第1回「こどもの頃何して遊んでた?」
皆様明けましておめでとうございます!(旧暦)
あっと言う間に2016年。ちなみにスピリチャル界では「2015年、地球の波動が大きくシフトした」と言われていて、2016年はなんか世界の流れが変わるのだそうです。でもまあなんかそんな感じしますよね。新しい流れが来そうな感じがします。
昨年読者の皆様にお願いした「こどもの頃何して遊んでた?」というアンケート。全国津々浦々の方からお答えいただきました! 過去の記憶を掘り起こしていただき、個性的なお答えをたくさんいただきました。ありがたや〜
それでは早速ご紹介していきたいと思います。
自然に親しむ
・野間寛貴(LETTERS Inc.、広島県)
通学路にある雑草を育てていた。水をあげたり、肥料をあげたり。けっこう大きくなった。雑草を育てた理由は、花壇のバラは誰かのものだけど、雑草は俺のものだから。
・市原えつこ(アーティスト、愛知県)
みみずを捕まえて花びらのおふとんに寝かせていた。
IQ250
・服部YEN(編集者)
子供の頃、IQが250あったので勉強しかしてなかった。ケツバットや、ダンボールを丸めた棒、げんこつで殴られながら四◯大塚と日◯研に通う日々。公文はちょろかった。中二くらいからグレ、親の金でヴィヴィアンとか買う子に。あとは校舎の裏で、津軽海峡冬景色を熱唱する”練習”をしていた。何の練習なのかは不明。
・suugeees(研究者、千葉県)
小学校の時は100点しか取ったことなかった。公文式の算数にハマった結果、ベクトルの演算とかもマスターしたので「人生ちょろい」となり、近所の塾の模試だけ受けていきなり1位とって顰蹙買ったりしていた。またこどもの頃から「ちょっとずつチマチマ買って集めるのめんどくさいから全部買おうよ」と言って大人買いをしていた。
道場
・きなこもち(主婦、兵庫県)
小学校低学年の頃、近所の小学生はいつも上級生に連れられ集団で遊んでいました。池で釣りをすると、道具は上級生が貸してくれ何から何まで教えてくれる。体育で馬跳びが出来ないと言うとみんなで低い馬から始めて跳べるように教えてくれる。探検隊と称して山へ入り、違う所から出てきて、付近一帯の地形はどうなっていると教えてくれる。道場みたいでしたね。
・後藤匡人(会社役員、宮城県)
おにぎりを握ってアルミホイルで包み、近くにある200m足らずの小さな山に、ママチャリで登る。そして高速ダウンヒルを楽しみながら帰って来る。小学校3.4年頃の遊び、元気だけで遊んでいた。塩と間違え味の素のおにぎりを作った友人が、もの凄く具合が悪くなり、車道から飛び出て林に突っ込んだのが強烈な思い出。味の素は怖い。
・豆太郎。(会社員、山口県)
夏休みはクワガタを拾う係でした。カブトムシは捨てます。2個上の近所の兄ちゃんが木を蹴る係で、落ちてきたクワガタを拾うのが僕です。子供の2歳は力が全然ちがいますね。敵いません。採ったクワガタは野球帽に入れて頭に被ります。貰った事はありません(泣)。自転車で回りました。「クワガタ虫を捕らせて下さい」って言ってから民家の敷地に入ってました。懐かしい思い出です。
忍者
・ひげ(プログラマ、兵庫県)
住んでいたマンションの螺旋階段を、隠密の名の下に、敢えて柵の外側を上り下りしてました。修行が足りず、親にバレて超絶怒られました。
・じゅんこ(自営業、埼玉県)
車で出かけるとき、後部座席の窓から見える電柱の上を忍者がぴょーんぴょーんと飛びながら車と同じ速度でついてくるのを空想していました。雨の日の車では、雨粒が窓ガラスに当たって集まったり崩壊したりするのを眺めていました。時々気に入った雨粒を応援もしました。それから校庭の隅に物を埋めてたまに掘り返すというのを友達としていました。(けっこう見つからなかった。)
新しい世界の境界
・みね(キュレイター、茨城県)
マリオごっこ。塀やガードレールなどなど、地面より少しでも高くなっているところを歩かないといけない。落ちると死亡。ときには道端の石ころさえも命綱。
・221(プログラマ、埼玉県)
歩く時、標識などのポールとか路側帯の繋ぎ目とかのあらゆる「線」に合わせて足を置かないといけない(時にジャンプして)ルールで歩いてた。交差点は横断歩道の白線に助けられた。
・千葉伸一(経営者、宮城県)
