1980年代後半以降に生まれた〈ゆとり世代〉の若手編集者へのインタビューシリーズ。久々の更新となる今回は、特別編として『N magazine』の編集長をつとめる島崎賢史郎さん(1991年生まれ)にDOTPLACE編集長の内沼晋太郎が自ら公開取材を敢行。第一線のクリエイターやモデルを多数起用した異例のクオリティで話題になったハイファッション誌を過去2号、ほぼ一人で編集してきた島崎さんですが、今春からの某広告代理店への就職が決まり、最新号には「来年は出せるか正直分かりません」という意味深な巻頭言を残しています。そこに込められた真意や、大学卒業を間近に控えた“現役大学生編集長”の等身大の声を探ってきました。
★2014年1月7日、本屋B&B(東京・下北沢)で行われたトークイベント「〈ゆとり世代〉の編集者 ~『N magazine』のつくりかた」のレポートです。
メディアによって異なる“島崎賢史郎”像
内沼晋太郎(以下、内沼):今日は、僕が編集長を務めるDOTPLACEというWebマガジンの“公開取材”と銘打って、このトークイベントを開催させていただいています。
「〈ゆとり世代〉の編集者」というインタビュー連載はもともと、僕ではなくて後藤という、彼女自身もいわゆる「ゆとり世代」である編集者が担当しているんですが、今日はその特別編として僕が島崎さんにインタビューさせていただこうと思っています。
まずは今日、僕が自ら島崎さんに話を聞きたいなと思った理由をお話します。既に様々なメディアに島崎さんのインタビューやトークが載っているのですが、それを読むと「現役大学生」が「有名な芸能人やモデルを起用したハイファッション誌」を作っているということが煽り文句になっていて、編集者やライターの頭の中にある「こう書きたい」というイメージがあまりにも優先された記事になってしまっているものが多いと感じます。つまり、島崎さん本人のフラットな声がどこなのか、よくわからない。島崎さんのことがすごく生意気に書かれている記事もあれば、かなり謙遜しているように書かれている記事もあって、「メディアによって、なぜこんなにも島崎さんの態度が違う風に書かれてしまっているんだろう」というのが純粋に疑問だったんです。なので今日は、島崎さんが一体どんな人なのかをもう少しちゃんと聞きたいと思ってます。
まずはベーシックなところから聞きますが、島崎さんって生まれはどちらですか?
島崎賢史郎(以下、島崎):東京の羽村市です。立川から青梅の方面に20分くらい電車で行ったところにある田舎町なんですけど、そこで普通にのんびり育ちました。子供の頃は空手をやっていて、近くにあった福生の米軍基地に行って、演武をしたりしてましたね。実家が奥多摩のキャンプ場をやっていて、そこで薪とかを売ってるんですけど、それを自分でノコギリで切って船を作ったりとか、そういうことばっかりしてましたね。あんまりゲームもしないし、本も読まないし、とにかく外で遊んでる子供でした。それが幼稚園、小学生ぐらいの時です。
中学高校の頃は音楽部に入って、オーケストラでトロンボーンを吹いてましたね。空手と並行してやっていました。
内沼:その後、大学に入って雑誌を作るサークルに入るんですよね。で、その時に『WWD JAPAN』の編集部でインターンをやったりして、『N magazine』を作る、と。その一連の流れはどの媒体でもだいたい書いてあるんですけど、ある記事では「空手とトロンボーンと雑誌作りはつながっている」みたいなことも書いてあって……これは本当なんですか?(笑)
島崎:(笑)。これは“精神的な意味で”つながっている、という意味ですね。
空手だったら、戦うんじゃなくて型を見せる方の種目があるんですけど、例えばその中でも腕の角度を1ミリずらすだけで試合での点数が全然変わってくるので、そういうのをすごく気にしていたりしてました。トロンボーンでも、プロのCDの音を聴きながら綺麗な音が鳴るようにロングトーンしたり……そういう風に、何かを突き詰めるっていうことは昔からずっとあって。
だからその雑誌のインタビューに関しても、自分なりに頑張って突き詰めて突き詰める、みたいな精神論的なものが似てるのかなと思ってそう答えたんです。だから、直接はあんまり関係ないんですよね(笑)。
内沼:なるほど。でも、仮に自分が作っている『N magazine』だったら、インタビューの文章の細かいニュアンスとかすごく気にしますよね、多分。だけど、外部からの自分へのインタビューはそんなに頓着がないんですか?
島崎:そうですね。すごく生意気だったりすごくヒドいことが書かれてたら「これはちょっと印象が悪くなります」って編集者の人に言うんですけど、基本的には何を書かれてても「まあいっか、編集者がこう見せたかったんだな」って思ってます。自分も、誰かにインタビューしてる時には「書き手によって印象が変わる」ということはやっぱり思うんですよね。自分も「こう書きたいんですけど、こうでいいですか」と訊いて「まあいいよ」みたいな感じでOKをもらって書いているので、自分が取材を受ける時も編集者の「こう見せたい」っていう意図を掴んでいきたいなとは思うんですけどね。
内沼:なるほど。でもそれって、ちょっと危険でもあるじゃないですか。世間での自分のイメージがブレるというか。島崎さんには「自分をこう打ち出そう」みたいなことはあんまりないということですか?
