INTERVIEW

これからの編集者

これからの編集者
第8回:西田善太(ブルータス編集長)4/5|インタビュー連載「これからの編集者」(ブルータス編集長)

「これからの編集者」をテーマに、さまざまな人にインタビューしていくシリーズ。第8回は『ブルータス』編集長、西田善太さんです。

※下記からの続きです。
第8回:西田善太(ブルータス編集長) 1/5
第8回:西田善太(ブルータス編集長) 2/5
第8回:西田善太(ブルータス編集長) 3/5

雑誌をすみずみまで読んで強烈に影響された原体験

――honeyee.comでの菅付雅信さんとの対談の最後も、WEBの話になっていました。西田さんは「僕らがかつて雑誌をすみずみまで読んで強烈に影響されたというような原体験を、WEBマガジンでも体験している人が今いるなら、それは面白いと思います」とおっしゃっていて、暗に西田さんは「いない」とおっしゃっているのではないかと受け取りました。僕、それについて考えてみて、人気モデルのブログとか、自分にとってのアイドルのような人のブログだけは、唯一の例外かもと思ったんです。そこにはある種の熱があるかもと思ったのですが、基本的にはやはりWEB上のコンテンツにはそういう濃密な、当時の雑誌のような影響を与えるコンテンツはない。WEB上で人が熱狂しているのは、コンテンツではなくコミュニケーションなんですよね。

西田:自分らの70年代、80年代の前半は、要はWikipediaもない状態でものを語らなきゃならなかった時代です。記憶のアウトソーシングができないから、自分で覚えておかなきゃならないし、物知りだなって言われるためには…言われたかったんですけど(笑)、前後も含めて知っておかなきゃいけない。『ブルータス』の尊敬すべき大先輩に、「とりあえず全部のことに対して、何かは言えるようになっておけ」とよく言われました。編集者として…というより「男の作法」として。でも若造にとってその課題は、嬉しいわけですよ。ナニカを知ることがそのまま仕事になるのだから。例えば建築なんて何も知らなかったのに、90年代半ばに建築の担当になって、本や雑誌を読み、建築を実際に見て、建築家と話してみる…と繰り返しているうちに、『カーサ ブルータス』が生まれ、いろいろ凡ミスもしながらやがて、建築家に「この建築、どう思います?」と聞かれるようになる感じは、編集者という曖昧で不確かな仕事の不思議な魅力ですよね。専門家でもないけど、普通の目線でもない、つなぎ役としての醍醐味みたいな。

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西田善太さん

菅付さんとの対談で「雑誌を読む原体験」の話をしたのは、今は「そういう経験がない」と言おうとしたわけではありません。自分たちはその濃密な原体験をなんとか再現しようとして作っているという、作り方の土台の話です。77年『ポパイ』第18号はシェイプアップ特集で、シェイプアップという概念を初めて日本に持ってきて、腕立て以外の運動があるということを僕らに教えてくれた。中学生だった当時の僕は、ボロボロになるまで読んで、必死にトレーニングをする。腕を太くするにはこうやればいいんだって、わかってくるこの感じ。あの感じを今、生み出すとしたらどうすればいいか、というのが原動力になっている。僕や菅付さんの世代の人間は、あの頃夢中になって読んだ、わくわくするあの感じを思い出せるから。作る内容や見せ方は全部変わって行っていいんですよ。少なくとも現代の十代は、僕の頃と同じような受け止め方では本、雑誌を読んでいない。それはわかっていて。だからしつこく、学生に「好きなものをみつけな、”好き”は才能だよ」と繰り返している。別に雑誌じゃなくても、なんかにガツンとやられたり、いっとき傾倒して深みにはまったり、の経験、原体験は、歳を重ねたあとになかなかいい「エンジン」になるよ、ということです。結局「好き」がないと、この仕事はできないもんです。

――僕も感じるんです。若い子がわくわくしていない感じというか。「何かを知りたい」って思っていないのではないかと。先ほど、西田さんは「雑誌それ自体の未来に関しては、自分の力は及ばないので、考えてもしょうがない」とおっしゃっていましたが、でもそうした状況に対して「まずいな」という気持ちはありますよね。そういう「あれも知りたい、これも知りたい」っていう気持ちになるようなものを届けられたらいいな、というもやもやは、僕も本の仕事をしながら、ずっと抱えているというか。

