第3回 「『コミュニティ』を耕す『アソシエーション』」
こんにちは、まちづクリエイティブがお送りする、アソシエーションデザイン第3回です。前回は、現代の私たちが望んでいる「人のつながり」の多くは、「コミュニティ」ではなく「アソシエーション」を指している場合が多く、逆に、政府が施策化している「人のつながり」は「コミュニティ」であるということに触れ、両者がまったく違うものでありながら私たちの間で、長らく混同されてきたことをお話しました。一見、同じ「人のつながり」と捉えられるけれど、元来は全く違う両者の区別を再確認した上で、接続のあり方を考えること、まちづクリエイティブでは、このことが「つづく世界」にとって、とても重要となってくると考えます。
▼「コミュニティ」と「アソシエーション」の違い
さて、「アソシエーション」には、実に様々な種類があります。ざっくり言ってしまうと、ある共通の目的を達成するために自発的に組織されるものが「アソシエーション」です。例えば、趣味のサークル、学校、教会、会社、NPO、政党……、見落とされがちなのですが、実は国家も「アソシエーション」とされています。多くの「アソシエーション」のすぐれた点は、誰もが自らの関心事に応じて、自発的にそれをつくることが出来、複数の「アソシエーション」に所属することが可能(脱退も自由)だというところです。ただ、そういう自発性や自由と「国家」のイメージは直結しないかもしれません(これは大切なことなので、後半でもういちど考えます)。
一方、「コミュニティ」は、人が共に暮らす領域や集団のことを指し、「地域共同体」だけでなく、「地域共同体」から「国全体」まで幅を持つ概念です。「コミュニティ」ごとに慣習や伝統、規律の違いを持ちます。たとえば日本語を母語とする私たちは「日本」という共通の「コミュニティ」に所属しています。「コミュニティ」は、「アソシエーション」と違い、いやだったら乗り換えたり、自由に選べるものではなく、実質、脱退が出来ないとされますが、私たち及び「つづく世界」の住人の存立基盤として極めて重要とされてきました。
この定義のもとで、両者の関係をみていくと、考え方のひとつとして、「アソシエーション」を「コミュニティ」の器官であると位置づけることができます。つまり、「コミュニティ」はその中に存在する「アソシエーション」と相互に影響を与え合っており、その特徴や構造がゆるやかに変化し、規定されていくということです。
前回も触れましたが、私たちが「つづく世界」をつくろうとする際、国家の存在抜きには語れません。「コミュニティ」の中に、他の「アソシエーション」とはまったく別の、圧倒的に異色の巨大な「アソシエーション」である国家がいるということが、私たちの「コミュニティ」の構造を大きく規定しています。以上のような定義や認識のもと、私たちは「つづく世界」のつくり方について、どのように捉え、どうしたらいいのでしょうか。
▼これ以上、リヴァイアサンを肥大化させない
前回、個人が巨大な国家に頼り、自発性や創造性を失い、豆粒化してしまう危険性に触れました。このことは私たちの議論の中でとても大切な認識となるため、今回も重ねて触れておきます。
個人の自由と平等を唱えて近代がスタートしたとき、私たちは「コミュニティ」の中に「アソシエーション」である国家をつくったとされています。この人工国家はかつて政治学者ホッブスによりリヴァイアサン *1 と呼ばれました。ホッブスによれば、私たちは「万人による万人の闘争」を防ぐために契約を行い、「コミュニティ」の平和や秩序づくりをリヴァイアサンに任せてきました。
その結果、国家=リヴァイアサンは際限なく大きくなりました。大きくなったからといって、「コミュニティ」の存続に貢献するのであればいいけれど、はっきり言ってしまうと、リヴァイアサンは万能ではなく、世代間不公平は拡がって、子どもたちに想像出来ないような借金を残すような運営をし始めても、誰も止められないようになったし、平和や秩序づくりなどに関しても、「コミュニティ」の存続に成功しているとも言い難いような状況も出てきました。だけれど、私たちの「コミュニティ」の中には、圧倒的に異色で巨大な「アソシエーション」である国家がいて、その「アソシエーション」である国家が他の「アソシエーション」をコントロールしており、「コミュニティ」の存続の鍵を握っているという構造自体を変えることは出来ません。私たちがそうした状況の中、出来ることはたった一つです。
圧倒的に異色で巨大な「アソシエーション」=国家、をこれ以上肥大化させることなく、「コミュニティ」を耕す「アソシエーション」をつくること。
「コミュニティ」を耕す「アソシエーション」とは実際どのようなものでしょうか。たとえば、地域のランドマークだったけれど、今は使われていない古民家を開き、新たな入居者のチャレンジやお店をスタートさせるような取組や、一度は廃れてしまった地域の文化や構法をもう一度復活させて、事業にしていく活動は「アソシエーションデザイン」の文脈において、どのような耕しの可能性を持っているのでしょうか。
次回以降はこうした「コミュニティ」を耕す「アソシエーション」について、具体的にみていきたいと思います。
祇園祭の宵山も、もうすぐ。
次回もまた、元気にお会いしましょう。
まちづクリエイティブがお送りしました。
[アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方:第3回 了]
執筆:アップルパイペロリ
注
*1:リヴァイアサン:
政治学者トマス・ホッブズは、リヴァイアサン(ヨブ記に出てくる海の怪物)にたとえるほど、国家の権力は大きいと考えました。ホッブズは人びとが自然権を行使しあうと「万人による万人の闘争」が生じて自然権の行使がおぼつかなくなるため、自然権を万人が委譲し、契約によって、リヴァイアサンである国家をつくったとしています。『リヴァイアサン』、1651年の表紙に書かれた標語は”Non est potestas super terram quae comparetur ei”ヨブ記41章24、「彼に匹敵しうる力は地球上に存在しない」という意味であり、リヴァイアサンの身体には、厖大な人間が描かれています。現在、弱体化(豆粒化)した個人は、もはや自らつくり出した巨大な海の怪物であるリヴァイアサンを操ることが出来ません。
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