東京の大型書店・ジュンク堂書店に就職したのち、「沖縄県産本フェア」に携わったことをきっかけに沖縄に興味を持ち、自ら希望して那覇店に異動。それから一人で「市場の古本屋ウララ」を開店した宇田智子さん。2015年6月には、2冊目の単著『本屋になりたい この島の本を売る』(筑摩書房)が刊行されました。
「ずいぶん唐突な展開に見えるでしょう。あいだをつなぐのは、本屋であるということです。会社を辞めても本屋でいるとは、われながらずいぶんしぶとくて感心します。」(『本屋になりたい』p.16)という宇田さん。沖縄から上京された8月上旬、下北沢の本屋B&B代表でありDOTPLACE編集長の内沼晋太郎が聞き手となりお話を伺いました。
宇田さんと同じ1980年生まれの内沼は、すでに昨年、沖縄で「ウララ」を訪れており、その様子は連載コラムにも綴られています(内沼晋太郎 「本屋の旅」第2回:市場の古本屋ウララ「それは小さいからこそ」)。「新刊書店員から古本屋になった話」や、「沖縄独自の本の文化」、「商店街やお客さんとの交流」。さまざまなエピソードが収められた『本屋になりたい』を軸に、「本屋になる」とはどういうことか。宇田さんのお話をじっくりとお届けします。
※本記事は、2015年8月3日に本屋B&B(東京・下北沢)にて開催された、『本屋になりたい この島の本を売る』(筑摩書房)刊行記念イベント「ウララとB&B 本屋になるということ」を採録したものです。
【以下からの続きです】
1/5:「毎日本屋という場所で本を見たり触ったりしていることも、本との付き合い方のひとつなんじゃないか。」
2/5:「『この店でしか売れないもの』が欲しくなってきたんです。」
古本屋の店舗を引き継ぎ、新たに始めた古本屋「ウララ」
内沼:そうやって立ち上げから2年くらい働かれて、そのあと古本屋「ウララ」を始めますよね。どういうきっかけで古本屋に。
宇田:これも、別に古本屋になりたいと強く思っていたわけではなかったんです。ただなんとなく……。沖縄に来ても家と書店の往復になってしまってなかなか他の場所にも行けなかったし、付き合う人も出版社や書店関係の人ばかりになってしまって。せっかく沖縄に来たのに、これだとあまり東京にいた頃と変わらないような気がしてしまって。なんとなく「このままでいいのかな」と思っていたんです。いま私の店がある場所にはもともと「とくふく堂」という古本屋さんが入っていたんです。同じ場所で6年くらい古本屋を続けていたんですけど、事情があって店を辞めることになって。「誰か店を引き継ぎませんか?」とウェブ上に案内を出していて。私、ほとんどTwitterとかは見ないんですけど、たまたま覗いたらみんながその話題で盛り上がっていたんですよ。そこで「あっ」と思って、その場ですぐ電話して「私がやります」って伝えたんです。
内沼:もともと「とくふく堂」さんとはお知り合いだったんですよね。
宇田:そうなんです。「とくふく堂」さんはご夫婦でやられていたんですけど、奥様がもともと書店の三省堂で働いていたこともあって、最初は出版社の方の紹介で遊びに行って。そのつながりで何度か沖縄の古本屋の集まりに出させてもらったりもしていました。でも向こうもまさか私が手を挙げるとは思っていなかったらしくて。
内沼:そうですよね。新刊書店の人と思われているわけですもんね。
宇田:電話先で爆笑していました(笑)。
内沼:(笑)。驚いたでしょうね。そのとき他に手を挙げていた人はいたんですか。
宇田:結構いたらしいんですよ。店は第一牧志公設市場のある市場中央通りという商店街にあって、観光客が多い場所なので立地はいいんです。ただ「本屋をやる」と言ったのは私だけで、他の人は雑貨屋とか土産物屋とかTシャツ屋とか、そういう方が多かったみたいです。引き合いはあったんですけど、「とくふく堂」さんが「せっかく本屋を作ったんだから、土産物屋さんになるより本屋をやりたい人に」と言ってくださって。
飛び抜けた才能がなくても、沖縄でなら古本屋ができるかも
内沼:新刊書店から古本屋に。人文書から沖縄県産本の担当に変わるのも相当大変だったと思うんですが、今度は仕事自体が全然違うじゃないですか。「古本屋をやる」ってそれまで考えたことはあったんですか。
宇田:古本屋はそれまで完全に「お客さんとして行く場所」だと思っていたんですよ。古本屋はすごく好きだったので、東京にいたときも中央線沿いの本屋さんとか、神保町にもよく行っていたんです。でも、品揃えを見ると自分の知らない本もいっぱいあったし、とてもそんな知識を自分では身につけられないと思っていました。それに自営業をするというのも考えたことがなくて、本当に他人事というか、「古本屋さんいいなぁ」くらいの感覚で。