西田:わかりますよ。「すべてを一瞬たりとも見逃したくない」っていう好奇心が、かつての自分らを支えていたわけじゃないですか。何もかも新鮮だったから、入ってくるものを何でも見てやろう、という。数年前、すごくびっくりしたのは、今の10代の子たちに「スター・ウォーズ」を見せても、途中で寝るっていう話。「スター・ウォーズ」を初めて観るのに、退屈しちゃうんだよね。やっぱり今の映画と比べて、映画のスピード感が遅いからなのかな…と、その話を表現研究者の佐藤雅彦さんにしたら「刺激っていうのは、個人じゃなくて社会に溜まるものです」と言われて、とても納得した。考えるに、既に世の中に「スター・ウォーズ」的な刺激は蔓延しているんですよね。インパクトが強かっただけに、形を変えて、小さな表現の中にも入ってきちゃったから、もう本家本元を見ても「わあ!」ってならないわけです。僕らがかつての雑誌に受けたような刺激も同じで、既にいろんなところで再現されている。今の若手はメディアとの接触機会も多い。その中にそうした刺激がちりばめられているので、ある程度の刺激には慣れきっている。消費のサイクルが早くて、飽きちゃうのもあっという間。でも、こういう状況を「昔はよかった」「不幸だ」とかいう権利は、こちらには全然ないからさ。僕が菅付さんと話していたのは、彼らが僕らと違う地平でそういう原体験を持ってくれるといいな、っていうこと。彼らの気持ちにはなれないから、「ない」「いない」と言うつもりはまったくないです。でもそれって何だろうね?

――いま若い人がコンテンツに熱狂することがあるとしたら、唯一ありそうなのは、自分にとってのアイドルのような人のブログとかでしょうか。あとは驚きがあるとすれば、やはりコンテンツそのものというよりも、参加型コンテンツのコミュニケーション設計の部分かもしれない。「こんなふうに届くんだ!」とか「こんなふうに動くんだ!」というところには、まだ少し原体験になる刺激が生まれ得るような気がします。あとはやっぱり、生のライブですよね。少なくとも3D映画とか4kテレビとかから生まれてくるのではないように思います。

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編集で大事な部分

――B&Bで行われた東京編集キュレーターズのトークで、編集で大事な部分は「その場にいたい」「この目で見たい」「誰彼かまわず話したい」「そしてウケたい」の4つだとおっしゃっています。正直、僕はこれが、わかるようでわかっていないのですが。

西田:「その場にいたい」っていうのは、ライブや展示などの一過性、刹那的なイベントに関しては、その時その場所に実際に体を動かして行くしかない、いるしかないってこと。何かが起こりそうなところへの好奇心と勘所。「この目で見たい」というのは、街の情報とかでも、二次情報ではなくて、実際に確かめに行くといろいろわかる、よりおもしろくなるという話です。「NYはブルックリンがキテル!」て言うけど、実際に行ってみると、あの隣人同士でも盛り上げてる感じが位置関係とか人間関係でイキイキと見えてきて、今までとは違って目線であの土地を見ることができる。直に触れて、まがりなりにも自分の言葉で語れるのが編集だと言いたい。要は、「好奇心を人任せにしてはいけない」ってことです。なんとなく周りから漏れ聞く話だけで、次から次へと新しい物へ行ってしまうと、何にも残らないよってこと。「あのとき、たしかに俺はこれがものすごく好きだった、夢中になって見ていた」っていう記憶を、自分の体に入れないと。通りすぎていくばっかりだとだめだよ、と言いたかったんです。「誰彼かまわず話したい」というのは、説明力の部分。あのトークも「説明がうまければ80点の編集はできる、とブルータスは語る。」というタイトルにしたけど、ここが、編集では一番大事であるというのは常々言っています。「そしてウケたい」わけです。面白おかしく話をしていくのが、僕たちの仕事だから。そのために、表現の順番や枠組みを変えていくわけです。

――たとえば若い、これから編集者になりたい人が、願わくば『ブルータス』に入りたいと考えているとしたら、その人に求める要素もその4つでしょうか。

西田:本来、「雑誌というのはこうやって作る、ということがわかった上で、『ブルータス』はこんな違うんだ…と驚いてもらわないと。最初からこれだと思っていると、歪んじゃうかもしれない(笑)。ふつうの雑誌と違って、自分の担当の号が明確になるので、あいつの号が売れたとか、あいつの号は面白いという差も、はっきり見えてしまうから緊張感があります。でもね、その緊張感が一番大事な気がします。昔「ページを勝ち負けで語るのはだめだ」と言われたことがあるけど、でも僕は「あのページには勝ったな、負けたな」とかは若手の頃、よく思っていた。負けたと感じるときは打ちのめされてたし、「こういう解決方法があったのか!」ってメモする感じ。タイトルひとつから、レイアウト、ページネーションとか、自分が思いつかなかった、自分が到達できなかったのを見つけると落ち込むけど力になる。昔から「こういう風にやれば、このページは他の連載に勝てる」とか説明していたから、僕は嫌なやつだったんですよ。今となっては、自分のその勘違いぶりも許してあげたい(笑)。

