1980年代後半以降に生まれた〈ゆとり世代〉の若手編集者へのインタビューシリーズ。久々の更新となる今回は、特別編として『N magazine』の編集長をつとめる島崎賢史郎さん(1991年生まれ)にDOTPLACE編集長の内沼晋太郎が自ら公開取材を敢行。第一線のクリエイターやモデルを多数起用した異例のクオリティで話題になったハイファッション誌を過去2号、ほぼ一人で編集してきた島崎さんですが、今春からの某広告代理店への就職が決まり、最新号には「来年は出せるか正直分かりません」という意味深な巻頭言を残しています。そこに込められた真意や、大学卒業を間近に控えた“現役大学生編集長”の等身大の声を探ってきました。
★2014年1月7日、本屋B&B(東京・下北沢)で行われたトークイベント「〈ゆとり世代〉の編集者 ~『N magazine』のつくりかた」のレポートです。
※「〈ゆとり世代〉の編集者」バックナンバーはこちら
【以下からの続きです】
1/4:「別に“島崎賢史郎”を見てほしいわけじゃないんです。」
2/4:「やりたくないことは、社会人になってからやればいい。」
とにかくやりたいことがなくて ――「就職する」という選択肢
内沼晋太郎(以下、内沼):話が少し変わるんですが……島崎さんは今年(2014年)の4月に大手広告代理店に入社するということですね。これは色々なところで尋ねられると思うんですが、「就職しない」という選択肢はなかったんですか?
島﨑賢史郎(以下、島崎):全然ありました。最初は就職しないでやっていけると思ってたんです。でも、『N magazine』の0号があれだけ話題になって売り切れたりしていたにも関わらず、その次の号に広告が入ってこないという現状があって、「あっ、やっぱり厳しいんだな」と思った。自分は『N magazine』以外で(勤めずに)稼ぐ方法を知らないので、就職することにしたんですね。
内沼:就職先にもいろいろあったと思うんですけど、広告代理店を選んだのはどうしてだったんですか?
島﨑:最初はいろんな業界を受けてたんですよ。飲料メーカーとかも受けたし、「半沢直樹」を観て銀行もちょっと良いかなって思ったんですけど、そこは受けなかったり(笑)。
出版社も一応受けたんですけど「うーん」という感じだったりして……というのも、『N magazine』じゃなくて、例えば「『週刊プレイボーイ』の記事を自分が 書くのか?」みたいなことで悩んでいたりしたんです。
とにかくやりたいことがなくて。とりあえず「ちゃんとした良い会社に行こう」と考えてました。そんな中、某R社から内定をもらって、そこでなら副業もOKなので『N magazine』も続けられるし、入ろうと思ったんですね。でも、配属される部署がもうわかっていて、「そこで一体自分は何をやりたいんだろう」と思ってしまって結局蹴ったんです。
でも、某R社に受かった時点で他に受けていた企業は全部辞退しちゃっていたんですよね。そこでヤバいなと思って、広告代理店のOBの人に相談したら「後で本当に後悔するから、とりあえずうちの会社を受けとけ」と勧められて、春から行くその広告代理店を受けました。
内定をもらっている一方で、「代理店は実際のところ何をするんだろう」とも思っていて……自分はコピーが書きたいわけでもないし、デザインがしたいわけでもないし、営業……好きになれるのかな?みたいな感じです。だけど、代理店内でもコンテンツの開発はできるし、色々なメディアとも関われると聞いているので、「あわよくば自分の雑誌も何かしら絡められるんじゃないか」とも思ってます。
某R社でも良いんですけど、「みんな3年で辞める」という話も聞いているし、「ちゃんと社会勉強するんだったら、会社に入って先輩の言うことを聞いて、しごかれながらやっていった方が人間として成長するんじゃないかな」という考え方に次第に変わっていったんです。
確かに、このまま編集部を会社にして、借金とかもしながら『N magazine』を続けていったしても、2〜3年ぐらいなら続けられるかもしれない。だけど、時代がこの雑誌を10年、20年も求め続けるかといったら、「それはないな」と思ったんです。だったら就職して社会のルールを学んで、その上でちゃんと面白い雑誌を考えて出す方が良いんじゃないかなと思った。
