#08:直感はデータに勝てない? 編集者の職を脅かす「データ革命」とその可能性 -「データ」の未来予想図(前編)
今回からは2回にわたり、昨今さまざまな業界で重視されている「データ」の力について考えてみたい。
出版業界に関連して扱われるデータは、大きく分けて2つある。1つは、売上部数や販売金額、顧客の購買行動などに関する「マーケティングデータ」であり、もう1つは、出版における商品そのものであるテキストや画像などの「コンテンツデータ」である。
本記事では、前者の「マーケティングデータ」を中心に述べていきたい。主に、編集者や広報・営業担当、出版社の経営層など、本の販売戦略を考える立場の方に向けた内容となる。
《今回のまとめ》
○データを分析し、客観的に導き出された結論は、往々にして人間の直感や経験に基づく判断より的確である。たとえばデータに基づく意志決定は、昨今のソーシャルゲーム・アプリゲーム市場の成長の原動力となっている。
○出版ビジネスを活性化するために必要な販売データは簡単に手に入り、分析のためのツールもExcelがあればかなりのことができる。大事なのは技術や人材より、データが導き出す見解を柔軟に受け入れる意志だ。
○今後、企画立案や新人発掘といった編集者の仕事は、ウェブメディアとデータ分析によって代替されてゆく。技術を学んでデータ革命についていくか、書店の場作りなど別の領域に強みを持って生き残るかして、適応をはかる必要がある。
○直感と経験だけでやっていけるか
出版におけるデータに基づくマーケティングの威力と可能性については、『ツール・オブ・チェンジ』第4章の、「崩壊する出版マーケティングをビッグ・データが救う」(ジョン・ウェブ著)に詳しい。この数ページにわたる文章を、業界の人間は一字一句漏らさず真剣に読むべきである。
当該部分でジョン・ウェブ氏は、本のためのマーケティング情報サービスを提供するブックシーア(Bookseer)を運営するピーター・コーリングリッジ氏にインタビューを行い、重要な発言を引き出している。
まずコーリングリッジ氏は、現状の出版業界における意志決定に関して、次のように端的に述べている。
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出版業界は長年の間、経験や直感が意志決定の大きな要因になるという、がっちりとした基準に従って進んできました。その殻を破るのはなかなか難しいようです。
――ピーター・コーリングリッジ氏
これは実例をあげてみると分かりやすいだろう。
小説家がデビューするときのことを考えてみよう(ここでは、純文学やエンタメなどの賞を想定している。ライトノベルなどは若干、システムが違うので注意されたい)。
大抵の文芸系の出版社は、新人著者を発掘するための文学新人賞を開催している。毎年、数百から数千もの作品が賞に応募されるわけだが、そうして届けられた作品を、編集者たちや、助っ人として呼ばれた「下読み」と言われる査読委員(主に新人の作家やライターがなる)が、片っ端から読んでいき、所定の選考基準に従って選抜をする。
一次選考、二次選考、三次選考、四次選考……と進むなかで、編集部内部では何度も何度も議論を繰り返し、良さそうな作品を何十回も読むことになる。そのようなプロセスの果てに、中堅以上の作家数名による最終選考がどこぞの老舗ホテルなどで行われ、編集スタッフ立ち会いのもとで受賞作が決まる。
受賞が決まると、出版社はプレスリリースを出してマスコミに告知をし、その様子を新聞や雑誌などのメディアが取材する。受賞作は雑誌に掲載され、作品によっては単行本が発売される。
これが、一般的な新人発掘のプロセスである。
読者の方は気づいたと思うが、小説家をデビューさせるまでの全過程において、定量的なデータに基づいて意志決定がなされることは一度もない。すべては、編集スタッフや選考委員であるプロの作家たちの、直感と経験に基づく基準によって判断され、選考が進められるわけである。
