#06:村上春樹はなぜ売れる? 読者を巻き込む「著者ブランド」の作り方 -「コミュニティ」の未来予想図(前編)
今回の記事からは、出版を取り巻くコミュニティについて考えていきたい。
前編では、著者のブランディングとコミュニティとの関わりについて述べ、後編では昨今広く普及している書評サイトについてみていきたい。
《今回のまとめ》
○継続的に読者を惹き付け続ける「ブランド」の力は、出版の仕事においてなくてはならない価値の源泉である。
○「ブランド」とは「すぐにそれとわかり(識別性)、他にはないもので(差別性)、優れている(価値)」ような存在のことを言い、これを高めるには様々な読者との接点で、一貫したブランド体験を提供する必要がある。
○一貫したブランド体験の提供のためには、まず、書き手自身の立ち位置、シリーズのコンセプトなどの「中核概念」をしっかり定めることが重要であり、次に、ウェブの力も活用し、読者コミュニティを構築し、継続的な接点を自ら生み出しながら、読み手にブランド体験を的確に届けてゆくことが大切である。
本連載をお読みの読者の方には、文筆業の方、出版業界の方や、そうした方面を目指している方が多いと思う。そうした人たちの多くが気になることの1つに「人気作家」の存在がある。
継続的に読者を獲得し続ける人気作家は、何が他の書き手と違うのだろうか? その答えが「ブランド」にある、と筆者は考える。
前回の記事では、書くことを中心に仕事をしようとするなら、講演やセミナー、研修、その他、書くことに派生する様々な仕事を何でもこなす「何でも屋」でないと生き残れないと述べた。そのような場合に、著者にブランド力があり、熱心な読者・ファンがついていると経済的にも精神的にも非常に心強い。
では、ブランドとはそもそもどんなもので、いかにして形成されるのだろうか。
◇ブランドとは何か
まずブランドとは何たるか、ということだが、これは世界最大手のブランドコンサルティング会社・インターブランド社による定義がある。以下は、同社・岩下充志氏による『ブランディング7つの原則』(日本経済新聞出版社、2012年)からの引用となる。
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「ブランド」とは“living business asset”つまり、「常に変化するビジネスアセット(資産)」と定義される。それは、あらゆる企業活動を通して生み出され、適切にマネジメントされれば、識別性(identification)と差別性(differentiation)と価値(value)を創出するものである。
やや抽象的な言い回しだが、要するに、ある商品やサービスが、すぐにそれと分かり(識別)、他との違いが際立ち(差別)、よく買われる(価値)とき、その商品にはブランド価値が宿っているということだ。村上春樹氏の文章は、すぐに彼のものとわかるし、他の作家と違うし、面白くてつい買ってしまう。だから村上春樹作品にはブランド価値がある、ということだ。
このブランドの価値というのは、実は数字で計測することができる。国際標準化機構による国際標準ISO10668として「ブランドの金銭的価値評価を行うための手法および手順」として認定されてもいる。ここで細かい会計式を書くのは趣旨とはずれるし、そもそも筆者は会計の専門家ではない。とにかく、企業や人が手にする将来の儲けのうち、ブランドによってもたらされている額と、その額がもたらされる確実性が把握できれば、そのブランドの現在価値を知ることができる、ということだ。
こうした手法でブランド価値を計算すると、コカコーラやGoogleといったグローバル大企業は日本円にして数兆円単位のブランド価値を有していると見られる。重要なことは、この金額は単なるイメージではなく、標準化された会計手法によって計算された金額である点だ。ブランド価値が5兆円なら、そのブランドは将来にわたって5兆円の儲けを生むと考えられる。
少し余談が膨らんだが、ブランドには数字で計測できるくらいはっきりとした価値があるということは憶えておいて損はない。
◇「ブランド」は著者に宿る
続いて、『ツール・オブ・チェンジ』の第8章「ダイレクトセールス」のなかにある、次の文をよく読んで頂きたい。
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読者の目をひくブランドとは主に著者か、それでなかったらシリーズです。少なくとも出版社ではありません。
