COLUMN

兼松佳宏 空海とソーシャルデザイン

兼松佳宏 空海とソーシャルデザイン
#08:ソーシャルデザインのそもそも(後編)

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#08:ソーシャルデザインのそもそも(後編)

※前編はこちらです。

■“自分ごと”と“社会ごと”をつなぐ

 前編の最後に、兼松家として子育て問題とどう向き合っているのか、という話をしたが、グリーンズでは、そんな「“自分ごと”からはじめるソーシャルデザイン」というメッセージを大切にしている。

 きっとそれは“プロ市民”と揶揄されるようなものとは次元の違う、市民社会の前向きな成熟 *1 なのだと思う。

 個人の自宅だけではなく公共的な施設も含めて、エネルギー源をどうするのか? どこの交通インフラを整えれば、人びとの暮らしが本当に豊かになるのか? これからの学校教育のあり方は、いったいどうすればいいのだろうか? 高齢者社会における医療費負担は? …

 それら“日本の論点”は、当事者にしてみれば切実だが、多くの人にはたいてい「自分には関係ない」と思いがちだ。しかし、本来それらのビッグなテーマこそソーシャルデザインの本丸であり、そろそろその距離を埋めていく必要がある。誰もが急に当事者になりうる時代、他人行儀なことを言っている場合じゃない。

 そこで希望となるのは、ソーシャルデザインによって、“自分ごと”と“社会ごと”が一致しはじめている、言わば社会的に目覚めつつある僕たち市民だ。ひとりひとりが小さな成功と失敗の体験を重ねながら、それを実績として立法や行政といった大きな舞台の現場に立ち、建設的な熟議を促していく。少し遠回りかもしれないけれど、その方がより真っ当なビジョンを描けそうな気がする。

 だからこそまずは、ひとりひとりのスイッチを押していくこと、そしてスイッチの入ったひとりひとりの活躍の場を広げていくこと。そういうことをグリーンズとして、全うしていきたいと思っている。

■ソーシャルデザインはバズワード?

 やや話がそれたので、本筋に戻そう。

 “ソーシャルデザイン”という言葉は広がっている。そして“ソーシャルデザイン”を掲げる主体も増えている。それはとても素晴らしいことだし、期待もしているのだけど、一方で、単なるバズワードになってしまう可能性もある。

 今まで上手く行かなかった施策をラベル替えだけして、結局は課題の構造そのものが変わることのないまま、本質からずれた取り組みを行ってしまうかもしれない。

 最初の実験的な段階はそれでいい。しかしそれが毎年のように続いてしまうと、「期待してみたけれど、やっぱり失望した」という感じで、下火になるどころか、反動を生み出すことさえあるだろう。

 だからこそ、うわべだけのキーワードが先行するような事態は避けなくてはいけない。大切なのはそのソーシャルデザインなるものに、いのちをふきこむことだ。それはもちろん、自戒も込めて。

 ソーシャルデザインの領域は、意思決定という民主主義の根本的な構造そのものを再編する場合もあるから、楽しいことばかりではないし、取り組む本人も葛藤の連続である。そんな中で目に見えた変化が訪れるまでには、おそらく、というより、必ず時間がかかる。

 四半期のサイクルに追われるファストな時代にあって、長期的な視野で持続可能な社会を本気でつくっていくためには、根本のところから見直す必要があるだろう。

■ソーシャルデザインの時代に求められる5つの力

 短距離走のために鍛えた体では、100kmのウルトラマラソンはこなせない。もしかしたらひとりで100km走らなくとも、みんなで役割分担をしながら、運動の得意な彼は10km、苦手な僕は100mと、それぞれのできる範囲で襷をつなげたっていい。

 そんなソーシャルデザインの時代に求められる、自分たちの”あり方”のシフト。それは例えば、こんな根本的な力を身につけていくことだと思う。

(1)心を開いて対話し、刻々と変化する課題を全体的に捉える力
(2)物事の本質を見極め、その場にある可能性を創造的に引き出す力
(3)大いなる目的を分かち合い、目の前のことを公平に判断する力
(4)手元に溢れている資源を、見返りを求めずに提供する力
(5)自分の心や体に耳を傾けて、積極的に気分転換する力

