INTERVIEW

これからの編集者

これからの編集者
第6回:横里隆(上ノ空)1/5|インタビュー連載「これからの編集者」(上ノ空)

「これからの編集者」をテーマに、さまざまな人にインタビューしていくシリーズ。第6回は、長年『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)編集長を務めた後、株式会社上ノ空(uwa no sora)を立ち上げられた、横里隆さんです。

編集長10年はちょっとやり過ぎたかな

――ダ・ヴィンチ編集部には、何年ぐらいいらっしゃったのですか。

横里:ダ・ヴィンチ編集部は厳密に言うと18年半。いやもうちょっとか。18年9か月だから約19年間。その前はリクルートの総務部にいました。ダ・ヴィンチの準備室ができるときに異動してきたんです。

ダ・ヴィンチへ異動してきたときの僕はまったく編集経験もなく、もう何一つ仕事のできない、うだつの上がらない編集者でした。最初の3年間ぐらいはボロボロの雑巾のような日々を過ごしていて、それがいろんな巡りあわせで編集長になったんですから、本当に偶然というか、不思議な感じがします(笑)。編集長は2001年4月から2011年3月まで丸10年務めました。その後、去年の6月末に会社を辞めて、ダ・ヴィンチ編集部を離れました。

――会社を辞めるには、何かきっかけがあったのでしょうか。

横里:一番のきっかけは10年間編集長をやったということですね。雑誌って生き物だから、全力で時代の流れを掴んで編集長を務められるのって4〜5年ぐらいだと思うんです。それを10年もやってしまい、これ以上続けると自分の中のいびつな執着心というものが解消できなくなって、もう定年退職するまでやり続けるって言うのではないかという恐怖感があったんです。そうすると後進も伸びないし、雑誌も停滞してしまう。どこかでキリをつけて、後輩に譲らなくちゃいけないと思っていました。だから10年という区切りを迎えたことが一番大きかったですね。

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横里隆さん

編集長を辞めた後、1年ちょっとの間はダ・ヴィンチの事業部長をやっていました。事業としてのダ・ヴィンチを運営するという経営に近いポジションですが、編集長じゃなくなると、つまらないんですよ(笑)。すごく、つまらないなあと思いながら、しかし部下にあんまり口出すと、新しい編集長もやりにくいじゃないですか。それでこれからどうしよう、次のことを考えないと、と思っていましたね。会社の中で新しいことを始めるより、せっかくなら自分で最後の挑戦をしてみようと思い、辞めました。

――事業部長のときは、具体的にどんなことをしていらっしゃったのですか。

横里:ダ・ヴィンチ本誌に関しては、基本的に見守るだけ。それ以外にも「自分で仕事をつくらなきゃ!」という思いがあって、ダ・ヴィンチ電子ナビという、電子書籍に関する情報発信サイト&アプリを並行してやっていました。それ以外は経営まわりの仕事ですね。事業がうまくいくのかとか。もちろんそれも大事なことですが、ちょっとつまらなくなっちゃって(笑)。

その頃、メディアファクトリー自体にも大きな変化がありました。リクルートから角川に株が売却され、角川グループに入りました。それが一昨年の秋頃。角川のことで辞めたのではないかって言われることもありますが、それは関係ないんです。それよりも、自分がどのタイミングでダ・ヴィンチを離れるのがベストなのか。僕にとっても、ダ・ヴィンチにとっても、残される部下たちにとってもいい形で離れる方法を、ずっと考えていたんです。

辞めることが前提で、何をするか考えていなかった

――会社を辞められて「上ノ空」を立ち上げるのにも準備が数か月かかったのでしょうか。

横里:辞めて3か月経ってですね。とにかく辞めることが前提だったので、どんな事業をするかっていうのは、全然考えてなくて。辞めてから、どうしようかと考えていたんです。会社をつくることも決定していなかった。とはいえ働かなくては生きていけないので、「こんなことをやりたいのですが、どうですか?」といろんなところに声をかけていました。その動きをしているときに、ある案件が動き出して、これは組織を作らないとだめだなって思ったんですよ。それで会社を立ち上げたのが10月1日。

