作家・藤井太洋さんは『Gene Mapper -full build-』(ハヤカワ文庫JA、2013年)、『オービタル・クラウド』(早川書房、2014年)をはじめ、多くの長編作品を執筆し、伝統ある賞も獲得されています。藤井さんはこれまでさまざまなアプリケーションを試してきたとのことですが、最終的にはScrivener[★1]を使って小説を執筆されています。今回、藤井さんに、執筆時に使用するツールを中心にお話しいただきました。ツールを選ぶポイントや、ツールの構造から知る英語圏の文学事情など、「執筆」と「ツール」の間で広がる話題を是非お楽しみください。
この記事は、『考えながら書く人のためのScrivener入門 小説・論文・レポート、長文を書きたい人へ』(ビー・エヌ・エヌ新社、2016年)収録のインタビュー「小説家・藤井太洋氏に聞く、Scrivenerの使い方」を再編集したものです。
★1:Literature & Latte製の執筆支援アプリケーション(Win/Mac)。英語圏を中心に広く使われている。テキストの編集以外にも、メモ機能、文章の階層化や、電子書籍書き出しなど、執筆にまつわるさまざまな機能を備えている。https://www.literatureandlatte.com/index.php/
そのツールを使わなくなるときにどれだけのものを残せるか
——作家になる前から小説を書かれていたのですか。
第1作の『Gene Mapper -core-』は、2011年の9月ぐらいに、ある日突然書こうと思い立ちました。高校時代に文芸部にいたとか、以前から書きたいと思っていたとか、そういうわけではありません。SFを読むのは好きでした。それなりに読んでいるほうだとは思います。
書こうと思ってから書き上げるまで6か月かかりました。その後、友人に読んでもらったりしました。また、電子書籍を自分で販売するつもりでしたので、EPUB[★2]の勉強をしたり、プロモーションのサイトを作ったり、販売用のシステムを作っていました。
当時はまだ日本にKindleストアがなかったのですが、楽天Koboの日本上陸とほぼ同時に、EPUBでフォーマット違いの4種類[★3]とPDFをダウンロード販売しました。Kindleで販売を始めたのはその後です。
日本でのスタートはKoboのほうが早かったんです。販売タイトルの中でも『Gene Mapper』は一番乗りに近かったので、ランキングもかなりいいところに上がりました。その点では、出版社が多くの書籍を電子化する前に、自分で先に始めていてよかったなと思いました。
★2:電子書籍の世界的な標準規格。原稿のほか、表紙などの関連するファイルを仕様に沿って制作する必要がある。
★3:セルフパブリッシング版『Gene Mapper -core-』は、EPUB版だけでも、縦書き、横書き、Kobo用、Adobe Publishing Edition用の4種類が用意された。現在は青空文庫形式やKindle用も追加されている。一度購入すればどのフォーマットでもダウンロード可能。詳細はhttp://genemapper.infoを参照。
——どのようなツールで文章を書いていましたか?
