作家として活躍される傍ら、新たにこの夏株式会社を立ち上げ、作家と読者をつなぐSNS「CRUNCH MAGAZINE」の運営を始めた今村友紀さん。その活動の真意はどこにあるのか、作家のエージェンシー「コルク」代表の佐渡島庸平さんが探っていくうちに、話はなぜか次第に今村さんの人生相談に……!?
編集者と作家は、どのようなやりとりを経て1つの作品を作り上げていくのか。トークの中で展開されるベテラン編集者・佐渡島さん流の「打ち合わせ」の様子はまさに目からうろこです!
★2013年11月6日、本屋B&B(東京・下北沢)で行われた、今村友紀「CRUNCHERS」創始記念トークイベントのレポートです。
小説家が会社をつくってみたものの……?
今村友紀(以下、今村):まず最初に、最近私がCRUNCHERS(クランチャーズ)という株式会社をつくったんですが、周りが言うには「その会社が何をやっているのか分からん」と……。佐渡島さんにはその代表として、「この会社は何やっとんねん!」という感じでズバズバっと聞いていただければと思います。私、緊張しているので少々お手柔らかにお願いします……。
佐渡島庸平(以下、佐渡島):はい。実は事前に今村さんとは何をテーマに話すか全く決めていなくて。突然今日の昼間に「こんなことを話したいんですよ」というメールが送られてきたんですよ。それがあまりにも恐ろしくて、僕は思わず文芸作家とは恐ろしいものだなとすごく思ったんですけど……(笑)。今村さんご自身でメールの内容を説明してもらってもいいですか?
今村:今日の昼間、僕は「対談の資料を送ります」と言って短編小説を添付して送りました。
佐渡島:それで、「僕はこれを今日は朗読したいです!」って言いだして。その朗読をしている間に僕はどうすればいいんだって話で(笑)。しかも朗読しようとしている小説が、僕には全然訳が分からなかったんですよ。せっかくだから訳の分からなさ加減を朗読してもらって、お客さんに判定してもらおうと思ってるんだけれど……。
今村:じゃあ、いきなりですが最初に……
佐渡島:はい。せっかくなので朗読してください。
今村:今日の話のテーマに繋がると思って用意したものなんですが……ネットに上がっているので、それを紹介しますね。このサイトは私がつくった「CRUNCH MAGAZINE(クランチマガジン)」という小説投稿サイトなんですが、文学が好きな人が集まっているSNSと投稿が一緒になったようなサイトです。
そこに今日私が、『ある小説家の書斎』という記事を投稿しました。既に何かコメントを書いている人がいますね……「命の危険さえあるなんという暴露!」とか書かれてますけど(笑)。これはどういう意味なんでしょうかね?
佐渡島:まさかそのコメント、自分で書いた訳じゃないですよね(笑)?
今村:もちろんそうですよ(笑)。私ではないです!
佐渡島:あはは……(笑)。
今村:他にも「私たちが描く小説家への信仰は偶像化された何かなのだろう」とかいろいろ書かれてますが……会場の皆さんはまだご存じないと思うので、7~8分かかると思いますが今日ここで朗読させていただこうと……。
佐渡島:いやいや、全部はいいですよ! 最初の二段落くらいで(笑)。
今村:では……
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ある小説家の書斎
今村友紀
ナガノアキラは小説家だが、小説を書くことはない。書く代わりに、彼はキーボードを打っている……という訳でもない。実際には彼は小説を書きもしなければキーボード入力で作成することもない。だが彼は小説家で、彼の小説は全国で何百万部も売れているのだった。
彼自身は、自分が小説を書かないことを公言している。慎み深く、しかしどこか悪戯な表情を含みながら、まるでワインのテイスティングでもしているかのように頬の裏側で舌を転がしながら、「私が書いている訳ではないんです」と彼は言う。
(今村友紀『ある小説家の書斎』より)
……これが出だしです。
佐渡島:今日これが送られてきて僕が思ったのは、作家の人と編集者がどういうやり取りをしているのかを、公開で話したりできたらおもしろいなということなんですよ。
今村:なるほど。
医学部から文学部に
佐渡島:でも、ただこの小説をいきなり朗読するだけだと、会場のお客さんの頭に“?”がいっぱいになるだけだと僕は思ったんですが、今村さんは何を考えてこの小説を書かれたんですか?
今村:僕は、2011年に河出書房新社の文藝賞を受賞したのが小説家としてのデビューで、もともとは石井大地という本名で受験参考書を書いていました。
佐渡島:河出書房の「文藝賞」とはどれくらいの賞で、どのような人が目指して、受賞するとどれくらい嬉しいものなんですか?
今村:そうですね、有名な受賞作家を挙げると分かりやすいと思います。例えば綿矢りささん、昔ですけど田中康夫さん。最近ですと皆さん知っているのが山崎ナオコーラさんとか……。純文学の中では5つくらい有名な賞があるんですけど、その中ではかなり有名な、純文学のコテコテの最高峰と言われる賞ですね。
佐渡島:じゃあ今村さんはその流れを継いでるってことですね!
今村:まあ、そこからデビューしたと言う訳ですね。
佐渡島:新人賞のときに書いた作品はどういう作品だったんですか?
今村:デビュー作は『クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰』(2011年)という作品で、女子高生が教室で授業を受けていると突然ピカーンと窓の外が光って轟音が鳴って、いきなり戦闘機が飛び交う異世界に突入するという話です。
佐渡島:何でそれを書こうと思ったんですか?
今村:これはまず、ちょっと自分の経歴を紹介した方が良いと思うのですが、もともと受験勉強の本を書いていたときは、私は東大の医学部にいたんですね。普通に医学部の勉強をしていたんですが、ある日突然「僕は作家になる」と言って医学部を辞めたんです。
佐渡島:それは何年生のとき?
今村:それは三年生のときですね。ちょうど(受験の)本が出た次の次の年くらいなんですけれども、その時にそう決心して文学部に移ったんですよ。そこから海外文学とかをたくさん読み始めて。
佐渡島:文学部では何をやっていたんですか?
今村:海外文学を専攻とする新しい学科だったんですけれども、文学との関わりも深くなって賞にも興味が出てきて……ちょうど私たちが学生の頃、綿矢りささんが世間の注目を集めていて、やっぱり文学を志すものとしては憧れの賞だったんです。
佐渡島:でも何で文藝賞に出したんですか? 他にだって賞はいろいろあるじゃないですか?
今村:他の賞にも同時に別の作品で応募したんですが、残ったのが文藝賞で……。
佐渡島:じゃあ短期間で何作品も書き上げたりしてたんですか? 何年生のとき?
今村:そうですね。半年間くらいかな……学部を移ったあとで、当時は4年生でしたね。受賞したのは大学院1年生のときでした。
佐渡島:医学部から文学部に移るって、結構な決断ですよね?
★この続きは、DOTPLACEの書籍レーベル「DOTPLACE LABEL」から発売された
『コルクを抜く』からお読み頂けます。
[2/5に続きます](2013/11/26更新)
★「これからの編集者」佐渡島庸平さんのロングインタビューはこちら
構成:後藤知佳(numabooks)
編集協力:高橋佑佳
[2013年11月6日 B&B(東京・下北沢)にて]
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