COLUMN

兼松佳宏 空海とソーシャルデザイン

兼松佳宏 空海とソーシャルデザイン
#06:空海とは?(後編)

10517188_10152334562557655_1093484290_n

#06:空海とは?(後編)

前編中編からの続きです。

■ 空海の人生〈後期〉

〈後期〉
 821年 万濃池を改修する(48歳)
 823年 東寺を賜る(50歳)
 828年 綜芸種智院を開設する(55歳)
 835年 高野山にて入定(62歳)
 921年 弘法大師の諡号が贈られる

 「空海とは?」の最後となる〈後期〉は、仏教史にとどまらず日本史にその名を刻む大仕事を、次々と実現していった時期だ。ここでは特に、万濃池修築と綜芸種智院開設という、空海が手がけたソーシャルデザインの代表的な事例を取り上げてみようと思う。

 人間としてその生涯を終えた後も、“お大師さま”として人々の心に生き続ける空海。伝説として語り継がれるほどの社会活動の根底にあったのは、見返りを求めずにあまねく贈り物を届けるような、いわばペイフォワードの気持ちだった。
 
 
■復興リーダーとして修復した万濃池

 “空海伝説”としてよく語られるのが、雨の少ない讃岐平野を今なお潤す万濃池の修築だ。1300年以上の歴史を持つ日本最大の溜池として知られ、まるで鏡のように水面の美しいその景色は、人工池とは思えないほど。近くにはお寺や神社があり、空海が祈願したと言われる護摩壇岩(ごまだんいわ)が目の前に浮かぶなど、空海の祈りの残り香が色濃く漂っている。

 古代の主な産業は稲作であり、奈良時代に入る前にこの万濃池が作られたのも、水源の確保が国家として最重要事項だったから。そんな地域になくてはならない要所が、818年、大雨で大きく決潰してしまう。朝廷も何とか修築を試みるものの、人手不足もありなかなか工事が進まない……そこで復興リーダーとして抜擢されたのが、讃岐国出身の空海だった。

(空海の社会活動は)済世利人(さいせいりにん)という言葉で表現されることもあります。世を済(すく)い、人々に利益をもたらすという意味です。
大師の済世利人の願いは、都市の住民だけではなく、農民の福祉のためにも、社会活動となって実現しています。

――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.107 より

 当時、空海は48歳。京都や奈良で真言宗の足場を固め、かたや高野山開創に勤しむなど、とても忙しい日々を送っていた。それでも「故郷の人びとのために」と真っ先に被災地へと向かったのは、空海にとっては当然のことだったのかもしれない。20年ぶりに地元に凱旋したときの住民たちの熱狂ぶりは、「恋い慕うこと父母のごとし」だったという。

 そして、ここからが伝説の始まりだ。空海が地元に戻ったのは821年6月中旬のことだが、なんと9月初旬には京都に戻って通常の仕事に復帰している。つまり3年以上滞っていた難工事を、たった2ヶ月で終わらせたことになるのだ。

 この魔法のような出来事については、住民たちが空海のもとで団結したこと、そして、渡来人の技術者たちと交流があった空海が、高度な土木工事を指揮できるほどの知識を持ちあわせていたことが大きい。特に、現在でも普通に使われている水圧を分散するためのアーチ型の堤防は、万濃池が日本初の施工例と言われ、その革新的なアイデアは当時の人びとを驚かせたという。

 ちなみに、実際のところはどうだったのかについては、大林組による「『空海の満濃池』の想定復元」プロジェクトの検証 *1 が詳しい。それによると、当時の技術では「工期約9ヵ月、延労働人員数は38万3,000人」を必要とするので、「先行していた工事は未完に終わったもののかなり進行しており、それを前提として空海の最終工事が行われたと考えるべき」とある。とはいえ住民たちを鼓舞し、復興の目処がつくまで、空海が大きなリーダーシップを果たしたことは揺るぎない事実といえるだろう。

 人びとのために日本各地で温泉や池を堀り、あるいは道路や橋をつくったとされる弘法大師伝。その原型としての「万濃池プロジェクト」で空海が発揮したのは、“共感によって多くの人びとを巻き込む力”、そして“課題を見極め、適切な選択肢を見つける力”という、いずれもソーシャルデザインを実現するために不可欠な才能だった。
 
 
■センセーショナルな教育理念を持つ学校「綜芸種智院」

 もうひとつ、知る人ぞ知る空海の社会活動のひとつが、日本で最初となる庶民のための学校「綜芸種智院」の開設だ。東寺にほど近い自然環境に恵まれた宅地に建てられ、現在は西福寺というお寺に石碑が残っている。残念ながら空海入定後、まもなく閉校となってしまったが、そこには教育改革に向けた空海のひたむきな思いを感じることができる。

 当時の学校はあくまで官僚を目指す貴族のためのもので、庶民が自ら進んで学ぶ機会はほとんどゼロ。しかし空海は「この世に存在するものはすべてなんらかのかけがえのない価値をもっている」と信じていた。だからこそ、本来誰もが秘めている可能性(=種智)を引き出すという密教的な観点から、人を育てる学校の設立に強い関心を持っていたようだ。もしかしたら自分自身のドロップアウトの経験も、ひとつの原体験になっていたのかもしれない。

 綜芸種智院の教育理念の特徴を3つ挙げるなら、(1)身分の上下に関係なく、学問に志す人たちに入学を許可すること、(2)人間教育を目的とする、総合教育を実施すること、(3)教師にも学生にも完全給費すること、ということになる。特に授業料を無料とし、さらに衣食までも完全給費するという前代未聞の試みは、「子どもたちへの教育こそ、未来への贈り物である」という空海の強い決意が秘められている。

