史さんにメールで打診して、怒られるかなと思ったんですが、2時間とかからずに快諾していただけました。

相原:懐が広い。

竹熊:懐の広さは大事。それがないと変化についていけなくなる。紙の書籍がまったく売れていない時代と言われているけれど、ところがここ3年ぐらいは電子書籍が伸びている。実はデータ上では出版総売上は電子を含めればここ3年ぐらいは伸びている。上向いた理由は電子書籍。でも作家さんからすると実感がない。電子が売れているという実感を作家さんが持っていない。どうやら出版社は電子で儲けはじめているんだけど、それで紙の補填をはじめている。大きなところはもう電子に舵を切っている。要するにさ、会社に余力のあるうちに電子商売、ネット商売に会社の体制をシフトしなけりゃならない。だから紙の人員を削減している。紙の社員が邪魔っていうね。すごい時代ですよ。たぶんね、漫画家としてもね、媒体は電子になるだろうし。そこでエージェントの出番なんですよ。私は電脳マヴォでエージェント会社をはじめたんですよ。ようやく最近原稿料が払える体制になりつつある。どうなるかはこれからですが。

相原:サルまんの電子版は?

黒沢:進めております!

(2017年7月3日、本屋B&Bにて)


PROFILEプロフィール (50音順)

ほりのぶゆき(ほり・のぶゆき)

1964年生まれ。兵庫県出身。漫画家。『ビッグコミックスピリッツ』の第一回相原賞で「金のアイハラ賞」を受賞しデビュー。代表作に『江戸むらさき特急』『ちょんまげどん』『もののふの記』など。

相原コージ(あいはら・こーじ)

1963年生まれ、北海道出身。1983年 『漫画アクション』に掲載された『八月の濡れたパンツ』で漫画家デビュー。代表作『コージ苑』(1985-88年『ビッグコミックスピリッツ』連載)、『ムジナ』(1993-97年『週刊ヤングサンデー』連載)など。現在『Webコミックアクション』にて『こびとねこ』連載中。

竹熊健太郎(たけくま・けんたろう)

1960年生まれ、東京都出身。漫画原作者、ライター、編集者。1989年に『ビッグコミックスピリッツ』に相原コージとの共著『サルでも描けるまんが教室』を連載して大ヒット。2010年より新人マンガ家発掘育成を目的とするWebマガジン「電脳マヴォ」を主宰。多摩美術大学非常勤講師。


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サルまん 2.0

相原 コージ (著),‎ 竹熊 健太郎 (著)
単行本: 160ページ
出版社: 小学館クリエイティブ
ISBN-10: 4778038193
ISBN-13: 978-4778038193
発売日: 2017/6/27