豊かな自然に囲まれ、美しい水と空気に恵まれた新潟県南魚沼市に昨年オープンして以来、そこで過ごす時間の豊かさがしばしば人から人へ語られる旅館「里山十帖(さとやまじゅうじょう)」。ここで提供する体験一つひとつがメディアだと説くオーナー兼クリエイティブディレクターの岩佐十良(いわさ・とおる)さんは、もともとは空間デザインをキャリアの出発点としています。その後情報誌の編集部を経て、2000年に旅と食の雑誌『自遊人』を創刊し、やがて記事から派生する形で食品の販売も開始。情報やメディアの在り方に対するジレンマを、常に次の形に昇華させ続けてきた岩佐さんの考える「デザインと経営」観とは。
●本連載「デザインの魂のゆくえ」企画者の小田雄太さんによるこの連載の序文はこちら。
●本連載の第1部(ほぼ日刊イトイ新聞+COMPOUND+Newspicks合同企画「経営にとってデザインとは何か。」)の企画の経緯についてはこちら。
“本当にいいもの”の伝わり方
ほぼ日刊イトイ新聞・奥野武範(以下、奥野):ここに来るときに、岩佐さんに「場をつくること」の意味をお伺いしたいなと思ったんです。今はインターネットの時代になり、場を持つことの意味が薄れてきたとも言われるじゃないですか。でもそれは実は一時期だけのことだったと思っています。僕ら『ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)』も、ずっとインターネットだけでやっていたんですけど、今はギャラリースペース(「TOBICHI」、「TOBICHI 2」)を運営しています。そこに来てくださるお客さんは、インターネットの閲覧数と比べたら全然少ないんですけど、その場でしか学べないことがありますね。
岩佐さんは、これまでにいろんな場をつくってきたと思うんですけど、里山十帖のように、こうやって旅館というリアルな場所を構える意味というか、ここで学んだことがもしあったら教えてください。
岩佐十良(以下、岩佐):実際、僕たちがつくる雑誌『自遊人』は、2000年の創刊以降、そこそこの部数を売り上げていました。でも、今こうやってお米をつくって、旅館を経営するようになって思うことは、下手な雑誌の売り上げ部数より、実際にここに来てご飯を食べておいしいと思う、年間8000〜9000人くらいのお客様の方が、発信力があるというか、記憶に残っている度合いも含め、その魅力を外に伝えるときのパワーが全然違うんですよね。今はまさにそれを体感しています。
奥野:どうしてそう感じるようになったんですか。
岩佐:一つあるのは、雑誌の力が弱くなっていったということです。昔、僕が『東京ウォーカー』(KADOKAWA)や『TOKYO★1週間』(講談社)のような情報誌を中心に編集に携わっていた頃は、企画がヒットすると、ものすごい勢いでそれが広がっていきました。その頃は雑誌自体に力があったんだと思います。僕らが取り上げたことによってその飲食店に行列ができて、予約の取れない店になったり、一種のムーブメントが起きました。企画を打つごとに「新しい流行をつくっている」という感覚があったんです。でも途中から、部数が落ちているわけではないのに、お店に行列ができにくくなったり、流行がなかなか生まれにくくなっていきました。
奥野:でも、雑誌がやっていることって、いつの時代もまあ大きくは変わらないわけじゃないですか。それが良くなかったのかもしれないんですけど、なんで行列ができなくなっちゃうんですかね。
岩佐:その理由を考え始めた頃は、情報量や雑誌の数が多すぎることが原因だと思っていました。でも、明らかにそれも違うなと思い始めたのは1998年くらいのことです。その頃に、もう情報を片っ端から垂れ流して流行をつくるというような手法は通用しないということに気づいたんです。
今の時代では、雑誌に騙されないというか、「雑誌に載っている情報は本当なのか」と疑いから入る人も多いと思います。こういう考え方ってそれこそ、その当時から少しずつ生まれてきていたんだと思うんですよね。
それで、自分たちが本当にいいと思えるものを伝える雑誌をつくろう、ということで『自遊人』ができていったんです。
情報誌の戦国時代
岩佐:僕が育った時代には、情報誌といえば『ぴあ』(ぴあ株式会社/1972年創刊)しかなくて、東京の流行はそこからしか得られなかったわけです。『ぴあ』を初めて手にしたとき、「これで東京中で行われていることがすべてわかる!」って喜んでいた記憶があります。
そこから僕らは打倒『ぴあ』ということで、『東京ウォーカー』(1990年創刊)の躍進に編集プロダクションとして協力したわけなんですね。そして『東京ウォーカー』がヒットしたことによって、働く女性向け雑誌『ChouChou(シュシュ)』(KADOKAWA/1993年創刊)ができて、他社からは『OZmagazine』(スターツ出版/1987年創刊)も生まれ『Hanako』(マガジンハウス/1988年創刊)も出てきて……という風に、戦国時代さながらの様相で、本屋の一角が情報誌だけで埋め尽くされるようになりました。
この当時、僕たちは情報の正確性を担保したままどうやって伝えるかという、テクニック的な話ばかりしていました。「ページの中でどうやって効果的に伝えていくか」ということを、全体として伝えたいクオリティとはまた全然違う次元で話していたわけです。つまり極論を言うと、お店を紹介するとき、1件ごとのクオリティはそれほど気にしないんです。それよりもどうやってパラパラとめくった雑誌をレジに持って行かせるか、つまり部数を売るか、という細かいテクニックの積み重ねをひたすら研究していました。
こんなことをしながら「さすがにテクニックに頼りすぎなのでは?」と僕たちが思っていたのと同じように、消費者や読者も「なんか違うんじゃないの?」ということを薄々感じ始めていたんだと思います。それが2000年に『自遊人』を創刊する一番のきっかけでした。
[2/6「これまでの10分の1の人にフィットすればいい、と割り切ったのが『自遊人』だった。」に続きます]
聞き手:佐々木紀彦(NewsPicks)/奥野武範(ほぼ日刊イトイ新聞)/小田雄太(COMPOUND)
取材・構成:小原和也
企画:小田雄太(COMPOUND)
(2015年10月29日、里山十帖にて)
本取材は、『ほぼ日刊イトイ新聞』『NewsPicks』でもそれぞれの編集方針に沿って記事化・掲載されています。
▶ほぼ日刊イトイ新聞:デザインだけでは潰れるし、数字ばかりは、つまらない。
▶NewsPicks:雑誌、コメ、旅館を使って、地域をデザインする男
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