INTERVIEW

デザインの魂のゆくえ

デザインの魂のゆくえ 「デザインと教育」篇 その2:小田雄太×たかくらかずき
「ピリオドがないインターネットに杭を打っていきたい」

デザイン2_バナー

本連載「デザインの魂のゆくえ」の第1部「デザインと経営」に続く、第2部のテーマは「デザインと教育」。第2回目は、ドット絵を使った独特の世界観で、イラストレーター、アーティストとして活躍するたかくらかずきさんをゲストに迎え、『図説 サインとシンボル』を底本に、現代における「サイン」と「シンボル」、そしてその伝達を探る対談をお届けします。

●下記からの続きです。
 前編:「絵文字はその意味付けや感情値がみんなにあらかじめインストールされている」

●「デザインと教育」篇 序文はこちら

B1_MG_6585

◆ゲームは映像的で身体的で言語的なもの

小田:僕も大学時代は映像演出研究会という映画を作るサークルの部長をやってました。表現の潮流としては、基本的に言語的な伝達よりも映像的な伝達の方が今は好まれてるでしょ? そんな中で今たかくらくんがやっていることって、ゲーム作ってるし映像も作ってはいるんだけど、表現としてはすごく平面的というか、グラフィックだと思う。大学のときは映像的な伝達をやっていたところから、またさらに今度はある種言語的な伝達に戻ってきたわけでしょ。それってどういう変遷があるんだろうか。

たかくら:んー、やっぱゲームはデカいんですよね。RPGとかで台詞が出てくるっていうのは、すごく特別な気がしてて、感覚としては映像的でも言語的でもなく「映像的な言語」っていうか。文字一つ一つが記号的で、キャラや土地の名前だとかね、それぞれの意味合いは秩序立ってないんだけど、言語を並べていくことで、世界観がわかる。その感じはベースにあるような気がしますね。僕、大学2年ぐらいの時に初めて絵の個展をやったんですけど、そのときの絵って絶対言葉が入ってて、ひらがなの4文字とか3文字とかの台詞が入ってる。これは多分、ポケモンにニックネームをつけるみたいにアイコンとしてのキャラクターに言語的なものを与えることによって自分のなかで秩序づけるってことで、そういうところから始まっている気がします。

小田:僕も言語的なところでゲームの薫陶を受けたっていうのは間違いないと思っていて、最近だとドラクエはやっぱりすごいなって思った。ローディング画面のときに、絵は出ないんだけどちょっとした台詞が出てきて、内容は今まで会ったキャラクターの解説みたいな内容。でもストーリー上のそいつには名前がなくて、ただ単に会話するだけのキャラクターなんだよ。

たかくら:サブキャラみたいなこと?

小田:そう、サブキャラ。ドラクエに出てくる街の中のモブキャラなんだけど、その街にいた人たちは全員いなくなってるって状態の中で、そのモブキャラが1人だけ生き残っているやつがいると。そのストーリーは本編では全く描かれないのだけど、なぜそのモブキャラが生き残ったのかという物語が、何にもないローディング画面中にテキストだけでぽっといきなり出てくる訳。それってすごい想像力を働かせるっていうか。映像的なものと言語的なものを行ったり来たりさせるストーリーテリングだなと思って、やっぱドラクエってすげえなって。ゲームってある種、映像的なものでもあるし、身体的なものでもある。さらに加えて言語的なものでもあるわけで。以前、2人で話した時に、ノベルゲームのような言語的すぎるゲームは、面白いのはわかるのだけどあまり我々に合わないかもしれない。どちらかというと指でコントローラーをガチャガチャ操作するようなゲームが性にあってるよねって話をしたこともあったと思うんだけど、それってなんでなんだろうね。やっぱり身体性なのかな。

たかくら:ズレでしょうね。身体との。

小田:つまりそれは言語的なものは身体的なものを……、なんというか伴うっていうことなのかな。

たかくら:ゲームでは言語を映像的に吸収したいっていうのがあるんじゃないでしょうか。

小田:そこに対するズレがあるっていうのはなんとなく分かる。

たかくら:あの、久々にMacじゃなくてWindowsを使ったときの感じ(笑)。「ショートカットがついてこない」みたいな。最近ずっとWindowsだからそっちに慣れてきちゃったんですけど。そこは多分、慣れとかもあるんだと思いますね。そっちの身体に慣れてないってだけかも。

小田:それこそさっきの絵文字はある程度共通理解があるっていうのと同じような感じで。そのゲームの言語的なものに対して追いついていけないって感じるときは、ある種ゲームが持ってる言語的な世界観に自分が馴染めてないからなのかもしれないっていうことだよね。

