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今村友紀 〈出版×デジタル〉の未来予想図 〜作家・今村友紀による『ツール・オブ・チェンジ』精読〜

今村友紀 〈出版×デジタル〉の未来予想図 〜作家・今村友紀による『ツール・オブ・チェンジ』精読〜
#02:リッチコンテンツは普及するか? -「読書体験」の未来予想図(前編)

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#02:リッチコンテンツは普及するか? -「読書体験」の未来予想図(前編)

★ #01:はじめに はこちら
 
 先週より始まった集中連載の本編第1回となる今回の記事から2回に渡り、読書の体験が、デジタル化やインターネットとの関係によってどう変わるのかについて考えていきたい。

《今回のまとめ》
○文章は、言葉を順に追って理解する必要があり、読むのに多大な集中力を要する。無闇なリッチコンテンツ化は、文章への集中を妨げてしまうため、市場に受け入れられることはない。
○リッチコンテンツやインタラクティビティが重要となるのは、人によって読むべき内容が変わるような教育や診断系のコンテンツ、あるいは漫画や写真集などの画像を多用したものに限られる。
○文章を読み、理解する一連のプロセスをより快適かつ効率的にするような、基本的な読書体験の質を高めることにこそ、デジタル技術を活かすべきである。

 出版のデジタル化にあたって、これまで多くの業界関係者が取り組んできたことの一つが「リッチコンテンツ化」だ。マルチメディア化、あるいはインタラクティブ化、と言われることもあるが、要するに、ただ文章を読むだけではなく、画像や動画、音楽などのメディアを取り組んだり、読者とのあいだに(ゲームやウェブサイトの閲覧のように)インタラクティブな仕掛けを入れようとする試みのことだ。
 もともと、漫画や写真集といったコンテンツは、多数の画像を使い、またプログラムを用いてインタラクティブな仕掛けを組み込んでいるものが「ガラケー」時代から多かった。だがスマートフォン・タブレットや電子書籍端末の普及によって、文章を中心とした書籍コンテンツにもリッチコンテンツ化の波が来る、と言われるようになった。
 一例を挙げよう。みなさんのなかにも記憶のある方がいるだろうが、AppleがiPadを発売した2010年(電子書籍元年、などと騒がれていた当時のことだ)に、芥川賞作家・村上龍氏が、「歌うクジラ」という長編小説をiPhone/iPad向けのアプリとしてリリースした。この「歌うクジラ」は、坂本龍一氏による音楽や、篠原潤氏の手がけた美しいアートワークが盛り込まれたことで話題となった。
 こうしたコンテンツが、今後さらに普及し、私たちの読書体験を大幅に変えるのだろうか?

iPhone/iPad向けアプリ「歌うクジラ」(村上龍電子本製作所のサイトより)

iPhone/iPad向けアプリ「歌うクジラ」(村上龍電子本製作所のサイトより)


『ツール・オブ・チェンジ』に掲載されている論考をみてみると、この点については懐疑的な意見が多い。ジョン・ウェブ氏は、数式処理システム「Mathetica」の開発・販売元であるウルフラム・リサーチ社の協同創設者であるセオドア・グレイ氏へのインタビューからの引用を交えて、次のように述べている。

    「できるからといって、やる必要はない」。書物のインタラクティブ化にあたって、一番の忠告ではないでしょうか。
    ——ジョン・ウェブ氏

 グレイ氏は事実、次のように述べ、むやみなリッチコンテンツ化に対してはその意義を疑っている。

     すべてはコミュニケーションです。もしインタラクティブ機能がアイデアの伝達を助けたり、難しいコンセプトを理解する手助けになったり、資料やデータの理解、検索、整理、視覚化の手助けになったりするのであれば、それはたぶん、よい機能なのだと思います。しかしその機能がたんに格好いいだけで、集中を乱すものであれば、ゲームの機能としてならともかく、本のインタラクティブ機能としては向かないでしょう。
    ――セオドア・グレイ氏

 この指摘こそ、書籍のリッチコンテンツ化に関する、もっともストレートで的確なものだろう。
 文章とは、言葉がある順番に並べられて作られる、一直線に進行するコンテンツである。TV番組やネットラジオなら、チャンネルを次々と切り替えて(=ザッピングして)いっても、その番組の内容を素早く理解し、途中から視聴することができるよう、数分単位でコーナーを分けるといった工夫がなされている。またWebサイトやゲームのようなインタラクティブなメディアは、始まりも終わりもなく、自分の気の赴くままに操作して楽しめることが多い。
 一方の書籍・文章コンテンツの場合、一度読んだ本を読み返す場合を除き、ページをぱらぱらと適当にめくって、好きなところから読むだけでは、なかなか内容を理解するのは難しい。構成がしっかり出来ている本なら、複数ある章のどこから読んでも話が分かるように書かれていることもある。しかしそうはいっても、ほとんどの人は冒頭から順番に本を読むのを当然のことだと考えているだろう。ましてや、章の途中から読み始める人、段落や文の途中から読み始める人はいない。
 これは当たり前のようでいて、非常に重要なことだ。
 文章は、「言葉」と「その配置の順番」が合わさって意味を持つ。だから人は、言葉を1つ1つ順番に読み、内容を理解する。これは情報の処理という意味ではコンピューター・プログラムと同じだ。1行1行プログラムコードを読み込み、処理を実行していく上では、ほんの少しの手違いで処理が止まったり、エラーが発生したりする。読書という行為も、本質的にはこれと同様のことを言葉を使って行っているわけだ。
 少々、くどくなることを承知の上で、例を挙げよう。

