INTERVIEW

これからの編集者

これからの編集者
第8回:西田善太(ブルータス編集長)5/5|インタビュー連載「これからの編集者」(ブルータス編集長)

「これからの編集者」をテーマに、さまざまな人にインタビューしていくシリーズ。第8回は『ブルータス』編集長、西田善太さんです。

※下記からの続きです。
第8回:西田善太(ブルータス編集長) 1/5
第8回:西田善太(ブルータス編集長) 2/5
第8回:西田善太(ブルータス編集長) 3/5
第8回:西田善太(ブルータス編集長) 4/5

好きなものを持っているやつっていいよね

――今も、やっぱり編集者になりたい、って若い人は少なからずいると思うんです。

西田:マガジンハウスに今年3人新人が入社しました。最初は業務系に配属されるのが通例なので、あまり面識はなかったんだけど、先日「飲み会」を直訴されたので、3対1で飲みに行きました。僕、「元気をもらった」「勇気をもらった」っていう言葉が大嫌いなんですけど、元気をもらっちゃったんですよ(笑)。雑誌を読み込んでいるやつは愛おしいですね。『ブルータス』の朝食特集を読んで、大学院に進学するのを辞めて入ってきた子がいますけど、ああ、編集っておもしろいよな、そうだよな…と優しい目になっちゃいます。

――そういう若者は今、何をしておいたらいいと思いますか。いまこれを読んで、自分も編集者になりたいと思っているような人に対して、アドバイスをするとしたらなんでしょう。

西田:まず広い意味でのアドバイスをするとすれば、さっきも言いましたけど、「説明力さえあれば80点の編集ができる」ということを意識しておいてほしいです。職能の違う人に、自分のイメージをそれぞれ説明の仕方を変えつつ、コアな部分はしっかりと伝えなきゃならないのが編集者の仕事。それぞれが力を発揮しつつ、最後にそれらをがっちゃんこするときに一つの特集にするためには、一つの方針を相手によって説明の仕方を変えて伝えなきゃならない。伝えたいことと伝わることとは違う、ということを認識して、どう伝えれば一番わかってくれるんだろうという力を徹底的に磨くのが、いいと思います。むかし、自分が1枚にまとめた企画書とか、海外に送った大事なFAXとかいくつか保存してあるんですが、今見返すと、自分ながらに「うまいな」って思ったりするんですよ、あざといとこもあるけど。「この企画はこう思って下さい」ってまずイメージを伝えて、それから具体的に良い例、悪い例を挙げていくっていうのをやったりするんですけど、実際、その通りの企画に仕上がっていくんですね。色んな才能の自由度に任せて編集していくっていうやり方もあるけれど、僕は比較的「枠」をしっかり作るタイプの編集者なので。説明が80点。残りの20点は、才能と運。才能や運はどんな仕事をするのでも大事なことですけど、どうしたら身につくか…説明がうまくできない(笑)。

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西田善太さん

次に『ブルータス』に関して言えば、好きなことをとにかく見つけること。見つけるものじゃなく、なんかメラメラと湧いてくるものかな。「好き好き好き」と思って、他人の目をみてそれを訴えられるような強い思い入れを持ってくれると、僕は簡単に折れちゃいますね。揺らがない自信みたいな、これだけは譲れない、みたいな。そういうものを持っているやつがいいです。編集者としては未熟でも、そいつが好きなものについて延々と語っているようなときは「やっぱコイツいいな」とかって思っちゃうからね。

ただ、もっと辿ると、なんかこういうふうに編集が技術論として語られ、編集の未来とかをWEBで語るような時代っていうのも、ちょっと嫌だなと思えてきました(笑)。昔の雑誌編集なんて、「なんか面白そう」っていうことで入社してきた、変な人たちの溜まり場だったんじゃないかな。全然働かないような人もすごく大事でさ。一旦家に帰っても、なんか面白そうなことがあるかもしれないって思って、また編集部に戻ってきちゃうような時代だった。喧嘩とか大笑いとか、なにかしらの事件が必ず起こる場所。混沌としてよくわからない世界だったんだと思います。でも僕らの世代になって、成熟化というか、だんだん仕事のシステムが整ってきたら、破天荒な人たちはどんどんいなくなってしまいました。「めちゃくちゃだったあの人とかこの人にいてほしい」と心から思っているわけではないけれど、今こうやって、自分の仕事を整理して話していると、何やってるんだろ自分…と思っちゃったりして。『ポパイ』や『ブルータス』を創刊した木滑吉久さんは「いいデザイナーと編集長だけいれば雑誌は作れる。雑誌は町工場でいいんだよ」といつも言います。その感じ、よくわかるんです。システムは作らなくちゃいけないけど、心はいつでも「町工場」。つまり世情を見て小回りが効く、目ざといチームというのが理想なんですよね。