島崎:ないですね。結局、自分はこの雑誌(『N magazine』)を見てほしい人なので、別に“島崎賢史郎”を見てほしいわけじゃないんですよ。なので、トークショーとかに出てくださいと言われても、基本的には「いや、いいです」みたいな。前に出たくないですね。「雑誌を売るために出る」みたいなところはあります。そういうのに出ていった方が本が売れるっていうのが一度わかっちゃうと……そこはちょっと大人になったんです(笑)。
バイト漬けになって貯めた制作資金
内沼:島崎さんがファッションに興味を持ち始めたのはいつからなんですか?
島崎:高校1年生の時からですね。中学生の頃はTシャツ短パンでいい、みたいなイメージがあるんですけど、高1の時に2コ上の先輩に「なんだよお前、その服装。中坊じゃねーかよ」みたいに言われてショックを受けて、そこから色々な雑誌を読むようになりました。
雑誌で言うと、自分の世代は『CHOKi CHOKi』とか『Samurai ELO』みたいな。ブランドを見るというよりも、どういうコーディネートがあるのかを見てました。
内沼:「どうしたらダサくなくなるのか」みたいなところですね。
島崎:そうです。それに、高校生くらいになると女子高の子たちと絡むことも時々あって、ちょっと服装に気を遣うようになるというか……。
内沼:大学で雑誌サークルに入る動機も、「飲み会にいたかわいい先輩と仲良くなりたかったから」みたいなことを過去のインタビューでも答えられてましたよね。
島崎:もうそれだけです、はい。
内沼:あ、それは本当にそうなんですね?(笑)
島崎:本当にそうです。だけど、「大学に入ったら何か作りたい」っていう思いもあって……例えば映画サークルに入って映画を作るとか、イベントサークルに入ってイベントを開くとかでも良かったんですけど、映画だったらデータでしか残らないし、イベントだったら一回やったら終わり。「形に残るものは何だろう」と考えたら、やっぱり雑誌だったんですね。小さい時からゲームとかよりもリアルなものを作って遊ぶのが好きだった、というのもあると思います。「(明確に)雑誌が作りたい」というわけではなかったんですけどね。
内沼:雑誌を作るには、まず最初にお金が掛かりますよね。色々なインタビューで『N magazine』を作るにあたって「200万円貯めた」っていうエピソードが語られてますが……
島崎:相当バイトしましたね。僕の場合は昼間にスタバでバイトしてからファミマに夜勤に行ってたんですが、その翌朝にそのまま『WWD』のインターンに行って、その後またスタバで働いて、そしてファミマ、っていうローテーションを3日間くらい繰り返した時は、倒れて病院に行きました。
内沼:そのストイックさっていうのは、過去に空手とかで鍛えたストイックさとも似ているんですかね。
島崎:そうですね、気合的な部分はすごくあると思います。
空手もそうなんですけど、中高で音楽部をやっていたことも大きかったですね。毎回「反省会」というのがあるんですよ。17時ぐらいに練習が終わったら、その後19時くらいまで2時間ぐらい黙想したり、先輩のシゴキみたいなのがあったんです。合宿になるとそれが3時間になって。先輩にどつかれながら「お前はここがダメなんだ!」みたいなことを言われたりして。そういうので精神的にすごく鍛えられました。
内沼:なるほど。確かに、雑誌を作るのにはおそらくそれぐらいの大金が掛かると思うんです。だけど、自分でバイトして貯めるっていう方法もあれば、すごく応援してくれる誰かからお金を借りて作るっていう方法もなくはないと思うんですよね。
『N magazine』の1号目を作るにあたって、「自分でバイトして貯めたお金で良かったな」と思ったことはありますか? それとも、200万円がどこかにポンとあれば、それで作っても一緒だったな、と思いますか?
