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ドミニク・チェン 読むことは書くこと Reading is Writing

ドミニク・チェン 読むことは書くこと Reading is Writing
第15回「『読むこと』が『書くこと』になる瞬間」

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第15回 「『読むこと』が『書くこと』になる瞬間」

“processing” Photo by Brandon Morse[CC BY 2.0]

“processing” Photo by Brandon MorseCC BY 2.0


 テキストが書かれる熱量を、テキストが書かれたプロセスを再生することで、読者はより直感的に体感することができるのではないか。そして、書き手が自らの文章の生成プロセスを観察しながら執筆を行うことで、同じ文章に対して客観的な視点に立ち、結果的によりダイナミックな論理構造の文章が書かれるのではないか。

 執筆のプロセスを再生することで、その文章の書き手が自分であろうと他者であろうと、非同期に執筆体験を文字通り追体験することができる。このことの持つ最大のインパクトは、対象となる文章が決して固定的なものではなく、常に複数の可能なバージョンのあいだを揺らいでいる存在であることを目の当たりにすることにあります。

 活字になった文章を読んでも湧き起こらないこの情感にこそ、読み手が書き手に「成る」ヒントが隠されています。そしてこのことは決して特殊なことではなく、静的な活字においても、たとえば熟達した編集者ならば、書き手の思考プロセスを(想像的に)トレースしながら読むでしょう。または、書籍の担当者ならば、何回も書き直される複数の草稿のバージョンを読む過程で、著者の思考に寄り添うようになるでしょう。

 TypeTraceは同様のことを、まとまった文章のバージョンではなく、キータイプの一打一打のレベルという非常に高い解像度で提示しているに過ぎないとも言えます。従来では、書き手と話したり、書いているプロセスを横で見ている人にしか分からなかった情報が、TypeTrace文章では誰に対してもオープンにされ、誰しもが執筆の現場に仮想的に立ち会うことができる。

 プロフェッショナルな編集者ではなくても、多くの人が知人や親しい人の文章を添削したことが一度はあるかと思います。自分の意見が求められる状況において、穴だらけで未完成な文章を読みながら、「自分だったらこう書く」ことをイメージして文章を再構成すること。違う言い方をすれば、「書き手になりかわって書く」こと。現場に居合わせるということが、自らもいま目の前で生成されているものの当事者になるという意識を持つということと同義であるとすれば、このような状況においてこそ「読むこと」が「書くこと」になるのではないでしょうか。

 興味深いことに、このことは文章に限定されないように思います。例えばアーティストやデザイナーが美術館やギャラリーで他者の作品を鑑賞する際、意識的にせよ無意識にせよ、その作品がどのように作られたのかというプロセスを想像的に再構築しようとするということはないでしょうか。音楽家が他者の楽曲を聴く際、いま聴いている音の一秒先の状態を「読みながら」聴くということはないでしょうか。そして、練熟した読者が文章を読み進める時も、紐解く言葉から立ち現れるイメージの「流れ」に乗りながら、予測を裏切られたり、膝を打ったりするのではないでしょうか。

 エビデンスのない推測に過ぎないので断定はできませんが、これまで多くのアーティストやクリエイターの方たちと対話を行ってきた経験や自らの創作行為に照らし合わせても、筆者にはこれらは全て同じ種類のプロセスのように感じられます。そして創作のプロとアマチュアを、その強度において隔てていながらも、その本質において共通しているのは、「作られたものを観察することは作ることを促す」ということなのではないかと考えます。

 ある表現が産出され、他者に観察されるということが、観察者の内部で新しい表現が生成されるトリガーとなるとすれば、この連関は一種の対話であると言えるでしょう。さらに表現の完成形ではなく、その産出の「現場」に立ち会うことで、より密な対話が行われ、相互へのフィードバックも深まる。この連載で以前、「助産術としての編集という機能」について言及しましたが、読み手が書き手の産出を手伝うということは、現場の当事者として行為するか否かということにかかっているのです。

 だからこそ他者の作品を受容することが決して「消費」という貧しい言葉に収斂されるべきではないでしょう。同様の理由で「コンテンツ」という言葉の使われ方にも根本的な問題があります。なぜなら創作物を「content=内容」と呼び習わし、「人気のある/ないコンテンツ」の集積として文化の生態系を捉えることは、特定の「内容」という同一のパッケージが「よりよく伝達」され「よりよく消費」されるという前提に立つことで、読み解く側の「生成」行為を軽視し、その複雑な豊かさを乱暴にも捨象することに繋がるからです。マクロに見ればそのような浅い理解でも「売れた/売れない」といような動向を把握することはできるとしても、個々の作品の読み手の中で生成されている個々の対話の深度を測ることはできないのです。筆者にはこのような人間の豊穣さを矮小化する表現こそが文化的な貧しさを招いているように思えます。極論すれば、100万部売れて100人にしか深い反応を引き起こさない本と、1000冊しか売れていなくても同じく100人の深い反応を誘発する本は、創作の連関という視点に立てば等価と見るべきではないでしょうか。ここでいう「深い反応」という表現は、作品を読み解いた結果新たな表現が生みだされる、ということと同義で使っています。

 書き手のプロセスをオープンに開示することによって、読み手の内部で湧き起こる新たな表現の萌芽に形を与え、それを逆に書き手に対してオープンにして返すこと。この根源的な協働関係を志向することから、読み手と書き手を同じ創造的な地平で捉えることが可能となるのです。

[読むことは書くこと Reading is Writing:第15回 了]
 
 

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PROFILEプロフィール (50音順)

ドミニク・チェン(Dominick Chen)

1981年、東京生まれ。フランス国籍。博士(東京大学、学際情報学)。NPO法人コモンスフィア(旧クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)理事。株式会社ディヴィデュアル共同創業者。主な著書に『電脳のレリギオ』(NTT出版、2015年)、『インターネットを生命化する〜プロクロニズムの思想と実践』(青土社、2013年)、『オープン化する創造の時代〜著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論』(カドカワ・ミニッツブック、2013年)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック〜クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』(フィルムアート社、2012年)。 [写真:新津保建秀]


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