「これからの編集者」をテーマに、さまざまな人にインタビューしていくシリーズ。第6回は、長年『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)編集長を務めた後、株式会社上ノ空を立ち上げられた、横里隆さんです。
※下記からの続きです
第6回:横里隆(上ノ空) 1/5
第6回:横里隆(上ノ空) 2/5
そういうものがあったらいいなっていう気持ちが第一
――難しそうであるにも関わらず、やろうとされているその強いモチベーションは、どのあたりから来ているのでしょうか。
横里:そういうものがあったらいいな、っていう気持ちが第一ですかね。きれいごとで言えば、そういうものは求められているはずだし、それがうまく機能するようになったら、いろんなことが解決されるのではないかっていう仮説が自分の中にはある。これが美しい動機です。もう一方では、これはちゃんとしたビジネスになるだろうという思いもあって。どこかでちゃんと利益が上がるような形に変えられるはずだと。その両方があるので、大変だと思いながらもやっていけます。そのビジネスになるだろうという勘は、ダ・ヴィンチで鍛えられたものです。ダ・ヴィンチは小さい組織だったので、基本的に数字の管理などもやっていて、絶対に赤字だけにはしないということを徹底していましたから。
――ダ・ヴィンチを長くやられている間、数字やお金のところまでご覧になられていたということですが、普通の編集者だとそこまでみないケースもありますよね。
横里隆さん
横里:大抵の場合は分離していて、編集者はいいものを作りなさい、経営の責任は上の者が持ちますみたいなケースが一般的だとは思いますが、ダ・ヴィンチは違いました。元々リクルートが発行元だった雑誌です。リクルートは基本社員全員が経営者、という教えを創業者の故・江副浩正氏が徹底していましたから、それぞれの部・課単位で人件費から諸々の経費まで考えてやっていく会社でした。そういう会社だったので、編集長が経営責任を持つというのが大前提でした。僕が編集長になったのは、ダ・ヴィンチが創刊8年目で、その時はまだ赤字だったんです。編集になった1年目、つまり8年目も赤字で、そのときに、これ以上赤字が続いたらダ・ヴィンチはなくなるっていうことを上からはっきり言われました。これはまずいと思って必死に考えて行動して、9年目にギリギリ黒字にすることができたんです。そこからはずっと黒字です。ですので、数字をどういう風に帳尻を合わせて黒字に持っていくのかということは、編集長を務めた10年間全力でやっていましたね。たとえば、今期このままで行ったら微妙に赤字になるとわかったら、急遽売れそうな本を数冊刊行して売り上げを確保する。決算月の3月ギリギリに出せば、一旦見かけの売り上げは立つから赤字ではなくなる。でも4月以降に返品になって翌年の事業数字を圧迫してしまうかもしれない。だから、むやみやたらには刊行できないけど……。そんな駆け引きもやっていました(笑)。
編集者は潤滑油のようなもの
――横里さんのTwitter(https://twitter.com/yokosatotakashi)のプロフィールを拝見したら、「雑誌の編集者を卒業して小さな会社を作りました」って書いてあったんですよね。つまり、横里さんはもう「編集者」を卒業されたということでしょうか。それとも「雑誌」を? これからやろうとしていることを、横里さんは「編集」だと思っていらっしゃいますか。
横里:ものすごく思っています(笑)。ただ編集者とは何か、っていう話は難しいですよね。編集者は作家でもなければ、読者でも、書店員でもないですよね。でもその全ての要素を持っているべきだと思っています。小説は書かないけど、実は書けるぐらいの文章力や力量を持っていて、マニアな読者に負けないほどの本読みでもあり、どうすればこの本が売れるのかってことを、書店員さん以上に分かっている優秀なマーケッターでもある。その全部を担っているのが編集者なんです。でもどれでもない。立場は曖昧ですが、そこに編集者がいることで作家は優れた作品を生み出し、書店員さんは優秀なプロモーションができ、読者はいい本に出会うことができるという、潤滑油のようなもの。それが編集者だと思います。