 そしてこれらのすべては、1200年前の空海の言葉と見事に響き合っている。次項から、ひとつひとつ紐解いていこうと思う。

■“方便”としてのソーシャルデザイン

 この項の最後に、真言宗で最も大切な経典のひとつ『大日経』の中から一文を紹介したい。「ここに空海の教えの核心がすべて詰まっている」と言われるが、僕はここにソーシャルデザインの真髄も見ている。

菩提心を因となし、大悲を根となし、方便を究竟となす
 
さとりを求める心(菩提心)を原因とし、大いなるあわれみ(大悲)を根とし、手だて(方便)を究極的なものとするのである。

 
――宮坂宥勝『密教経典』p.31 より

 仏教らしい言葉である“菩提心”とは、「悟りたい(迷いを払い去り、永遠の真理を知りたい)と願って努力する心」であり、そこには「この世界のために貢献したい」という“衆生救済”の思いも含まれる。

 誰もが備えているそんな“菩提心”がそもそもの源泉としてあり、ふとあるとき社会的な課題に困っている人と出会うことで、にわかに“大悲”が生まれる。

 それを解決しようとする自分発のプロジェクトが“方便” *2 となって、物事が前向きに動きはじめる。その流れのなかで、豊かなご縁が育まれ、まるで大きなつながりの中で自分が生かされているような、大らかな心地に包まれることもある。

 そして、その人ならではの生き方、表現の仕方と、プロジェクトでの活動がひとつに重なるとき、人は太陽のように輝いた表情を見せる。言わば以前のわたし(小我)は彼方に消え、次元の違う本当のわたし(大我)と出会ったのだ。

 ソーシャルデザインに励む姿そのものが、悟りそのものである。「方便を究竟となす」とは、そういうことでもあるのではないだろうか。そのキラキラした姿は、周りの誰かの秘めた可能性をも遍く照らし、いつかその種も大地に根を張り、この世界に芽吹いていくだろう。

 父や母だったり、恋人や子どもだったり、仕事の仲間やクライアントだったり。ときにはお寿司屋さんのカウンターでたまたま隣りに座ったり、落とした財布を拾ってくれて急いで届けてくれたり。日々巡りあう数奇なご縁は、織り重なって尽くせないほどに味わい深い。

 そんな重々無尽のネットワークのなかで、僕たちはお互いがお互いを照らし合っている。その美しい光景の中に「既に自分もある」とハッと気付くこと。それこそソーシャルデザインに関わるすべての人にある日やってくる、大いなるサプライズギフトなのである。

[ソーシャルデザインのそもそも 了]

*1│市民社会の前向きな成熟:
NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんの「強くて優しい新しいリベラル」という発言も、そういう問題意識にあるのだと思う。
http://mainichi.jp/feature/news/20141006mog00m040005000c.html

*2│方便:
「嘘も方便」という使われ方によって、“方便”という言葉にネガティブな印象があるかもしれないが、もともとは「悟りへ近づく方法」や「悟りに近づかせる方法」を意味する。

〈参考文献〉
宮坂宥勝『密教経典 (仏教経典選)』(筑摩書房、1986年)


PROFILEプロフィール (50音順)

兼松佳宏(かねまつ・よしひろ)

勉強家/京都精華大学人文学部 特任講師。1979年生まれ。ウェブデザイナーとしてNPO支援に関わりながら、「デザインは世界を変えられる?」をテーマに世界中のデザイナーへのインタビューを連載。その後、ソーシャルデザインのためのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わり、10年から15年まで編集長。2016年、フリーランスの勉強家として独立し、京都精華大学人文学部特任講師、勉強空間をリノベートするプロジェクト「everyone’s STUDYHALL!」発起者、ことば遊びワークショップユニット「cotone cotône」メンバーとして、教育分野を中心に活動中。著書に『ソーシャルデザイン』、『日本をソーシャルデザインする』、連載に「空海とソーシャルデザイン」など。秋田県出身、京都府在住。一児の父。 http://studyhall.jp


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宮坂 宥勝 (著)
単行本: 532ページ
出版社: 筑摩書房
発売日: 1986/09