COLUMN

クレイグ・モド ぼくらの時代の本

クレイグ・モド ぼくらの時代の本
第6回 形のないもの←→形のあるもの ――デジタルの世界に輪郭を与えることについて(前編)

craig_banner06Illustration:Luis Mendo

重さ

ぼくたちは長い旅路の末、ビットの世界で途方に暮れていた。

製品には旅立つ瞬間がある。開発の終わりを迎える瞬間。エマーソン・ストリートとユニバーシティ・アヴェニューが交差する一画に座っているときにも、カフェでコーヒーを飲んでいるときにも、終わりはすぐそこにある。

それじゃあね、製品はこっちに向かって手を振っている。あなたの目の前で。おしまい(あるいは、ひと区切り)。そうやって見送っていると特別な感慨が湧いてくる——苦労してここまでチームでやってきたこと、それがまさに今、終わろうとしている——あなたには様々な感情が押し寄せてくる。

ぼくたちがそこまでたどり着いたのは2011年11月のことだった。もうじきiOSのApp Storeにアプリがリリースされる——すばらしい技術を結集させたアプリが。でもそれはバージョン1.0の話……どこまで続くだろう? バージョン1.1や1.2が出るまでには、どれほどの時間が費やされるだろう? 2.0が出るまではどれくらい? 1.0のことが思い出せなくなるくらい? それとも、想定通りの期間?

ぼくは知りたくなった。ぼくたちは何を作ったのだろう?

あれこれ調べてみて、わかったのは以下のこと。

共有フォルダにある997のデザイン案
9,569のgitコミット(変更記録)
スケッチがビッシリの本の束
ローンチパーティでの写真の数々

ここで一つの疑問が浮かんだ。「この重さはどれくらいだろう?」

ビット

3.6キロ。
え?

3.6キロ。それが総重量。
まあ、このことについては後で触れよう。

オンとオフ

ジェイムズ・グリックの『インフォメーション 情報技術の人類史』では、インフォメーションという概念を、オンとオフという状態を用いて説明している。

    ビットは異種の素粒子と見ることもできる。極小であるだけでなく、抽象的な概念でもあり、二進法、双安定的フリップフロップ、二者択一という属性を備えているからだ。
    (p.15)

そして、この考え方は次のような分野にも取り込まれている。

    [リックライダーは]言語音声の量子化のための方策に取り組んでおり、それは音声波を“双安定フリップフロップ回路”で再生産できる最小の量に縮小するという発想
    (p.304)

ぼくたちは、物質についても似たようなオンとオフの二進法の時代に突入している。高度な物質化の時代。物質を分解して転送、そして再物質化、スタートレック・スタイルだ。デジタルから物質へ、またその逆への変換は、ますますスムーズなものとなっている。

だからこそ、
ぼくたちはその変換で何を得ている?
その変換は、どのような面でぼくたちの経験に新たな光をもたらし、デジタルと物質についてのより良い理解を促している?

こうした問いが、ここ数年繰り返しぼくの頭に浮かんでいた。

デジタルから物質への変換は、無限のものを有限のものにすることだというのはなんとなく想像がつくだろう。はっきりとした輪郭のない空間から、輪郭のある一つの物質を作るのだ。

輪郭を作るとは枠組みを作ることであり、デジタルのものを感知する際の大きな手助けになる、というのは今では誰の目にも明らかなことだが、ぼくは2011年にiPhone版Flipboardの制作を手伝ってみて、そのことが初めてよくわかった ★1 。輪郭があることが、制作過程を見渡すためにどれほど重要なことかをようやく理解し始めた。輪郭は、ビットの世界の旅における見取り図になるのだ。

これは、ほとんどがデジタル・スペースで行われるぼくたちの旅を振り返り、見直すためのエッセイだ。デジタルの旅の経験を、どうすればしっかりと自分のものにしておけるか。旅の経験に輪郭を与え、触れられるようにすることは一体どんな意味を持つのか。そして、あわよくば、ぼくたちが成し遂げた仕事の重みを知りたいと願うエッセイだ。

アプリ

2011年12月

チームは、iPhone版Flipboardの案を練り、磨きをかけ、作っては改善するという作業に1年の大半を費やした。それは厳しい道のりで、膨大な数のアイデアが試された。何度も何度も、ボタンの場所や画面遷移(の数々)に関する試行錯誤が繰り返された。

 

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写真 iPhone版Flipboard、バージョン1.0