その時々で一番よく使っているエディタを使っていました。標準テキストがちゃんと書ける、つまり装飾なしできちんと書けるツールが好きでした。古くは「Nisus Writer[★4]」が最初に好んで使ったエディタです。その後、業務や趣味ではHTMLやPHPのコードをかなり長い間書いていましたが、その時期はプログラミング向けの「mi[★5]」を使っていました。日本語が使えるエディタをいろいろ渡り歩いて、最後にたどり着いたのがmiでした。
会社を辞め、小説を書き始めた頃に使っていたのはiPhoneです。iPhoneで小説が書けるかなと初めて思ったのは、「iText[★6]」を初めて使ったときでした。ただ、縦書きや原稿用紙モードはとても便利だったのですが、Dropboxなどへ保存するときに、正字やベトナム語を含めると盛大に化けてしまいました。私の作品では外国語がそのまま出てきたりしますし、ストーリーにも関係してくるので、文字が正しく表示されることが重要なんです。
iTextにはもう1つ、複数のテキストを束にして扱えないというもどかしさもありました。iPhoneで書いていると、1章分をスクロールするのに2メートルぐらいのドキュメントを指でたぐる必要があります。冒頭から順番に書いていければいいのですが、初めて小説を書いたせいもあって、書けるところからシーンを飛び飛びに書いていたため、長いテキストのあちらこちらを移動するのが手間でした。指がつりそうになってしまいます。
ツールを選ぶポイントにはもう1つ、“逃げ”られるか、そのツールをやめられるかどうかということもあります。他の形式で書き出せない場合、そのツールを止めることになったとき、それまでの資産が一気になくなってしまうからです。
私はDTPオペレーターの経験もあるので、やろうと思えば最終的な組版を用いて、InDesign[★7]を使ってでも書けるわけです。でもInDesignはいつまで使い続けられるかわかりませんし、アプリケーション独自の形式でしか保存できません。だから執筆用のツールとしては選べないのです。
アプリにかかわらず、ツールを選ぶ際にまず考えるのは、そのツールを使わなくなるときにどれだけのものを残せるか、ということを考えます。極端なことを言えば、手が使えなくなったら、目が見えなくなったらどうしようとか、そういうことも時々考えます。 強迫観念みたいなものですが、片手でキーボードを使ったりしています。shiftキーを押すとキーボードのレイアウトが反転するエクステンションがあるのですが、それを使って左手だけで入力する日を作ってみたりしています。
リサーチや下書きなどでは、あえてiPhoneやiPadで音声入力したりしています。
★4:Mac用では最古参のアメリカ製ワープロソフト。早くから世界中の多くの言語に対応した。
★5:開発向けテキストエディタ。旧称「ミミカキエディット」。https://www.mimikaki.net/
★6:iPhone用テキストエディタ。縦書きの原稿用紙表示機能を搭載。http://www.jp-lightway.com/iTextPad.html/
★7:Adobeの商業出版向けDTPソフト。http://www.adobe.com/jp/products/indesign.html/
この傲慢さが小説書きには必要なんだ
——藤井さんは小説を書くアプリケーションを数多く試してきたと伺いました。選ぶ中で、興味深いポイントはありましたか?
iPhone用には、海外製のものを20〜30個ほど買って試しましたね。どれもテキストの断片を作っていき、それをつないで出力するようなスタイルでした。
英語圏の人が作った小説書き用のアプリは面白いですね。付属のテンプレートなどから学ぶことはすごく多いです。小説の書き方を教えてくれるものも多くありました。
たとえば、アプリを立ち上げると、タイトルが「My Great Novel」とか「My Masterpiece」だったりするわけです。「名称未設定」とかではない。「偉大なる作品」とか「傑作」とかなんですよ。なるほど、そうやって書かないとダメなんだ、この傲慢さが小説書きには必要なんだ。自分を信じる心がまず必要なんだと思いました。
その次にあらすじを作らされます。150、あるいは400ワードぐらいで、その小説が何であるかを示す文章を書きなさいという感じです。、そういうことを要求するアプリが結構多かったですね。サンプルとしてAmazonの内容紹介が手本だ、あの形式で結末まで書きなさい、と説明してくれるアプリもありました。これ、すごく役に立ちます。どんな話を書く、と最初に決めてから書き始めると、ブレないですからね。
ジャンルを最初に設定するアプリも多かったですね。たとえば「YA[★8]」と設定すると「ワードチェックをしますか?」と聞かれます。語彙を8,000ワードの範囲にするとか、4,000ワードにするとか、禁止ワードや難しいワードのチェックをオンにしますか、などと聞いてきます。向こうの文学事情が少しだけ見えてきます。
どこにどういうふうに売る、ということを決めないと出版は決まりません。なんとなく本を書いて登録しておけば、書店に自動的に配本されるわけではなく、バイヤーのマーケットに発売の8か月前に書籍を登録しておいて、営業をかけないといけないんですね。そこで得られた数字を元に、6か月前に刷り部数を決めるわけです。そしてAmazonに登録して、予約を取り始めます。
