映画『海辺の生と死』
越川道夫監督インタビュー〈後編〉
聞き手・文:小林英治
私小説の極北と言われる『死の棘』を著した島尾敏雄と、その妻、島尾ミホ。他人には理解し難い二人の特別な関係の根幹には、太平洋戦争末期の極限状況下に、奄美群島・加計呂麻島で、出撃命令を待つ特攻艇を率いる隊長と島の国民学校の代用教員として出会った恋の物語がある。後年、二人がそれぞれ描いたその鮮烈な物語を原作に、自身も奄美大島にルーツをもつ満島ひかりを主役にして完成した映画『海辺の生と死』が公開された。奄美大島と加計呂麻島でのロケを敢行し、ドラマティックな物語を包む、圧倒的な生命力をたたえる島そのものを描こうとした越川道夫監督に、原作と映画に込めた想いを聞いた。
●前編「島そのものが描けなければ成り立たないと最初から考えていました。」からの続きです。
人間がたとえ死滅したとしても、太陽と地球がある限り朝は来る
―――島言葉で話されるトエが台詞が、イントネーションも含めて独特のリズムがあります。現地で撮影された、引きでとらえた美しい映像ももちろんですが、ところどころ歌われる島唄やその語りのリズムによって、島の感覚が身体の中に入っていきました。
越川:島に行って、クランクイン前に満島さん、永山さん、井之脇さんの若手3人で本読みをしました。そこで初めて、ご覧になった映画のニュアンスで、島の言葉で満島さんが話されて、みんなでため息をつきました。要するに、音にしなければわからないことが、やはりいっぱいあったんです。肉体が発する音として目の前に台詞が立ち上がってきた時に、「ああ、こういうことを俺たちはやろうとしてるんだ」と。それが、本読みをおえたあとの全員の感想だったと思います。現実に、目の前に身体として島尾ミホの世界、この映画の世界が立ち上がってきた瞬間だったと思います。
―――音に関して言えば、鳥や虫たちの鳴き声がまるで自分が島にいるかのように聞こえてくるのも印象的でした。
越川:僕はもともとあまり人間のことが好きではないのかもしれません。普段も、花や虫ばっかり見ていて、人間をなるべく視界に入れないようにしている。やっぱり、自分自身も含め人間は愚かなことをいっぱいする動物で、人間のやってることを肯定することが僕は大変難しい。しかし、世界を否定する気ありません。脚本家でもある妻に、「越川さんが書く台本は、必ずいつも変わらず朝が来ますね」って言われたことがありますが、その通りで、誤解を畏れず言えば僕にとってはそのことにしか希望を持っていない。人間がたとえ死滅したとしても、太陽と地球がある限り朝は来る。その世界で、虫が飛び、鳥が鳴き、草木が芽生えるということ自体は、疑いようのないことであって、僕はそこにしか希望を持っていないと言ってもいい。
バラバラにいるものが唱和することが一瞬ある
―――その考え方が、映画を撮る上でも基本になっているということですか?
越川:人とそれを取り巻くものがどういうふうに同じ場所にいるのか、いることができるかということが、僕にとってはすごく大きな問題だということが、奄美に行ってはっきりしました。それは演技に対する考え方にもつながるんですが……僕は役者たちを何かに従属させたくないし、脚本にも従属させない。もちろん脚本から出発してるわけだから、脚本と違うことをやってるとは思わないですが、「物語」というものが商業映画の中で不可避なものであるとしたら、その「物語」の規制力をどこまで弱めていけるかっていうことは、僕にとっては大きなテーマです。その時に、虫や鳥たちの存在というのが、すごく大きくなってきます。
―――それは、人間とは無関係なものとしてあるということですか?
越川:虫や鳥には戦争って関係ないじゃないですか。だいたいにおいて鳥は鳥の都合で鳴き、蛙は蛙の都合で鳴くんですよ。だから物語を進める上で、効果音として物語の都合で鳥が鳴いちゃいけないんだと思いました。バラバラなものがバラバラにいていいという場所を作り出すことが、島を描くということの一つのポイントであると。それでも、例えばトエが縁側で歌を歌い出すと、奥の方の森でリュウキュウコノハズクが鳴き出すシーンがあるんですけど、あれはシンクロ(同時録音)でその場でそうなったんです。そのように、バラバラにいるものが唱和することが一瞬ある。その一瞬が、とてつもなく大事なことのように思います。
―――たしかに、それが本来の自然の姿ですよね。
越川:虫でも木でも石でもなんでもいいんですけど、それが人間のためにあると思い、人間の都合で使える排除できると思う発想自体が、最終的に人間と人間の分断を生むとしか、僕はやっぱり思えないところがあるんです。そうではないシステムをこの映画の中で描かないと、島にはならないと思いました。正直言って僕にはどこまでできたかわかりませんが、それを僕が島にいて感じたことは事実なので、そのあり方をどこまで裏切らないで描けるのかということがこの映画を作り出す上での大きな問題でした。
現場ではどこまでも自分をアンコントロールする
―――先ほど、役者たちを監督や脚本に従属させたくないとのお話でしたが、そのために演出で心がけたことはありますか?