もちろん、直感と経験が、うまく読者のニーズとマッチした結果、作品が評判になることもある。だがそうした直感的判断には再現性がなく、編集者の勘が外れた結果、売れない本が出版される、といったこともよくあるものだ。
筆者はクランチマガジンに掲載した「作家の家計簿〜文壇魑魅魍魎3」というエッセイで、新人賞の運営費を計算してみた。ざっくりとした計算になるが、だいたい作家一人をデビューさせるまでの過程で、人件費や販促費が1,500万円以上費やされている。だが、その投資が報われるには、受賞作が4〜5万部以上売れなければならない。だがほとんどの新人賞受賞作が3000部から6000部程度の部数を刷り、まったくといっていいほど重版がかからない現状をみると、「新人賞はペイしない」という結論以外はあり得ない。
小説以外の実用書、たとえばビジネス書や自己啓発本は、著者からの企画持ち込みや編集者自ら著者に依頼するような形で作品が生まれることが多い。
その場合も、企画にGOサインを出す際に、定量的なデータが真剣に検討されることは稀である。ましてや、市場動向に関するデータや販売データに基づき、一定の基準をクリアしなければ出版できない、といったような、数字に基づいた客観的な判断をしている出版社はほとんどないはずだ。
経営コンサルタントやビジネススクールの教授が書いているようなビジネス書では、よく「客観的なデータに基づいて意志決定をすること」の重要性が説かれているものだ。しかし皮肉なことに、その種の本であっても、出版の可否は編集者の感覚で決まりがちである。
直感と経験に基づいて出版をしたとしても、当然ながら、ちゃんとヒット作は生まれる。ここで言いたいことは、直感と経験に基づく判断が間違っているということではない。問題は、そのような判断には再現性がないことだ。
ヒット作が生まれれば、それを生み出した「スター編集者」や「売れっ子作家」は人気者になるだろうが、出版社にとってみれば、継続的にヒットを生み出し続けるためのノウハウが蓄積されない。そして、「結局、何が売れるのか?」という問いに対する答えは、誰も分からないままだ。
○データが覆す「常識」
そこで、データ分析の出番である。
出版に関する様々な販売データや、ソーシャルメディアで流通する読者の声を集めて分析してみると、直感ではわからなかったことや、直感を裏切るような事実が次から次へと明らかになることがある。
再び、コーリングリッジ氏の言葉を引用しよう。
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彼らがもっとも驚くのは、本によっては、大幅な価格変更は人々が考えるほど販売部数には影響を及ぼさないこと。文学作品に対する著名人の推薦コメントは、手間のわりには売上げに影響しないこと。ソーシャルメディア上での盛り上がりは、ほとんどといっていいくらい売上げにつながらないことです。
――ピーター・コーリングリッジ氏
氏がデータ分析の結果導き出した、この何気ない3つの文章は、いずれも、出版業界における常識にことごとく反している。
第一に、出版社は本が売れないという事態に対処するため、「文庫書き下ろし」や「新書」など、一般の単行本より安い本を積極的に出すことで売上を確保してきた歴史がある。だがある種の本は、価格を下げても大して販売部数が増えない。それなら、十分に利益を確保できる価格設定にした方が良い。
第二に、著名人による推薦文は、文芸系の出版社における広告戦略の中核をなしている。筆者が小説家デビューした『クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰』も、2作目となる『ジャックを殺せ、』も、色々な作家や文芸批評家の方に頼んで推薦文を書いていただいた。推薦文をもらうために、担当編集者は必死で色々な人にアプローチしていた。そうした営みがほとんど売上に影響しないとしたら、その努力は一体何なのだろう?