しかし会社を立ち上げる具体的なきっかけになったその案件は、一年近く経った現在も形にはなっていません。簡単に言うと、新しい雑誌をつくる、紙の出版のプロジェクト。そのためには編集部を作らないといけないということもあって会社をつくったのですが、その後いろいろとあって、そのプロジェクトはスピードダウンしてしまいました。まだ消えてしまったわけではないのですが、実現するとしてももう少し先になるでしょうね。今は、佐渡島さんが立ち上げた会社「コルク」のようなストレート直球のエージェントとは違う形で、クリエイターを応援していくエージェント的な仕組みを作ろうと考えているんです。

「大きい100万部」と「小さい100万部」

――そのような噂を耳にして、今回こちらにやってきました。改めて伺いたいのですが、「上ノ空」という会社で、横里さんはなにをされたいのでしょうか。

横里:クリエイターや作家、いろんな表現者の方たちを応援していきたいというのが、一番の思いです。根底の部分では、佐渡島さんのエージェント会社と志は一緒だと思います。ところがやり方は違っていて、僕は、クリエイターの方たちの状況を打開できる仕組みを作って、それを一緒にやっていくという方法を考えています。

僕はダ・ヴィンチで国内向けの情報発信をずっとやってきました。これは自分なりに、いろんなやり方でやりきった感があるんです。次にやりたいと思っているのは、海外向けに日本のコンテンツの面白さを広げていって、海外にいる日本のコンテンツのファンに、いろんな情報を与える仕組みを作っていくこと。それが実現すると、今の右肩下がりの出版業界や、なかなかうまく浸透しない電子書籍の状況が打開できるのではないかと考えているんです。クリエイターや作家の方たちが、新たな活躍の場や収入源を確保できれば、いいサイクルが生まれてくるのではないかと。そのためにサイトを立ち上げて、ネットを使った情報発信の仕組みを作ろうとしています。現在はそれと並行して、「こんなことをやりたいと思っているのですが、なにかお手伝いできることはありませんか?」と、いろいろなところに声をかけているところですね。

 

――日本のクリエイターや作家が行き詰っている、その状況を打開しなくてはならないと思われるようになった、直接的なきっかけというのはあるのでしょうか。

横里:なにかきっかけがあったのではなくて、ダ・ヴィンチをやりながらずっと感じていたことなんです。ダ・ヴィンチが創刊された1994年というのは、まだ出版業界が構造不況に陥る前でした。活字離れは言われていましたが、今みたいな急激な落ち込みはなくて。そこからスタートしたので、やるにしたがって、どんどんいろんなことが厳しくなってくるんですよね。そのうち電子書籍という一つの救世主のようなキーワードが登場したにも関わらず、なかなかそれも突破口にはならない。漫然とした閉塞感みたいなものをずっと感じていました。ダ・ヴィンチをやっていて常に思っていたのは、読者を一生懸命かき集めて成り立っているメディアだということなんです。

読者をかき集めている、ということの閉塞感を説明するのにいい例があります。「大きい100万部」と「小さい100万部」という話。これは友人でもある講談社モーニング編集長の島田英二郎さんが「昔の漫画は大きい100万部だった。今の漫画は小さい100万部だ」と言っていて。僕は「100万部は同じ100万部じゃないの!?」と聞き返したのですが、彼は「全然違う」と。「大きい100万部というのは、一般の人たちが、面白そうだと集まってくれた100万部。昔はそういうものが多かった。漫画を読まないような人たちもその漫画は読む。ゆえに100万部になった。最近の100万部は、漫画が大好きなコアなファンが集まってようやく達した100万部。だからこれは小さい100万部」だと。

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どっちにしても100万部はすごい数字です。しかし大きい100万部はより大きく広がっていく可能性を持っていますが、小さい100万部はそれ以上は広がりづらい。後者は閉じた世界で一生懸命かき集めた100万人だから、もうそれ以上広がるポテンシャルはありません。そういう意味での「大きい」「小さい」ということなんです。