◆ゲームの中の「教育」

たかくら:それも教育と言えば教育だと思うんですけど。ゲームの中にもいくつかの分岐点があって。

小田:ゲームで一番最初にやることを「チュートリアル」っていうもんね。ゲームってやっぱり最初に「教育」が入るわけで。

たかくら:その中にさらに、物語性の教育とかインタラクティブ性の教育とか、そういうのが含まれていると思うんですよね。ゲームの中の「教育」の例がすごくわかりやすいなと思ったのは、教育の本質として、教育されればされるほど、その文脈を楽しめるようになるってことがまず大前提としてあるんじゃないかなと思うんです。

小田:うん、なるほどね。

たかくら:それはもう、記号の話もそうだし、ゲームっていうのもやっぱり教育されないものたちは離れていくし。

小田:うんうん。面白いのは、ゲームがプレイヤーを教育して一緒に共通認識や世界観を作り上げた挙句、それがさらに記号的なものとして、現実世界にスピンアウトしたりする。たとえばコスプレみたいな感じで。

たかくら:そうそう。ついこの前もそういう体験をしました。マイクラ(マインクラフト)のサバイバルモードってすごく複雑な感じがして、パッと始めてみると何をすればいいのかまったくわからない。すぐ死んじゃうし。このモードに何の魅力があるんだろうって思って、長いことたいしてやってなかったんですけど、任天堂の(YouTubeの)公式チャンネルでよゐこがマイクラの実況配信を最近始めて、それを何回か家で見ているうちに、「ああ、こうやるんだ」ってことがわかってきて、実際に始めてすごくハマった。ハマったらヨドバシカメラでグッズが売ってて、「誰がマイクラのグッズなんて買うんだ」って思ってたのに自分が買ってたみたいな(笑)。まんまと「教育」にハマったというか。

小田:よゐこに教育された、みたいなことだよね(笑)。

たかくら:あの動画でマイクラの国内普及率はだいぶ上がったんじゃないですかね。そもそも、よゐこの配信内で行われているフェーズの教育が、国内のゲームにはチュートリアルとして入ってるじゃないですか。その反面、マイクラとかの洋ゲー(外国産のゲーム)ってそういうところがわからないものも結構多い。特にコアなファン向けのゲームって、導入が難しい感じがするんだけど、このあたりは近年ではYOUTUBERが「ゲーム実況」として洋ゲーの初期教育を請け負っている印象があります。

◆ディレクションの方法

小田:僕も自分の行為を人に伝達する、言わば”ディレクション”みたいなことをよくやるんだけど。感覚的なものを共有していることは前提として、僕の場合はまず最初にそのプロジェクトが持ち得る記号性みたいなものを伝えるところから始めて、その記号を組み合わせるんだったら、自分としてはこうしたいって、組み合わせをディレクションすることを念頭に置いてる。例えばたかくらくんで言えばアシスタントにこうやって下さいとか伝えるときとか、どうしているの。

たかくら:うーん、僕はまだそんなにディレクションの場数がないけど、自分が先輩とかディレクターの人にいろいろ教えてもらったときは、プロセスの正規手順をまず教えてもらうって感じだったから、それを気をつけようかなと思っています。ツールの使い方や場を回す手順など、こういうときはこうするのがいいよとか、他の方法もあるけど基準値をまず教える。逆に小田さんが言っていたようなコンセプトとか組み合わせ方みたいなところは、あんまり伝達してないかもしれない。コンセプトとか面白みはそれぞれ勝手に見出してもらって作る感じ。

小田:そうなんだ。まずは正規手順を伝達するってこと?

たかくら:そうですね。正規手順というより技法と言うのかな。広くディレクションをする機会があるのは演劇の仕事くらいかな。

小田:そのときはどうしてるの?

たかくら:演劇の仕事の仕方って説明が難しいですね(笑)。 脚本・演出家がいるから作ることができるって感じ。

小田:でもたかくらくんの思想は、毎回その演劇の中でも反映されている訳でしょう。

たかくら:そうですね。だから逆に言えば、脚本・演出家に自分の考えをプレゼンするって感じですね。僕の下に人がいるって訳じゃないから。

小田:じゃあ制作者と言うよりもうプレイヤーの1人として。

たかくら:そう、プレイヤーですね。

◆言語が多様化して感じる欠陥と横断する絵文字

B2_MG_6559

小田:なるほど。ディレクションについては、この本の中で出てくる「ピクチャーを読む」っていうキーワードがすごくおもしろいなと思っていて。どういう意味かと言うと、今って言語や語彙の多様性みたいなものがどんどん広がって、頂点になっている時だと思うんだけど。そういう中で、どこかで使い古されたフレーズとか空疎な決まり文句みたいな「言語的な欠陥」に対して人がものすごく敏感になってる。だからこそ「ピクチャーを読む」って感覚が大事なんだって書いてあるのね。

たかくら:空疎な決まり文句に敏感になってるっていうのはどういうことだろう。今っぽくないってことですか?