(ジョー・ワイカート「ブランドですよ、お馬鹿さん!」より)
ブランド力があるのは、著者やシリーズであって、出版社ではない。出版における「ブランド」を考える上では、このシンプルな一節がポイントとなる。
たしかに、講談社の本、小学館の本を買いたくてわざわざ書店に行く人はいない。一部の読書マニアは出版社で本を選んだりするかも知れないが、大抵の人は著者の名前やシリーズ名で人はブランドを認識する。
では、著者に力点が置かれるか、シリーズに軸足が置かれるかは、どのように決まるのだろう? おそらく、それは作品の中身とも密接に関係している。
純文学やビジネス書、自己啓発本なら、著者自身のこだわりや主張が大切とされるから、間違いなく著者にブランドが宿る。読んだことがなくても「平野啓一郎」と聞けば「ああ! あの人!」となる。
一方のライトノベルや漫画は、著者名よりシリーズ名の方が記憶に残る傾向がありそうだ。「進撃の巨人」「涼宮ハルヒ」といったシリーズ名は、読んだことがなくても知っている人が多いだろうが、そうした人たちはおそらく著者の名前は憶えていない。
どちらのケースにせよ、読者がそれをはっきりとブランドと認めていることは素晴らしいことだ。
さてこうしたブランド価値の形成戦略は——様々なブランディング戦略の本に書いてあることだが——「さまざまな顧客接点において、一貫した体験の質が顧客に与えられる」ことで形成される。
再び村上春樹氏の例を出すなら、つまり、「小説読んでもハルキ、エッセイ読んでもハルキ、翻訳読んでもハルキ」である必要があるということだ。村上氏はこの要件を完璧に満たしている。小説・エッセイ・翻訳、どれを読んでも文体が変わらないのだ。きわめて平易で、ちょっと気取っていて、どこかしらユーモラスな雰囲気も兼ね備えた独特の文章である。
さらに言えば、マスコミへの露出を嫌い、マラソンにせっせと励み、たまに英語でスピーチをし、ハワイと日本を行き来して暮らしている……といった我々が計り知ることのできる彼のライフスタイルも、きわめて「ハルキ的」であろう。
このように書くと、「作家本人なんだからハルキ的なのは当然だ」と思うかも知れないが、一般的にはそうではない。いかに元気で破天荒な物語を書いていても、作家本人は大人しくて根暗ということはよくある。あるいは悲惨な話をこれでもかと書いている作家が実に和やかな性格だったりする。作品の文体、内容、プライベートといったあらゆる側面において、村上氏ほど一貫している書き手は稀だろう。
このように、意図しているかどうかはともかく、ブランド化というのは、様々な読者との接点において、常に一貫した体験をもたらすことによってなされることがお分かり頂けただろうか。
◇ブランド価値を高める2つの方法
ブランドが、一貫した体験を与えることで形作られるとするなら、ブランドの価値を高めるにはどうしたらいいだろう?
ここでもまた、引用をしてみよう。
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私たちが読者と強い絆を結ぶことができた理由は、ブランド以外の何ものでもありません。大切なのは商品を売ることではなく、コミュニティの構築です。
(ジョー・ワイカート「ブランドですよ、お馬鹿さん!」より)
ブランドには読者と私たち(=出版社や著者)との間に絆を結ばせる力があり、それは商品を売ることによってではなく、コミュニティの構築によって築かれる。ここで、コミュニティとブランドが相互に強化し合う関係にあることが理解できる。
このことから、ブランドの価値を高めるには、次の2つが必要不可欠であることが分かる。
1つは、ブランドが成立する前提として、ブランドが発信する明確なメッセージを作ること。曖昧だったり、どっちつかずだったりすると、体験の一貫性が損なわれる。著者・シリーズの立ち位置、コンセプトといった部分を明確に作り込む必要がある。本を出すたび、その内容や雰囲気を変えることはあっても、その著者の本を読んで得られる体験の質は、根本的なところでは同じでなければならない。
そしてもう1つは、ブランドのメッセージをより適切に伝達するために、読者とのコミュニティを構築すること。具体的には、ウェブやソーシャルメディアを活用して読者とコミュニケーションができるようにすることだ。書店に本を並べて、それが売れていくのを眺めるだけではわからないことが、読者と直接、膝を突き合わせてみるとわかる。
