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今村友紀 〈出版×デジタル〉の未来予想図 〜作家・今村友紀による『ツール・オブ・チェンジ』精読〜

今村友紀 〈出版×デジタル〉の未来予想図 〜作家・今村友紀による『ツール・オブ・チェンジ』精読〜
#05:物書きに残された4つのポジション -「プライシングとマネタイズ」の未来予想図(後編)

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#05:物書きに残された4つのポジション -「プライシングとマネタイズ」の未来予想図(後編)

※前編はこちら

 前回の記事では、Webサービスや出版社などのビジネス側に視点をおいて収益化の戦略をまとめたが、本記事では、書き手にとって収入をどう確保しうるか、ウェブ時代における個々の書き手の生き残りの方策を考えてみたい。

《今回のまとめ》
○現在の状況で文筆業を続けていくために取り得るポジションには、「スーパースター」「何でも屋」「プラットフォーマー」「兼業作家」の4つがある。
○このうち「スーパースター」は狙ってなれるものではなく、「プラットフォーマー」はウェブの技術を自ら学び、スケールメリットを活かすことに徹すればチャンスがあるが、そうでなければ失敗を招きやすい。
○多くの書き手は、ソーシャルメディアやセルフパブリッシングも活用しながら、文筆を中心に講演やセミナーなどあらゆる手段を動員して稼ぐ「何でも屋」になるか、本業で生活を支えつつ、趣味や副業として書く「兼業作家」でよしとするか、判断を迫られる。

◇「書いて食べていく」ことの現状
 日本の出版市場は九〇年代中頃をピークに急速に落ち込みはじめ、それに伴って、ここ十数年のあいだに、書き手に支払われる原稿料や印税は激減した。業界や分野にもよるが、原稿料が最盛期に比べて十分の一以下になっている、といったこともよくある話だ。
 一例を挙げると、週刊誌や月刊誌などの雑誌に原稿を書いているライターの場合、90年代であれば1ページあたり10万円ほどの原稿料が支払われるのはごく普通のことだった。それが現在では、1ページあたりの原稿料はせいぜい1万円、2万円もらえたらラッキー、といった具合にまで減っている。ウェブの記事は、さらにこの半額以下の単価であることが多く、1記事1,000円、といった水準の原稿料しか支払われないケースさえある。
 当然ながら、これでは、ライターが記事を書いて食べていくことは非常に難しい。報酬が少ないということは、それだけ記事を短時間に要領よく、かつ大量に書かなければやっていけないので、しっかりとした取材や調査はどうしてもしにくくなる。勢い、ネットで調べたことをまとめたような記事や、強い口調・刺激的な言葉で気に入らない人間や隣国を叩く記事など、情報の質を高めるのとは別の方向に努力が向かいがちになる。

 同じことは書籍でも起きている。本の発行部数は減り続け、20年前なら本を1冊出せば1年暮らせるぐらいの収入が確保できたものが、いまでは2ヶ月に1冊ほどのペースで本を出し続けなければ、ほとんどの著者は印税生活をおくることはできない。こうなると、やはり手間やコストをかけた取材や調査はしにくくなる。
 たとえば、スティーブ・ジョブズについて本を書くとき、本来なら、本人や関係者に取材を重ね、裏を取りながら(=一次情報を使って)書いていくのが筋だろう。しかし取材や調査に時間をかけることができなければ、新聞やネットメディアの情報(=二次情報)をまとめてきて「スティーブ・ジョブズの仕事術」とか「ジョブズの名言」といった形で再構成した本が増える。こうした本は、実際、ビジネス書や自己啓発本に非常に多く、低コストでそこそこの部数を狙う、という方向で生き残りをかける著者の戦略が垣間見られる。
 このような状況を続けていけば、いつか市況が好転し、文筆の黄金時代が再び訪れるのだろうか? 無論、答えは「ノー」だ。このまま市場が落ち込み続け、収入が減り続けるのであれば(そして減り続ける可能性はきわめて高い)、いかに安く早く効率的に文章を書いていたとしても、やがて「生活していける線」を下回る瞬間が訪れる

