「現代アート」と聞いて、「興味はあるけど難しそう」「なぜ作品が評価されているのかわからない」という人も多いかもしれません。しかし、見る者の五感を揺さぶり、価値観をひっくり返す作品の数々には、私たちの想像力を豊かにする無限の可能性が広がっています。そんな現代アートの世界を、誰にでもわかるカラフルなイラスト付きで解説した入門書『めくるめく現代アート イラストで楽しむ世界の作家とキーワード』(フィルムアート社)。この本の文章とイラストを一人で手がけた筧菜奈子(かけい・ななこ)さんは、美術大学で彫刻を専攻していた10代の頃はむしろ現代アートの世界に抵抗があったそう。どのような過程を経て研究対象としてアートを見つめるようになり、このたび『めくるめく現代アート』を著すに至ったのか、その背景について伺いました。
【以下からの続きです】
前編:「いきなりサメをホルマリン漬けにされても、みたいな……。これが何で評価されるんだろう?と。」
美の概念を拡張してきた現代アート
――では、イラストを描いてみてそれぞれの作品で改めて気づいたことなどはありましたか?
筧:現代アートって今まで私たちが考えてきたような美というものが見えづらい作品が多いと思うんです。コンセプトが面白いというのはわかるんですけどね。ですが、イラストを描くために現物を見ていくうちに、一見美しく作られていないように見える作品にもどこかに美や凄みが宿っていることに気づきました。私が美大生の頃に理解が及ばなかったハーストや、村上隆さん、バンクシーの作品にも、自分がこれまでに経験したことがない美があることに気づいたんです。これは、自分の中の「美」の概念を少しずつ拡張していくような経験でした。ただその美しさをイラストや文章で表現することはまったく不可能です。やっぱりそこは現物を見ていただいて、感じていただきたいなと思います。
――この本はガイドブックではあるのですが、全体を通して感じるのは、みずみずしさというか、筧さんの感性もしっかり表れているということです。
今野綾花(フィルムアート社/『めくるめく現代アート』担当編集者):「イラストで解説する」というスタイルなので、ビジュアルのなかに作品に対する筧さんの受けとめ方がおのずから含まれていて、それが鑑賞ポイントを知るための助けになるんです。例えば、村上三郎《紙破り(通過)》という、パネルに張って自立させた紙を身体で破っていくパフォーマンス作品があるんですが、実はイラストでは紙の枚数が正確でなかったりと、デフォルメしてしまっている部分もあります。でも、筧さんが「破る行為」に注目してイラストにしたことで「紙を破る運動そのものが作品である」という特徴が見えてくる。視覚的に「勘どころ」が伝わるので、理解のハードルがぐっと下がるんです。もちろん本書で示されるのはあくまでひとつの見方に過ぎないので、実際の作品に触れることが一番大切だと思います。ですが、みずみずしさと温かみのある筧さんのイラストは、今まで知らなかった作品の魅力に気づき、現代アートとの距離を縮めるきっかけになってくれると思います。
――もうひとつ、この本ではガイド役となっている「キュブくん」と「ドットちゃん」というキャラクターがいます。これも筧さんのオリジナルキャラクターですね。
筧:もともとキュブくんと名付けた四角い顔の子は、高校生くらいのときから自画像のように使っていたものなんです。それでマンガを描いたりしていました。
――高校生の頃からあるキャラクターなんですね。
筧:そうなんですよ(笑)。その顔を使ってブログなどで記事を描いてたんですが、それを今野さんが見てくださっていて、「この本にもガイド役になるキャラクターを作ったらいいんじゃないですか?」という話になりました。そこで四角い顔をキュブくんと名付けて、対になる丸い顔のドットちゃんが生まれました。
――キュブくんが作家志望でドットちゃんがキュレーター志望なんですよね。
筧:キュレーター志望のドットちゃんに豆知識などを説明してもらって、作家志望のキュブくんには擬似的に作品を作ってもらったりしています。そうすることで、作品をもっと身近に伝えられるように工夫しました。例えば、ウォーホルのページではシルクスクリーンの技法をキュブくんに体験してもらう形で説明しています。
――この2人は作品を描いたイラストとは少しテイストが違います。
筧:マンガ的な要素をどこかに入れたかったんです。実は昔はマンガ家になりたくて作品を描いたりしていたので、今回はその経験を良い形で活かすことができました。
――「早分かり20世紀美術史」のコーナーなどのミニコラムのページも、2人の会話で読ませることで、コンパクトながら重要な流れがしっかり理解できるようになっています。
筧:はい。個々のトピックや作家について知ると同時に、美術史の大きな流れがわかるような作りにしたいと思ったので、入れさせていただきました。
――今のご専門も美術史や装飾史ということで、やはり歴史観みたいなことは重要視されていますか?
