豊かな自然に囲まれ、美しい水と空気に恵まれた新潟県南魚沼市に昨年オープンして以来、そこで過ごす時間の豊かさがしばしば人から人へ語られる旅館「里山十帖(さとやまじゅうじょう)」。ここで提供する体験一つひとつがメディアだと説くオーナー兼クリエイティブディレクターの岩佐十良(いわさ・とおる)さんは、もともとは空間デザインをキャリアの出発点としています。その後情報誌の編集部を経て、2000年に旅と食の雑誌『自遊人』を創刊し、やがて記事から派生する形で食品の販売も開始。情報やメディアの在り方に対するジレンマを、常に次の形に昇華させ続けてきた岩佐さんの考える「デザインと経営」観とは。
●本連載「デザインの魂のゆくえ」企画者の小田雄太さんによるこの連載の序文はこちら。
●本連載の第1部(ほぼ日刊イトイ新聞+COMPOUND+Newspicks合同企画「経営にとってデザインとは何か。」)の企画の経緯についてはこちら。
【以下からの続きです】
1/6:ここを実際に訪れたお客様が、その魅力を外に伝えるときのパワー。」
2/6:「これまでの10分の1の人にフィットすればいい、と割り切ったのが『自遊人』だった。」
3/6:「旅館づくりも『編集』的な行為だけれど、『デザイン』と呼ぶ方が今は伝わる。」
4/6:「僕にとって『ちゃんとつくってあるかどうか』は重要なんです。」
地元の人々も集まる場所に
小田:里山十帖は、地域の方々にはどの程度開かれた場所なんでしょうか。
岩佐:かなり開かれていると思います。2年目の今は、地域の方も参加できるイベントを2ヶ月に1回開催していますが、1年目は毎月やっていましたね。イベントのジャンルもさまざまで、アーティストやデザイナー、観光関係や行政関係の方をお呼びしてトークイベントなどをしていました。
奥野:ちなみに、開業して最初にやったイベントは何だったんですか。
岩佐:最初にやったのは、里山十帖にも絵を飾っているデザイナー兼グラフィックアーティストの川上シュンさんのトークショーです。
奥野:どんなテーマだったんですか。
岩佐:なぜ川上さんがこの絵をつくっているのか、そして僕がなぜこの場所にこの絵を入れたのか、という話をしましたね。
奥野:近隣住民の方はたくさん参加されたんですか。
岩佐:いらっしゃいましたよ。川上さんご本人は「地元のお客さんなんて来るはずないよ!」なんてことを言って、心配して個人的な知り合いを20人ほど連れて来てくれたんです。でも、蓋を開けてみれば地元の方が30人くらい集まりました。職業をお伺いすると、アートやデザインとはまったく関係のない職業の方もいらして、そこでみなさんとの交流も生まれて、非常におもしろかったですね。
奥野:そのイベントは、完全にその場だけのものだったんですか。
岩佐:はい、そうです。
奥野:たとえば記事のような、何かしらのアウトプットにすることもできたかもしれないけれど、あえてそういうことはせずに、それはそれでおしまいにしたんですね。
岩佐:その現場でみんなが話をしたことや質問に出たことは、文字に起こしてもなかなか読者には伝わらないものだと思いました。たとえば、代官山蔦屋書店のような場所でトークイベントをやったら、関係者や同業者も多く集まるし、ある程度想定できるイベントの流れというのがあるじゃないですか。でもこういう場所でやると、途中で突拍子もない、全然違う話なんかも出てくるわけです。そのライブ感が面白くて。そういうのをきれいに記事の形にまとめ上げるのは少し違うなと思いました。「あとは自分たちで考えよう」みたいな感じがいいなと。
同時多発的に「里山十帖」をやる
佐々木:僕も自分の会社では、岩佐さんと同じような立場で、編集と経営の両面を経験しています。さらに弊社は上場を目指しているということもあって、売上もしっかり見定めていかないといけないんですが、ただ数字ばかりを追いかけすぎると、クリエイティブが摩耗するというか……。このジレンマをどうやったら解消できるかというところで、岩佐さんのお話はすごくヒントになりました。