12月までに、アプリは使用感やデザイン、そして情報アーキテクチャの観点から隅々まで解体され、磨き上げられ、なめらかに仕上げられていった。それだけでなく、基盤となるエンジニアリングも、確実な動作に向けたテストにさらされ、隅々まで鍛え上げられていった。作っては壊すの繰り返しだった。

 Clearly we were making stuff.
 Lots of it.
 明らかに、ぼくたちはモノを作っていた。
 それも、大量に。

わざわざこんなことを語るのは、アプリ制作過程における試行錯誤の大変さをぼくらは肌で感じていた・・・・・・・ということを強調するためだ。明らかに、ぼくらはモノを作っていた。それも、大量に。作っては放棄し、さらに多くのモノを作っていった。際限のない実験の繰り返しから学び取ったことを積み上げていった。制作期間中ずっと、デザインとエンジニアリングの試行錯誤を、いくつも同時に進めていた。完成したアプリは、本物の技術者たちが一体となってその技術を結集した最高のものとなった。

幾重にも連なるこうした過程は、ほとんどがデジタル・スペースで行われている。デザイン案はPhotoshopやFireworksで生み出され、iPhoneに反映される。フォルダはチーム全体で共有される。情報アーキテクチャはIllustratorやInDesignによって設計される。

iOSソフトウェアの変更にも細かな作業が必要になる。現代のほとんどの制作環境では、エンジニアがプログラムに変更を加えると、その変更は「コミット・メッセージ」と共にソースコード・リポジトリに保存される。そのメッセージには、プログラマによる変更内容が簡潔に記される。大きなプロジェクトでは、コミットの数が数千を超えることもザラにある。変更には「切り替え速度を0.4秒から0.6秒に変更」といった小さなものから、「正式サーバへ切り替え!」といった大きなものまである。iPhone版Flipboardでは、こうしたコミットが1万近く積み上げられた。 ★2

 The more we created, the more digital detritus built up.
 作れば作るほど、デジタルの残骸が増えていく。

そうやってぼくらはアプリを作っていった。コミットにコミットを重ね、デザインフォルダは膨れ上がり、写真フォルダにはスクリーンショットが散らばっていった。そう、作れば作るほど、デジタルの残骸が増えていったのだ。


デジタルの薄っぺらさ

デジタルの世界でモノを作る際、多くの人が「薄っぺらさ」を感じているのではないかと思う。そのつかみどころのなさは、コンピュータでの作業にはつきものだ。ビットの世界でモノが作られるようになればなるほど、作っているものが頭の中で雲のようにどんどんつかみにくくなっていく。 ★3 具体的な例をあげよう。アイテムが1個しか入っていないフォルダも、10億個のアイテムが入っているフォルダも、全く同じに見えるのだ。10億個のアイテムが入ったフォルダも、たった1個のアイテムが入ったフォルダと全く同じものに感じる。フォルダを開いたときでさえ、現在のほとんどのインターフェースでは、一度に見られるのはスクリーンいっぱいの情報、ひと握りのアイテムがせいぜいだ。

一定の量を超えると、データはぼくたちにとって感覚的に把握できないものとなる。クラウド保存によってその傾向は加速している。ぼくたちはもうハードディスクの残量すら気にする必要がなくなった! デジタルの情報にハッキリとした始まりと終わりがあるときでも、ぼくたち——人間は——その隅から隅までを一望することが苦手である。標準的なインターフェースでビットの世界の活動やデータのまとまりを一望しようと試みると、無限について考えるときと同じ壁にぶつかることになる。試みても、把握できないのだ。 ★4

iPhone版の完成

iPhone版Flipboardの完成が近づくにつれ、ぼくはあのデジタルの残骸について考えるようになった——ぼくたちの物語、ぼくたちの旅の証・・・について。驚いたのは、ぼくらはたしかに長い旅に出たのに、そんな旅などどこにも存在しないように感じたことだった。

もちろん、デザインフォルダを開けば、膨大な量のデザインの変遷を眺めることはできる。gitリポジトリをのぞけば、ほとんど無限に近い数のコミット・メッセージをスクロールで追うことはできる。でも。それにしても。あの薄っぺらさ! 壮大な旅をしたという実感と、その旅がたった一つの薄っぺらいフォルダに——デジタル上の情報が集まる場所、非物質的な霧の中に——収められているという事実の間で立ち尽くしてしまう。

その年の終わりにFlipboard社を去ることになっていたぼくは、ぼくらの旅を具現化する何かを求めていた。旅に輪郭を与えたい。自分のために。会社のために。そこでぼくは——データを変換フリップフロップした。紙の本を作ったのだ。