小田:今っぽくないとか……、今聞くと使い古された感じがするフレーズって結構あると思うんだよね。例えば、最近聞いて「うわっ」て思ったのは「ワンチャン」だな。

たかくら:ああー「ワンチャン」。でもまだみんな結構言いますよ(笑)。

小田:いまだに言うか(笑)。確かに、そうやってコミュニティごとに言語が多様化していて、その中でしか通じないルールみたいなものがたぶんあるんだよね。

たかくら:コミュニティが違うと使う言葉も全然違いますよね。批評好きな人たちと喋ると漢字が多いとか、ベンチャー企業に勤めていそうな人たちと喋るとカタカナが多いとか、結構ありますね。そこもやっぱり、教育されないと分からないレベルがあるのかなって。

小田:確かに。今回この『サインとシンボル』がいいなと思ったのは、まさしくそこで。今の話って、実は結構フルティガーが予言的に言っているんだよ。「映像疲れが起きる」とか、さっき言った「ピクチャーを読む」もそうだし。それは最終的に信号に回帰して最後また戻る、みたいなこと。今はその前で、多様化している世界自体が乱立しているんだけど、それはどこかでまとまっていく。そこでその境界線、そういったフェーズをどう迎えるか。

たかくら:それはもう、絵文字じゃないですか。

小田:やっぱり絵文字なのか。

たかくら:顔文字ってあったでしょう。顔文字って、ギャルが使ってそうな顔文字と2ちゃんねらーっぽい顔文字とか、コミュニティごとに使う種類が分かれてた感じがしましたよね。でも絵文字って、使ったらださいっていうのがない。それがすごいなと思ってて。それは絵文字一つ一つが深い意味合いを持ってないというか、毎回どこか感覚だけで伝えていて固定の文脈がないからだと思うんですよね。

小田:あと、いまだに絵文字って全ての種類を把握している人が少ないっていう、なんかちょっとした隙間があるのもいいのかもね。多様化する世界みたいなものを横断していくために絵文字っていう表現が有効だとしても、まず絵文字を網羅しきれてないっていう。

たかくら:そうですね。どんどん増えていってるし。

小田:例えば前にデビット・ボウイが亡くなったことに対してさ、iPhoneの顔文字に赤いペイントのやつ(アルバム「アラジン・セイン」のジャケットでデビット・ボウイ自身がしていたメイク)が入ったけど。今になってはそれがデビット・ボウイだって意識せずに使っている人の方が多いと思うんだよね。あとね、このサイン。

IMG_7953

これはね、正しくは「スタートレック」のハンドサインで「長寿と繁栄を」って意味で、なぜかあれが絵文字になってる(笑)。なんかそういう、隙間。これだけテクノロジーが発達しても絵文字っていうものが網羅されてないっていうのが、おもしろいなって。

◆棲み分けを再分配する企業

たかくら:そうですけど、絵文字も新たな段階にきている気がしていて。今までの絵文字は思想によって分かれていたクラスタを、誰でも多用できる状態にしていて、それにすごく気を使ってたと思うんですよ。人の肌の色を何種類も出したり。

小田:今5種類くらい出てるもんね。

たかくら:国旗もいろんな国を出したりとか。文化的なものだって、それこそデビット・ボウイ出して、スポック船長出して、かつ門松も出す、みたいな形でなるべく網羅しようとしてるじゃないですか、すごく広いジャンルを。でもその結果出てきたのは、「なんかAndroidの絵文字ださい」みたいなことなんですよね。最終的に表現は企業に依存する、という。

小田:今のところ、そういう配慮ってiOS基準みたいになってるもんね。

たかくら:そうそうそう。iPhoneが全部のクラスタを網羅したってことに過ぎないような気もしていて。僕今Androidにしてるんですけど、Androidの絵文字ださいっていうか、なんか俺の好きな絵文字じゃないみたいな気持ちになる(笑)。全てのクラスタを集約させたと思わせつつ、実はそれってGoogleとかAmazonに近いというか、一つの企業に集約させただけに過ぎない。

小田:確かにそういうのって今はインフラになってるもんね。サービスの一つだったSNSがインフラになっている時代においては、それを使ってイニシアチブを発揮してる人たちがどんどんミーム的なもの、文化的遺伝子すらも作り始めてる。まあただ、文化的遺伝子を作ってる人たちはあくまでそのインフラを使ってる人たちで、そのインフラを提供しているのは、明らかに1社だったり2社だったりするよね。でもそれって悪い事だと思う?