 一方で、個人作家が自分の書いた作品を同人誌として売ったり、Kindle等の電子書籍ストアで売ったりして、幾ばくかの収入を得ることも可能になっている。セルフパブリッシングで活躍し、いまなにかと話題の星井七億さんも、文学フリマで活動するインディーズ作家だ(余談だが、星井さんがわざわざ筆者のブースに挨拶に来てくれたことを覚えている)。
 セルフパブリッシングの世界では、個々の作家をみれば成功例がないわけではないものの、全体としてみれば、やはりこれで十分に稼げている人はいないに等しい。個々の成功は素晴しいものであり、祝福すべきことであるに違いないが、その背後には、必死で努力してもジュース1本買うお金さえ稼げない人たちが大勢いる。

◇4つのロールモデル
 こうした状況下で物書きという仕事を続けていくには、ただ黙って原稿を書いているだけでは不十分だ。ネット上で記事の1つや2つが話題になるくらいでは、すぐに忘れられてしまう。継続的な活動を支えるための方向性、戦略が求められていると言えるだろう。
 本記事では、現代において文筆家が取り得る4つのポジション——「スーパースター」「何でも屋」「プラットフォーマー」「兼業作家」——を紹介し、それぞれについて考えていきたい。以下の図をみていただけると分かる通り、この4つのタイプは、「多額の収入を追求するか、しないか」「書くことが生活の中心か、一部か」という2つの次元から成り立っている。
図解
◇タイプ1:スーパースター
 多額の収入を追求し、書くことを生活の中心に据えたい人は、ベストセラーを連発する「スーパースター」を目指すしかない。誰もが名前を知っているほんの一握りの存在になれば、出版不況がどうのこうのといったことはほとんど関係がないどころか、高い知名度を活かしてウェブの世界でも優位性を確保できる。Youtubeを使い、無料のPVを流して人気を高めたレディー・ガガやきゃりーぱみゅぱみゅの事例でも分かるように、ウェブはヒットの種火を大きく増幅させる力がある。
 最近は、出版業界でも海外展開が増えたし、映画化やドラマ化、ゲーム化などの二次利用によって収入を増やすやり方もかなり普及している。ヒットメーカーにとって収益化の可能性は広がっており、一度この領域に足を踏み入れたら、莫大なプレッシャーと引き替えに、かなりのことができる
 問題は、いつの時代もそうだが、こうした地位は狙って獲得できるものではないということだ。誰だって、文筆業を志すくらいなら、ベストセラーを出したいと願う。だが読者・消費者の需要が限られているのに、書きたい人はたくさんいるから、実力があっても報われない人が出てくる。適格者が100人いるのに、座席が1つしかない、という状況では、運や人脈など、文筆家としての能力以外の面が運命の分かれ道となることも多いだろう。この原理は、あなたにどんな才能があろうが、どれほどいい文章を書こうが変わらない。
 つまりこのポジションに行き着くには、人の100倍努力して、さらに倍率100倍のくじ引きに当たるくらいのことがないといけない。狙って到達できるものと考えるのは、合理的ではない。

