INTERVIEW

デザインの魂のゆくえ

デザインの魂のゆくえ 「デザインと教育」篇 その2:小田雄太×たかくらかずき
「文脈から切り離されても何かを感じるマーク」

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本連載「デザインの魂のゆくえ」の第1部「デザインと経営」に続く、第2部のテーマは「デザインと教育」。第2回目は、ドット絵を使った独特の世界観で、イラストレーター、アーティストとして活躍するたかくらかずきさんをゲストに迎え、『図説 サインとシンボル』を底本に、現代における「サイン」と「シンボル」、そしてその伝達を探る対談をお届けします。

●下記からの続きです。
 前編:「絵文字はその意味付けや感情値がみんなにあらかじめインストールされている」
 中編:「ピリオドがないインターネットに杭を打っていきたい」

●「デザインと教育」篇 序文はこちら

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◆VRの世界のサインとシンボル

小田:さっき「ピクノ」のことを、「これが最初の(GUIの)記憶になった」って言ってたんだけど、それって当時のたかくらくんがゲームで教育されたってことかなと思って。逆に今教育っていうものに自分が参加するとしたらどんなことになるのかな。

たかくら:まだピンとは来てないんですけど、自分の思想にある程度共鳴してくれる人ってめちゃくちゃ少ないんだなっていうことには気が付いてきました。それを無理やり分からせようっていうのも無理だということも。でも、自分と方向が違っても興味深いことを考えている人との出会いには恵まれているので、そういう人たちってどうやってそうなったんだろうと気になっています。僕も自分ではわりと考えているつもりなんですよ、考えている内容がみんなと噛み合ないだけで(笑)。 でも、噛み合わないほうが伝え方をいろいろとまた考えることができる。それがさっき言った、自分の文脈ということだと思うんですが。だから、自分の文脈を持つ人はどうやって育つのかを考えることはあります。

小田:それってパッケージ化されてないものだよね。もっとドロドロした状態で人に伝える為にどういう手法が取り得るのかな。

たかくら:それだと確かに、ゲームは分かりすいですよね。

小田:うん。だから「ピクノ」を作った人も、これはすごく誰かの教育になるはずと思って作ったと思うんだよね。このキャッチコピーって「21世紀の天才クリエイターへ贈る」でしょ?(笑)

たかくら:いまだにがんばろって思いますね(笑)。

小田:結局デバイスなのかな。デバイスっていうのは一番強制的な力を持ってるから。そういう、思想的なものや習慣的なものをパッケージ化するっていうのは、正しく『サインとシンボル』の話だったりしていて、それが絵文字にもつながることがある訳でしょ。そうやって一周回る中で、「新しい概念のサインとシンボル」って何だろう、って。どこまで行っても、サインとシンボルって映像化できないし、VR化しても意味がない。映像の中でも、VR化した空間の中においてもシンボルはシンボルとしてサインはサインとして、発揮される訳だから。

たかくら:ゲームなんてまさにすべての要素がサインとシンボルでできてるところありますよね。

小田:たかくらくんはVRの作品も作っていて(「ウムヴェルト」2017)、あれはものすごくいろいろぶっ壊れた世界感だけど、その世界観の中にルールやサインとシンボルがきちんと存在していてすごいと思いました。どういう風に設計をしていったの?

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たかくら:あれはゴッドスコーピオンとの共作で、最初のミーティングで高音と低音の話をしてて(笑)。

小田:高音と低音?