そして何と言っても、ソーシャルメディアの効果である。出版社はTwitterアカウントを作り、新刊情報などを頑張って呟いている。だがその努力は、売上につながっていない。ただでさえ忙しい編集者が、必死に呟いても、その努力は報われないのだ。
また、コーリングリッジ氏はこうも言う。
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メディアへの露出や凝ったバナー広告に予算をたっぷり注ぎ込むことは、著者や書店を喜ばせるかもしれませんが、売上げに対する投資回収率(ROI)で見るとさんざんな結果しかもたらしません。
――ピーター・コーリングリッジ氏
前回の記事でも触れたが、現在、販促・広報のために開催される文学賞では、何百万円もかけて盛大な授賞式を開き、立派な記者会見を行っていたりもするのだが、それに見合う収益は上がっていない。大雑把に言えば、もっともブランド力のある芥川賞・直木賞で、ようやくコストと収益が釣り合うくらいだろう。
出版社からすれば、長期的なブランドを作るとか、取引先をもてなすなどの色々な「言い訳」があるのだろうが、それでも最終的なマネタイズポイントである本の売上げが不振なのであれば、その投資は永遠に報われないことになる。
以上のようなポイントは、まだまだ氷山の一角に過ぎない。販売データや読者からの反響をしっかり追っていけば、業界に蓄積されてきた根拠のない神話が次々と覆されていくだろう。
このような傾向が強まっていたときに出てくるのは、「それでは、編集者は一体何のために存在しているのか?」という、きわめてシビアな問いだ。
ほとんど効果がないと分かっている推薦文の獲得や宣伝ツイートに躍起になっていた編集者は、いったい何をもって自らの仕事を正当化できるだろうか。売れると思って発掘した新人が売れなかった、といった事態に対し、編集者の責任・功績をどう把握すべきなのだろうか。
データに価値がある、という発想をいったん持つようになると、それまで何となくの「感覚」で行われてきたあらゆる意志決定に疑いの目が向けられるようになる。
そしてデータに基づく意志決定が、直感と経験に基づく意志決定よりも安定して高いパフォーマンスを上げる時代は、既に到来しているのだ。
○激動するゲーム業界
その良い例が、スマートフォン向けを中心としたソーシャルゲーム・アプリゲームの業界である。2000年代の半ば頃までは、ゲームの主役はPlayStationやニンテンドーDSなどの専用ゲーム機であり、ゲームはほとんどがパッケージソフトだった。プラスチックのケースに入ったディスクやカセットが店頭で売られているという意味では、出版にかなり近い。
だが最近流行しているのは、スマートフォンやタブレットからダウンロードし、ネットに接続して遊ぶタイプのゲームだ。遊び始めるのは無料で、特定のアイテムを買うのにお金がかかるアイテム課金が中心だ。こうしたゲームは凄まじいスピードで成長しており、ここ5年ほどで一気にゲーム業界の勢力図を塗り変えた。「パズル&ドラゴンズ」で有名なガンホー・オンライン・エンターテイメントなどは、ものの1年でゲーム業界のトップランナーに躍り出た。
個々の作品のヒット要因は色々であり、一概にこうだと断定はできない。だが、市場全体がソーシャルゲーム・アプリゲームに急速にシフトした理由は明確だ。もちろん第一に、スマートフォンが急速に普及し、多くの人がアプリをダウンロードして手軽に遊べるようになったことがある。だがより重要なのが、これらのゲームは、従来型のパッケージゲームと違い、「データ」に基づいて売上げを最大化することを目的に設計され、それに成功している点だ。
ソーシャルゲームでは、ユーザーの行動履歴を徹底して収集している。どのページをどういう順番で見たか、どんなアイテムをいつ買ったか……など、非常に細かくデータが取られており、そうしたデータを集計し、どんなタイミングでどういう施策をとればユーザーがアイテムを買うのか、徹底的に研究している。高学歴の優秀なエンジニアが、いまはこぞってソーシャルゲームを作っているが、それはデータ分析の力で「稼げる」ことが明らかになってしまったからだ。