◇タイプ2:何でも屋
 収入はそこそこでいいから、とにかく何とか文筆でやっていきたい——そう考える書き手は多く、現状、最も経済的に追い込まれている層だ。だがこうした書き手こそ、戦略によって大きな差がでるものであり、いくらでもやりようがある
 前回の記事で紹介したように、昨今の収益化戦略は、「コンテンツは無料、もしくは格安にしておいて、体験や利便性など、別の部分で稼ぐ」というやり方が効果的なことが多い。本や電子書籍を大量に売るのは難しいものの、それに付随した講演やイベントなどで副次的な収入を得られる可能性はある。
 実際の例として、ビジネス書の著者が企業の研修やセミナーを請け負うケースがある。本の出版から得られる印税は、こうした著者らにとって主要な収入源ではない。本の出版自体がある種の宣伝・広報になっていて、これをテコに企業の研修・セミナーなどを受注したり、コンサルティング業務を請け負ったりして稼ぐのである。これらは一案件数万円〜数十万円と、原稿を書くより相当に稼ぎがいい。もちろん、この人の仕事は、すべて文章を書くことから派生しているのである。
 小説家であれば、作品を書きながら、小説スクールで教えたり、新人賞の選考を手伝ったり、イベントや講演に出たりして、数千円、数万円の仕事をひたすら積み上げていく。原稿料が安い書評やエッセイも断らずに書く。同人誌即売会に出たり、講演に出向いたりしたら、自分の作品や同人誌を売って、収入の足しにする。熱心なファンが一定数いるなら、有料メールマガジンを立ち上げる手もある。最近では、企業とのタイアップで広告用の小説を書く有名作家もいる。広告のために書かれた小説、というものに筆者は抵抗感を覚えるが、それも一つの方法ではある。一心不乱に仕事に打ち込めば、運や才能にそれほど影響されずにやっていけるだろう。
 この戦略をとるなら、TwitterやFacebook、Ustreamなどを使ってウェブ上で露出を増やし、一人でも多くの人に自分を知ってもらう努力も必要だ。また様々な編集者に会い、人脈を広げ、仕事を取ってくる営業力も欠かせない。
 筆者と近しい作家たちはみな、仕事の幅が広く、ネット上で存在感があり、仕事を決して選り好みしない。とにかく努力と営業力。これが大切だ。
 雑誌やウェブサイトの原稿を書いたり、講演をしたり、コンサルティングをしたり、といった仕事は、働いたぶんしかお金が入らず、多額の収入を得るのは不可能だ。そこはすっぱり割り切った方がいいだろう。唯一、単行本がヒットすれば一時的に稼ぎが増えるが、それをアテにしてはいけない。
 書くことを生活の中心に据えられるのが、本来、一番の喜びであるはずだし、そこで満足できるメンタリティを持てなければ、厳しい。

◇タイプ3:プラットフォーマー
 あくまで規模の経済を追求するが、必ずしも書くことが生活の中心になくてもいいという人は、スケールメリットを享受できる、ウェブメディアの開発・運営サイドに立ち位置を転換する手もある。ウェブメディアの登場で物書きが食えなくなるなら、自分がウェブメディアをやればいい、というわけだ。
 かくいう筆者はこのタイプに属する。文筆の仕事は大学1年のときからずっと続けているが、それと同時に様々なウェブサイトを立ち上げたり、アプリを作ったりしてきたことが、いまのスタンスを決定づけている。
 2011年に純文学系の文芸誌でデビューした筆者は、以前に書いていた自己啓発書・勉強法の本などに比べて、いかに文学が「食えない」かを知って慄然とした。このままでは、文芸誌のような不採算誌は休刊になってしまうのではないか、作品を世に送り出すこと自体ができなくなるのではないか、という危機感があった。また小説家デビュー後は、かなりのハイペースでひたすら小説を書いていたのだが、誌面が限られた雑誌には思うようなペースで作品を発表できず、ストレスとお蔵入り原稿が増えるばかりで参っていたこともある。
 そこで自ら文芸系のウェブメディアであるクランチマガジンを立ち上げた。既存の文芸誌や出版社に何があっても、最後は、クランチマガジンに自分の小説を載せれば良い。発表できない原稿が溜まったまま死ぬよりは、無料でもネットでもいいから発表した方が良いし、どうせ発表するならひっそりと佇む個人サイトより、人が絶えず行き来するメディアの方が良い。
 だが当然のことながら、これは無償のボランティアではない。ウェブはスケールメリットが活きる領域なので、運営が非常に効率的に行われる。クランチマガジンにしても、開発を自分でやっている限り、運営に使う数台のサーバー代を入れても、毎月の赤字は大した額ではない。サービスを拡充し、前回の記事にあるような工夫を取り入れていけば、運営費をまかなうだけの収入は見込めるし、さらにそれ以上の収入を得られるだろうと踏んだ上で運営している。
 それに、ベストセラーを連発する作家になるのに比べたら、ウェブメディア同士の競争環境ははるかに緩やかであるように筆者には感じられる。作家という単位でみると、プロ志望の人間のうち、数万人に1人しか成功できない。だが商業ウェブメディアは、そもそも何万も数がない。しっかり完成させ、運営すること自体が参入障壁になっているから、その障壁を越えたあとの競争は作家・作家志望者同士のそれとは比較にならない。
 収益性の観点からみても、ウェブメディアは特に黒字化が大変だという声も聴くが、その原因の大部分は、せっかくのスケールメリットを活かせない、人海戦術的なやり方をしていることにある。ひたすら人間が記事を書き、校正し、アップロードするだけのウェブメディアも多い。
 ここでもし、ユーザーによる投稿やコメントを取り入れたり、ランキングやレコメンドを充実させたりすれば、コンテンツの量は同じなのに、楽しみ方の幅は広がる。サイト上の様々なデータを分析し、コンテンツ化することもできる。一度導入すれば自動で動作する魅力的な機能があれば、投入した人的リソースに対して、読者・ユーザーが得られる楽しみが増えるので、スケールメリットが活きるのだ。