たかくら:高い音と低い音が陰陽の関係で回ってる、みたいなイメージを最初に共有して、ちょっと霊的な空気感出したいよねって話から始まって、ルンバにそれぞれ高音と低温を割り当てて回す、とかしているんです。ゴッドスコーピオンの方からルンバはずっと同じタスクしかしない、掃除しかしない。掃除しかしないっていうのは小豆しか洗わない小豆洗いみたいなもんだから、妖怪なんだって話がでてて(笑)。

小田:ルンバは妖怪(笑)。

たかくら:そういうワードから、まずハードウェア面が出来上りました。そしてソフト面の開発に入るわけですが、展示全体のコンセプトとしては、レンチキュラー作品、映像作品、VR作品と三つの展開を、同じモチーフを使用して様々な拡大率だったり組み合わせで見せるという、要は共通のシンボルを別のコンテンツで繋いでいくというテーマがありました。それを踏まえたうえで、VRの基本形としての「現実空間をバーチャルで再現する」ものではなく、「バーチャルとしての素の空間に人間の視点をねじ込む」ことをやりたかったので、Photoshopの中を再現するようなイメージで組みました。だから中も平面のレイヤーの組み合わせで作っています。

小田:なるほどね。その中では記号性みたいなものはないの?

たかくら:絵文字は結構使いましたし、ほかの平面に使った「虫」「植物」みたいなオブジェクトを複数入れ込んでいます。あと、PCのポインターをVR空間に入れたのですが、それがあることでモニターのなかに身体があるような感じがするのがすごく不思議でした。マウスポインタについての身体性は、もう僕らにインストールされているので。

小田:なるほどね。フルティガーも、根源的な人工物として最初に人類が認識したのが「矢」だって言ってる。記号としてね。何かを指し示すって意味でも「矢」っていうのはすごく原初的な記号だという風に言っていて。平面でも、絵が動いても、VRの中でさらに動くっていう中でもしっかりシンボル性があるのが矢印?

たかくら:矢印はもうダントツですね。ほかの絵文字は感情値なのですが、矢印だけは身体として感じます。

小田:指し示したりするっていうのは人間が学習するコミュニケーションで最初のものだから、矢印が刷り込まれてるっていうのは人間の中では大きいかもね。

たかくら:それがまたコンピューターの歴史と共に深まっているというか、主体としての矢印っていうのが生まれたじゃないですか。コンピューター以前は矢印って指し示すだけだったんだけど、指し示す矢印がコントロールできるっていうことでそこにさらにゲームの主人公のような、「指し示す」ことに特化したキャラクターが生まれた。身体と連携することで身体感覚がすごく入ってくる。そこで矢印のアップデートがあったんじゃないかなという気がしています。

小田:技術的なものもそうだし、人間の方のアップデートもあったってことだよね。

たかくら:そうですね。知覚のアップデートですね。

小田:それは確かにコンピューターによって起きたことだよね。

たかくら:そうですね。矢印のポピュラーさが絵文字と同じレベルだったので、コンピューターが浸透したタイミングで全世界的に矢印に主体っていう文脈が追加されたということだと思います。

◆デジタルの世界で意味を持つものが現実の世界に出てくるとシミュラークル化する

小田:そうだね。でも、現実世界にあのポインターとか絵文字が出てきた時にちょっと白けるあの感覚はどっからくるんだろうね。

たかくら:クッションとか(笑)。

小田:クッションとか(笑)。記号がある種、何かの主張として現実世界に現れた時になんで陳腐化するのかなって思って。

たかくら:そこで機能しないものだからじゃないですかね。現実で絵文字って描くの大変じゃないですか。やっぱりUnicodeがあってこそ絵文字が機能するというか。コードによってこれが出るって定義されているから機能するし、矢印も少ないピクセルで描ける分かりやすいものなのに、わざわざこれを現実に取り出すのは大変そう。ずれてる感じがするのかもしれないですね。

小田:「シミュラークル」っていう言葉があって、まあ意味をもたない記号とか模造品って意味なんだけど、それはインターネット……、たかくらくんがいうところのデジタルかな。デジタルの世界の中で意味を持っているものって、デジタルが故に現実だと模造品になりやすくて、逆にシミュラークル化するっていうのって、現象として面白いなと思って。かつては現実世界で既にあるものがインターネットの世界に行くとシミュラークル化する、意味のない記号化するっていうのがあったんだけど、今その逆流現象みたいなものが起きている気がしていて。