 私パンを食べる。
 私パンを食べる。

 この2つの文は、「は」と「が」が違うだけで一文字違いだが、大きく意味が異なる。前者は、「私」が普段から「パン食」であることを示すが、後者の文にはそのような意味はない。
 たった1文字違うだけで意味の取り方がガラリと変わってしまうのは、いかにもプログラムという感じがする。誰もが何気なく文章を読み書きしているが、実はこうした細かい意味の違いを見分けるのに、私たちの脳は大変なエネルギーを動員している

 さて、そのような集中力を要する情報処理の最中に、動画や音楽が流れたり、派手な画像が目に入ってきたり、Webサイトのようなハイパーリンクが出てきて他のコンテンツに移動したりしたとしよう。果たして、そのような状況で、あなたは文章を読むことにどのくらい集中できるだろうか?
 動画を観る間は、当然ながら、読書は中断される。リンクをクリックして別のコンテンツに移動した場合も、読書は中断される。動画再生やリンク先のコンテンツの閲覧が終わり、もとのコンテンツに戻ってきた頃には、「さて何の話だったかな?」となる可能性が高い。
 また、本を読みながら音楽を聴きたいと読者が思うなら、その読者は(わざわざアプリによって強制された音楽を聴くのではなく)自分の好きな音楽を、スピーカーやヘッドフォンで聴くだろう。スマートフォンやタブレットには音楽再生機能がついており、Kindleなどの電子書籍アプリを起動しながらでもバックグラウンドで好きな曲が聴ける。
 本の内容を伝えるためのイメージビジュアルやキャラクターイラスト、データをまとめた表やグラフを入れるならともかく(それらの工夫は紙の書籍でごく普通に行われている)、無闇にリッチコンテンツを差し挟むことは、文章を読む上では邪魔になる可能性が高いと言える。
 先に挙げた村上龍氏の「歌うクジラ」も、試みとしては面白い。だがこうしたタイプのインタラクティブなアプリは、一時注目を浴びることはあっても、長い目で見たときにどの程度受け入れられるだろうか。一般の書籍やeBookに肩を並べるほどの市場規模に達することはおそらくないだろう。

 筆者はかつてITの制作会社を経営していた際、いくつかの出版社とリッチコンテンツの制作に取り組んだ経験がある。だが、それらは写真集や学習用教材、占いといった、インタラクティブな仕掛けがうまく機能するものに限られていた。写真集はぱらぱらとページをめくり、好きな順番で眺めるのが普通だし、教材は知識の習熟度によって、占いは血液型や生年月日によって読むべき内容が変わる。
 対して、小説やビジネス書などの一般的な文章コンテンツを制作するにあたって、筆者はとにかく読むことに集中できる設計にすることが重要だと考えてきた。文章そのものを読みやすくすることも大事だが、出版社やデザイナーと協力しながら文章のレイアウトやフォントを作り込み、また装丁を工夫して、手に取って読む、という体験の質を高めるよう努力してきた。
 自らが運営する小説投稿サイトでも、小説の本文を読むページには余計なものは一切入れず、白地の背景に、読みやすく大きめのフォントで装飾のないテキストを配置する、というきわめてシンプルな作りにしている。
 文章コンテンツは、画像や動画に比べ、ぱっと見てすぐに内容を理解するのは難しいが、物事についての深い洞察や知見を得ることができる利点がある。この利点を活かすには、「無用な要素をなるべく省き、文章に集中させる」という方針が理に適っているのだ。

 デジタル時代において大事なことは、読書から注意を逸らすことになるようなインタラクティビティを不用意に導入することではない。むしろ、その逆だ。読書という多大な集中力を要する行為を、快適に、効率よく行えるようにすることの方にこそ、価値がある
 では、昨今のデジタルコンテンツの制作にあたって、創作者は具体的にどのようなことを考慮に入れれば良いのだろうか? そのヒントが、クリス・レクトスタイナー氏の「eBookはこれで十分?」という論考のなかにある。

     eBook(とストーリーテリング、シェア、ニュースなど)に関する技術は進歩していますが、読者が口をそろえて訴えるのは、マルチメディアやインタラクティブ要素の強化ではなく、クロスデバイス対応、ページ設定、読みやすいフォントとサイズ、ブックマーク機能やシェア機能など、基本機能の改善です。
    ――クリス・レクトスタイナー氏

 次回は、こうした「基本機能」の進化をみることで、私たちの読書体験の未来をさらに細かく予想・検証していく。

[#02:リッチコンテンツは普及するか? ――「読書体験」の未来予想図(前編) 了]
後編に続きます


PROFILEプロフィール (50音順)

今村友紀(いまむら・ともき)

作家。1986年秋田県生まれ。CRUNCHERS株式会社CEO、CRUNCH MAGAZINE編集長。主な小説作品に『クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰』『ジャックを殺せ、』など。 http://crunchers.jp/ https://i.crunchers.jp/