第10回 本の死とその蘇生
2月22日(土)に恵比寿の東京都写真美術館で日仏シンポ「電子書籍化の波紋-デジタルコンテンツとしての書籍」に登壇しました。この会では、日本文化に詳しい哲学者・詩人のエリック・サダンさん、フランスの元産業大臣で電子書籍政策の立法を推進してきたエルヴェ・ゲマールさん、著作権法の専門家の福井健策さん、KADOKAWAグループ取締役会長の角川歴彦さん、そして筆者がそれぞれの書籍の電子化に関する知見をプレゼンし、日経新聞の神谷記者の司会のもとで討論しました。前回記事の続きに入る前に、少し回り道をして振り返ってみたいと思います。
電子化に伴う読書体験の監視への警戒、物理的な本と電子書籍の認知的な受容の差異といった抽象的な議題から、フランスと日本における著作者不明の孤児作品への法的な対応の差異、アップル/グーグル/アマゾンといったプラットフォームに対抗するためのコンテンツ産業の在り方といった具体的な提言まで、議論は非常に多岐にわたりました。筆者は本連載で温めてきた内容をもとに、新しい書籍が生まれるための文化的ビジョンとして、作者同士の著作の二次利用を促し、相互への貢献を記録し対価を配分するシステムの必要性を主張しました。
多領域をまたぐ話に参加しながら、書籍とその電子化というのはまさに学際的な領域であると改めて感じました。それは「書物」という人類史上最も古いコンテンツ形式を、ネットやスマートデバイスといった最近人間の社会が経験し始めたばかりのメディア環境の上に持って来ていることにも起因する複雑さを孕んでいます。同時に、この連載で繰り返し主張してきたように、本が作られる創作のプロセスを他者とのコミュニケーションのそれとして捉えることで、文化の志向性を議論することができるという考えがより明確になった気がします。
紙で印刷された本の電子化であろうと、デジタルボーンで書かれた電子書籍であろうと、本の内容が電子化されることの意義とは、一言でいえば「再利用されるため」です。いわゆる「孤児作品」とは著作権が有効でありながら著作者(もしくは権利者)が不明になってしまい、他者が無断で電子化したり新しい著作物を制作する上で再利用することが法的リスク上難しい作品群を指しますが、このような作品は膨大にあると指摘されています。
再利用される価値を持っているのに、存在するか定かではない権利者の影のために、有効に再利用され得ない一種のゾンビ状態にされていることは、これらの孤児作品の著者にとっても不名誉な事態であると言えないでしょうか *1 。
そして、それは文化全体における再利用に止まらず、本の個人的な所有者の本棚の奥底で「死蔵」している作品も非常に多いでしょう。物理的な整理整頓のコストが障壁となって、読み返されることなく本棚の肥やしと化している本の総量を各世帯で調べることができたら、面白い数字が見えてくるのではないかと想像します。本棚の奥で眠っている本もまた、「読まれる」という最も根源的な利用からも遠いという意味で、ゾンビとは言えないとしても、冬眠状態にあると言えるでしょう。
ある作品が再利用されるということは、仮死状態や冬眠状態から蘇生し、再び文化の生命的な流れの中で躍動しはじめることを意味します。そのことは経済的な対価が生まれることの条件であり、逆ではありません。そして本が電子化されることで増幅される再利用の可能性は、まず「読まれる状態になる」ということであり、次に「他の創作物に組み込まれる状態になる」ことです。
たとえば本棚を電子化してDropboxやBitcasaのようなプライベートのクラウドストレージに配置しておけば、PCのデスクトップ検索(例えばOSXのSpotlight)やスマホのクラウドストレージアプリ内の検索をかける度に、所有しているすべての本の中から該当する箇所がヒットするようになります。この状態になれば、意図的に検索する場合以外にも、偶然目的以外の書籍を再発見することが増えます。
第二の再利用形態としては、「使われる状態になる」ということです。検索して文字列を読むことに止まらず、当該の箇所をコピーして自身の文書の中にペーストできることで、電子化以前には手動で抜き書きしていたコストやミスコピーのリスクを無くすことができます。
同時に、原理的には引用元の文書のクレジットや権利情報をメタデータとしてコピーすることもできるので、コピー&ペーストするだけで正しく引用することも可能になり、これまでは手動で引用文献情報の正確さを管理していたコストの撤廃にもつながります *2 。
検索してコピー&ペーストするだけで正確に引用することができる状態、というのは現時点ではそれぞれの技術が点として散在している状態なので、txt、PDFやePubといった異なるファイル形式が共存し、クラウドストレージアプリも百花繚乱の様相を呈し、Windows、OSX、Android、iOSといったPCからスマホまでOSが各種混在となっている現状では、まだ社会的に敷衍しているとは言い難い状況です。しかし、現在ほど他者の文献を正しく再利用しやすい時代はこれまでなかったことも確かでしょう。
ニコニコ動画の運営元のドワンゴ社会長の川上量生さんは、以下のように語っています。
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ネット時代に作ったコンテンツの寿命を延ばそうと思うなら、二次創作を認めてソーシャルで広がっていく仕組みを作らないといけないんです。(中略)
皆に二次創作で利用されたからといって、オリジナル・コンテンツの持ち主のパワーが減るわけでは全然なくて、むしろ逆です。従来の著作権以上の力を現実に行使しているんです。 *3
ここではニコニコ動画における動画、音楽、静止画といった多様なコンテンツの二次創作について、書籍とは異なる文脈で語られていますが、本質は同じであると筆者は考えます。引用されることによって文章とそれが表現するアイデアは、引用した人間によって異なる文脈に配置され、新しい命を吹き込まれるという意味で、引用と二次創作は等価といって言い過ぎであれば、密接な関係にあると言えるでしょう。
本来、本を書くということは物理的にもコストが高く、参入障壁が高い表現形式でしたが、電子化によって他者の作品の二次利用のステップが極端に下げられるとしたら、一つ敷居が下がることになります。非同期的な執筆行為が、リアルタイムな会話に近づいていく中で、潜在的な著者が顕在化していけば、再利用可能な資源の多様性が増え、より活発な文化状況が期待できるでしょう。
次回は、本の最小単位を考えることで本を書くという行為の敷居を下げる方法について考察していきます。
[読むことは書くこと Reading is Writing:第10回 了]
注
*1│孤児作品:
EUでは孤児作品と認定された著作物を公的機関が独断で電子化し、その利用料を個別の口座で一定期間管理して、その間に引き受け手が現れなければ国庫に納めて文化事業に活用するというEU加盟国間の指令(directive)が2012年に提案されています。孤児作品の認定コストや利用料の再配分の公正性など多くの課題が指摘されていますが、ゾンビ化した文化の蘇生を国が主導してコミットするという姿勢は、GoogleBooksがビジネス的に失敗し下火になってしまった現在、文化全体の大局的な観点からは望ましいものだといえます。
*2│コピー&ペーストするだけで正しく引用する:
たとえばTyntというウェブサービスでは、Javascriptのコードスニペットを埋め込んだウェブサイト上でユーザーが文書をコピーすると、同時に出典URLと権利者クレジットもコピーされ、かつ、サイト運営者側にはどのテキストが最もコピーされ、それぞれがどの程度のアクセスを生んでいるかが可視化されたレポートが生成されます。
*3│ “グーグル、アップルに負けない著作権法”, 角川 歴彦:
URL: http://www.amazon.co.jp/グーグル、アップルに負けない著作権法-角川EPUB選書-角川歴彦/dp/404080001X
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