筧:そうですね。歴史というものは、ある時代について、後の世代の人々が解釈してつくりあげるものだと思うんです。けれども一つの解釈の裏にはまた別の解釈の可能性があります。そうしたまだ解釈されていない歴史の流れを顕現させていくことに面白さを感じていて、研究として取り組んでいます。
インターネットが生んだ多様性の時代
――この本を読むと、全体的に筧さんのアートに対する信頼や肯定する姿勢というのが貫かれているのが感じられます。
筧:ありがとうございます。個人的な経験なんですけど、研究調査のためにアメリカに行ったときに、街中でアジア人として差別を受けることが時にありました。けれども美術関係の方と接したときに、「あなたの国の文化や美術は素晴らしいわね」と声をかけていただくことが多く、人種や国籍が違っても、それぞれの国の文化や美術作品を知ることで互いを尊重することができると実感しました。また、日本に豊かな文化や美術があることが、自分の心の支えにもなりました。なので美術はとても重要なものだという気持ちが根底にありますね。
――同じように、海外のアートに接するときもそう見られるということですよね。
筧:はい。例えばこの本でも取り上げている南アフリカ共和国のウィリアム・ケントリッジやブラジルのエルネスト・ネトといったアーティストは、その国の独自の歴史や文化を受け継いで制作をしている作家だと思います。作品を見ることで、彼らが生まれた国を尊重するひとつの視点を持つことができますね。
――アートは自己表現と思われがちなところがありますけど、そう単純なものじゃないということが伝わるといいですね。
筧:そうですね。今の日本の美術教育は、アートをどう考えるかという視点を育てることにあまり目を向けていないように感じます。今回の本に限らず、アートって面白いんだよっていうことを少しでも多くの人に伝えていく活動はこれからもしていきたいなと思いますね。
――例えば60年代は批評家の力が強かった時代で、それから90年代にはキュレーターが影響力を持つようになり、最近は作家自身の発言力も強くなったように感じますが、現代アートの評価をめぐる今後の動向についてはどう思いますか?
筧:今はやっぱりソーシャルネットワーク(SNS)の力が強いと思います。作品に対して誰か一人の発言を聞くよりも、SNS上でタグ付けすることでたくさんの意見をワーッと集めることができる状況が生まれていますよね。良くも悪くも多様性の時代で、1人の力のある批評家によって作品の評価が確定されないというのは面白いなと思っています。
――とはいえ、議論が起きやすくなっているんですけど、一過性で議論が深まっていかない面もありますね。
筧:確かにそうですね。でも、アートに対して発言が起こらないとか、起きていても見えづらいという世界ではなくなったのはとても良いことなのではないかと思います。アイ・ウェイウェイも、中国という言論統制が厳しい国において、「インターネットは最良の事態だ」と言っています。表現行為においてインターネットはすごく大きな革命ですよね。
――最後に、今回「現代アート」の案内本を1冊作ってみて、次にこういう本が作りたいといったようなプランはありますか?
筧:もし次の機会がいただけるなら、工芸を解説してみたいですね。自分が装飾に関心があるということもあり、現代工芸の中で装飾はどのようになっているのかが気になっています。どういう文様が昔から引き継がれているのか、逆に新しい文様は生まれているのかなどをリサーチしていきたいです。
――江戸の光悦や宗達は知っていても、一般にはそこと現代工芸とはつながりを感じられてないかもしれませんね。東京国立近代美術館に行っても、チケットもらえるのに工芸館には行かなかったりとか。
筧:工芸は日常の中に取り入れやすい美としてあるのに、どこか受け入れられていないところもありますよね。でも、一歩踏み出せないっていう気持ちは私もよくわかるので、そこを面白く紹介できたらいいかなと思っています。
――「めくるめく」シリーズの続編として期待できそうですね。
筧:はい。そのためにもまずはこの本について、多くの人から感想や反応をもらえたら嬉しいです。
[『めくるめく現代アート』著者・筧菜奈子インタビュー 了]
聞き手・構成:小林英治
編集・撮影:後藤知佳(numabooks)
(2016年2月26日、フィルムアート社にて)
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