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まちづクリエイティブ 寺井元一×西本千尋×小田雄太 アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方

まちづクリエイティブ 寺井元一×西本千尋×小田雄太 アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方
第2回「『アソシエーションデザイン』とは何か」

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第2回 「『アソシエーションデザイン』とは何か」

 こんにちは、まちづクリエイティブがお送りする、アソシエーションデザイン第2回です。前回は、まちづくり=「つづく世界」をつくることのために重要な手法として、アソシエーションデザインに触れました。
 
「つづく世界」、すなわち自分より後にやってくる人たちがいる世界で、その人たちが経験することは私たちが経験してきたようなものとは全く異なる新しいものかもしれない。そんな私たちの一生を超える「つづく世界」をつくるとは、一体どういうまちづくりになるのでしょうか。
 
 
▼中間領域のデザイン
 
 はじめに「アソシエーションデザイン」の全体像から、お話させてください。ここはとても大切なところです。
 まず、「アソシエーションデザイン」がよって立つ柱のひとつに、個人と国家をつなぐ「中間領域」が重要であるという考え *1 があります。NPOなどの重要性を説く民主党の「新しい公共」などの政策も基本的にこの考えを引き継ぐものでした。
 ところで、なぜ、個人と国家をつなぐ「中間領域」が重要なのか。「中間領域」などつくらず、国家が個人の自由、生命、財産を保証してくれさえすれば、個人はその中で自由に行動できてハッピーじゃないか、そう考える方もいるかもしれません。
 だけれど、まちづクリエイティブは、実は個人は国家に多くを任せきることで、自由に行動できてハッピーになるとは限らないと考えます。理由は、個人、ひとりひとりは小さく無力のため、自然に強い権力を持つ政府に頼ってしまう。おそらくそうしたほうが楽であるとか、そうしたほうが合理的だからです。ただし……そうしていると、はじめは、国防などの安全保障だけをやってもらっていたかったのかもしれないけれど、だんだんに私たちの日常の些事にまで、政府の規制が行き渡るようになります。例えば、古い家を改装してレストランにするとか、道路にオープンカフェを出すとか、クラブでダンスを踊るとか、レバ刺しを食べるとかについてまで……生活の隅々まで及ぶ様々な規制を受けることになります。そして、そういった様々な規制を変えることは残念ながら、個人には「ほぼ困難」に近い状態です。
 このような状況を踏まえ、私たちは、国家へこれ以上要求するのではなく、中間領域における、個人の自律性や自発性、対話や他者とともに行う活動(「アソシエーション」)が大切で、それこそが「つづく世界」のためのまちづくりの鍵となると考えました。これが「アソシエーションデザイン」の基礎となる概念です。
 
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▼日本における「コミュニティ」の概念
 
 さて、「アソシエーションデザイン」も依拠する、個人と国家をつなぐ「中間領域」が重要であるという考えをみてきましたが、日本ではこの「中間領域」に必要だとされたのは「アソシエーション」ではなく、「コミュニティ」という言葉でした。もちろん、両者は地域の活動では絡み合うことも多いけれど、概念的に両者は全くの別物で、ほぼ正反対の性格を持ちます。
 我が国で「コミュニティ」が施策化されたのは1969年 *2 といわれています。戦中から政府の末端組織を担ってきた自治会、農村集落共同体といった「コミュニティ」は、戦後、政府の末端組織から、住民自治の組織に変化を遂げた(ワープした)とされています。しかしながら、高度経済成長時代、都市においても農村においてもその「コミュニティ」は大きく変容し、衰退していき、政府の末端組織としても、住民自治の組織としても力を失っていきました。
 それをなんとかしなければならないとして、「コミュニティ」再生の施策が打ち出されました。そして盛り込まれたのが、「アソシエーション」の要素を取り入れた、開かれた「コミュニティ」の概念です。従来の閉鎖的で不自由な要素を持っていた「コミュニティ」に、自発的で自由な「アソシエーション」の要素を混ぜて新生させようと試みられました。
 それ以降、日本ではたとえ「アソシエーション」の重要性を指摘した書物であったとしても、自動的にその「アソシエーション」を「コミュニティ」と置き換えて、読まれてきました。このように「アソシエーション」と「コミュニティ」という全く別物を混在させてきた結果、私たちは両者の違いへの理解なく、どう接続させたらいいのかわからず、「協働」や「連携」という言葉を多用するようになりました。国家と個人の間で自由で自発的で、国家に依存しきらないための「アソシエーション」が、国家の企てである「コミュニティ」再生に回収されていった結果、日本における国家と個人の間の中間領域では、元来の意味においての「コミュニティ」(地縁共同体)の再生も、「アソシエーション」による自発的な民主主義の耕しもうまくいかず、国家がどんどんでかくなって、個人は豆粒みたいに無力で小さくなりました。
 だから私たちは今、「アソシエーションデザイン」をうたいます。
 