周りの人から「あの会社に入るとワルい大人になる」とか「社会の常識を学んじゃって、カドの取れた人間になっちゃうよ」とか、色々なことを言われるんですけど、自分はそんなことはないんじゃないかなと思っていて……これまでも、男子校で先輩にしごかれたり、そういう厳しい環境にいたからこそ、こうやって『N magazine』を出すことができたので、社会でも一度はちゃんとした下積みが必要だと思うので、春から頑張ろうかな、という感じです。
クリエイターと一緒に考えれば、もっと面白い表現ができる
内沼:ということは、そこまで意識して広告代理店を目指したという感じではなかったんですね。
というのも、先ほどお話されていたような、クリエイターが雑誌の中で自分の作りたいものを作れない現状があるとすれば、広告の存在が前提の上に作られた雑誌が大量に流通しているからで、島崎さんにはそういうものが大して魅力的に見えなかったわけじゃないですか。代理店に就職するのは、業界のそういう部分の“敵情視察”のような感覚なのかな?って僕は少し思ってたんです。
島﨑:そういうわけでは全然ないんです。「広告が入っていたり、タイアップしていたりするから雑誌は面白くない」といった話じゃなくて、その仕方が悪いと思っていて……。『N magazine』でも、タイアップの話は大募集なんですよ。お金も入るし、撮影もできるし。
タイアップだって、クリエイターと一緒に考えればもっと面白い表現ができる。雑誌のタイアップのページがどうしても面白くないと思ってしまうのは、最近どんどんクライアント側の立場が強くなっているからですよね。でも、昔は「こっちの方が面白いから」と、奇抜なアイデアをクリエイター側が押し通せた時代があった。今でもそういう風にできたら面白いなと思っているんです。
内沼:その辺りの実情に興味があって代理店に入る、という部分もあるということですよね。
島﨑:そうですね。他にも、『N magazine』になかなか広告が入らないので、どうやったら広告のたくさん入るメディアになるんだろう、というのを学んでみたいというところがあったり、あわよくば会社の力を使って『N magazine』に広告を持ってこれないか、みたいなことも考えます。それに、給料がちょっと良いと聞いたので、その給料で雑誌を作れるんじゃないのか、とか。
内沼:それでもやっぱり雑誌を作るっていうのが第一義という感じなんですね。
島﨑:そうですね。雑誌を作るのはやっぱり楽しいです。でも、他に何か見つかったらそっちに行くかもしれない(笑)。
内沼:今の話だけ聴いていると『N magazine』が1番で仕事が2番みたいな感じですけど、今後も強く『N magazine』を作っていきたいと思ってますか?
島﨑:はい、今は確かにそう思ってるんですけど……例えば空手をやってた時は「俺は空手で生きていくんだ」と思ってたし、オーケストラをやっていた時は「音大行こう」と思ってたんですよ。『N magazine』なんて、作ろうとは3年前まで微塵も思ってなかったですから。人生何が起きるかわからないので、身を任せていこうかな、と。
『N magazine』も本当に作りたいって強く思っているんだったら、今の時期でも借金して作ってるんだろうなと思います。ただ、現実的には前回の借金もあるので厳しいかも……みたいなことを考えたりする時点で、もうダメだなという感覚もあって。次の『N magazine』ために営業に行っていない自分がいるっていうこと自体が、自分の中で“終わってるな”って思う。
今は「1号出したから、とりあえず休憩」っていう感じなんですね。
内沼:0号出してから1号を出すまでの間もそういう状態でした?
島﨑:その時もそうでしたね。0号出してからは「こんなのもう絶対にやらない」と思っていて……本当にキツイですよね、雑誌作るのって。ただ、0号を作ってから何ヶ月か経つと猛烈に「やばい、何か作りてぇ」みたいな感じになるんですよね。
雑誌って続けることがすごく重要で、これまで関わってもらった方たちの期待もありますし、一人だけで終わらせられないので、絶対に次も出そうと思ってますけど、今すぐ作ろうかと思ったら別にそういうわけでもない、という感じですかね。
みんなに「中身がない」って言われるんです
内沼:さっき、就活の話の時に「とにかくやりたいことがない」みたいなことを言ってたじゃないですか。島崎さんは、多分そういうのがもともとないんですね、あんまり(笑)。
島﨑:本当にないんです!