繰り返しになりますが、かつてのベストセラーは世間一般のいろんな人たちを読者として集めて大きい100万部を形成していました。それはうまくいけば200万部にも300万部にも化ける可能性を持っています。一方で、あらかじめその世界(ジャンル・作家・作風)を支持する濃いファンたちが集まって小さな100万部を生み出すこともあり、昨今はそういうヒット作が増えてきました。「ライトノベルのこの作風が好き」とか「他の本は読まないけどこの作家だけは全部読んでる」という人たち、いわゆるコアマーケットでありマニアマーケットです。そうした読者が集まって100万部を形成していると、拡大する可能性が少ないというか、広がりに限界がある。このオタク層・マニア層の人たちは、魅力的なコンテンツを提供すればしっかりと反応してくれて買ってくれる、すごく大切な顧客なのですが、そこに向いているだけでは変化や広がりは生まれにくい。ダ・ヴィンチも同様で、本が好きという限られた読者をかき集めて何とか成立しているだけでは限界があります。その課題をずっと考えていました。

また、その課題をクリアするような新しい仕組みを考えて事業化するときに、現在ダ・ヴィンチで頑張っている後輩たちとカニバってしまうようなことはやりたくないな、とも。海外に向けての仕組み作りということであれば、彼らとぶつかることはないし、もしかしたらいつか連動できることがあるかもしれない。それらが動機になっていますね。

 

――最初から大きい100万部を目指そうとすると、コアなファンよりマスを狙うということになる。マスを狙えば狙うほど、本当に好きな人たちが遠ざかってしまうという難しさがあると思うのですが、その辺はどのようにお考えでしょうか。

横里:閉じた世界の中で縮小再生を繰り返していくと、それは将来的には消滅していくだけだと思います。だからといってマスを狙うというのはちょっと違っていて、決してマスは狙わなくていいのです。僕が大事だと思うのは、広がりの可能性であり、期待感です。マスを狙わなくても、それらを生み出すための仕組みづくりができればいいと。それは国内だけだと、なかなか難しい。海外マーケットは巨大ですからマスと思われるかもしれませんが、海外マーケットにおける日本コンテンツファンは所詮ニッチな存在に過ぎません。そこを狙っていきます。ニッチでも集めることができれば、やはり巨大ですから、広がりの可能性を孕んでいます。

また、海外のマーケットに向けてアプローチしていくことが、結果的になにか新しい化学反応に繋がっていくのではないかとも考えます。たとえば、価値観が違う国々へのアプローチの中で、日本ではあまり受けなかったものが受けるということもあるでしょう。そういう異なるカルチャーを持った人たちが、さまざまな作品を評価して、世界に広がっていくということもあるかもしれない。谷口ジロー氏は日本でももちろん評価されているし、大御所漫画家ではありますが、日本での評価以上にフランスで受けているということが起こっています。そうすると逆輸入されて、「谷口ジローってフランスでメジャーになっているらしいから読んでみよう」というふうに日本に戻ってくる。こういうことがもっと起こると面白いですよね。

「第6回:横里隆(上ノ空) 2/5」 に続く(2013/07/01公開)

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インタビュアー: 内沼晋太郎
1980年生。一橋大学商学部商学科卒。numabooks代表。ブック・コーディネイター、クリエイティブ・ディレクター。読書用品ブランド「BIBLIOPHILIC」プロデューサー。2012年、下北沢に本屋「B&B」を、博報堂ケトルと協業で開業。

編集構成: 内沼晋太郎
編集協力: 名久井梨香


PROFILEプロフィール (50音順)

横里隆

株式会社 上ノ空/uwa no sora 代表取締役 1965年愛知県まれ。信州大学卒業後88年(株)リクルートに入社。93年より書籍情報誌準備室(現ダ・ヴィンチ編集部)を経て、ダ・ヴィンチ編集長。その後『ダ・ヴィンチ』が(株)メディアファクトリーへ移管されるのにともない転籍。2012年に起業し現在は、株式会社 上ノ空/uwa no sora 代表取締役。社名の由来は、平安時代に“空のもっと上”を意味していた「うわのそら」から。空の彼方まで人々の気持ちをさらって「うわのそら」にする浮遊力のあるコンテンツの開発を目指している。