筆者自身を例に取ると、本名・石井大地名義では「勉強法の本を書く現役東大生」ということでずっとやっていたが、後に小説家・今村友紀としてデビューしてからは、「文学や言葉の未来を考える」というスタンスを取り続けてきた。プロデビューしてから同人文芸の世界に足を突っ込んだり、FacebookやTwitterを使い、場合によっては2chにも出没して読者との直接のやりとりを続けてきた。
最新単行本の『ジャックを殺せ、』は言葉の持つ機能について原理的に考えた(いささか難解な)作品だが、作品発表後、クランチマガジンの開発・運営のほか、京都大学の研究者らと共同でテキスト解析技術を研究開発し、企業コンサルティングや自社サービスに活かしており、それらはすべてつながっている。「言葉の未来」を考えるという軸を持っていなければ、筆者が本連載を書くこともなかったかも知れない。
こうした活動のなかで、数はそれほど多くはないが(といっても千人単位の)読者・関係者との関わり=コミュニティが形成されてきた。そうしたつながりによって、筆者は一人の物書きとして支えられているのである。
なお、クランチマガジンや同人文芸界隈で人気のあるインディーズ作家をみると、間違いなく、上記2点をしっかり実践している。
自分なりの売りどころを理解し、キャッチコピーや紹介文を分かりやすく作り込むこと。Webサイト、作品の表紙デザイン、あるいは同人誌即売会のブースなど、人々の目に触れる部分全体に一貫した雰囲気を持たせること。TwitterやFacebookで告知をかけ、ブログにしっかり活動状況を書きまとめること。一貫性と継続性が、じわじわと熱心な読者を獲得する鍵だ。傍目には一朝一夕に人気を獲得したように見えるかも知れないが、内実を知れば、そこには血の滲むような努力と工夫があるものだ。
面白いのは、少なくともクランチマガジンをみている限り、必ずしも「万人受けするコンセプト」を抱えた著者が人気者になるわけではない、ということだ。筆者の感覚では、コンセプトが万人受けするかどうかより「コンセプトそのものが明快かどうか」の方が影響が大きいと感じる。「純文学」「いい話」といったキーワードは、あまりに漠然としていて何のことだか分からない。恋愛小説、ラノベ、といった「既にあるレッテル」の枠組みを安易に使っている作家は、そうした言葉を、コンセプトがはっきりしていないことの言い訳に使っていることが多い。
一方、「クランチマガジン掲載作を専門家が本格批評」というコンセプトで、他のユーザの作品についての批評を展開した人が一躍ランキング上位に躍り出たり、「女性についての『あるある話』を毒舌で一刀両断」というコンセプトを導入して大ヒット中の書き手など、人気が出るユーザーは、とにかくやっていることが明快だ。しかし、そうした人気ユーザーも、自らが定めた立ち位置からずれたことをすると、思うようにアクセスが集まらなかったりする。サイトを通じて、実地でブランディングの何たるかを学んでいるわけだ。
前回の記事を書いたあとにも思ったのだが、いまの時代、内向的で、部屋にこもって文章を書くだけが仕事、というタイプの作家はますます追い込まれている。本来、文学や文芸の世界は、そうした内向的な人の持つ創造性を取り込むことで発展してきた面があることを思えば、こうした状況は非常に残念ではある。書くのが上手いだけでなく、自己プロデュース、自己ブランディングに長け、ビジネスの才覚がある「何でも屋」でないと生き残れないとは、何と世知辛いことよ。
それでも、筆者個人としてはむしろ、計算高くしたたかに生き残る、そのような自己演出家たちが書いた文章にこそ、興味が湧いてくる。太宰治にせよ、三島由紀夫にせよ、あるいは漱石にせよ、みなさんがご存じの大作家たちはみは、どこかしら自己演出の衣装をまとった役者であったように筆者には思われるからだ。素朴さ、実直さも優れた資質には違いないが、虚飾や演出があるが故に生じる面白さや奥深さもある。真面目な文学青年より、作り笑いを浮かべているブランディング巧者にこそ、人の心を捉えてやまない魅力が宿る可能性も十分にあるのではないだろうか。
[#06:村上春樹はなぜ売れる? 読者を巻き込む「著者ブランド」の作り方 「コミュニティ」の未来予想図(前編) 了]
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