たかくら:そうですね。シミュラークル化するっていうのはたぶん、自分の居場所じゃないものになっちゃうことなんだと思う。

◆日本文化のサインとシンボル

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小田:逆にシミュラークル化しないデジタルのアイコンは初音ミクかなという気がしていて。あれはすごくキャラクターっていう記号性があるでしょ。緑色で二本のおさげがあって、って。それとたぶん作った人がコミュニケーションを決めきらなかったからだと思ってて。コミュニケーションを決めきってしまうとそこにルールが発生してしまうから、上手くそのルールの空白みたいなものを作ることで、受け手側の試行錯誤が上手くメインに逆流していったというか。そのことでシミュラークル化が防げたんじゃないかなって気がしてる。

たかくら:うん、確かに。キャラクターづくりにアニメ的価値観を引用しているっていうのはすごく大きい気がしますね。絵文字とか矢印と違って、初音ミクっていうのはまずキャラクター造形があって、それはやっぱりアニメとか漫画の文脈から来ていて、アニメっていうのはそもそもフィギュアになることがメジャーなことなので、フィギュアにできるキャラクターっていう文脈を引用したのは結構でかいんじゃないでしょうか。

小田:そういう意味では結構日本ってアニメ・漫画の文脈、文化を持っているから。この本で書かれているサインとシンボルって、アルファベットとモチーフとしての十字が最初に挙げられてるの。「シンボルの超根源的なものっていうのは十字でそれはもう既に我々の生活の中にねじ込まれている」って。でも日本人の生活の中には元々アルファベットも十字もないから。その中での表現の潮流っていうのも、日本は曖昧なまま来てるんじゃないかって気もしてる。
 日本の場合、よくよく考えれば漢字ってすごくフレキシブル。漢字の文字自体は左上から入って、右下に抜けるけど、その漢字を定着させる時には縦書きだからまた違う流れが生まれる。すごく複雑な体系を持っていて、アルファベットみたいに単純化しづらい。それと、サイン・シンボルの基本形として四角とか盾型をこの本では挙げてるんだけど、日本ってもともと家紋が丸だから。

たかくら:丸ですよね。

小田:この本の中で丸っていうのは、内側から外側に発散したり外側から内側に集約するみたいな、何か生まれ出る形だったとは言っていて。あと、よくある盾型は技術的な物から発祥したっていう事も言っているのね。だから日本人ってなんであんなに家紋みたいに、昔から丸を描くのが得意だったんだろうかっていうことを考えて、デザインする上で「受け渡し」が必要だったのかなと思う。

たかくら:そうですね。漢字があったりとか、日本では縦書きや横書き、いろんな書き方をするっていうのは、漫画が読めるっていうことにかなり近い気はしていて。漫画のコマってすごくランダムじゃないですか。縦に読む時もあれば横に読む事もある。丸についてのこととランダムな読み方向についてのことはつながっているような気がします。

小田:確かにね。絵でも、日本における絵画って浮世絵だけど、浮世絵って元々庶民のもので、海外だと絵画は金持ちのものだったりするから、そういう庶民の楽しみの中で培われた表現の文脈みたいなのがあるのかもね。

たかくら:あると思います。バズの消費と同じで、たぶんこれって繰り返されてきていて、庶民の人たちがとにかく面白いものや快楽的なものを求めていった結果生産する側もどんどん消費的なコンテンツを作っていくという流れが、日本では結構あったはずなんですが、じゃあ過去のそれらはなぜ文化として定着したのか。だからやりようによってはバズも文化になりえるんですが、定着を誰かがやらなきゃいけない。今までも誰かがやってたんですよ。浮世絵だってそう。