『The Umbrellas(アンブレラ)』

ここで少し別の話をしよう。

本という媒体は、一般的に過程を表現するのに適している。しかし、その「過程」とは、ここで語ってきたようなものとは違う。その違いは重要だ。

1991年10月9日の陽がのぼり、クリスト&ジャンヌ=クロードは、「穏やかな障害物」 ★5 を作り出すアート・プロジェクトを実行した——それが、「アンブレラ・プロジェクト」だ。日本の東海岸のある地域と、アメリカの西海岸のある地域で、3,100本もの巨大な傘を点在させ、いっせいに広げた。彼らは言う。

    この日米同時に行ったアート作品は、両国の谷間地域の生活様式や土地活用の共通点や相違点を浮き彫りにするもので、総延長は日本側12マイル(19キロ)、アメリカ側18マイル(29キロ)ある。 ★6
撮影:o_keke_nigel(nigel's bookshelves — Vol21:クリスト、アンブレラ・プロジェクト1991茨城 より) http://blogs.yahoo.co.jp/o_keke_nigel/30597182.html

撮影:o_keke_nigel(nigel’s bookshelves — Vol21:クリスト、アンブレラ・プロジェクト1991茨城 より)
http://blogs.yahoo.co.jp/o_keke_nigel/30597182.html

数年前、立ち寄ったロンドンの小さな本屋の隅っこに大きなテーブルがあった。その上に、とんでもなく大きな本が2冊置かれていた。2巻組のその本は、タッシェン社が出した特別版の『The Umbrellas』で、ぼくは心を奪われた。

クリスト&ジャンヌ=クロードの制作過程を見事に捉えたその二つの物体を、ぼくは何時間も眺めていた。そこに収められていたのは、夢のような情景の実現に向けた計画と、プロジェクトの許可を得るための不断の努力の軌跡だった。その本——その存在感は——山間部と田園地域で行われたインスタレーションの裏でなされた膨大な努力を体現していた。その本は、彼らの努力と、彼らの旅を讃えるものだった。でも、この本は誰のために作られたものだろう? それはきっとぼくのためだ——ぼくのような、外部の人間に向けたものだ。

ぼくが言いたいのはこういうことだ。クリスト&ジャンヌ=クロードにとって、この本は彼らが既に知っているものに形を与えたに過ぎない。彼らの作業台には計画図が広げられ、書類棚には土地の所有者たちや行政担当者たち、建築士たちや織物業者たち、そして技術者たちとのやり取りが収められている。つまり彼らにとっては、どんなに巨大で大掛かりなプロジェクトであれ、そのすべては彼らの家、彼らの作業場に収められているのだ。彼らのプロジェクトは、ファイルや書類や棚の中に物理的に存在している。『The Umbrellas』という本の大きさが、クリスト&ジャンヌ=クロードにプロジェクトの大きさを教えているのではない——クリスト&ジャンヌ=クロードは、作業場のドアを開けるたびに、プロジェクトの大きさを体感しているのだ。

もう一つ重要なのは、クリスト&ジャンヌ=クロードが外部から直接資金を受け取っていたわけではないということだ。彼らは、制作過程で生まれた残骸を売ることでプロジェクト資金のほとんどを得ている。

    2,600万ドルの資金を調達することができた——準備段階でこぼれ落ちたもの、ドローイング、コラージュ、スケールモデル、初期段階の作品、オリジナルリトグラフを売ることで。 ★7

2,600万ドルのスケッチたち! 彼らがどれほど制作過程・・・・に自覚的かがわかるだろう。自らの創造性の残滓を売ることで、彼らは資金を調達していたのだ。

『The Umbrellas』は彼らの制作過程に形を与えた本だが、それは彼らの作業場にアクセスできない外部の人間に向けられたものだ。残骸だらけの混沌とした作業場を一度も見たことのない人たちに向けられたものだ。

そう、だから『The Umbrellas』はぼくたちのための本だ。彼らの制作過程が収められ——すべては把握できないにしても——少なくともそれを見渡すための枠組みをぼくたちに与えてくれる。輪郭をつけて。けれどクリスト&ジャンヌ=クロードにとっては、『The Umbrellas』という本は一つの形式に過ぎない。どちらかと言えば、プロジェクトの圧倒的な皮膚感覚をわずか2冊の本に縮めて収めたに過ぎない。

こうして話は元に戻る。コンピュータの世界における制作過程の残骸について考えてみると、規模を把握する人間の能力に面白いことが起こっているのがわかる。外部の人間だけでなく、制作しモノを作っている内部の人間にとっても、ということだ。たとえそれが、クリスト&ジャンヌ=クロードであったとしても。