ここで掲げられている教育に対する大師の考え方は、今日では常識となっていて、さして珍しくはないかも知れません。しかし、大師の教育理念は、九世紀の古代日本においては誰も考えつかず、もとより実施もされていませんでした。このような現実にあって、大師の教育にかけた思いは、まさに画期的な意義を持ち、それがわずかな期間であったとはいえ、実行に移されたことは驚異に値する事柄であったと言えると思います。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.175 より

 あまりに先見の明がありすぎて、時代が追いつかなかったのか、次第に財源が不足して、早々にその幕を下ろしてしまった綜芸種智院。しかし空海が描いた教育の機会均等や総合教育は、近代以降にしっかりと社会に根付いたし、21世紀の今、お互いが優しさを贈り合うことで成り立つ「ギフト経済」*2 への注目とともに、授業料をペイフォワード方式で成り立たせる仕組みを検討する大学も現れている *3

 いま改めて「人間に対する絶対的な信頼」を軸とした空海の教育ビジョンを眺めてみても、1200年経ても色褪せない普遍性があるように思う。さまざまな場所で教育問題が叫ばれる今こそ、空海からのバトンをしっかりと受け取るべき時期にあるのかもしれない。
 
 
■空海から弘法大師へ

 エリートの家に生まれながらも、ドロップアウトしてまで、さまざまな葛藤と向き合った20代。真言宗の正統な継承者として胸を張って帰国したものの、3年間も足止めを余儀なくされた30代。そんな陰と陽のリズムを繰り返しながら、ひたむきに準備を重ね、その時機を待つことで、ようやく扉が開いた40代。

 社会が空海を必要とし、それに応えるように、自利利他の思いでさまざまなプロジェクトを手がけてきた空海は、円熟期を迎えた59歳のときに、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」という有名な言葉を残している。それは(おこがましくも)グリーンズ的に言えば、空海にとっての「ほしい未来」を綴った、壮大なソーシャルデザイン宣言だった。

この大空があるかぎり、生きとし生けるものが存在するかぎり、悟りがなくならないかぎり、私の願いは尽きることがない、というのです。私の願いとは、生けとし生けるものの苦しみを除いて、悟りに向かわせようという済世利人の願いで、その活動を永遠にとりやめることはない、というのですから、まさに破天荒の誓願というべきです。
――松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.118 より

 835年3月21日、多くの弟子に見守られながら高野山で入定した空海は、その後921年、醍醐天皇より弘法大師というおくり名をいただく。こうして高野山に行けば、いつでも暖かく迎えてくれる“お大師さま”として、人びとの心の中に生き続けているのだ。

[空海とは? 了]
 
 

*1│大林組による「空海の満濃池」の想定復元:
http://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/manno/
初出:『季刊大林』No.40 「満濃池」(大林組、1995年)

*2│お互いが優しさを贈り合うことで成り立つ「ギフト経済」:
ギフト経済についてはニップン・メタ氏へのインタビューが詳しい。
http://greenz.jp/2013/12/12/nipun_gift/

*3│授業料をペイフォワード方式で成り立たせる仕組みを検討する大学:
http://greenz.jp/2013/08/28/portland_state_university/

 
 
〈参考文献〉
渡辺 照宏, 宮坂 宥勝『沙門空海』(ちくま学芸文庫、1993年)
松長有慶『大宇宙に生きる 空海』(中公文庫、2009年)
松岡正剛『空海の夢』(春秋社、2005年)

 
 

[「空海とソーシャルデザイン」関連イベント開催]
高野山大学 黎明館ナイトレクチャー「空海とソーシャルデザイン」
講師:兼松佳宏(greenz.jp 編集長)


本連載「空海とソーシャルデザイン」の著者・兼松佳宏さん。greenz.jpの編集長をつとめる彼が、なぜ今空海に着目しているのでしょうか? 連載スタート当初から気になっている人も少なくないはず。そのきっかけや魅力を、空海のお膝元・高野山で本人の口から直接聴けるチャンスです。

日時:7/28(月)19:30~
会場:高野山大学 黎明館
   和歌山県伊都郡高野町高野山385
参加無料(一般の方も参加できます)、事前予約不要
◎詳しくは:http://www.koyasan-u.ac.jp/notice/event/detail/39


PROFILEプロフィール (50音順)

兼松佳宏(かねまつ・よしひろ)

勉強家/京都精華大学人文学部 特任講師。1979年生まれ。ウェブデザイナーとしてNPO支援に関わりながら、「デザインは世界を変えられる?」をテーマに世界中のデザイナーへのインタビューを連載。その後、ソーシャルデザインのためのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わり、10年から15年まで編集長。2016年、フリーランスの勉強家として独立し、京都精華大学人文学部特任講師、勉強空間をリノベートするプロジェクト「everyone’s STUDYHALL!」発起者、ことば遊びワークショップユニット「cotone cotône」メンバーとして、教育分野を中心に活動中。著書に『ソーシャルデザイン』、『日本をソーシャルデザインする』、連載に「空海とソーシャルデザイン」など。秋田県出身、京都府在住。一児の父。 http://studyhall.jp


PRODUCT関連商品

『ソーシャルデザイン 社会をつくるグッドアイデア集』

グリーンズ 編
単行本(ソフトカバー)、160ページ
出版社: 朝日出版社
発売日: 2012/1/10