たかくら:うーん。悪い事だとは思わないんですけど、びっくりしたというか。僕が大学生くらいの頃に、1つのジャンルだけじゃなく複数のジャンルを跨いで動く人たちが増え出して、これまでの棲み分けが一回リセットされて別の棲み分けになるんだと思ったことがありました。でも最近、もしかしてその棲み分けの再分配って企業によってなのかなって気はしたんですよね。絵文字で言えばiPhoneだったり、他はAmazonだとか。大学の頃に感じていた事に対する今の結論は、僕にとってはそう。

小田:それはある種企業によって文化的遺伝子の再分配が起こっている、ということかな。

たかくら:そう。それがいい事なのか悪い事なのかちょっと分からないですけど。

◆ピリオドがないインターネットに杭を打っていきたい

小田:そういう意味では、我々も企業からお金をもらって仕事をしている訳で、棲み分けを再分配する役割を担っているとも言えよね。だから、再分配の流れをちょっとだけ変えたりとか、着地点をずらすとか、再分配の盲目な手先にもなり得るし、再分配にコミットすることもできると思うんだけど、そこについてはどうかな。

たかくら:そうですね。ただ、どちらかというと僕は、今後この再配布のシステムがどのように進化していくのか見続けたいというのが先にあります。

小田:再分配っていうのはすごく大事な事だし、さっきも言ったようにデザイナーはそれに対して手先にもなり得るし、コミットして、再分配の流れ自体を再定義することもできる。僕はそう思って仕事をしているんだけど、そうすると再分配先からお金をもらう関係の中で、どうデザイナーとしてお金を稼いでいくかっていうルート、自分の“商流”の作り方がすごく大事になってくると思う。まあこれははっきり言うけど、再分配にコミットしてる風だけど実際はただの手先になってる人ってたくさんいるじゃん(笑)。

たかくら:手先って、反発していないってことですか?

小田:反発というか、自分の意思を流し込んでいないというか。そこに関してはやっぱりこれからデザイナーががんばらなきゃいけないところなのかなとは思っていて。で、そういう意味で言うとたかくらくんは自分の表現の中でお金を得る流れを作っているよね。それはどういう意識付けでそういう風にしているのかな。

B3_MG_6570

たかくら:最近は、すぐに消費されてしまうものを避けるようにしています。例えばWebサイトとかはやっぱり残りづらい。気づいたら消えてしまってもう二度と見れなかったりする。映像でも、YouTubeをアーカイブとして考えていた時期もあったんですが、あれも気づいたら消えてますよね。違反申請だったり、期間限定だったりで。だから、こんな仕事しましたって見せようとしても消えてたりする。MVとか、TVの予告とか、どこにもなくなったりしてしまう。例えば、SNSでこれがバズったとか話題になっても、一か月くらいたっちゃうと内容をあんまりみんな覚えてないわけです。情報の海に一瞬立つ大波のように、すぐに消えて忘れられてしまう。バズはあってもバズ史はない。バズ史、つまりバズにヒストリーがないっていうのは、昔批評に使われていたエネルギーが現代においてはバズに使われているからなのではないかと思っています。批評っていうのは一つの作品とかコンテンツを掘り下げて、歴史に紐づけていくことじゃないですか。これは、過去に向かってコンテンツを掘り下げていくっていう行為なはずで、それが未来とか現代に向いていくっていうのがバズなのかなと。だから、バズヒストリーがない限り、バズ自体にはあんまり興味がないです。

小田:確かにね。今、バズに対してすごく力を入れている人って、そういう自分が歴史を紡いでいくということをどう考えてるのか、謎だね。

たかくら:現代のインターネットは完全に現在と未来にむいていて、それに反発するように僕は最近Wikipedia最強主義にもどりました(笑)。Wikipediaはあいかわらず、ヒストリーを紡いでいる感じがすごくする。だから自分の感覚としては、メジャーになるとかそういうことじゃなくて、歴史に。誰かが歴史化する時に助けになるような杭を打っていく、っていう感じを意識的にやりたいなと思っています。広告だからダメだとかバズだからダメだとかいう訳ではなくて、そういう中でもヒストリーを意識してやりたいなぁと。