英語圏では小説をそうやって売っていくので、日本よりもジャンルが固いのでしょうね。YAだったらYAに収める必要がある。越境型の文学というのは、越境型として認められる作家さんぐらいしか許されないところがあります。この出版社はこうやって売るとSFです、というのが決まっているみたいです。細かいところは後から知ったのですが、結構固く、締めてやるものだということを勉強しました。
あらすじを書き終えると、アプリによっては「では営業をします。一言連絡しましょう」というウィザードが表示されるものがありました。なんだこれはと思ってポチッと押すと、持ち込みを受けつけてくれるエージェントのリストが一覧表示されるわけです。これには驚きました。新人賞からのデビューというのは、日本に独特な慣習なんですね。
★8:ヤングアダルト。児童文学と一般文学の間の、若者向け文学のカテゴリー。日本ではライトノベルもYAの1つ。
仕事が1個所にまとまっていると、いいことがたくさんある
——現在、文章を書くときに使っているツールは
いまはほとんどの文章をScrivenerで書いてます。
Scrivnerは、Dropboxの連携ができるMac用のエディターを探しているときに、知人から教えてもらいました。EPUBのコンパイルもできるのは有難かったですね。
使い始めた頃は主にiPhoneで書いていましたし、MacBook Airで使っていたのであまり工夫することもなかったのですが、今は外部ディスプレイを用いて、二分割の状態で書いています。エッセイや短い文章ならば依頼の文章をにらみながら、小説なら前のチャプターと次のチャプターを見比べたり、資料のPDFやWebサイトのスナップショットを見ながら書き進めていきます。
Scrivenerは自由にテキストを分割できるのですが、私はつい短く刻んでしまいますね。原稿用紙にして数枚の単位で枚ちょっとで分けることが多いかな。とにかく、アクションが変わるところでどんどん切っていってしまいます。会話の内容が変わったり、別の人物が入ってくるようなところですね。
Scrivenerとは直接関係ありませんが、立ったまま執筆できるようにスタンディングデスクを使っています。これは持論ですが、姿勢によって意識は変わってしまうと思っています。書いていて何か資料を取りに行かなきゃ、あの資料がほしいと立ち上がった瞬間、何をしようとしていたか忘れてしまうことってありませんか? で、座ると思い出す。お坊さんがお経を覚えていられるのも、あの姿勢で決まったプロセスを踏んでいるから覚えているのだという話を聞いたことがあります。ひょっとして姿勢を変えなければいいのかなと思って、立って書いてみたら、資料を取りに行かなきゃとなっても、やっていることは忘れないんです。でも立ち・座りを1回挟むと、そこでもう切れてしまうんです。
それと同じように、机に紙を広げたりして下を見ているところから、直さなきゃと思ってディスプレイに向かって顔を前に上げただけでも、なんだっけ? となることがあります。そういうときはディスプレイと並ぶように紙を立てておき、直すときは横を向くだけで済ませられるようにします。姿勢が変わらなければ、意識はそんなには変わらない。そういうわけで立って書いています。
Scrivenerの画面。1節を6つのブロックに分割して執筆している。
——Scrivenerを使うメリットを教えてください
十数文字の推薦文から、長編小説までこなせる幅の広さが嬉しいですね。私は小さな仕事の文章をひとつのScrivener書類にまとめているのですが、とても便利ですよ。プロフィールも、すべて1個所にまとめてあります。取材を受けると、今回は○文字で、とそのたびに字数を指定されて頼まれることが多いのですが、何文字のバージョンでも、過去に書いたものがすぐ取り出せます。
依頼のメールもScrivenerにコピペしておきます。エディタ画面を分割して、依頼文を見ながら書いていくと、依頼された文字数を間違えたりとか、質問を取り違えたりすることがありません。選書の推薦文などは、ひとつひとつは短いのですが冊数が多かったり、他のフェアで紹介した書籍をそのまま出すわけにもいかなかったりするので、依頼のメールを見ながらでないと怖くてできません。
プレゼンテーションの構成を考えるときも、いったんScrivenerで作成します。ほかにも、年単位で同じ仕事が来ることがあるのですが、そういうものも1個所にまとめてあります。たとえば「SFが読みたい[★9]」のアンケートは毎年書かせていただくのですが、去年書いたことをすぐ引き出せるだけでも助かります。「BOOK EXPO[★10]」で講演するときも、去年何の話をしたかすぐわかります。
結構、似たような原稿依頼が続くこともあるんです。『ビッグデータ・コネクト』(文春文庫、2015年)でサイバー犯罪や個人情報漏えいなどを扱ったのですが、週刊誌や新聞からマイナンバー関係で何か一言、というように頼まれます。こういうときは、ほかの取材と全く同じことを言ってもいけないし、ぜんぜん違うことを言ってもいけないわけです。仕事を1個所にまとめると、そういった依頼が重なってもスムーズに作業ができます。
★9:SFマガジン編集部が毎年刊行しているSF小説のガイドブック。早川書房刊。
★10:毎年行われている書店向け商談会。
——Scrivenerはアイデアをまとめるときにも役立つ機能もありますが、活用していますか?