 こうした転換にとって大事なのは、自分でウェブプログラミングを学び、まずは実践してみる姿勢だ。いまでは「ドットインストール」のようなプログラミング学習サイトで、誰でも簡単にウェブサイト構築の知識を得ることができる。開発用のソフトウェアもほぼすべて無料で手に入る。一度その世界を知ってしまうと「どうしてみんなウェブをやらないのか?」とさえ思うようになる。
 一方、「コンピューターのことはよくわからない」という意識のまま、無闇にウェブメディアを運営するのは失敗のもとだ。サイトの開発を外注し、法外な値段を払わされた上に成果物の質が低かったり、多額の人件費を払って記事を書いたのに反響がなかったりする。ウェブをやるなら、コストを極限まで抑え、スケールメリットを活かす方針を貫き、データやコンテンツから最大限、楽しみを引き出すよう工夫に工夫を重ね、読者獲得のための広報戦略に力を入れる必要がある。

◇タイプ4:兼業作家型
 収入にも、書くことにも、そこまでこだわらない「兼業作家」という立場もあり得る。ここでいう兼業というのは、メインの仕事が、必ずしも文筆に直結していないということを意味する。タイプ2の「マルチタレント」型では、色々な仕事をしていても、その仕事の中身自体が、結局は文筆の仕事があってはじめて成り立っていたのとは対照的だ。
 既に多くの書き手が、会社員やアルバイトをやりながら、副業あるいは趣味として文筆に励んでいる。芥川賞作家の磯崎憲一郎さんも、直木賞作家の朝井リョウさんも、会社員を続けながら書いている。時間の使い方は専業の人よりシビアになるが、働いているから書けないということもないし、また働いているからこそ書けることもある。また、生活の糧を、文筆以外のところで持っていることによる精神的安定は計り知れない。

 引き合いに出すのは意外な感じもするが、文筆業が置かれている状況は、ちょうど農業の過去に似ている。三島由紀夫が自決した1970年には農業人口は1300万人もいたが、いまではその数は240万人を割っており、なおかつ兼業農家がその四分の三ほどを占める。国から様々な補助金が出ているにも拘わらず、農業で食べていける人は減り続けている。
 この背景には、農業の生産性が驚くほど上がったこと、そして食糧の輸入が増えたことがある。品種改良や農業機械の導入で、人の手による作業や管理の手間が減り、収穫高が増える。そして大規模農業で作られた安い輸入作物が入ってくる。そうすると、農産物の相対的な価格が下落する。少人数で規模が大きい農家は収益を上げられるが、小規模な農家は農業で食べていけなくなる。
 インターネットメディアは、いわば農業における農業機械である。それは少ない人間で数多くの読者を楽しませることを可能にした。また海外発の様々なサービスやメディア(そのほとんどが無料である)が流れ込んできた。こうしたことが、専業の物書きに対する需要を劇的に減らしているのだ。
 だとしたら、物書きの世界において兼業が増えていくのはまったく自然な流れではある。ただ、兼業だから安泰というわけではもちろんない。もう一つの仕事の方だって、しっかり続けていくのは大変だ。両立が難しくなり、結果的に書くのをやめてしまう人も出てくるだろう。それは、一番残念なことである。

