「現代アート」と聞いて、「興味はあるけど難しそう」「なぜ作品が評価されているのかわからない」という人も多いかもしれません。しかし、見る者の五感を揺さぶり、価値観をひっくり返す作品の数々には、私たちの想像力を豊かにする無限の可能性が広がっています。そんな現代アートの世界を、誰にでもわかるカラフルなイラスト付きで解説した入門書『めくるめく現代アート イラストで楽しむ世界の作家とキーワード』(フィルムアート社)。この本の文章とイラストを一人で手がけた筧菜奈子(かけい・ななこ)さんは、美術大学で彫刻を専攻していた10代の頃はむしろ現代アートの世界に抵抗があったそう。どのような過程を経て研究対象としてアートを見つめるようになり、このたび『めくるめく現代アート』を著すに至ったのか、その背景について伺いました。
10代の頃の自分が理解できる本を作りたかった
――『めくるめく現代アート イラストで楽しむ世界の作家とキーワード』(フィルムアート社/以下、『めくるめく現代アート』)は、タイトル通り、筧さんが文章とイラストで現代アートの世界の魅力をわかりやすく紹介するガイドブックです。大きく「アーティスト編」と「キーワード編」に分かれていますが、どちらも親しみやすいイラストとフラットな視点の文章が特徴で、誰もが楽しめる入門書だと思いました。
筧菜奈子(以下、筧):ありがとうございます。それがまさに目指していたところでした。
――企画の段階では、どういう読者を想定していたのでしょうか。
筧:10代のときの自分が読んでもわかるということをコンセプトにしていたので、最初は美術に興味がある若い人たちに読んでほしいという気持ちがありました。ですが、実際にできてみると、現代アートの世界を知っている人でも、「こういうこともあったのか」と発見していただけるような本になったのではと思っています。また、50代、60代になって初めて美術館巡りを始めたという人たちや、美術は好きだけど現代アートはちょっとわからないという人たちにも読んでいただきたいです。なので最終的には、幅広い層の人々に読んでもらえると良いなと思っています。
――筧さんは現在、京都大学大学院の博士課程に在籍中で、現代美術史や装飾史をご専門にされていますが、もともとは美大で彫刻を学んでいたそうですね。「昔の自分」というのは、その頃のご自身のことですか?
筧:そうですね。高校生の頃から自分で何か物を作るということに喜びを感じていたので、美大という進路を選択しました。当時は、現代アートに特別な興味があったのではなく、高村光太郎の彫刻などが純粋に好きでしたね。誰が見ても上手い、凄い、綺麗、そしてどこかに言い知れぬ美があるというような作品が好きでした。
――では、美大に入って現代アートに触れるようになったのでしょうか。
筧:美大では立体作品などを制作していたのですが、制作のためにいろんな作品を見ているうちに、現代アートには流行があり、歴史があり、さらには業界人っぽい人たちがいろいろ言っているぞということに気がつきました。なので、勉強しないと自分はアートの世界で闘っていけないと思い、いろいろと勉強しました。
――その頃に有名だった作家というと誰が思い浮かびますか?
筧:何もわからない美大生のときに情報として飛びこんできたのは、デミアン・ハーストとか、村上隆さんとか、バンクシーとか。派手に活動されている方、メディアに取り上げられやすい方は目にしやすかったですね。
――そういった作家は当時の筧さんにはどう映っていたんでしょうか。
筧:そのときは反感を抱いていました。美大の受験勉強では人物の頭部をいかに写実的に造形するかとか、いかに筋肉の流れを再現するということに心を砕いてきたので、いきなりサメをホルマリン漬けにされても(※デミアン・ハーストの代表作《生者の心における死の物理的不可能性》)みたいな……。これがなんで評価されるんだろう?という気持ちが大きかったです。
――特に衝撃を受けた作家や作品はありますか?
