第7回「クリエイティブリユース」
水野祐
本連載第3回「遺言」、第5回「倒産・事業再編」と題する記事においては、生身の人間や法人の「死後」を「編集」し「デザイン」する思考について述べてきた。本稿では、「死後」シリーズ(?)の最終回として、「人」ではなく「物」の「死後」について考えてみたい。
「クリエイティブリユース」という言葉をご存知だろうか?「クリエイティブ」な「リユース(再利用)」という言葉だけでなんとなくイメージが湧く方もいるかもしれない。
クリエイティブリユースのムーブメントを紹介した大月ヒロ子らによる著作『クリエイティブリユース -廃材と循環するモノ・コト・ヒト』(millegraph)によれば、「クリエイティブリユース」とは、廃材など消費社会において見捨てられている「モノ」を観察し、想像力と創造力によって再び循環させることによって、地域ビジネスなどの「コト」を起こし、そこに関わる「ヒト」同士のコミュニケーションを活発にする活動である、とされている。わかりやすい例としては、フライターグ(FREITAG)というスイスのブランドが挙げられる。廃棄されるトラックの幌やシートベルト、自転車のインナーチューブ、エアバッグなどを再利用して、バッグや財布などとして手作りにより製造、販売しており、汚れや同じものが2つないという個性が受け入れられ、世界中で人気を博している。クリエイティブリユースには、廃材の調査→収集→分類・整理→開発→制作→流通・販売→啓発をいう大きな流れ・循環がある。この流れを見れば明らかなように、クリエイティブリユースとは、廃材の「編集」と「デザイン」であると捉えることも可能である。
このような廃材の「編集」と「デザイン」を意識的に行っている会社が日本にもある。株式会社ナカダイは、廃材を解体したうえでアクセサリー作りなどを行う「工場ハック」と呼ばれるイベントを開催したり、「モノ:ファクトリー」は廃棄物処理場でありながら、アーティストなどが集まり、数多くのワークショップや体験イベントが行われるモノづくりの拠点となっている等、廃棄物として持ち込まれた廃材を素材として再利用する事業を行っている。「使い方を創造し、捨て方をデザインする」というナカダイの思想は、まさにクリエイティブリユースの思想を端的に示している。
クリエイティブリユースにおいて、特に重要なことは、モノを解体・分別する際に、そのモノをよく「観察」することである、と「モノ:ファクトリー」の代表である中台澄之さんは指摘している。よく「観察」するということは、つまりそのモノについてよく知るということである。
これまではこの廃材についてよく「観察」するという認識が欠けていた。それは、廃材が一度は捨てられたもの、無価値なものであるという、ぼくたちの先入観ゆえだろう。しかし、ナカダイの場合、廃棄物(中間)処理業者として、廃材をなんらかの分類や加工にかけなければならない、という義務が法律上課されている。このような法律があったからこそ、ナカダイは廃材についてよく観察することができる機会と時間を得ることができたのではないか、という推測は可能である(「観察」の端緒として法律が機能していることに法律家としては着目せざるを得ないが、ここでは多くを述べることはしない)。
これらの活動のほかにも、中古品オークションを行うなど、中台さんはまさに現代の「編集者」以外の何者でもない。「クリエイティブリユース」と聞いて、「エコ」や「リサイクル」という言葉の再来を想起する方がいるかもしれないが、それは誤りだろう。「クリエイティブリユース」は、「エコ」や「リサイクル」という言葉にまとわりついてしまったネガティブなイメージを、「編集」や「デザイン」という視点から新に捉え直した新しい言葉であり、思想であると理解すべきである。
その他にも、前述の著作『クリエイティブリユース』では、廃材からシャッター街、空き家まで、モノの死後を中心に、コトやヒトが循環していく生態系を活き活きと描いており、それは本稿のモノからヒトやコトの「死後」をシームレスに見渡す姿勢と整合している。
しばしば編集に喩えられる料理にはおいては、素材をよく知ることが重要だと言われる。クリエイティブリユースの活動は、「編集」や「デザイン」において、その素材についてよく知ること、観察することの重要性を再認識させてくれる。と同時に、今のぼくらの常識では無価値とされているモノ、コト、ヒト(欧米では、これらを”material”という言葉で総称する流れが出てきている)にも、「編集」や「デザイン」という視点により、新しい価値を吹き込むことができる可能性を示唆している。
欠けや未完の「余白」は人の想像力を刺激する。これまで本連載で述べてきたように、もはや「編集」や「デザイン」は編集者やデザイナーという職業にかぎられた職能ではない。世の中に潜在する「野生の編集者」たちが、事象を観察することを習慣化、日常化することで醸成される「まなざし」により、この世界を眺める。そのとき、世界はいまより少し豊かなものに映るかもしれない。
[Edit×LAW:第7回 了]
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