小田:絵みたいなものは残りやすいんだろうな。バズっていうのは現象だったり、依拠するものはテキストだから。

たかくら:そうですね、例えば90年代のめちゃくちゃ変だったCMを今見れるのか、っていうような話にもなると思うのですが、実はインターネット以前から残らないものがいっぱい出てて、仮に2090年の地点から1990年代に流行ったものを振り返ったとき、たぶん最初に出てくるのは記録映像とかフィギュアとか服とかであって、特定のTVCMとかはたまたまビデオにでも録っといてないと残らないですよね。今YOUTUBEにリンクを載せていてもそのサーバーはもう錆だらけで、海底に沈んでたりするかも。そういう中でインターネットコンテンツはどう残っていくんだろうなぁと。

◆文脈から切り離されても何かを感じるマーク

小田:数十年後には今流行ってるマークとかシンボルみたいなものが、文脈を知らないまま使われたりしそうだよね。

たかくら:デビットボウイやスポック船長みたいな。

小田:ずっと前にペルーに行ったんだけど、ペルーの人たちってロゴマークがすごく好きで。もうなんでもかんでもね、ロゴつけるの。例えばあのペルーのタクシーとかこんなんがあって……。

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たかくら:ミニ四駆みたい(笑)。

小田:これペルーの都心部のタクシーがおしゃれでやっているわけじゃなくて、山奥のタクシーだよ、山奥。あ、これもほら。

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たかくら:あ、トランスフォーマーだ。

小田:試しに聞いてみたの、このトランスフォーマーつけてる人にこの作品知ってるのか、って。そしたら知らないって。でもなんかとにかくかっこいいからつけてるみたいで。

たかくら:もうリアルTumblr状態だ。

小田:ペルーって、こういう車がすごくたくさんあるの。たぶん長く研鑽、研鑽されるってことは検証されているってことで、愛されてるマークって文脈から切り離されてもなにか持ってるんだろうなって。それを感じるからみんなマークっていうものに執着する。僕はまちづくりの仕事でも絶対マークを作る。それも関係はあるはずで。

たかくら:うん。水戸黄門の家紋とかもそうだし。

小田:ああ、水戸黄門。そうだね。水戸黄門も家紋だから丸いもんね。

たかくら:バズの一つ一つにマークつけたらいいんじゃないですか。

小田:バズにね(笑)。

たかくら:バズマーク(笑)。 このバズはこのマーク。 思い出しやすい(笑)。

小田:確かに認識されやすい。

たかくら:で、最終的に50年後とかペルーでステッカーになる(笑)。

小田:で車に貼ってるおっさんに聞いても、これがあのバズだ、このバズだとか言われても分んねえけど、って(笑)。つまりこの話をまとめると、 一番歴史に残るのは認知科学によって生み出されたデザインじゃなくて、誰かの妄想で作られたデザインじゃないかってこと。例えばナイキなんかは、キャロライン・デビッドソンが当時大学生だった時にお金を稼ぐために色んな所にプレゼンをしていて、その中にたまたまナイキ創設者のフィル・ナイトがいて、うちのロゴつくってくれない? という流れがあって、事の起こりからして全然理詰めではない。

たかくら:あれ、「サモトラケのニケ」の翼がどうのこうのじゃないの?

小田:あのマークは、当時大学生だったデビッドソンが、いろんな企業にプレゼンするために用意しているところにフィル・ナイトが来てあのロゴを見せたのだけど、その当時フィル・ナイトはあんまりしっくり来なかったらしいよ。デビッドソンとしては個人的に思い入れやコンセプトはあったみたいなのだけど。つまり、たぶん認知科学的に説明がつくマークってないと思うんだよね。もちろん作った人に言わせればたくさん言い分があるんだろうけど。長く残っているマークってその人なりに文脈とか思い入れとか思想みたいなものが入っているはずだけど、社会と接続しなければ結局は妄想みたいなものでしかなくて。でも、そういう人の作った妄想を見る能力って知らず知らずのうちに日常生活の中で鍛えられている気がしていてさ。そういうのについついオーラみたいなものを感じてしまうっていうのはなにか理由があるのかなって。それが多分ある種の教育的行為なのかもしれない。「見る人を教育する」っていうか。見る人も多分それに対して何かを感じ取ろうとするだろうし、そういう行為がすごく教育的なのかなって思って。