通学路の横を通る車の影をジャンプしてとびこす。トレーラーとか来ると助走をつける。ワーゲン(ビートル)を3台見るといいことがあるとか、ホンダシティを5台見るといいことがあるとか。そんで途中でハイコンユーキってかいてあるトラック見るとリセットされるとかいう感じのやつ。
・コウメイ(デザイナー、長野県)
帰り道を交差点に来る度に右折と左折を交互に繰り返して進むというゲーム(一人用)。数人のメンバーで電柱と電柱の間をダッシュして、一番遅かった人が全員の荷物を次の電柱まで運ぶ。
人気のメディアはカセットテープ
・takawo(takawo杯主宰、熊本県)
カセットやVHSの磁気テープを引き出して近所の団地を囲う儀式(結界と呼ばれていた)
・古川”NOBUNAGA “雄大(遊びbit、青森県)
ダウンタウンのガキの使いやあらへんでをラジカセで録音してMIXTAPEを作ったり、WU-TANG CLANやDJ SHADOWとかの好きな曲をMDで編集してMIXTAPEを作ったり、電車のなかでGarageBandという携帯電話の機能を使って曲を作りカセットテープに録音してMIXTAPEを作ったり、音楽好きの友達と集まってカッコいい曲を聴きながらくだらない話をしたりしていた。
・髙岡謙太郎(ライター、千葉県)
CDラジカセで遊ぶのが好きで、カセットテープの再生ボタンを中途半端に押しっぱなしにすると、回転速度が早くなって倍速で再生されたので、倍速で音楽を聴いていました……! ラジオやテレビの音声を録音してエディットしてたりしてたかな……。
・miyuatao(会社員、神奈川県)
カセットでチャゲアスをかけながら新聞紙を丸めて剣をつくってたたかいをする
人気のマテリアルは土
・hiroc_skさん(マーケティング、京都府)
公園の土や砂をつかって団子をつくり、友だち同士で固さを競い合ってました(30cmほど上から落として、割れたら負け)。作り方も、まことしやかに必勝法があり、中心はあっちの土で、2層目はこっちの砂場…のように公園内外をウロウロしながら時間をかけて作ってました。いま考えると非生産的ですが、当時は夢中になってたなぁ。
・けざどり(プログラマ、兵庫県)
保育所の地面を水がにじみ出るくらいまで掘って楽しんでました。ある日限界まで掘ったらコンクリートが出てきて、世の中全部嘘なんだと思って辞めました。
・クーピー(会社員、宮城県)
小学生の頃、校庭の砂の中にまじっている宝石(という名のガラス質の石、おそらく石英)を集めていた。ほとんどゴマ粒みたいな大きさの中、たまにBB弾くらいの大きさの粒が採れたときは、名札の裏にいれて大切に保管していた。
・山田祐一郎(ヌードルライター、福岡県)
ホースやじょうろを使い、壁や地面に水をかけていました。水をかけると黒く色が変わります。それが楽しくて楽しくて仕方がなかったです。もちろん、乾くと色が戻るわけですが、そうすると、再び水をかけて黒くし、幸福感を得ていました。何度やっても気持ち良く、飽きなかったですね。小学校3、4年生の頃までの夏の思い出です。
手仕事系
・horristic(プログラマ、長崎県)
線香をロウソクの火で炙ると、線香が曲がるので、それで円形の線香を作るというチャレンジ。大抵途中で引火して未達成。
・石黒宇宙(webデザイナー、神奈川県)
祖母がチラシを折って作った升(お菓子を入れたりする折り紙の升)を作ってみたくて、一人でずーっと紙を折っていた。ある時、なぜか升が出来上がってしまい、とても嬉しかったのだけれど二度と同じモノを作る事が出来なかった。今でも升は折れないし、googleで調べる事もしていない。
・秘密の人(接客業、東海地方)
方眼紙の枡ごとに色を塗って埋めていた。なるべく上下左右違う色になるように考えて。使ったのは十二色のサインペン。
編集者という闇
・安東嵩史(編集者、大分県)
周りに人間がいなかった。紙で信長の野望をやっていた。ビニール製品燃やして溶けていく様を見るのにハマってた。
・伊藤ガビン(編集者)
妖怪ウオッチにハマってた。すぐ飽きた。
などなど、いろんな遊びがありますね。
こどもの頃の1歳差って、ものすごく大人に見えたりしますよね。
そして前回(→小学校からの帰宅途中にある用水路に平たい板を投げ込む)と今回、妙な回答をくれた編集者の安東嵩史さんに、いったいどんな遊びをしていたのかをインタビューしました。聞き手は同じく編集者の山口博之さんです。
山口:じゃあ、今日は変な遊びをしてた人こと君のことについて聞こうか。生まれたのはどこ?
安東:生まれは大分。
山口:両親は何をしてたの?
