#02:いまなぜ空海なのか(前編)
◆同じようなことが1200年前に書かれていた
「空海とソーシャルデザイン」という主題が浮かんできたのは、2013年のはじめだった。2012年秋、お寺での大貫妙子さんのコンサートのため、初めて高野山を訪れたことをきっかけに、水を得た魚のように空海関連の本に読みふけっていた。
その中の一冊が『大宇宙に生きる 空海』(中公文庫、2009年)であり、僕はその頁をめくるたびに感極まり、鳥肌が立ちっぱなしだった。
「あれ……グリーンズの本とほぼ同じことが、1200年前に書かれてる……」
ちょうど2冊目の『日本をソーシャルデザインする』を書き上げる直前でもあり、僕は多分にそこから影響を受けてしまった。
例えば空海は、それぞれが内に秘めている特質を見分けることが大切だと言う。
密教では、この世に存在しているあらゆるものは、そのものしかもっていないかけがえのない価値を、それぞれ別々にもっているという考え方が、その世界観の基本にあります。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.31 より
そのあたりのことを、僕は「光源を見つける」ようなイメージで、こう書いた。
大切なのは、ちょっとした違和感を大切にすること、心に残るたくさんの原体験を持つこと。その積み重ねから見えてくる一筋の光が「自分ごと」であり、それこそが私たち一人ひとりにとっての生きる意味なのです。
――『日本をソーシャルデザインする』p.48 より
他にもある。
ウェブマガジン「greenz.jp」のキャッチコピーは「ほしい未来は、つくろう」なのだけど、空海は「欲望を肯定する」。
欲望というものは、人間が生きているかぎり本来的に備わったものですから、それを除去しようと空しい努力を重ねるよりも、そのエネルギーを利他の活動に向けるというのは賢明な方法だといえるでしょう。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.194 より
グリーンズの本では、こんな感じ。
普段の暮らしの中で、「もっとこうなったらいいのに!」と感じていることってありませんか?
「もっと楽しく喫煙したい」とか「もっと近所の人と仲良くなりたい」とか。実はその思いこそ創造力の源泉であり、ソーシャルデザインの出発点です。
――『ソーシャルデザイン』p.43 より
さらには、見返りを求めるのでなく、「贈り物を届ける」ようなあり方も共通している。
布施はサンスクリット語で、ダーナと言います。日本語の旦那(檀那)は、この言葉のもとになるサンスクリット語の音を移したものです。(中略)もともとは、物をもらうことよりも、差し上げることに喜びを感じることのできる人という意味です。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.137 より
これは、この部分と通じるかな。
満たされない部分を無理に埋め合わせようとするのではなく、そのコップから溢れた分を、社会のために贈り物として届ける。その健やかな幸せの循環をつくっていくことが、僕が理想とするソーシャルデザインです。
――『日本をソーシャルデザインする』p.184 より
まだある。空海は、当時の大都会である京都と、大自然に包まれた高野山の二拠点を往復しながら働いていた。
生涯いくたびも大仕事をなしとげ、人々の幸福のために尽くす、そういった大師の大活躍の秘密は、どれほど忙しいときでも、瑜伽(ゆが)* に入り、大自然と対話し、自己を見つめる、そういった日常生活の中の心掛けにあったと思われます。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.83 より
*……心の制御・統一をはかる修行法。「ヨガ」の語源でもある
「気分を転換する」ことは、ソーシャルデザインに取り組む上で、本当に大切なことだと感じている。それについてはこう。
何が正解か分からないときに、一歩踏み出すのはとても勇気がいることですが、自分自身をよく知る手段を身につけておけば、何が起こってもきっと大丈夫です。
――『ソーシャルデザイン』p.147 より
最後にもう一つ。
まるでみんなが“ひとつ”であるかのような、いわば「宇宙とつながる」ような感覚についても。実は、それこそ空海の教えの真髄である。
(空海の唱える「六大説」は)われわれの周辺にある環境世界の全体が単なる物質ではなく、それぞれが生命をもち、宇宙全体の大きな「いのち」の一部分だというすばらしい思想です。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.38 より
(『華厳経』では)すべての存在が互いに混じりあい、融けあっている現実世界の個物のあり方を「重々無尽」と言います。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.39 より
そんな言葉にならない不思議な気持ちを、僕は“あとがき”でこう表現した。
世界を見渡してみれば、その人の心の底からの情熱を持って、しかもクリエイティブに課題を解決しようとする人たちがたくさんいます。未来をもっと素敵にするために、それぞれの持ち場で、それぞれにできることで、役割分担をしているのです。僕がうとうと眠りこけているあいだにも、きっと誰かが、地球のどこかで。この本に載っている事例も、その大きな生態系のほんの一部にすぎません。
――『ソーシャルデザイン』p.153 より
この連載では以上の5つのキーワード=「①宇宙とつながる(即身成仏)」「②光源を見つける(還源)」「③欲望を肯定する(大我大欲)」「④贈り物を届ける(済生利人)」「⑤気分を転換する(遊山慕仙)」ということについて、筆を進めてゆきたいと思う。
それらを図に表してみると、こんな感じかな。まだまだ謎めいているけれど。
と、ここまでを読んで、「何を生意気な」と思われた方も多いだろうし、まだまだ稚拙な解釈であることは重々自覚している。
それでも時を超えて、まるですべてが今の僕のために段取りされているかのような感動の連続は、今なお心と身体に刻まれている。観想すれば気流が波打ち、いつでも読書のときの鳥肌がやってくる。
導かれるままに、「空海とソーシャルデザイン」という主題が見つかった。しかも、僕が人生をかけて取り組むべき大切な仕事として。これはおよそ10年越しの、空海との強烈な再会なのだった。
[空海とソーシャルデザイン:#02 了]
(後編に続きます)
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