すべてのやり取り、デザイン、アイデア、スケッチ——つまり全ての制作過程——がビットの世界で行われるとき、ぼくたちはつながりを失う。まるで、すべての制作過程がたった一つの点——重みもなく、輪郭もないたった一つの点——に回収されてしまうかのように感じるのだ。デジタルの世界でモノを作っていると、さっきまで自分がどこにいたのか、今自分がどこにいるのか、そして明日どこにいるのかも、どんどんわからなくなっていく。 ★8

iPhone版Flipboardの制作が終わり、ぼくはその重みも輪郭もない一点に形を与えてさわれるもの・・・・・・にすることで、制作の価値を理解したいと考えた。手にできる形にはいろいろあるけれど、本にするのがいちばんシンプルな方法だと思った。とはいえ、その本は『The Umbrellas』とは正反対の性質を持つことになる。その本は、ぼくらの制作過程を縮めて収めるものではない。形を持たないデジタル上の制作過程に、重さと輪郭を与えることを願う本だ。

後編に続きます

Note

★1|一つ例を挙げよう。nytimes.comから送られて来るメールをスクロールするのは心地いい。そこには輪郭があり、頻繁には更新されず、すべてを見渡せるような気がする。

★2|こうしたことを詳しく知りたければ、このサイト(http://ja.wikipedia.org/wiki/バージョン管理システム)に行けば、バージョン管理やgitのようなソフトウェアのすべてを教えてくれる。

★3|「確かな」ものを「ハンドメイドで」生み出そうという最近の潮流は、ぼくたちを覆っているデジタル世界の薄っぺらさによって加速されている面があると思う。「Do Lectures」のようなカンファレンス。ブルックリンのピクルス屋のような新しい店。デジタル森林避難民たち手で作ること、そして物質性をめぐって、新しい何かが動き出しているように感じる。もちろん、すべては偶然で、ぼくらの世代がスクリーンにうんざりしているだけなのかもしれない。

★4|もちろん、ここで言っているのは主にインターフェースの問題だ。つまり、紙に印刷することだけが、輪郭を与えたり、薄っぺらさの感覚に抵抗したり、デジタルなものを一望するための唯一の手段ではない。ページ順に並べて印刷することは、ひとつの手段に過ぎないということだ。パソコンの画面でも、スマートなデザインの洗練された解決策が出てくるべきだし、出てくるはずだ。

★5http://www.artagogo.com/commentary/christo/christo.htm

★6http://www.christojeanneclaude.net/major_umbrellas.shtml

★7http://www.christojeanneclaude.net/major_umbrellas.shtml

★8|だからこそ、優れたプロジェクト・マネージャーの存在が重要になる——これまでとこれからを知った上で現在を見定め、制作過程の全体を見渡す存在が。触れることのできないソフトウェアの制作過程に、はっきりとした輪郭を与え、枠組みを作る達人であると同時に、エンジニアリング、デザイン、マーケティングなどのどの分野も正しいスピードで、正しい役割を与えられて進行しているかをチェックする。ラリー競技におけるコ・ドライバー(ナビゲーター)のようだ。

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形のないもの←→形のあるもの
デジタルの世界に輪郭を与えることについて
オリジナル執筆:2012年3月
クレイグ・モド 著
樋口武志 訳
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『ぼくらの時代の本』
クレイグ・モド
訳:樋口武志 大原ケイ


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電子版 本体900円+税
印刷版 本体2,000円+税(四六判240頁・縦書)

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PROFILEプロフィール (50音順)

クレイグ・モド

作家、パブリッシャー、デザイナー。 拠点はカリフォルニア海岸地域と東京。 MacDowell Colonyライティングフェロー、TechFellow Award受賞、2011年にはFlipboardのプロダクトデザインを担当。New Scientist、The New York Times、CNN.com、The Morning News、Codex: Journal of Typographyなど様々な媒体に寄稿している。 http://craigmod.com

[本章翻訳]樋口武志(ひぐち・たけし)

1985年福岡生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。2011年まで株式会社東北新社に勤務。現在、早稲田大学大学院在学中。共訳書に『イルカをボコる5つの理由』(インプレスジャパン)、ピコ・アイヤー「空港は検査場」、ニコール・クラウス「若き絵描きたち」(ともに早稲田文学フリーペーパー『WB』)など。字幕翻訳に『ディクテーター』、『エージェント:ライアン』、『パラノーマル・アクティビティ/呪いの印』など。