 梅雨入りです。ハモの美味しい季節となってきました。
 
 次回は「コミュニティ」と「アソシエーション」の具体例についてみていきます。また、元気にお会いしましょう。
 
 まちづクリエイティブがお送りしました。
 
[アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方:第2回 了]
執筆:アップルパイペロリ
 
 

*1:個人と国家をつなぐ「中間領域」が重要であるという考え:
フランスの貴族であったド・トクヴィル(1805〜1859)は、アメリカを視察し、フランスのような中央集権国家に依存するのではなく、自発的に人びとがつくるアソシエーションの重要性を強く指摘した(トクヴィル著・松本礼二訳『アメリカのデモクラシー』第1・2巻上下、岩波文庫)。また、ドイツの哲学者ハーバマス(1929〜)は、17世紀〜18世紀の主に英国に着目し、政府に対して「市民的公共性」の台頭を描く一方で、現代社会において、市民が自由闊達に対話することなく、単に公共政策の受益者となってしまったことを批判した(ハーバマス著『公共性の構造転換』未来社、初版1973年/第2版1994年)。日本でいえば、福沢諭吉(1835〜1901)。国の独立には国民の精神の独立が必要であると説き、国民の積極的な熟議、「多事争論」の重要性を指摘した(福沢諭吉著『文明論之概略』岩波文庫、1962年)。また、丸山真男は、民主主義時代の多数の専制を克服するために、非政治的な目的をもった自発的結社が重要であると指摘した(『丸山真男集9巻』所収「個人析出のさまざまなパターン」1968年 など)。
 
*2:我が国における「コミュニティ」の施策化:
「コミュニティ」という語は、「生活の場において、市民としての自主性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として、地域性と各種の共通目標をもった、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」(国民生活審議会報告「コミュニティ~生活の場における人間性の回復~」、1969年)といったように、「アソシエーション」の要素を含ませて、定義づけられた。
http://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/no.13/data/shiryou/syakaifukushi/32.pdf


PROFILEプロフィール (50音順)

まちづクリエイティブ(まちづくりえいてぃぶ)

松戸を拠点としたMAD Cityプロジェクト(転貸不動産をベースとしたまちづくり)の他、コミュニティ支援事業、DIYリノベーション事業を展開するまちづくり会社。 http://www.machizu-creative.com/ https://madcity.jp/

寺井元一(てらい・もとかず)

株式会社まちづクリエイティブ代表取締役、アソシエーションデザインディレクター。早稲田大学卒。NPO法人KOMPOSITIONを起業し、アートやスポーツの支援事業を公共空間で実現。まちづクリエイティブ起業後はMAD Cityを立ち上げ、地方での魅力あるエリアの創出に挑んでいる。

小田雄太(おだ・ゆうた)

デザイナー、アートディレクター。COMPOUND inc.代表、(株)まちづクリエイティブ取締役。多摩美術大学非常勤講師。2004年多摩美術大学GD科卒業後にアートユニット明和電機 宣伝部、その後デザイン会社数社を経て2011年COMPOUND inc.設立。2013年に(株)まちづクリエイティブ取締役に就任、MADcityプロジェクトを始めとしたエリアブランディングに携わる。最近の主な仕事として「NewsPicks」UI/CI開発、diskunion「DIVE INTO MUSIC」、COMME des GARÇONS「noir kei ninomiya」デザインワーク、「BIBLIOPHILIC」ブランディング、「100BANCH」VI・サイン計画など。

西本千尋(にしもと・ちひろ)

株式会社まちづクリエイティブ取締役、ストラテジスト。 埼玉大学経済学部、京都大学公共政策大学院卒業。公共政策修士(専門職)。株式会社ジャパンエリアマネジメント代表取締役。公共空間の利活用、古民家特区などの制度づくりに携わる。