アムステルダムを拠点に活躍しているグラフィックデザイナー、イルマ・ボーム(Irma Boom)氏。1991年に「Irma Boom Office」を設立したのち、とりわけブックデザインの領域では素材を駆使した五感に強く残る仕事で人を惹きつけ、世界で今もっとも注目されるデザイナーの一人とも言われています。
2015年9月のボーム氏の来日の際に、国内で同じくブックデザインの仕事を多く手がけている色部義昭氏と田中義久氏とともに行われたトークセッションの模様をお伝えします。
※本記事は、2015年9月19日に日本デザインセンター「POLYLOGUE」で行われたシンポジウム「ブックデザインの可能性」を採録したものです。
【以下からの続きです】
1/3:「私は今の時代を『印刷物のルネサンス期』と呼んでいて、印刷物の力を信じています。」
2/3:「本のミニチュアを用意することで、自分が今作っているものから距離を置くことができる。」
デザイナーに与えられる自由 ――オランダと日本
イルマ:私からも質問させてください。オランダでは仕事を受けるとき、デザイナーはとてもリスペクトされているので、基本的にコミッショナーは私を完全に信じて「自由にやっていいよ」と言ってくれることが多いのですが、お二人も自由に仕事をできていますか。
田中:僕は出版社よりも(著者となる)アーティストから直接依頼が来ることが多くて、受けた時点ではおおむねコミュニケーションは成り立ちますが、本を出すのはアーティストではなく出版社なので、その後に編集者や発行人と関わることにもなります。そのときに、アーティストが求めている内容と、出版社側のバジェットや目的がまったくのイコールになることはなかなかないので、うまく話を合わせていくということはありますが、基本的にアーティストが伝えたいことに対して最適にアプローチできたときは、そこからずれることはほとんどありません。
色部:オランダの事情を詳しくは知らないのですが、(日本のデザイナーのほうが)リスペクトされていないケースが多いと思います。
僕の場合、プロジェクトによっても変わってきます。「僕にとにかくやってほしい」と指名される仕事と、なんとなく頼まれる仕事があって、本当は前者の仕事だけをやっていけたら幸せなのかもしれませんが、僕はその両方とも受けるスタンスで仕事をしています。例えば、これは後者の仕事の場合が多いのですが、提案するときにいくつかの案を出しますと、自分がいいと思っていた案は、結果的にほとんど反映されないんですね。クライアントが選んだものになることが多いんですけど、驚くべきことにそのほうが良かったと思うことが多いんです(笑)。いかに自分の目が不確かなものかと感じています。ただ、僕はそれでもいいと思っていて、何か新しい可能性に対して自分を開いていくっていうのも、この仕事をしていくことの楽しさなので、できるだけ受け入れようと考えています。
イルマ:私は、デザイナーに自由を与えることによって、より良い結果が得られると思っていますので、コミッショナーはそのことを知るような状況にならないといけないのではと思います。
伝達するためのツール/アーカイブするためのツール
田中:僕からは、イルマさんにインターネットと紙媒体との関係についてご意見を伺いたいです。ここ20年くらいのインターネットの発達によって紙媒体の立ち位置が大きく変わってきている部分は少なからずあると思います。僕はその変化によって紙媒体がなくなることはまずありえないと思っているし、どちらかと言うと、情報を伝達するためのツールとアーカイブするためのものといった、役割の差別化がよりはっきりしてきたというイメージがあって、後世に残しておくべきものはちゃんと紙媒体にして残していくという考え方で今考えているんですけど、そのあたりをイルマさんはどう考えていますか。
イルマ:本には大きな未来が待っているとは思っていますが、オランダでは印刷所や出版社の倒産が多いのも事実です。ですけれど、本はそれ独自の編集がされて製本されたもので、その特別さがこれからもっと重要になっていくと思います。
本の面白さは、一度綴じてしまうと戻せない不可逆性にある
──まとめに入っていきたいと思います。最後に三人それぞれに質問をしたいのですが、この講演のタイトルは「ブックデザインの可能性」ですので、お三方が本を作るプロセスの中で、一番大切だと思っていることと、それが本というものの可能性とどう繋がっていくのかをお聞かせいただいてまとめにしたいと思います。
