第1回 「まちをつくるということ」
こんにちは、はじめまして、まちづクリエイティブです。私たちは、若いクリエイターやアーティスト、つくり手の集う場所づくりを通して、独自性のあるエリアを創出するまちづくりを展開している集団です。
▼まちはそもそもつくれるの?
ところで、いきなりですが、まちづくりって何でしょう。みなさんはどう思っていますか? まちはそもそもつくれる、と思いますか。
歴史的にみると、市民のつくったポリスもあれば、王様のつくったまちも、将軍がつくったまちもある。祭司のつくったまちもあるだろうし、酋長のつくったまちもある。
私たちの時代のまちづくりは、どうなっているのでしょう。政治家、行政がつくる? 建築家がつくる? デベロッパーやゼネコンがつくる?のでしょうか。まちづくりコンサルはまちをつくれる? 住民はまちをつくれるのでしょうか。
私たちは自分の家や店をつくる(自分たちのお金でつくってもらう)ことが出来るかもしれないけれど、そもそもまちは難しいんじゃないかな。
そんな疑問や感想がふつふつと、わくかもしれません。
▼まちづくり=「つづく世界」をつくるということ
世界史をみても、冒頭述べたように、王制、貴族制、直接民主制、間接民主制……、誰が支配者、権力者(意思決定者)かによって、まちの形、中身は大きく異なります。けれど、たとえ時代が異なっても共通したまちづくりの要素は、「つづく世界」という永久に未完成であるものをつくり続けることです。
例えば、サグラダ・ファミリアはガウディの死後も建設が100年以上も続いています(2026年に完成すると発表されてしまったけれど、本当かしら)。原発の廃棄物処理に桁違いの年数がかかることなども、わたしたちの直面するまちづくりの大きな課題のひとつです。自分が生まれる前から多くのまちは存在していて、自分が死んだ後も、まちは生き続けます。これは考えようによっては、非常に面白い点であり、怖い点です。
▼どんなまちが好き
ところで、みなさんは、どんなまちが好きですか?
自由にできるまち。あんまり、自由で偶然性が過ぎても困るから、適度に規制があるまち。店主とつくり手の距離感のいい店、趣味にあう店がたくさんあるまち。個性豊かでいきいきとした界隈のあるまち。周辺の家の食卓をたのしくさせていることがわかる地元のお店が残るまち。多くの時間を過ごした思い出のまち。大切な人のいるまち。欧州のように、時代を越えて代々、大切にされてきたことがわかる古い建物のたくさん残るまち。刺激的な新しい建物がどんどん建つまち。アリゾナ州の砂漠のアーコサンティのような壮大な実験都市 ★ 。
このようなまちは、各々、どんな風につくられるのでしょう。みんなの好きなまちが異なる中で、民主主義の下、私たちはどんな風にすれば、魅力的な「つづく世界」をつくれるのか。
ものづくりに携わる人なら誰もが、自分の作品を完成させたいと願っていることでしょう。アートのような作品、ウェブサービスのようなプロダクトなどは時間があるだけ触っていたくなるものですが、それでも一定の地点で作業を止め、発表するべきです。ところが「つづく世界」はいつまでも未完成です。それゆえ、一時的にイベントを開催するような知見とは、全く異なるやり方を必要とするはずなのです。
私たちはきっと王様でも、宗教家でも、貴族でもありません。金持ちでもないし、行政マンでも、政治家でもありません。そんな私たちが「まちづく」るには「つづく世界」をつくり続けるやり方を徹底して思考し、行動し、それらを蓄え続けることが重要です。
私たちはこの連載でみなさんとそのやり方(アソシエーションデザインとは、その総称です)を探っていきたいと思っています。
では、よろしくね。
また元気でお会いしましょう。
まちづクリエィティブがお伝え致しました。
[アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方:第1回 了]
執筆:アップルパイペロリ
注
★アーコサンティ:
建築家パオロ・ソレリ(昨年93歳で亡くなった)が構想したアーキテクチャとエコロジーの造語である「アーコロジ」をコンセプトとしたもので、現在も建設中。1970年より建設がスタートし、アリゾナ州中部の砂漠に建つ。都市のスプロール現象(都市化が郊外まで無秩序に拡大していく現象)へのアンチテーゼとして設計され、「アーコロジ」、すなわち、エコロジカルな建築を目指す実験的なまちであり、世界中から今日までたくさんの注目を集めてきた。
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