小田:自分が楔を打ってヒストリーを紡いでいけるのであれば表現の手段は問わない、と。

たかくら:そう。だからちょっと前までポストインターネットっていうかインターネットへの反発みたいに、デジタルは残らないからアナログだ、みたいな潮流があったと思うんですけど、そうじゃなくて。まずインターネットとデジタルは全く別のものなはずなのですが、そこが今混同されてるっていうのがある。デジタルコンテンツの中でも、ゲームとか音楽のように、ひとつひとつがパッケージングされていて、ピリオドが打たれているものは残る可能性がある。それに対してSNSだったりインターネットのタイムラインってピリオドがない。だから歴史化できない、という問題があるんじゃないかと思います。

小田:確かに。ピリオドが打たれないまま、どんどんどんどん煮詰められていって、水が蒸発していくみたいな。

たかくら:映画が終わらないとシーンも覚えていない感じ、というか。

小田:たかくらくんが言っていたデジタルとインターネットは違うということと同じように、信号的なものがいくらタイムラインを持ったとしても、ストーリーにはなり得ないっていうことなのかもなぁ。でも、タイムラインを持った信号に物語を見い出せるのは人間の特権でもあるから、だからそういう意味で言うと、本当に……、誰かがピリオドを打たないと! そうだよ! インターネットに誰かがピリオドを打つんだよって話になる(笑)。

たかくら:ですよね(笑)。でも、打てないでしょ。それこそ小田さんが言っていたように、みんな恩恵を授かってるし。ただ、手先になるのではなく、手先だと見られていたとしても、価値観はあった方がいいなって(笑)。自分の意思とか、こういうスタンスで関わっていますっていう意識はあった方がいいですよね。

小田:そうだね。まあ、さっきは再配分にコミットできるかっていう言い方をしたけど、コミットって意思表明のことだから、それを変えたいかどうかは置いておいて、自分が意思表明をするのが大事だよね。もしかしたらその意思表明をすることが、楔を打つことなのかもしれないし、その楔を打つ行為がピリオドを作る行為だとしたら、そこで一旦文脈ができているように見えるのかも知れないしね。確かに自分の中のアーカイブを作るっていうのは、自分の中で文脈を持つみたいなことですごく大事だと思う。自分なりに文脈を持つ為にはどうすればいいのかって考えることは、特にこういうクリエイティブな仕事で食っている人のやらなきゃいけないことかなと思ってて。その方が絶対儲かるしね。その方が絶対仕事になると思う。そういうこと、あんまり思わない?

たかくら:あんまり気にした事なかった(笑)。納得しないとやれない、ってことなのかな。基本的に納得してないと手が動かないのでまず自分を納得させることは重視しています。最後まで納得しないままやってもだめになっちゃうことがすごく多い。それは自分の精神衛生上の話なのですが。

後編「文脈から切り離されても何かを感じるマーク」に続きます

取材・写真:後藤知佳
編集協力:中西日波
構成:松井祐輔(NUMABOOKS)


PROFILEプロフィール (50音順)

たかくらかずき

イラストレーター/ゲームクリエイター/アーティスト。1987年生まれ。ドット絵やデジタル表現をベースとしたイラストで、音楽、CM、書籍、WEBなどのイラストや動画を制作。劇団「範宙遊泳」ではアートディレクションを担当。「宇宙冒険記6D」で初の脚本を担当した。個人作品ではプリントやレンチキュラーシートを使った作品などを制作。pixiv zingaroにてグループ展「ピクセルアウト」を企画/主催。2016年より「スタジオ常世」の名でゲーム開発を開始、2018年に「摩尼遊戯TOKOYO」をリリース

小田雄太(おだ・ゆうた)

デザイナー/アートディレクター。COMPOUND inc.代表/まちづクリエイティブ取締役。多摩美術大学非常勤講師。 ’04年多摩美術大学GD科卒業後にアートユニット明和電機 宣伝部、その後デザイン会社数社を経て’11年COMPOUNDinc.設立。’13年に(株)まちづクリエイティブ取締役に就任、MADcityプロジェクトを始めとしたエリアブランディングに携わる。最近の主な仕事として「NewsPicks」UI/CI開発、diskunion「DIVE INTO MUSIC」、COMME des GARÇONS「noir kei ninomiya」デザインワーク、「BIBLIOPHILIC」ブランディング、「100BANCH」VI・サイン計画など。


PRODUCT関連商品

図説 サインとシンボル

アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger) (著), 小泉均(監修), 越朋彦(翻訳)
単行本: 480ページ
出版社: 研究社
言語: 日本語
発売日: 2015/6/19