あともう一つ、岩佐さんは「新しい時代の編集」ということを実践されていると思いました。岩佐さんは雑誌の誌面の枠を超えて、実際に商品や空間などのプロデュースもされているわけです。つまり、モノ・ヒト・空間を全部繋げて、ビジネスとして成り立たせる。それがすごいなと思います。
それを踏まえた上でお伺いしたいのですが、岩佐さんにとって最大化したいものって何ですか。利益だけを最大化するわけではなく、岩佐さんにとって一番大切にしたいものって、何でしょうか。
岩佐:強いて言うとすれば、「楽しさ」を増殖させたいということはあります。「楽しい感じ」というか……そういう、“感じる”ようなものを最大化したい、という気持ちはありますね。お金も重要ですけど、それが一番ではない。同時に、世の中を良くしたいという思いも確かにありますし、僕たちの活動を地方創生の文脈で地域“貢献”であると評価していただくこともありますが、「貢献する」っていう表現もそこまでしっくりはきていません。
今後10年で10拠点、というのを、今の僕たちの一つの目標にしています。里山十帖は、いわば新潟の文化と観光を僕たちなりに編集した、みたいなもので。いろんな地域でいろんな編集のしかたを、切り口を変えたりすることで模索してみたいな、というのが今の希望なんです。
ただ、僕が他の地域でも(里山十帖のビジネスモデルを)展開してみたいと言うと、「他でやらなくても新潟で成功しているんだから、同じ金融機関、同じ場所、同じスタッフと一緒に同じかたちでやっていけばいいじゃない」って言われることもあるんですよ。たとえば長野で新しい旅館をやりたいと言っても、「それはリスクがあって投資ができない」と言われてしまうわけです。僕にとっては、(新潟県内で)2軒目をやりたくないわけじゃないんですけど、横方向への広がりを作っていくほうが楽しい。これは、新潟に限らず同時多発的にやっていった方がムーブメントとして大きくなると思うし、そっちのほうが僕らにとってもメリットになります。僕にとっては、その方が楽しくできますしね。
僕は東京にいた時代に比べて、新潟に来た今は年収はかなり落ちているんですよ。でも、今ここにいる方が、すべてに関して遥かに豊かなんですね。物質的にも、精神的にも。僕はここに来てすごくそう感じた。「気の持ちよう」って言ったらアレですけど、自分たちが幸せであるかどうかの基準って、本当に「気の持ちよう」なんだな、ということですね。気の持ちように加えて、東京から少し離れた新潟に場所を移しただけで、僕らは人生観が大きく変わったんですよね。
奥野:逆に不都合なことはありますか?
岩佐:採用です。今は20人くらい働いています。東京から新潟に拠点を移して、今も残っている人間が4人ほどいます。東京にも事務所があるので、そちらに残った人間もいますね。移った当時は「田舎なんかに行って大丈夫か」という雰囲気もありましたけど、特に最近は田舎に移ることに抵抗のない価値観の人が増えている。去年は1人、新卒採用もしました。
[6/6「地方への移転は “一大決心”では全然なくて。」 に続きます]
聞き手:佐々木紀彦(NewsPicks)/奥野武範(ほぼ日刊イトイ新聞)/小田雄太(COMPOUND)
取材・構成:小原和也
企画:小田雄太(COMPOUND)
(2015年10月29日、里山十帖にて)
本取材は、『ほぼ日刊イトイ新聞』『NewsPicks』でもそれぞれの編集方針に沿って記事化・掲載されています。
▶ほぼ日刊イトイ新聞:デザインだけでは潰れるし、数字ばかりは、つまらない。
▶NewsPicks:雑誌、コメ、旅館を使って、地域をデザインする男
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