多義化しているデザインの本質は、表現領域だけではなく、
その言葉を知る人々の思想にまで及ぶようになりました。
近年、デザインという言葉が芸術性のみでなく
機能としての側面も注目されるようになってきた矢先に、
最も話題になったデザインが五輪エンブレムだったというのは
僕たちデザイナーにとって大いなる皮肉となりました。
ネットリンチやネットカスケードという言葉を前に感情的になる前に、
取り下げられた五輪エンブレムについて、僕たちデザイナーが考えなければいけないことは
類似性ではなく「なぜ取り下げられたのか?」だと思っています。
僕は普段、デザイン=設計を旨としながら、様々なデザインプロジェクトを
意思決定者(経営者だったり、プロジェクトリーダーだったりします)の方々と
チームになってゼロからつくり上げるデザインを仕事にしています。
チームといってもデザインの意思決定に関わるのは僕も含めてせいぜい3~4人。
そんな少人数の手によって設計されたデザインは、どういう形で社会に受け入れられるべきなのか。
僕が影響を受け、20代の心の支えになった本に
『魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本』があります。
ここには、お金を稼ぎながら、特定の思想や環境に拘泥しないデザイナーとして
在り続けていくための具体的な体験談やQ&Aが書かれています。
この本の中でステファン・サグマイスターは
「組織とお金について考えることは、インクの色やタイプフェイスを選ぶことと同じように
デザインプロセスの一部となる」と書き、
アレクサンダー・ゲルマンは現代のデザイナーに必要なカギとなる特質として
「友人とお金」と答えています。
技巧的表現としてのデザインは充分に認知されていますが、
生活や社会を耕すものとしてのデザインを両輪とすることではじめて、
デザインは「設計」足りえるのではないでしょうか。
それを考えるためのコンテンツの第一弾として、
ほぼ日刊イトイ新聞とNewsPicks、DOTPLACEにご協力いただき企画しました。
この企画では「デザインに携わりながら、経営の意思決定者でもある」方々に
各媒体が一人ずつお声掛けしました。
インタビュイーに対して三者で同時に取材をして、
三者の視点と書き方で同時にリリースしていただきます。
果たして、「魂を失わなかったデザイナー」が設計したデザインは、
どのようなかたちで世の中に出て、
経営や経済、組織や社会に受け入れられていったのか?
「デザインの魂のゆくえ」を追っていきたいと思います。
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