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最近思うのだけど、今は、若手たちの不安を煽るような本が多い気がします。興味の上前をはねるような。もちろん中には、質のいいものもあるけれど、本を読めばうまくいく、ノウハウが載っているからうまくいく、みたいなことはないはずなのに。かくいう自分も中学生のときにデール・カーネギーの『道は開ける』と『人を動かす』の2冊を読み込んだりしたけれど。『道は開ける』で悩みを克服し、『人を動かす』で人を動かすことを学べばよし…みたいな。ちなみにカーネギーのことは矢沢永吉『成り上がり』に書いてあったから買ったんです(笑)。

仕事をしていて、実際に僕の力になっているのは、ノウハウ本では絶対にないんですよ。もちろん『ブルータス』だって、特集「真似のできない仕事術」「あたらしい仕事と、僕らの未来。」みたいなのも出してます。だけど、うちの新人たちに「元気をもらった」のは、朝食特集に人生を変えられたっていう子がいるほど、雑誌はある人たちに対してはまだ、力を持っているんだなって思えたからです。なぜなら朝食特集は、2011年の震災のあとに組み替えた特集だから。不安な状況にいるからこそ、1日のスタートだけはしっかりしよう、いい朝食、自分らしい朝食だけは手に入れよう、と担当を説得して作った号なんです。だからすごくうれしかったんです。そのうれしさは忘れないようにしていたい。リチャード・バックの『イリュージョン』っていう本に、こういう一節があります。

「ただ本をひらけばいい。そこが、きみにとっていちばん必要な箇所なんだよ」
「不思議な本だ!」
「いいや、どの本でも、そうすればいいんだ。じっくり読みこめば、古新聞でも、同じことができるさ。こういう経験をしたことがないかい、なにかに悩んでいたとき、手近にある本をひらいて、そこに書かれていることに教えられたことが」

これは、本そのものに力があるのではなくて、すべては読み手にかかっている、ということを明示しているわけですよね。読む人に受け入れる力があれば、どんな本のどんなページのどんなフレーズからでも答えを導き出せる! だから僕は、常々、読んでいる人の方が偉いと思っています。読み手のリテラシーが高くて、その人が本に価値をみつければ、作り続ける意味はあるのかなって。

――ただ、そういう若い人たちの不安を煽るような本ばかりが出ている中で、そうした「読む人の力」が、なかなか育ちにくくなっているのではという懸念もあります。

西田:そうだね。僕が大学時代には友人から「読書って趣味だから。特技じゃないから」とか、「本の話ばかりするな」とか言われたりしていて。けれど、今は読書ってもはや、ちょっと「特技」になってしまったような気はします。本を読まなくても生きていけるし。「世の中には2種類の本しかない。読まなくてもいい本と、読んだらロクなことにならない本だ」という名言も、どこかで読んだことがあるけれど。同時に、本は死んでしまった人と話ができるものですよ。山本夏彦さんの言葉そのままですけれど、僕は本を通して何人もの人と友達になれたし、こんなに素晴らしいものは他にないな、と思うんです。

もちろん僕も「本だけがあればいい」とは思わない。僕自身もソーシャルで、いろいろ書き込んで遊んでいますから。Twitter、Facebookとか試してみたけれど、今の気分はInstagramになっている。インスタは写真とキャプションだから、あれが一番、雑誌編集者に向いています。思ったことをつぶやくより、数枚の写真で自分の1日を表せる。写真のつらなりが「文脈」で、写真のエフェクトが「文体」だな…と定義してみたり。どんな写真が一番ひっかかるかというと、結局食べ物なんですよね。どうして食べ物だと「いいね!」が多いかよく考えたんだけど、やっぱり食べ物だけは再現性があるっていうことかな。食べ物だけは追体験できる。たいしてうまくない写真なのに食べ物だと、皆こぞって「いいね!」「いいね!」と押す、この不思議さ。話がそれちゃったけど、そういうメディアの変化を見ていくのも嫌いじゃないです。雑誌、ラジオ、映画、テレビ、ウェブ、SNS…というメディア、容れ物、通り道の変化は誰にも止められない。編集者はそういう流れは自分なりにおさえながら、編集の力を磨いて、おもしろがっていくのでいいと思ってます。
(了)

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インタビュアー: 内沼晋太郎
1980年生。一橋大学商学部商学科卒。numabooks代表。ブック・コーディネイター、クリエイティブ・ディレクター。読書用品ブランド「BIBLIOPHILIC」プロデューサー。2012年、下北沢に本屋「B&B」を、博報堂ケトルと協業で開業。

編集構成: 内沼晋太郎
編集協力: 名久井梨香


PROFILEプロフィール (50音順)

西田善太

1963年生まれ。博報堂のコピーライター職を経て1991年マガジンハウス入社。『ギンザ』編集部、『カーサブルータス』副編集長を経て、2007年12月より『ブルータス』編集長。