率直な考えを言えば、筆者は、売上げを最大化するために用意された場であえて時間を潰す、ということ自体に大いに馬鹿馬鹿しさを感じていた。わざわざお金を巻き上げられにいくという発想が分からないのだ。そんなわけで、昔からゲームが大好きだった筆者も、なんとなく、ソーシャルゲームには抵抗があった。
だがこのまま食わず嫌いではいるのもどうかと思い、SUPERCELLの「Clash of Clans」や、Z2の「Battle Nations」などのゲームをダウンロードし、意を決して遊んでみた。結果はあっけなかった。絶対にお金は払わない、と決意していたのも関わらず、始めて数日で何千円ものお金を払ってしまっていた。
データに基づき、人がお金を払いたくなるように設計された場所では、人はやはりお金を払ってしまう。筆者の直感と経験に基づけば、こんなあこぎな商売はない、やめておこう、という判断になるのだが、いざ使ってみると、やっぱりお金を払ってしまう。
かなりえげつない事態だが、データの力とは、究極的にはこのようなことを指す。
○では、出版社や編集者はどうすればいいのか
データに基づく意志決定、とか、ビッグデータ、といったキーワードを聞くと、何やら難しい技術が必要なのではないか、と考える人も多い。しかしそれは完全な誤りだ。
たとえば、出版社には、既に大手書店チェーンや取次(卸売業者)からの売上げデータが入ってきているはずだ。また、Twitterでの読者のつぶやき、レビューサイトに書かれた読者の投稿を読むのに、何か技術が必要なわけでもない。
情報は既に目の前にあるし、それを集めるのも難しいことではない。データ分析といっても、必ずしもそこまで複雑な手法が必要なわけではない。手元にあるデータをExcelで集計してみるだけでもかなりのことがわかる。
結局のところ、データに基づく意志決定がうまくいくかどうかは、出版サイドが「データを出版ビジネスに活用する」という明確な意志を持ち、行動に移すかどうかにかかっていると言えるだろう。
裏を返せば、どれだけ優秀な人材を揃え、大手IT業者が売っている高価なビッグデータ用サーバー(筆者は「ビッグデータ用」のサーバーなどというものが存在する意義がまったく理解できないが)を買ったとしても、データ分析によって導き出された結論を受け入れる覚悟がないなら、何の意味もない。
一番ありがちな失敗は、せっかくデータに基づいて様々な分析結果が分かったのに「そうはいっても……」「頭では分かるが……」といった枕詞をつけて、何やかやと言い訳をして現実を受け入れないことだ。これでは、データ分析のために費やしたすべてのコストが完全な無駄になる。
何度強調しても足りないくらいだが、データをビジネスに活かすというのは、技術や人材の問題である前に、意志・意欲の問題なのだ。
○これからの出版ビジネスの青写真
最後にデータ主導型の出版マーケティングの例として、筆者自身の活動を僭越ながら紹介させていただく。
本連載で何度も言及しているように、筆者は書き手が集まる投稿型メディア「CRUNCH MAGAZINE」を立ち上げた。そして、サイト上で活動するユーザーのなかから評判の高い作品を書ける才能を発掘し、プロデビューにつなげるための新人賞(CRUNCH NOVELS新人賞)を、ディスカヴァー・トゥエンティワン社と共同で開催している。
この新人賞では、サイト上での反響や作品の中身を分析し、才能のある作家をデータに基づいて発掘するのが基本になる(編集者の直感で選ぶ余地もある程度は残しているが)。そうして選び出された作品・作家が必ず大ヒットするか、と問われると、まだ第1回の選考が始まってもいない現段階では、「やってみるまで分からない」としか言えない。
ただ、これまで多大なコストをかけ、直感と経験「のみ」に基づいて行われてきた新人賞に比べると、非常に低コストで運営できていることは間違いない。高給取りの編集者や、下読みの査読スタッフがしていたはずの仕事は、筆者が書いたプログラムでかなりの部分が代替されている。
また、サイトにおける読者からの反響データは既に手元にあるわけだから、「読者が求めているのはどんな作品なのか?」といった問いについて、哲学的な思索をする必要はまったくない。答えは既に、クランチマガジンにおける読者数や反響数という形で、はっきりと目の前にあるわけだ。これも、突き詰めて考えていくと、編集者があれこれ考えて企画を立てる手間をばっさりとそぎ落とす「コスト削減策」である。
