「これからの編集者」のスピンオフ企画として始まった、1980年代後半以降に生まれた〈ゆとり世代〉の若手編集者へのインタビューシリーズ。
第3回目のゲストは小田 明志(おだ・あかし)さん。17歳のときに「ストリート・キッズのための教科書」として雑誌『LIKTEN(リキテン)』を創刊し、2009年から2011年にかけて3号までを発行。
現在は大学に通うかたわら、広告代理店にも籍を置くようになった小田さんの最近についてや、「編集」に留まらず世間に対峙する際のスタンス、そして準備中の『LIKTEN』最新号などについてじっくり伺ってきました。
[以下からの続きです]
第3回 小田明志(『LIKTEN』編集長/1991年生まれ)1/5
第3回 小田明志(『LIKTEN』編集長/1991年生まれ)2/5
「自分が見せたい人たちに見せる」メディア
――次の『LIKTEN』4号の発行部数とかはもう決めているんですか?
小田:部数は3号のとき(1500部)から少し減らして、1000部くらいを考えています。あんまり量を増やしちゃうと紙の意味がなくなっちゃうんで、この数字の管理はちゃんとやっていこうかなと。
――「紙の意味がなくなっちゃう」っていうのはういうことですか?
小田:「見たい人全員に見てもらえるようにする」っていうのは、Webの思考じゃないですか。見たいと思っている人の意思なんて関係ないんです。「自分が見せたい人たちに見せる」というのが僕のメディアだと思っているので。Webのページには誰でもアクセスできますから「敷居」がありませんよね。だけど現実世界には「敷居」の高い店、低い店、というのがあって、お店側はそれによって出す商品の価格、内容を決めています。
紙のメディアの良いところは、売る場所や部数、価格によって「敷居」を作れるところだと思っているんです。つまり、発信者側にターゲットを選ぶ余地がある。僕には「こういう人に買ってほしい」という明確なイメージがあるから、単純に「大学生が作ってるから買ってみよう」みたいな人たちに売りたくないんですよ。
――でも、今まではそういう人たちがけっこう買っていましたよね。それには不満があったんですか。
小田:いや、年齢って自分の意思とは関係なく、ウリにしようと考えていなくてもウリになっちゃうんで、自分がそういうことを意識しないようにしているだけです。あまりそういう人たちに(『LIKTEN』が)流れすぎないように、部数を絞って、置くお店にも気を遣うことによって(読者層が)自分の理想に近くなる。そうじゃなかったらWebでやりますよね。
――逆に、Webでやってみたいことはありますか。
小田:今のところないですね。みんなWebでやっているし、勝てないです。僕も何かアイデアがあればやるかもしれないけど、今のところはないんですよね。
――その反面、紙で雑誌を作っている若い人もまだたくさんいますよね。そういう人で興味のある人はいますか。
小田:いないです。ただ、「もっとみんなやればいいのに」とは思います。作るだけなら誰でもできるんだから、やればいいのに、って。1、2号くらいだったら、作っただけ、出しただけでみんな褒めてくれますから、お得なんですよ。
さっき、「大ネタ使いは簡単だ」って言いましたけど、だからダメだっていうわけでもなくて……大ネタを使っているうちに自分が発信したいことが出てくるかもしれないし、もしかしたら大ネタに食いついてきた人たちから、自分の新しい興味が開けることもあるかもしれない。大ネタを使って自分を引き上げてもらうっていうことも考えていいんじゃないかな、と思います。ただそれを続けていくだけ、っていうのは全然意味がないけど。
常に“一人”に向けて書くんです
――自分で雑誌を作っているときも、「大ネタに自分を引き上げてもらう」みたいなことは意識していたんですか。
小田:そうですね。それって言い換えてみればリミックス曲みたいなことなんですよ。「奥山由之」という無名のトラックメーカーが「水原希子」というポピュラーな素材をどう再構成するのか、というね。奥山くんに興味がなくても、好きな曲ならリミックス版も聞くでしょう? そうして人の目に触れる機会が増えれば、奥山くんは必ずブレイクすると思った。
――実際、その後本当にブレイクして、今はいろんなお仕事をされていますよね。
小田:そう。まあ、3号が出た後に彼が「写真新世紀」という大きな賞を獲ったことがブレイクの直接のきっかけなんだけど……(笑)。
でも、あれは自分にとって初めての成功体験かもしれない。自分の好きな人を紹介して、その人がそこから巣立っていく。「僕はこういうことが好きだったんだ」と思った。奥山くんは今も「自分は『LIKTEN』出身の写真家だ」って言ってくれるんです。そういうのがすごく嬉しいです。