それが沖縄に行ってからは「とくふく堂」さんや他の古本屋さんともつながりができて、意外とみんな普通の人だな、と(笑)。それこそ松岡正剛さんみたいな人ばかりじゃなくて、なんとなく古本屋を始めちゃったおじさんもいるし、私と同じように沖縄に移住して初めて古本屋になったという人もいて。ハードルはそこまで高くないのかも、とそのときに思えたんですよ。東京だと家賃も高いし、周りにすごい店もいっぱいあるから、これ以上の店はできないと感じてしまったと思うんですが、沖縄なら店もそこまで多くないし、実際に古本屋をやっているみなさんを見ていたら「私も入っていけるかもしれない」と思って。既にやっている人たちのことを知っていたというのは大きかったかもしれないです。
内沼:こういう人がやっているんだっていう具体的なイメージが湧いて、ひょっとしたら自分でも、と。
宇田:そうですね。もちろんみなさんそれぞれ工夫されていて、それぞれに得意なことがあるんですけど、飛び抜けた才能はなくてもできるのかな、と思ったんですよ。
内沼:とはいえ2坪って、すごく小さいお店ですよね。もともと「とくふく堂」のころから「日本一狭い古本屋」という触れ込みで雑誌にも出ていたような場所で。そんなスペースでやっていけるのかって、古本屋をやっている人が見たらみんな思うことですよね。
宇田:たぶん、やっている人ほどそう思っちゃうんですよ。私があの場所を継ぐと言ったときも、「よりによってあそこでやらなくてもいいんじゃないか」と他の人にも言われました。古本はそんなにすぐに売れるものじゃないから、常にある程度在庫を持って、1年とか2年とか、時間をかけて売っていくもの。なのにこんなに狭かったら(売上を出すために)本を何回転もさせないといけないし、絶対無理だ、と言う人がほとんどだったんです。でも私は、「とくふく堂」がこうやって暮らしていたんだからやれるんじゃないか、と。もし前がお土産屋さんとかだったら、自分があそこで本屋をやることは思いつかなかったと思うんですけど、すでに古本屋だった前例があるので。それでいけるんじゃないかな、と。だから最初にあの場所で始めた「とくふく堂」さんが本当にすごいと思いますね。
内沼:そうですよね。そこで古本屋がやれるということに最初に気がついた、ということですもんね。あの場所で古本屋ができるのはすごく単純に言うと「客数が多い」ということなんですか。
宇田:それに尽きますね。とにかく人通りがすごく多い場所なんですよ。観光客も必ず市場へ来ますし、地元の人も定期的に通ってくるような場所で、人通りが途絶えることがほとんどないんです。沖縄は車社会なので、そういう場所ってほとんどないんですけど、市場には常に人がいて、しかも観光客の方は買い物をする気満々で歩いているので、沖縄の本を見つけたときに衝動買いするのも、たぶん他の場所よりもお客さんのテンションが高いというか(笑)。たぶん商店街だからやっていけるんだと思います。
内沼:「とくふく堂」さんも沖縄本が専門だったんですか。
宇田:もちろん沖縄本は置いていたんですけど、私の半分くらいですね。もう少しゆったり、一般の本も置いていたんですよ。でも私はこの場所は絶対に沖縄本が売れると思って、ほとんど特化するような感じでかなり数を増やしたんです。やっぱりジュンク堂で沖縄本を売っていてすごく手応えがあったんですよ。それをこの人通りの多い市場でやったらまた違うお客さんも来てくれる。そんな確信もありました。
内沼:でもウララに行くと、そんなに専門的な本があるっていう感じでもなく、普通の本もありますよね。沖縄関連の本とそれ以外の本の割合はどのくらいなんですか。
宇田:感覚では沖縄本と一般書で8:2くらいの在庫量です。でも売上は9:1ですね。沖縄本は難しい本ばかりではありませんが、中には民俗学とか歴史の本もあるんですよ。それと単価も高めなんです。本当に必要な本は高くても買ってくれるかもしれない、ということで。一般書は安価な文庫が中心だったりするので、売上金額は沖縄本の方がもっと大きいですね。
内沼:なるほど、単価が全然違うんですね。
[4/5「新刊書店/古書店以前に、ただ『本屋になりたい』。」に続きます]
構成:松井祐輔
(2015年8月3日、本屋B&Bにて)
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