田中:先ほどの話と重複しますが、僕はアーティストが伝えたいことをちゃんと読者に伝えることが一番重要だと思っているので、仲介者の立場としては、専門家として紙や印刷や製本に関するリサーチを重ねて、どんな依頼が来ても自分が透明人間のように寄り添える準備をしておきたい、といつも思ってます。
色部:さっきも田中さんの話にちょっと出ましたけど、インターネットが出てきて本の役割がより明確化されてきたという実感が僕にもあって、その有効性をどんどん押し広げて、可能性を追求していきたいなと個人的にはいつも思っています。
実は僕、(クライアントに)プレゼンテーションをするときに本を作ることがすごく多いんですね。例えば企業のCI(※編集部注:コーポレート・アイデンティティ/企業文化やブランドを構築し、その特性や独自性を表現するための一連のデザイン)を作るときとかも、通常はボードで見せることが多いんですけど、僕は冊子を作ってみなさんのテーブルに配るんです。手元で同じ速度でページをめくっていきながら、これがなぜこの形になったのか、この形になることでどういうビジョンが描かれるのかを、ストーリー仕立てで解説します。それがもし、A4のペーパーを積み重ねただけのものだったりすると、ストーリーの流れが稀薄に感じられたり、クリップが外れて順番が入れ替わったりして、意味が変わって重要なことが抜け落ちてしまうかもしれません。本で面白いのは不可逆性、取り返しがつかないところだと思います。一度綴じてしまうともう戻せない。そういう「切り取れない」ということが大事なポイントとしてあって、それが本の価値でもあるのかなと思いますし、簡単に再現できないものに対する信頼感みたいなものは重要なんじゃないかなと思っています。
イルマ:私はいつもデザインをする過程で、実際にミニチュアの本を作る方法のように、本の中で本を作ります。それが一番の方法だと思っています。それから情報をシェアすることが重要です。例えばプレゼンテーションの時は本の中でデザインしたものを持って行ってプレゼンテーションしたりします。
そして、本を作るということは本の中でエキシビジョンを構成することでもあるということを、常に意識することが大切です。この3つが重要なポイントです。
本は情報を共有するためのもの
――最後に、会場の方から質問を受け付けたいと思います。
質問者1:私はイルマさんの本が登場するYouTube上の映像をよく観ておりまして、その中のシャネルの本『N°5 CULTURE CHANEL』についての質問です。シャネルのNO.5という香水は一つのブランドであり、香りそのものだと思うんですね。それを本という形に置き換えるときにインクを使わなかったこと。それからYouTubeでは「エアリー」という表現を使っていたのですが、そういう形に落ち着いた経緯や考え方を教えて頂けたらと思います。
イルマ:まずこの本はシャネルのために作ったというよりは、シャネルカルチャーという文化のために作ったので、ブランドのためというわけではありませんでした。匂いというのは目に見えないけれど確実にそこにあるので、それをどう紙の媒体で表現できるのかを考えたときに、インクを使わずに、でもそこにあるということを表現するために、エンボス加工だけで作りました。インクで刷るとダイレクトすぎるので、エンボスにしたのです。このアイデアは、シャネルのNO.5に使われている花が生息している南フランスに招待されたときに思いつきました。
『N°5 CULTURE CHANEL』のイルマ本人による解説動画
質問者2:オランダの本にはペーパーバックがすごく多いことと、リプリントしても必ず売れそうな本も基本的には再版がないように感じているんですけど、その理由としてオランダならではの考え方があるようでしたら教えてください。
イルマ:私は基本的にはソフトカバーがすごく好きなんですけども、ハードカバーかソフトカバーかは内容によって決まります。多分私が作っているものの比率はソフトカバーとハードカバーで半々くらいです。
リプリントに関しては、私にとっては本は情報を共有するためのものなので、リプリントされるべきものはされるべきだと思います。一般的には、オランダの本の多くが助成金で作られているので初版は助成金を貰ってプリントしてもらえるんですけど、次の印刷用に助成金を貰うことは難しいので、その理由でリプリントされないことが多いという背景があります。
――今日はありがとうございました。
[ブックデザインの可能性 了]
聞き手:古賀稔章
取材・構成:戸塚泰雄(nu)、後藤知佳(numabooks)
(2015年9月19日、日本デザインセンター POLYLOGUEにて)
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