既存の新人賞は、コストの面でまったく割に合わなくなっている。このままでは次々と新人賞がなくなり、優れた書き手がデビューする道が閉ざされてしまう、と筆者は考えている。現に2011年をピークに、出版社が主催する新人賞は減り始めている。これから、デビューの口はどんどんなくなっていく。
もし、データの力を用いて、ほぼゼロコストで新人賞を運営できるなら、新人発掘という、出版ビジネスの根幹とも言える大切な試みを、持続可能な形で再構築できる——それが筆者の狙いである。
○データ革命は編集者の仕事を奪う
20年近く縮小を余儀なくされてきた出版業界は、たくさんの中小書店の廃業や、著者・ライターの収入激減を経験してきた。成長著しい電子書籍やウェブメディアの力をもってしても、この減少分は補いきれていない。これからも、市場規模という点では縮小し続けることは避けられないだろう。
そういった環境下で出版ビジネスを展開していく上で大切なことは、これまでとは「次元の異なる」コスト構造を持つことだ。つまり、売上げを劇的に伸ばすことは難しい、という現実を受け入れた上で、コストを劇的に減らすことを考えるべきなのだ。
幸い(というか何というか)、出版業界は、高給取りの編集者がたくさんいるので、この部分のコスト削減余地はかなりある。この部分に、筆者は、データ分析の力が活きるだろうと考えている。編集者が行っている新人発掘や企画作りの部分を大胆にプログラムで置き換えることで、これまで5人の編集者が必要だった仕事を、1人いればできるくらいにまでスリム化し、同時に優れた書き手・優れた作品を人間より高い精度で選び出せれば、収入を増やしつつ、支出を劇的に減らすことができる。
編集者をプログラムで置き換える——こう言うと何だかディストピア的な響きがあるが、ウェブメディアの世界では既に同じことが実現している。かなりのアクセスを稼ぐ人気サイトでも、編集スタッフは1人か2人しかいなかったりする。いまでは無料で高機能なアクセス解析ツールが使えるので、データに基づく意志決定が簡単に行える。どういう記事が読まれやすいかをリアルタイムで知り、次の企画に反映させやすいということは、企画業務の生産性を大幅に向上させる(つまり、同じ仕事を少ない人数で回せるようになる)。
また、Gunosyのようなニュースアグリゲーションサービスは、データ分析の力を活かして、ユーザー一人一人の興味に合わせたニュースを配信している。これも、編集者の仕事をプログラムが置き換えている好例である。
今後、出版においてはますます編集者の淘汰が進むだろう。企画立案や新人発掘などの業務がプログラムとウェブメディアに代替されていけば、編集者の仕事は印刷や配本の手配をするといった事務作業だけになるかも知れない。
そうした潮流を念頭におけば、これからの出版ビジネスで求められる人材は、大きく2つある。
1つは、書店店頭でのプロモーションやイベントの企画運営など、読者との接点となるリアルな場を動かせるタイプの人だろう。ネットで告知するだけでは宣伝効果がほとんどないと分かってきた一方で、B&Bやゲンロンカフェなど、読者と著者が交流をする場の運営そのものをビジネスにするような新しい業態が生まれている。「リアルな場作り」の部分には、まだ大きな価値がひそんでいるとみて、そうした領域で強みを発揮できるように知識とスキルを磨くのは良い方法だ。
もう1つは、自らデータを扱う能力を磨き、編集者の仕事を「奪う側」に回ることである。ウェブ上のメディア・コミュニティを設計・開発・運営するとか、そうした場に蓄積したデータから次のヒットの卵を探り出す、であるとか、企画の収益性を判定するプログラムを作るとか、そういった部分で活動しようと思えば、まだいくらでもチャンスがあるだろう。
次回は、コンテンツデータ、つまり作品の中身そのものをデータとしてみたときに分かってきたことを述べる予定だ。筆者が経営するCRUNCHERSでの取り組みを紹介しつつ、「感動する作品とは何か」という大きな問いに迫ってみたい。
[#08:直感はデータに勝てない? 編集者の職を脅かす「データ革命」とその可能性 -「データ」の未来予想図(前編) 了]
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