たかくら:確かに。色の組み合わせとかもそうですね。コンビニの色って絶対思い出せるし。「ファミマは青・白・緑」とか。

小田:コンビニなんかはすごく記号なわけだよね。外観も。セブンイレブンとかもそうだし。必ず駐車場があってさ、あれもある種記号化された空間だよね。それは受け取っていく側もそうだし、教育として発信していく側としても、技術だけになってしまうと効果的なだけで何も受け継がれられないものに、下手をすればなっちゃうんだよね。それをどうするべきかっていうのは、これから我々がちゃんとやっていかなきゃいけないことなのかなって。

たかくら:そうですね。たまに考えるんですが、このままだと「空白の100年」みたいなことになるんじゃないのかと。失われた王国みたいな伝説も「そいつらはその100年インターネットをしてたのでは?」みたいな気持ちになるんですよ(笑)。古代文明も実はインターネット的なバーチャルなものがあって、そこで気持ちよすぎて100年経っちゃっていて、結果すべて忘れ去られてしまいました、みたいな。昔は口語ベースの演劇や詩だったのかもしれないけど、とにかく残らないものがあって、それがめちゃくちゃヒットしていたけど残すすべがなかったら、それはもう「空白の100年」だなあって思って。それはそれでいいのかもしれないけど、残してみるのもいいよなと思います。

◆「MARVEL」も1000年後には宗教になるかも

小田:そうだね。そこで何が残るのか、残すのかっていうのは考えないといけないよね。そこを越えていかないと、デザイナーとしてやっている意味はあんまりないかなって個人的には思ってる。膨れ上がっていくそういうストーリー性とか思考みたいなものを、パッケージにする仕方として、最近はどんな形がありえると思ってる? 例えば、自分の作品が持っている文脈はどう語り継がれるべきだと思う?

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たかくら:自分の文脈の伝わり方とはちょっとずれちゃいますが、例えば仏教が始まったときは、そもそもそれは宗教ではなくて、哲学みたいなものを分かりやすく伝えただけだったはず。それが宗教になっていくプロセスが面白いと思っています。今だと、「MARVEL」とかは1000年後にはキリスト教や仏教に並んでたりする可能性があるな、みたいな話を友達としてて。「MARVEL」ってユニバースという概念のもとで、関連作品がいっぱいあるじゃないですか。今やってる「MARVEL」ユニバースが旧約聖書の段階だったとしたら、「MARVEL」ユニバースの外側にさらに広がるユニバースについての物語としての、新約「MARVEL」が発生したとしたら。言っていることは基本的に「友情/愛/努力」とか「隣人を愛せ」とか「友と協力しろ」みたいな普遍性のあることなので、これは宗教になりえるぞと。
 「MARVEL」はこの思想の文脈化のプロセスを意識的に段階を経てやっている感じがします。それに比べ古事記とかってわりとアドリブで構築したんじゃないかっていう話のつくりをしていて、「天皇の系譜を伝えるためのストーリー」という目的がベースにあり、そこに普遍っぽい構造を肉付けしていったような感じ。これって言ってしまえばバズマーケティング的というか。エッチなシーンがあったりとか惨殺シーンがあったりして、一つひとつの文脈が繋がってないんだけど飽きないし、天皇家について伝えるという目的は達成している。これはこれでなかなかの広報戦略だな、と。それに引き換え「MARVEL」には聖書的なダイナミズムがある。こういう物語の構造の差って面白いと思います。