ただ、今まではすごくわかりやすかったのですが、紙の本が売れなくなってきている厳しい状況で、インターネットと今後どういうふうに折り合いをつけていくのかとか、電子書籍と紙の本がどうなっていくのかとか、いろんな課題が生まれてきています。今は視野を広げて、プロデューサー的な視点を持つ編集者が求められてきていると感じます。なので、現在自分が挑戦している事業創造の仕事も編集だと思います。紙の本の編集ではありませんが、広義の編集ではあると思うんですよね。これからは、編集者により広範囲なものが求められてくると思います。
編集者になりたいという思いをずっと持ち続けていたので、それさえ失わなければ全てがプラスになっていく
――プロデューサー的な視点ということでいうと、横里さんはダ・ヴィンチ時代から、それをやってこられていたように思います。
横里:やってきたというか、やらされていたというのがあって(笑)。でも本当に編集者は全部なんですよね。企画を考えたり記事を作るのは当然として、書店にも行かなきゃいけないし、POP一つにしても、営業担当者よりも作品に寄り添ってきたぶん、温もりがあるものが書けたりする。そういうことをやる一方で、数字もみなくちゃいけない。作家やスタッフの気持ちをくみ取ることも必要ですし、刊行された本に関する責任も大きい。本当に全部です。インターネットのような新たなメディアが出てくれば、それも当然理解しないといけない。電子書籍のこともわからないといけない。著作権についても版面権についても理解しないといけない。もう全部あると思います。
――ダ・ヴィンチで編集長をされていたときには、下の編集の方にもそうした指導をされていたのですか?
横里:いやいや、まずはいい記事を作りなさい、それだけです(笑)。やはり編集者として一番評価される、魅力的な記事を作る、いい本を作るところができないと、そこから先を広げていくこともできないので。いきなりは言わないです。リーダーになり、マネージャーになっていく過程で、もっと全体を見ないとだめだってことは言います。今後の編集者はこれこれこういうプロデュース能力が必要だとは説明しますが、じゃあ大学卒業していきなり編集者になった若い男の子や女の子に、プロデュース能力を求めるつもりは全然ないですね。それこそ編集を3年とか5年とかやって、次のステップという人には、編集者はプロデューサーですよ、お金のことやマーケットのことも踏まえて、商品展開していく、そこに新しいアイデアを出していかないと、今後編集者としてやっていけませんよ、って言います。だけどそれはやっぱり、基本を経た人たちでないと勘違いしてしまう。マーケット主義の偏った編集者が生まれても、それはバランスを欠いていると思います。
――このインタビューを読んでいる、編集者志望の大学生がいたとして、彼が行くべきところはどこでしょうか。出版社でいいのでしょうか。
横里:出版社はもともと狭き門で、おまけに景気も厳しくて、ますます人を採らなくなってきています。でも、もし入れるなら出版社が一番いいと僕は思います。出版社に入って、紙の本の編集の勉強をするっていうのはすごくいいことで、それをちゃんと吸収できれば、これからも大きな財産になると思いますね。如何せん、採用人数が少ないというのはありますが。
――いまどきもう出版社には入るな、という意見を言う人もいると思いますが、それに対してはどう思いますか。
横里:出版社で学べることは大きいです。紙を使った編集というのが、全てのベースになっているので、そこで学べる機会があるなら学んだ方がいいと思いますね。しかし、出版社に入るのが非常に厳しいのであれば、それだけに固執する必要はなくて、なんでもいいと思いますけどね。僕は最初、総務部に所属していましたし。総務部にいたことは、全然出版と関係ないじゃないかって言われるのですが、そんなことはありません。総務セクションの仕事は会社の中での潤滑油のようなもの。編集者はまさにいろんな要素を持ちながらかたちのない潤滑油のような存在ですから、そういう意味では同じですよね。総務部にいたときには、メッセージを発するのは作家ではなく会社経営者でしたし、それを受けるのは読者ではなく会社の現場で働く社員たちでしたが、両者をどう繋ぐのかという点では、すごく似ている。編集者にはいろんな要素が必要ですから、何一つ無駄なことはないんです。僕は編集者になりたいという思いを、総務の仕事をしながらもずっと持ち続けていたので、その思いさえ失わなければ、全てがプラスになっていく気がしますね。だから出版社に入るのが難しければ、例えば一般企業の中で広報セクションの仕事を目指してみるとか。そこでも編集技術とか、ものを表現していくということは身につきます。そういうところを目指していく方が、もしかしたら出版社を目指すよりも編集者への近道かもしれませんね。