筧:あるとき、私はジャクソン・ポロックの作品にすごく衝撃を受けたんです。大きなキャンヴァスに絵具の線が縦横無尽にたらされている。最初はめちゃくちゃだ、と思ったんですけど、何とも言い得ぬ魅力を感じてずっと作品が頭から離れなかったですね。それからポロックについてのいろんな記事を読んでみると、「すごく重要だ」といろんな人が言っていて、ポロックの作品を理解しないと私はこの世界ではやっていけないなと、そう思いました。
――今回の本は、その当時の筧さんが読んで理解できる本を目指したということですね。
筧:はい。例えば自分が学生の頃に手にとった現代アートの入門書でも、批評家や大学教授の方などによる、ある程度の専門知識がある人に向けた本になっていることが多く、その本を理解するためにまた別の本を読まなければいけなくて、戸惑った記憶があります。そうではなくて、初めての人たちにもわかりやすく、親しみやすく現代アートを紹介することができないかなというのは、今回の企画で声をかけていただく前からずっと考えていました。
イラストというフィルターを通して作品を表現する
――「アーティスト編」の作家のセレクトはどのような基準でされたのでしょうか。
筧:最初はやはり編集の今野さんとお互い案を出し合って素案をつくり、そこから私の指導教官である篠原資明先生と岡田温司先生をはじめ、編集に協力いただいた方にもご意見をいただくなど、なるべく多くの人の意見を取り入れながら決めていきました。
――主に20世紀後半以降に活躍した作家が紹介されています。
筧:同じ時代を生きている作家を取り上げたいなと思ったので、デュシャン以外は戦後に活躍している作家が中心になっています。デュシャンだけちょっと特殊なんですが、デュシャンをおさえないと「現代アート」という大きな枠組みがわからないところがあるので最初に入れています。
――単純に、「イラストとしてこの人は描きたかった」というアーティストはいましたか?
筧:特に誰を絶対に描きたいという気持ちはなかったんですが、文字ばかりだと敬遠してしまう人も多いと思うので、マンガみたいに文字と絵が一体になって楽しい感じが伝わるように心がけました。
――普通は作品の図版は写真になると思うのですが、本の中のすべての図版がイラストになっているのがこの本の大きな特徴です。イラストならではの良さはどういうところにあると思いますか?
筧:イラストではもちろん実物の作品の魅力をすべてあらわすことはできません。けれども、現代アートの作品の中には動きのあるものや、鑑賞者の参加によって作品が成立するものがたくさんあります。そうした作品を一枚の写真で説明することはすごく難しいように思います。イラストの場合、そうした動きを複数のコマで示したり、キャラクターに疑似体験させたりすることが可能です。作品に対する着眼点を整理した状態で、作品をより直感的に理解してもらえるように工夫ができるところがイラストの良さだと思います。
――例えば「キーワード編」の「コンセプチュアル・アート」のページで、デュシャン、マグリット、ジョセフ・コスース、河原温といったそれぞれの作品を描いて統一性が出るというのはイラストならではだと思います。
筧:そうですね。ただ、ここではそれらの作品が絶対にコンセプチュアル・アートだと決定づけているわけではなく、そう考えられるんじゃないかという提起をしています。キーワード編を執筆しているときは、この作品は「ミニマル・アート」だ、とか「リレーショナル・アート」だというように決めてしまうことに戸惑いを感じました。作家はそう考えていない、もしくは受容者(観客)はそう考えないということも必ずあると思うんですね。もちろん作家や批評家の方の発言や論述を参考にしながら書いたんですけど、必ずしもこの本に書かれていることが絶対の正解ではないということを念頭に置いて読んでいただきたいと思います。それよりも、本をもとに現物の作品を見ていただいて、この括り方は本当に正しいのか?という議論が始まってほしいですね。
[後編「一見美しく作られていないように見える作品にも、どこかに美や凄みが宿っている。」に続きます]
聞き手・構成:小林英治
編集・撮影:後藤知佳(numabooks)
(2016年2月26日、フィルムアート社にて)
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