小田:確かに。もう(残すためには)「宗教を作るしかない」って僕は思ってるんだけど。

たかくら:「宗教を作る」っていうのも憚られるけど(笑)。

小田:それはわかるけどね(笑)。

たかくら:ただ、思想の伝え方としては一番正しいなと思いますね。積み重ねられていくというか。

小田:誰かの偏った考え方だとしても、それがある種の体系として受け継がれられて紡がれてていくと、それは宗教になりかねないよね。

たかくら:今企業がやっているブランド戦略みたいなことも一緒だと思います。ある特定の戦略や思想が、宗教のように普遍的なオーラをまとっていく構造っていうのがすごく気になります。

◆絵と文字の組み合わせ

小田:その構造の中ですごく重要な位置を占めているのが、この『サインとシンボル』なんじゃないかな。この本も突き詰めると宗教の話になっていくもんね。

たかくら:そもそも、この本の語り口がかなり宗教っぽいっていうか催眠効果ありますよね。

小田:(笑)。繰り返し繰り返し、ちょっとずつずらして語っていくという……。

たかくら:「あなたは今こう思った」みたいなことが書いてあるんですよね(笑)。「四角だけにあなたは注目したでしょう」とか。「確かに、今俺それ思った」ってなりますね。占い師と話してるみたいな。この人の語り口はすごいなと思いました。

小田:フルティガーってやっぱり、文字=言葉を作ってる人だから。形(図や文字)の本だけど、すごくあると思うよ、催眠効果。

たかくら:図と文字、どちらに定義づけられたのかわからないですよね。自分の思考が図形によってカーテンだと思ったのか、この人の文字によってカーテンだと思ったのか、まったくわからない。

小田:それだけやっぱり、文字を書くとか記号を形作るのって、ミクロの作業に入れば入るほどベースがわからなくなってくる。それにこの本、最後の方は本文に絵がなかったら内容がわからないよね。

たかくら:全くわからないですね。そういう点においても、考えていることを伝えるのに、絵と文字の組み合わせってすごくいいなと思います。だからその両方が入っているゲームはやっぱりいいなって思いますね。だからしばらくはゲームをやっていきたいっていう気持ちがあります。

[了]

取材・写真:後藤知佳
編集協力:中西日波
構成:松井祐輔(NUMABOOKS)


PROFILEプロフィール (50音順)

たかくらかずき

イラストレーター/ゲームクリエイター/アーティスト。1987年生まれ。ドット絵やデジタル表現をベースとしたイラストで、音楽、CM、書籍、WEBなどのイラストや動画を制作。劇団「範宙遊泳」ではアートディレクションを担当。「宇宙冒険記6D」で初の脚本を担当した。個人作品ではプリントやレンチキュラーシートを使った作品などを制作。pixiv zingaroにてグループ展「ピクセルアウト」を企画/主催。2016年より「スタジオ常世」の名でゲーム開発を開始、2018年に「摩尼遊戯TOKOYO」をリリース

小田雄太(おだ・ゆうた)

デザイナー、アートディレクター。COMPOUND inc.代表、(株)まちづクリエイティブ取締役。多摩美術大学非常勤講師。2004年多摩美術大学GD科卒業後にアートユニット明和電機 宣伝部、その後デザイン会社数社を経て2011年COMPOUND inc.設立。2013年に(株)まちづクリエイティブ取締役に就任、MADcityプロジェクトを始めとしたエリアブランディングに携わる。最近の主な仕事として「NewsPicks」UI/CI開発、diskunion「DIVE INTO MUSIC」、COMME des GARÇONS「noir kei ninomiya」デザインワーク、「BIBLIOPHILIC」ブランディング、「100BANCH」VI・サイン計画など。


PRODUCT関連商品

図説 サインとシンボル

アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger) (著), 小泉均(監修), 越朋彦(翻訳)
単行本: 480ページ
出版社: 研究社
言語: 日本語
発売日: 2015/6/19