一方で、これからの編集者が難しい課題を突きつけられていると思うのは、今や情報やコンテンツというものが自ら拡散・成長したがっている生物のようなものに進化したということです。ここ最近、急速にネットが普及して以降、情報自体が生命的に活動しているというか、生存本能を持ち始めたというか、そういうことをとても強く感じています。人間が自分の存在した証を何か残したいというのは本能的なものですが、それが情報やコンテンツ自体にもあるんだというのがここ数年の実感なんです。これだけネットが広がると情報が自ら生命を持ったかのように広がっていき、それに対して編集者はコントロールできず、成す術がありません。それをどう制御するのかっていうのが本当に難しくて。情報を調教するための鞭はないので、編集者がどう向き合っていくのかはとても大変だと思いますね。
――その「拡散したがっている」というのは例えば、違法コピーがどんどん増殖して出回っていったり、一方でソーシャルメディアで話題になって何かがすごいスピードで売れていったりする、そのマイナスもプラスも含めて、ということでしょうか。
横里:まさしく、マイナスもプラスも含めてですね。ただ全てに共通しているのは、ノーコントロールな時代だということです。コントロールすることが不可能になった時代の編集ってなんなのかということをよく考えますね。たとえば、そのひとつは「検索」だと思います。あるいはtwitterやFacebookなどのSNSもノーコントロール時代の編集機能でしょう。ある意味では、そういう仕組みを作ることしか編集にならないのかもしれない。従来の編集者が持っているスキル、僕たちが「編集」と言われて想像する編集っていうのは、どういうふうに生き残っていけるのか。難しいけれど重要なテーマですね。
――それは情報が意志を持って「拡散したがっている」という気もしますけど、一方でtwitterやFacebookという仕組みの上で、一般の人たちの「編集欲」が解放されている、ということでもありますよね。
横里:そうですね。人間誰しもが持っている表現欲求だと思います。編集する、表現するという機能は、かつては作家やライター、編集者に集約されていたものが、今では誰もが気軽に持てるようになった。でもそれだけではなく、やはり情報自体にも漠然とした意志のようなものがあるのを感じます。生き物に近い感じがしますね。
――不思議ですね、それって人が伝えているのではないのでしょうか。使っているのは人なので、人がどんどん使うから情報が広がる、というのとは違うのでしょうか。
横里:そうですけど、そうじゃない側面もあると思うんです。
――それって具体的に言えることってありますか。
横里:うまく言えないですけど、ネット全体に対して感じますよね。力を持っている、生命力を持っている情報が、ありとあらゆる方法で、増殖していくというふうになっていて。もちろん個別でみると、SNSで誰かがつぶやき、2ちゃんねるで誰かが取り上げ、複合的に繋がって拡散していくわけですが、その情報自体が、命をもって自らウイルスのように増殖しているようにも感じる。あくまで個人的な感覚ですが、そんなふうに思っています。そのときに編集者が果たす役割は何なのだろうかっていうのは、容易に答えを出すのは困難だと思います。
「第6回:横里隆(上ノ空) 4/5」 に続く(2013/07/04公開)
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インタビュアー: 内沼晋太郎
1980年生。一橋大学商学部商学科卒。numabooks代表。ブック・コーディネイター、クリエイティブ・ディレクター。読書用品ブランド「BIBLIOPHILIC」プロデューサー。2012年、下北沢に本屋「B&B」を、博報堂ケトルと協業で開業。
編集構成: 内沼晋太郎
編集協力: 名久井梨香
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