越川:とにかく海と話をしながら撮る、島と話をしながら撮るということが僕にとっては大事で、僕が主体的に何かを表現したくて撮るというよりは、そういうものとの中間で映画が立ち上がっていくのだと思います。それは主体的な作家の表現というようなものではなく、役者やスタッフやその場所とテキストとの間にできてくる「現象」のようなものです。だから現場では基本的にどこまでも自分をアンコントロールすることを、作業としては心がけます。分かっていること、決めた事をするのではなく、常に探している状態に自分を置くのです。役者たちの可能性をどんどん広げたいので、こうなるだろうという自分の青写真が機能しなくなるところまで現場で奮進します。皆は安定した芝居が見たいと思うかもしれないけえれど、僕は芝居が生まれる瞬間が見たいと思うから、テストで完成させることはありません。テストで完成したら、それをなぞってしまい芝居が生まれる瞬間は見れないですから。
―――それは役者にも相当の覚悟が問われますね。
越川:満島ひかりという類まれな女優は、それをやすやすと受け入れてくれる。僕たちも何でこうやってるのか自分では気づいてない時もあって、あとあと別のシーンを撮ったりすると、「ああ、さっきのはここに繋がった」って分かることもしばしばでした。絶えずこれが何であるのかということを現場で発見し続けるんです。僕にとって映画の現場はミュージシャンがライブをすることに近いのかもしれません。現場で僕はモニターを見ないし、役者の芝居とだけ向き合います。次の日に撮るものは、その前の日の夜まで考えず、なおかつ前に考えて台本に書き込んだことは、そのシーンを撮り終わったら自分たちがこれまでやってきた事を思い返しながら消すんです。だから、撮影が終わると、書いた痕跡だけがある真っ白な状態の台本が1冊残ります。それが映画を撮るということなのかよくわからないけれど、僕にはそういうやり方しかできないんです。
全部を「シーン1」として撮る試み
越川:スタッフの中にいた島唄を歌う女性に教えてもらったんですけど、奄美の唄が、例えば1番から20番まであっても、全部1番なんですって。歌の本を見ると1番の次は2番じゃなくてやはり1番って書いてある。その次は3番じゃなくてやっぱり1番。それが20あれば、ひとつの歌の中で1番が20並んでるんです。それを聞いてびっくりしたんですが、要するにシーン1からシーン100まであるとしますよね。それは物語ということでもあるんだけど、島唄の考え方になぞらえば、シーン1で始まったことが、ある種弁証法的な軌跡をとりながらシーン100で大団円を迎えるという考え方をしないということなんだと思いました。つまり、システムが違う……。
―――それこそ、さっきの鳥や虫の鳴き声もうそうですし、浜辺に打ち寄せる波も1の繰り返しですよね。
越川:そうなんです。だから、『海辺の生と死』は、全部をシーン1と思って撮ったらどうなるんだろうと思って撮っていました。満島さんともそんな話ばかりをしてました。映画というのは、台本を書くにしても芝居を作っていくにしても編集するにしても、ある程度は構築的なものです。この「ある程度」っていうのが難しいところなんですが、ある程度は構築的なものでありながら、全部がシーン1であって、それが1本のまとまりとして散逸していかないでひとつの映画としてまとまりを持つということはどういうことなのか。やっぱり映画のショットとショットというのは、何かと結び付けられていて、散逸しないようになってるわけです。そのひとつの方法が物語ということだと思いますが、奄美に行って、こちらの勝手な物語に島を合わせていくのは無理だと思いました。それは島に許容されない。では、どうやっていくのかということを考えていかざるを得なかった。そうじゃないと島を大切にできないし、守れない。そのひとつ全部をシーン1として撮るという試みであり、それが1本のまとまりとして散逸していかないギリギリのところで成立するのが、2時間35分という長さでした。
[映画『海辺の生と死』越川道夫監督インタビュー 了]
写真:後藤知佳(NUMABOOKS)
(2017年7月13日、都内某所にて)
『海辺の生と死』
http://www.umibenoseitoshi.net
脚本・監督:越川道夫
出演:満島ひかり、永山絢斗、井之脇海、川瀬陽太、津嘉山正種 ほか
原作:島尾ミホ『海辺の生と死』(中公文庫)、島尾敏雄『島の果て』ほかより
製作:株式会社ユマニテ/制作:スローラーナー/配給:フルモテルモ、スターサンズ
©2017 島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ
公式サイト:http://www.umibenoseitoshi.net
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