◇多くの物書きは「何でも屋」か「兼業」に二分化
 おそらく、これからの物書きは、何としてでも文筆に食らいついてやっていく「何でも屋」型の人と、「兼業でいいじゃないか」という人に二分されていくだろう。いずれにせよ、収入の口を複数用意して、全体として何とかやっていけるようにする、という方策であることには変わりはない。軸足を、物書きを中心に据えるか、本業を別に持つかの違いだけだ。どちらが正解ということもない。そもそも、「これさえやっていれば大丈夫」と言えるような安全策など何もないのだから、各自が創意工夫してやっていくしかない。
 そのようにしてしぶとく活動している人のなかから、次世代の「スーパースター」が生まれてくる。宝くじが当たるような確率かも知れないが、人々がスターを求め、また自らがスターになろうと思う人がいる限り、必ず新しいスターが生まれる。

 そして、一部では、筆者のように、「いままで戦っていた敵の行動原理を身につけた」かのように、メディアの運営に立場を切り替える人も出てくる。同じくプロデビューした純文学作家の高橋文樹氏が運営している「破滅派」というオンライン文芸誌も業界では有名だ。こうした例がこれから次々と出てくるだろう。
 考えてみれば、明治・大正の文人たちは、いまあるような出版社、それらが運営する雑誌や単行本のブランドを、何もないところから作り上げてきた。明治初期には、いまのような大量販売が可能な出版流通の仕組みもなければ、文壇やジャーナリズムもなかった。ましてやインターネットのような、コストのかからない情報発信の手段など、当時の人々は夢にも思わなかったに違いない。
 文人たちは、同人誌を企画し、編集し、印刷し、街の書店を巡って置いて貰うなどして、自分たちの活動が認められるよう努力した。出版社を作り、文学やジャーナリズムの賞を設け、時代に適したシステムを作ったのだ。そういう意味では、いまのようなメディア激変期には、書き手がメディアを作る側に回ることには合理性も必然性もある。歴史をひもとけば、物書きが自ら言論執筆活動の舞台を作るのはごく普通のことだと分かるはずだ。

 かなり身も蓋もないことを書いてきたが、もしあなたが作家やライターを志望しているのなら、「黙々と原稿用紙を埋めていく、落ち着いた文化人」といったようなステレオタイプな物書き像はいまこの瞬間に捨て去ろう。若手の物書きで、そんな風情でやっている人間は一人もいない。誰もが生き残りに必死で、気取っている余裕など微塵もない。それでも変化に上手く適応できず、兼業になり、やがては文筆を諦め……と撤退していく人も少なくないのだ。
 偶然に支配される「スーパースター化」が現実的な選択肢でないとすると、何でも屋として必死にやるか、兼業でよしとするか、大胆にプラットフォーマー=メディア運営者側に軸足を移すか、3つくらいしか取り得る方策はない。
 どのやり方が一番自分が納得できるのか、あるいはさらにもっと別の方法があるのか、作家やライター志望者の方には、ぜひ、この機会に考えてみたいただきたい。

[#05:物書きに残された4つのポジション -「プライシングとマネタイズ」の未来予想図(後編) 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

今村友紀(いまむら・ともき)

作家。1986年秋田県生まれ。CRUNCHERS株式会社CEO、CRUNCH MAGAZINE編集長。主な小説作品に『クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰』『ジャックを殺せ、』など。 http://crunchers.jp/ https://i.crunchers.jp/