コルクボード表示がありますね。最初にアイデア出しするときは使いますけど、その段階を過ぎたらほとんど使うことはありません。
アイデアをまとめるには、フリーライティングを紙の上で行います。紙のほうが密度も自由にできますし、イラストも入れられます。スピードも速いですね。編集者との最初の打ち合わせのときに、第何話で何を書くというようなことを決めるんですが、それは紙の上でやります。
書きなおすことを厭わなければ、紙はすごく便利なんです。何度も何度も同じようなチャートを書いて、前のものと比べて抜けていたものを引っ越していきます。ここに持ってきたフリーライティングも、十何回か書いています。
——小説を書きたい人に、Scrivenerはおすすめできますか?
Scrivenerはいかようにも使えるのではないでしょうか。冒頭から書いていくスタイルでも、アイデアをどんどん書き留めてそれをつないでいくスタイルでも、設計図をビシっと引いて書いていく人でも、それぞれ便利に使えると思います。
構造化とまで気負わなくても、長い文章を分割できるだけでメリットはあると思いますよ。200枚という小説としては短い原稿でも、A4にプリントして縦に繋ぐと40メートルを超えるんです。修正するとき、その中から目的の部分を探し出すのに、一体どれだけ時間を使わなければいけないんでしょう。やってる間は時間を気にしていないと思いますが、真面目に時間をストップウォッチで計測すると、スクロールして目的の場所を探し出すまでの時間が結構なロスになっていることがわかるはずです。
それがScrivenerだと変わります。文章が構造化され、切れ目が存在する前提で書くので、書く意味すら変わっていくことでしょう。冒頭から順番に書ける人にも、すすめたいと思います。文章中のどこに到達したいというときに、ちゃんと意味がある単位で区切られているというのは助かります。
最後まで書いたという事実は、すごく大きな力になる
——これから小説を書こうと思っている方にアドバイスをお願いします。
書き終えましょう。パッケージにしたり、人に読ませたりしなくてもいいので、自分の中で、最後まで書き終えるのが大切です。私は職業作家として3年目なんですけど、書き終わるたびに確実に成長しているのがわかります。書きかけのものをいくら作っても、うまくなったとか、書けるようになったとかいう実感はありません。でも、書き終わったという経験を経るたびに成長している実感はあります。短くても、書き終えると全然違います。実は去年、450枚書いた長編小説が丸ごとボツになりました。準備も足りなかったし、執筆期間も十分とれなかったので、世に出なかったことは幸いでしたが、450枚を最後まで書いた経験は、その時手がけていたもう一つの作品に大きな力を与えてくれました。ダメだと思っても、とにかく最後まで書き終えると成長します。
[了]
藤井太洋さんが、『考えながら書く人のためのScrivener入門 小説・論文・レポート、長文を書きたい人へ』著者の向井領治さんと登壇されるScrivner入門のトークイベントが催されます。
7月2日(土)
考えながら書く人のためのScrivener入門・ライブ版ーー小説家・藤井太洋氏とライター・向井領治氏に聞く
http://www.a-m-u.jp/event/201607_scrivener.html/
ゲスト: 藤井太洋(SF作家)、向井領治(実用書ライター、エディター)
再構成:佐々木未来也(Concent, inc.)
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