安東:父が県庁勤務で、母が教師。どっちも忙しくて家にいないんだよ。普通、寝るときに絵本の読み聞かせとかしてくれるじゃん。うちは忙しいから、母親がテープに「しょうぼうじどうしゃじぷた」やいくつかの絵本を吹き込んでくれて、寝るときにはそれを聞いてた。だから基本的にはおばあちゃんに育てられたような感じ。家が田舎すぎて、近所に同年代の人間の友達がいなかったから、本しか読んでない。
山口:それはすごいな。
安東:4歳くらいになると幼稚園に行くから人間の友達は出来るんだけど。その頃はモノマネにはまってた。覚えてるのは独眼竜政宗の真似。そのころ大河ドラマで流行ってたんだよ。あとは虫歯菌のまね。幼稚園のテーブルの下に入り込んで、「虫歯菌だ!」って言いながら歯に見立てた天板をドンドンつつくんだね。友達のようへいくんと一緒にやってたんだけど、先生にすごい嫌がられた。
山口:そりゃ嫌がられるわ。
安東:でも家に帰るとやっぱり人間の友達がいないから、一人で遊んでたな。木登りをしたり、裏山にある沼で見よう見まねで釣りをしたり。釣り竿を見たことがないからわからなくて、木の棒を沼に向かって手に持って、しばらくそのまま待って、満足して家に帰ってた。
山口:どんだけ隔絶されてるんだ…。なにか他に覚えてることってある?
安東:昭和天皇が吐血したというニュースかな。スーパー「マルショク」の駐車場で、サムライトルーパーのチョコボールを食べながらカーラジオで聞いたのを覚えてる。ベルリンの壁の崩壊とかソ連の崩壊はリアルタイムだったから、「なんておもしろいんだ!」と思ってテレビで見てた。
山口:サムライトルーパーってあったな!!! 懐かしすぎる。ところで「紙で信長の野望をやってた」っていうのは一体どういうこと…?
安東:ファミコンは持ってなかったんだけど、「どうやら大名になりきってやるゲームがあるらしい」っていうのを小学校で聞いて。「信長の野望・武将風雲録」だった。政治力とか戦闘力のほかに、「教養」ってパラメータがあって、千利休なんかが登場して茶器を売りつけてきたり、なぜか「茶道」という要素を推しまくってる作品だった。友達の福嶋くんの家でやって夢中になった。
山口:信長の野望は俺もやってたよ。
安東:でもファミコンって家でしかできないじゃん。「昼休みもこれをやりたい!」と思って、紙でやることにした。
山口:はあ…どうやるの?
安東:A3の厚紙に油性ペンで日本地図を書くのね。で、全国に城を108くらい配置して、支配してる大名家や城主の名前を書く欄を用意する。城主の名前は書き換えられるように鉛筆で書く。で、ノートも用意して、そこには各城の経済状況のデータとか、そこにいる武将のパラメータとかを書き込んでく。友達の竹下くんと2人でやってたんだけど、基本は「じゃあ、今回は開墾」とか言ってちくちく収支を改善していったりする地味な遊び。ハイライトはやっぱり戦争で、隣の城に攻め込んだら「人生ゲーム」とかについてたルーレットの回る矢印部分だけを外して持ってきて、「大勝」とか「辛勝」「敗北(武将ひとり戦死)」とか細かく書いた円グラフの上でそのルーレットを回す。で、勝ったらその城は自分のものになる。竹下くんは実家が鹿児島だったらしく、薩摩の島津家が贔屓でね。
山口:そうそう、贔屓の武将とかいたね。
安東:で、なぜか隣の肥後(熊本県)の相良家を異様に憎んでいて、捕えた武将は配下にすることもできるんだけど、相良家にまつわる武将は皆殺しにしていた。闇を感じたね。
山口:「信長の野望」は、架空の歴史も入ってるのがアツかったな。真田十勇士とか、服部半蔵とかいて。
ちなみに今竹下くんは何やってるの?
安東:その後ちょっと遠くの水産高校みたいなところに進学して、こっちも地元を出ちゃったし、今なにやってるのかわからないな。海の上でも元気に紙の「信長の野望」やってるかな…。
なるほど、、「信長の野望」は男子にとってなんかすごく大事なものらしい。
こどもの頃の話を聞くってほんとに面白いです。
アンケートは今後も無期限で募集し、ある程度溜まったらまた公開させていただきます!
気が向いたらぜひあなたがこどもの頃にしていた遊びを教えてください。
幸福研究所、次回もお楽しみに〜
[最高あきこの幸福研究所:第1回 了]
◎アンケート締め切り:2016年1月10日(日)23:59まで →無期限
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