――今でも編集長として、結構おっしゃったりするのでしょうか。「これじゃこれに負けているよ」とか「もっとこういう風にしなくちゃ勝てないよ」とか。

西田:いや、部員に対してそんな煽り方はしませんよ(笑)。明らかに、うまい下手はありますけどね。でも下手だけどいい号を作ったなって思う時はあるし。そもそも下手な状態で世に出ないように補正するのが僕の仕事。なるべくなら、僕をあっと驚かせるようなものがあればいいなと思います。そういうのがポロリと生まれちゃうような環境を作っていかなくちゃね。10数年前、『カーサ ブルータス』の創刊時は35才前後が数人で毎日ケンカみたいに作ってました。今思えば、だいぶ好き放題させてもらっていたなと思う。僕らの責務は、その感じをなんとか再現したい…けど、あれは作ってできる雰囲気じゃないか(笑)。

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――西田さんご自身が、文章の一言一句まで修正を入れたり、レイアウトはこうしたほうがいいと変えたりなど、いわゆる技術的な部分にも細かい指示を出されることもあるのですか。

西田:僕は「一番大きいところと、一番細かいところ」をしっかり見ます。全体の構成を通しで読みながら、流れを確認して。それが大きいところ。今度はすっごく細かいところ、キャプションの位置関係とか表現の部分。レイアウトに関しては、もう最初の打ち合わせで基本的に全部FIXします。デザイナーの桜井高章さんは、僕らの仕事を3割増しのおもしろさにしてくれる。レイアウト会議は全体の構成確認なんですが、桜井さんと僕は気がつく問題点が共通しているので、すごく頼もしい才能です。ここ問題だよね、って話しかけるのはまずデザイナーの桜井さんです。僕が一番チェックするべきことは、わかりにくいところがないか、っていうこと。少人数で1冊丸ごとやることのデメリットは、その特集テーマに対して知り尽くしてしまうので、初出の単語が出てきても「わかってるでしょ」みたいになりがちです。特に特集後半になると、みんな最初の気持ちを忘れて入り込んじゃっているから、勝手に専門用語で切り出してしまったりする。そこをチェックするのが僕の仕事。この写真、説明が足りないよとか。読み手が離れていかない程度のぎりぎりで、情報をはしょり、詰め込む調整というか。編集技術的な話ですけどね。

――でも西田さんは人前で、そうした細かな技術の話をあまりされないですよね。技術は後から学べばいいということでしょうか。

西田:技術の話を学生にしても仕方がないですから。しかも、文章の直しなんて、どの雑誌の編集長もやっていることですよ。雑誌によっては、もっと細かく入り込んで、写真選びまでやり直して、アザポジまで全部見るという編集長もいます。僕はといえば、自分が若手の時にやらせてもらってきたことを、なぞっている感じです。「自分で決めて、自分で組む」。皆、自分で決められるけど、迷いが出たときには質問に答える。そこは的確にできるようこちらも神経をはっておく。理想は、間違いようのない方向性を最初決めて、できあがってきたら微調整する。大げさに言えば、打合せは最初の5分と、終わりの5分がいちばん大事。僕は一番見るべきところを見ている、というふうでありたい。あとは本当に好きなように作ってもらえればいいし、編集それぞれ自分が作った号だと胸をはれるようがんばればいい。

「西田善太(ブルータス編集長) 5/5」 に続く(2013/07/26公開)

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インタビュアー: 内沼晋太郎
1980年生。一橋大学商学部商学科卒。numabooks代表。ブック・コーディネイター、クリエイティブ・ディレクター。読書用品ブランド「BIBLIOPHILIC」プロデューサー。2012年、下北沢に本屋「B&B」を、博報堂ケトルと協業で開業。

編集構成: 内沼晋太郎
編集協力: 名久井梨香


PROFILEプロフィール (50音順)

西田善太

1963年生まれ。博報堂のコピーライター職を経て1991年マガジンハウス入社。『ギンザ』編集部、『カーサブルータス』副編集長を経て、2007年12月より『ブルータス』編集長。