ただ、最近気付いたのは「自分の名前が表に出ないと嫌だ」っていうことです。サッカーだったら、アシストの人は名前が記録されるじゃないですか。でも、たとえば組織の中でどんなにいい仕事をしても、僕の名前は(クレジットには)載らない。
もっと目立ちたいですね。またDJにたとえますが、僕は人の曲だけを繋いだMIXを褒められて喜ぶタイプのDJじゃないんですよ。トラックメイカーであり、DJでなきゃ喜びを感じられないですね。編集者もそれと一緒で、ただの素材集め屋みたいになっていたら意味がない。自分がプレイヤーでもあり、編集的な視点を持っているというのが重要なんじゃないかと思います。
だから“職業編集者”みたいな人たちにはあんまり興味が湧かない。プレイヤーにしか見えない世界もあるだろうし、その視点は忘れないようにしたい。
――「奥山さんの才能を世に出す」というのが裏テーマだった『LIKTEN』3号の、一番のメッセージは何だったんですか。
小田:3号は「隠れ就活本」なんです。
昔から一緒に遊んだり、一緒に何か作っていた友達が、大人になって就活を始めたり、つまらなくなっていったり、自分から離れていくのが悲しくなったときがあって、その友達に読んでもらえたらと思って作ってました。
常に、誰か一人に向けて(雑誌の中のテキストを)書くんです。読んでもらいたいターゲットは常に一人。「徹底的にその人のことだけを考えて、その人のために1冊作る」という方法は、2号目あたりから意識し始めました。
――じゃあ、その3号もターゲットの友達が一人いたんですね。
小田:そう。高校のときの同級生。「才能があるのに、なんで窮屈な方に行くんだ」っていう彼への憤りがありましたね。
今作っている4号も、別のターゲットが一人いる。その人に伝わるように書けば、他に伝わる人もいるだろう、と思って作ってます。
人に嘘をつかせちゃいけない
――今年の5月にVACANTで開催された「ゆとり論」というトークイベントに登壇されていましたよね(※他の登壇者はフードライターの平野紗季子、カメラマンの奥山由之。3人とも90年代生まれ)。そのイベントはどういう雰囲気だったんですか。つまり、「ゆとり」を自称しているわけじゃないですか。
小田:「ゆとり論」っていうイベントのタイトルは、自分たちがつけたんじゃなくて……。
僕はあまり「ゆとり」っていう表現は好きじゃないです。すごく当たり前のことを言っちゃうと、(同世代の中にも)いろんな人がいるから。若者のくせにおじさんみたい、おじさんだけど若者みたいな人っているじゃないですか。だから、トークイベントでもそんな(ゆとり世代の)ことは話さなかったんですよ。
――じゃあ、まず「ゆとり」というコンセプトを否定するところからイベントが始まると。
小田:そう。むしろ僕らは、そういうのにカテゴライズされてばっかりだから、疲れたんですよ。「若手のクリエイター」みたいな年齢の括りで(企画に)呼ばれるし。
たとえば、『サイゾー』の編集者と『Number』の編集者に、同じ年齢だからというだけでトークイベントをさせることって絶対にないじゃないですか。それが若いからというだけでやらせるのはおかしいなって。“編集”できてないなって思いますね(笑)。
――何かを作るときに、自分の世代特有の感覚にフォーカスしたりすることはあるんですか。
小田:ないですね。それは全然意味がないんですよ。
「この雑誌を作ったきっかけは?」という質問と同じです。この質問は、僕自身これまで何回も聞かれて話をしましたけど、実際のところ、きっかけなんて分からないですから。だからそれを答えるってことは、嘘になっちゃう。
編集者やインタビュアーとして、人に嘘をつかせちゃいけないと思うんです。どんどん真意から離れていっちゃうような、無意識に嘘をつかせるような質問ってあんまりしたくない。それは記事を作るときもそうだし、取材対象の人と遊ぶときだって、もっと言うと友達付き合いだってそうですね。「今は雑誌を作っているとき」「今は遊んでるとき」って(モードが)分かれているわけじゃないから、日頃の意識の積み重ねが、結果としてこういう雑誌に現れるんじゃないかな。
[4/5に続きます](2013/11/21更新)
聞き手:後藤知佳、内沼晋太郎(numabooks)
編集協力:松井祐輔
[2013年11月08日 Wieden+Kennedy Tokyo(中目黒)にて]
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