島崎:パトロンみたいな人がいるんだったら、もうそれは「いっくらでもお願いします」みたいな感じなんですけど(笑)。制作費がポンと最初からあって、リスクがなくて、早く雑誌作りに取り掛かることができるんだったら、それだけ雑誌のことをたくさん考えられるし、より面白いものができるんじゃないかなと。
ただその場合、完成した時の感動があるかはわからないです。それに人のお金を使ってやるので、それだけ責任は伴う。自分の場合、やっぱり最初は失敗する予感しかしなかったので、その分自分で制作費は出さないといけないと思ってました。広告営業とかも一応行ったんですけど、実際は全部ダメで。
内沼:でも、例えばファミマでバイトして、そこで学んだこともあるんじゃないですか? ただ時間を浪費しただけなのか、それともバイトを通じて実は学んでいた事があったのか、その辺りはどうなんでしょうか。
島崎:学んだ部分は相当多いと思います。バイトする前は調子に乗ってるので「あんなバイト絶対したくない」とか思ってたんですけど、実際にやってみると「ファミマの店員ってすげーな」って(笑)。やっぱり何でも自分でやってみないとダメだなって。自分は夜勤だったんですけど、次々に配送されてくる雑誌や新聞やパンを一人で捌いて店に並べていくので、暇がないんですよね。夜中にコンビニのレジで待たされることってよくあるじゃないですか。あれ、店員からすると本当に必死にやってるんですよ。いや、本当にファミマの店員さんはすごいと思います。
内沼:じゃあ、これから雑誌を作りたいと思っている後輩とかが相談に来ても「ファミマでバイトした方がいい」ってアドバイスする、みたいな話でもないですか?
島崎:まあ、雑誌にファミマでの経験が活きてるかと言われると……(笑)。ある一連の工程を効率的に進める頭は養えると思いますけど、本当に雑誌を作りたいんだったら出版社でバイトした方がずっと実際の流れがわかるんじゃないかと思いますね。でも自分はファミマで良かったかなと思います。
内沼:雑誌の編集部でバイトしたりするよりも、違うバイトをした方が良いんじゃないかって、実は僕も思うんです。島崎さんは以前「今の雑誌に魅力を感じるものが少ない」というようなことを言っていましたけど、自分が「こうじゃないな」と思うものが作られている現場に行くよりも、まったく別のものから何かを吸収する方がいい、っていう場合もありえますよね。特に学生の場合は。
「ちゃんとした人集めてこなきゃ、一緒にやらないよ」と言われてしまって。
内沼:お金の他に、もう一つ重要なのは一緒にやっていく人の集め方ですよね。編集を手伝ってくれる仲間を集めるのと同時に、出てもらう外部のモデルやカメラマンやスタッフとの交渉の部分が肝だと思うんですけど。
ちなみに『N magazine』では最初、どうやって外部のクリエイターに協力を仰いでいたんですか?
島崎:一番最初は、大学の雑誌サークルの頃から付き合いがあったインディペンデントかつアマチュアの、まだ無名なカメラマンやクリエイターばかりを集めてました。「若い世代のエネルギー」みたいなコンセプトで雑誌を作っていこうと思っていたんです。
だけど、やっぱりその中でも光るものが何か必要だと思ったので、たくさん活躍されているHIRO KIMURAさんというプロのカメラマンの方にもお願いしたんです。その時に渡した企画書には一応アマチュアのカメラマンさんたちの写真も一緒に載せていたんですけど、それに対して「アマチュアでももっと面白い人たちがたくさんいるのに、なんでこの人たちなの?」って訊かれたんですね。「仲がいいからです」って答えたら、「だったらZINEで良くない? ちゃんとした人集めてこなきゃ、俺は一緒にやらないよ」って言われてしまって。
その時に、「ちゃんともう一度勉強しなきゃ」と思って、それこそCHANELやGUCCIのような海外の広告写真とか、プロの撮った写真を本屋に行ってとにかくたくさん見た時期があって。そしたら、そのプロの方に言われたこと――アマチュアの撮る写真とプロの撮る写真の違いのようなものが、「あ、こういうことか」と少しわかったんです。まあ、それもまだ素人目線なんですけど。
内沼:それ以前は、そこは意識していなかったんですね。
島崎:わかんなかったです、なんにも。本当に失礼な話なんですけど、その時になって初めて「確かにこれはプロの人に頼んだ方が、もっと面白いものができるな」と思って、それまでお願いしていたアマチュアの方全員に「申し訳ないです、良いもの作りたいんで」と言って依頼するのをやめました。
その後、HIRO KIMURAさんに「水原希子が撮れるんなら俺はやるよ」と言ってもらえたので、水原さんの事務所に連絡したりして、0号の表紙を撮ってもらえることになりました。
内沼:最初にアマチュアのカメラマンを集めた時は、無名なクリエイターたちをもっと盛り立てていきたいとか、才能の発掘をしたい、みたいな目線があったわけではなかったんですか?
島崎:確かに、アマチュアのカメラマンに対して自分がディレクションすることで面白いものが生まれるなら良いんですけど、自分にはまだそこまでの力はない。それに、今は『N magazine』っていう媒体の力を強くしないと、手にすら取ってもらえないと思うんです。「より面白いものを追求していく」という姿勢はそのままで、プロの方との交渉や、キャスティングの部分で頑張るというか、まずはそこからだな、と。
[2/4に続きます](2014/3/26更新)
構成・編集:後藤知佳(numabooks)
編集協力:安倍佳奈子、松井祐輔
[2014年1月7日 本屋B&B(東京・下北沢)にて]
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