内沼:「こんな感じの人になりたい」みたいなビジョンはあるんですか? 例えば、過去のインタビューで「多方面で活躍する菅付雅信さんのような方になれたら」みたいな発言があったと思うんですけど、これは本当ですか?
島﨑:その時は、単純にインタビュアーの方に「(例えば菅付さんのように)なりたいんですか」と訊かれたからですね。やりたいことがない中では、菅付さんのようにCDジャケットのディレクションをしたりとか、クリエイティブディレクター的なものになれたらいいなと比較的思っていて……。
内沼:それなら例えば、代理店に入らずに菅付事務所に弟子入りするっていう手もありますよね。
島﨑:菅付さん……怖いですね(笑)。
内沼:菅付さんが怖い(笑)。
島﨑:ホントに怖いです。『N magazine』の発売記念のレセプションパーティーの時、誰もが「良かったね」って言ってくれるんですけど、菅付さんにだけは説教されましたね。「なんだこの巻頭言。学生の遊びじゃねえんだよ」っていう感じで、すごく真摯に自分のことを見てくれてるなと思いました。
内沼:正直僕も、昨年末出た『N magazine』最新号の「就職もするし、次の号が同じペースで出せるか分からない」みたいな弱気なあの巻頭言は、人がお金を払って買うものとして、ちょっとどうかとは思いましたけど(笑)。
ただ、今日島崎さんにお話を伺ってすごくわかったのは、語弊があるかもしれないんですけど、『N magazine』は読者第一で作られたものではないということですね。島崎さんは、自分がどう見られるかということもどうでも良さそうだし、さらに言うと、読者もどうでもいい……こう言うと言いすぎかもしれないですけど。『N magazine』を楽しみにしてる読者が第一なんだったら、読者がガッカリするようなことを巻頭に書くっていうのはありえないじゃないですか。
島﨑:嘘をつきたくないっていうのがあります。周りのみんなにも「あんな巻頭言やめた方がいい」って言われたんですけど、でも本当に続くかどうかわからないので、正直にそう書くしかなかったです。そういう性格なんですね。
内沼:代理店にも、よくわからないけど入ってみようかな、みたいな感じですか?
島﨑:はい、本当にわからないです。何か深く考えてないわけじゃないんですけど、「なるようになるだろ」という精神でいつも生きているので……。
『N magazine』を出す時も、一応「波紋を起こそう」って企画書には書いたんですけど、実際は起こそうなんて思ってないし、これで世の中が変わるとも思ってないし、変わるとしてもまあ0.1%とか0.00000…1%くらいですよね。ただ単に、自分が楽しんで雑誌を作って、それを見た人も楽しんでもらえればいいかなっていう考えのもとで作っているだけで。「何か意図があるんじゃないですか?」とか「なんでこれをやったんですか?」とか訊かれるんですけど「作っていて面白いからです」ぐらいの感じなんですよね。
内沼:でも、それで結果が出てるっていうことは、多分島崎さん本人が面白いんですよ。
島﨑:いや……これはすごく相談したいところなんですけど、「『N magazine』の編集長」だと言うとみんなが「すごいね」って言ってくれたり、なんとなく知的なイメージを持つらしいんです。でも僕自身は全然そんなことなくて。
一緒に仕事させてもらったクリエイターさんには、みんなに「(島崎くんには)中身がない」って言われるんです。自分でも、本当に中身がないと思っていて……。
色々なメディアにああだこうだと書かれたり、Twitterとかで「島﨑さん尊敬してます」とか言われても、「絶対あなたの方が世の中のことちゃんと考えてるよ」って言いたい。自分なんて、趣味っていったらAVを見ることくらいですから(笑)。同じ会社の内定者の友達とかを見てると本当にしっかりしてて、すごいなって思う。怖さしかないんですよね。「この人たちと一緒にやっていけるのかな」って。
[4/4に続きます](2014/3/29更新)
構成・編集:後藤知佳(numabooks)
編集協力:安倍佳奈子、松井祐輔
[2014年1月7日 本屋B&B(東京・下北沢)にて]
COMMENTSこの記事に対するコメント