2014年の夏に、ドイツを拠点とする出版社Steidl社のホームタウンであるゲッティンゲンを訪れた。自分が運営する書店POSTは、世界に20カ所あるSteidlのオフィシャルブックショップの一つとなっている。しかし基本的にはメールでのやりとりで、設立者であるゲルハルト・シュタイデル氏やスタッフに会う機会を作れずにいたので、彼らに会い、どんな風に本を作っているのか実際に見たいと思っての訪問だった。訪れたのはバカンスの直前、その前に終えなくてはいけない多くの仕事を全てのスタッフたちが抱えているにも関わらず、彼らは快く迎えてくれ、社内を丁寧に案内してくれた。
訪ねて驚いたのは、建物が想像していたよりも小さかった事だ。少数精鋭のスタッフで運営しているとはいえ、年間200冊の本を制作している出版社なので何台もの印刷機が常に動いているのかと思いきや、使われていたのはカラー印刷の6色機が1台と、特色印刷用の小さな機械が2台のみ。社内では白衣を着ているシュタイデル氏の、まさに実験室と言った趣だった。印刷の品質管理は1人のチーフオペレーターとシュタイデル氏本人が全て行っているという。テスト印刷をしては機械を止め、それぞれの作品のテイストに合わせて色味を調整をしてまた機械を止める。さらに、最終の印刷段階になると作家を招き、彼らの意見を反映させながら最終調整を行い一冊の本を仕上げていく。製造の効率を優先していたら絶対にできない丁寧なプロセスだ。他のフロアではデザインチームのオフィスやこれまでに出版してきた本のアーカイブを見せてもらい、その後は最上階にあるキッチンダイニングで世界各国から訪ねて来ているゲストたち(自分が訪ねた時にはドイツ、アメリカ、イタリアなどから9人のゲストが訪れていた)と一緒に、専属シェフによる遅めのコースランチをごちそうになり、一日目の見学は終り、その晩は本社の横に用意されたジム・ダインの作品が飾られているゲストハウスに宿泊した。
シュタイデル氏と話ができたのはゲッティンゲンを離れる当日の朝、時間はわずか10分ほど。数字にすると「わずか10分」だが、全く無駄のない内容で、直接会って話さなければ新しい事が生まれなかった有意義なミーティングだった。前日に見せてもらった丁寧な制作プロセスや全てが行き届いたゲストのもてなし、そしてシュタイデル氏の無駄のない仕事から、世界のトップクリエイターたちがこの出版社に信頼を寄せている理由を直に感じる事ができた気がしている。
ゲルハルト・シュタイデルによって設立された出版社Steidlは、写真家やアーティスト、デザイナー、小説家などさまざまな分野のクリエイターをクライアントに抱え、数年先まで出版プロジェクトが控えている、今や世界で最も活躍する出版社のひとつであり、写真家のマーティン・パーからは「この10年で最も重要な出版社」と評されている *1 。
通常、表舞台に登場するのは本の著者やコンテンツで、出版社は本を作る裏方としての役割が強く、その名前自体が注目される事は少ない。しかしSteidlは例外的な存在で、「Steidlから本を出したい」という作家や、「Steidlの本だから扱いたい」という書店、「Steidlの本だから買いたい」というコレクターが世界中にいる事が物語っているように、その存在自体が一つのブランド価値を持っている稀な出版社だ。
設立者のゲルハルト・シュタイデルは1967年、若干17歳の時にデザイナー/印刷屋としてのキャリアをスタートさせた。その頃にドイツの都市ケルンで見たアンディ・ウォーホルの作品の美しさに感銘を受けたことがきっかけとなり、シルクスクリーン印刷について学び始める。1968年には自身の故郷であるゲッティンゲンに戻り、そこで印刷スタジオを構えて”learning by doing(習うより慣れろ)”のスタンスで徐々に技術を身につけていった。ポスターの印刷からスタートし、1972年には初の書物“Befragung zur documenta”(“Questioning documenta”)を出版。74年にはノンフィクションの出版プログラムを立ち上げ、80年代初頭にはアートや写真の出版にも着手、その活躍の場を拡げていった。
徐々にキャリアを重ねていく中で、シュタイデルは最も影響を受けた人物として、現代美術作家のヨーゼフ・ボイスの名を挙げ「あらゆる点において、 ヨーゼフ・ボイスは私の先生でした」と言っている。シュタイデルは1972年以降、ボイスが亡くなるまでの14年間、彼のマルチプル *2 や、ポストカード、ポスターなど印刷物のほとんどを手がけていた。その製作現場から、アイデアを形にする際に注意すべき点や、慣習にとらわれない方法で、単なる「大量生産品」ではない魅力を加味していくメソッドなど、多くの事を学んだという。また、巨匠のクリエイションに直に携わる過程で、シュタイデルは印刷が単なる製作工程の一つではなく、それ自体がクリエイティブなものだと知り、情熱を傾けるようになっていった。
1996年には写真とアートに力を注ぎ、その出版を国際規模でスタート。それから約18年、今日においては、ロバート・フランクやジョエル・ スタンフェルド、ロバート・アダムスなどの写真家、ロニ・ホーンやジム・ダインと言った現代美術作家、ファッションデザイナーのカール・ラガーフェルド、小説家ギュンター・グラスなど、名前を挙げきれないほど数多くのクリエイターたちがSteidl社をパートナーとして信頼するようになっている。また、すでに評価されている著名な作家の本を作るだけでなく、アレック・ソスなど若手写真家たちの才能を見いだし作品集を出版することで、それをきっかけに彼らを一躍トップフォトグラファーに押し上げるなど、アート業界においても大きな役割を担っている。
年間に200タイトル近い書籍を発行しているSteidl社だが、本社スタッフは35名、出版タイトル数からは想像がつかない少数の人員で運営されている。この少数精鋭のスタイルもさることながら、Steidl社のユニークな点は、社内に全ての生産機能を持ち、編集、デザイン、印刷から製本、流通まで、本にまつわる工程を一括して自社で手がけている所だ。こういった出版社は世界的に見ても稀な存在だが、この徹底した管理によって生み出される本は、あらゆる点で巧みに作家のアイデアや表現を具体化しており、その丁寧に作られた美しいプロダクトは世界の写真/アートファン、本の愛好家たちを魅了している。
この総合的な製作管理に加えて、シュタイデルが大事にしているもう一つの事、それは作家たちとの密なコミュニケーションだ。2013年に日本で公開されたシュタイデルのドキュメンタリー映画「世界一美しい本を作る男」では、その様子が記録されている。彼は世界中を旅して自ら作家の元に赴く。各アーティストたちとのミーティングの際、時には編集者として意見を交わし、ある時にはアートディレクターとして装丁を提案、さらに印刷所として的確な印刷方法を選び、出版社として発行数を決める。妥協をせず、徹底した姿勢で本を作るシュタイデルをアーティストたちが心から信頼し、共同で本をつくる事を楽しんでいる様子がこの映画から見て取れる。
彼らがどのように本を作っているのか、その姿勢は出版という限られた世界の話ではなく、その他のクリエイションにも通じる。共同作業のパートナーを信頼し、親密にコミュニケーションを取り、求められているものに全力で答え、クオリティーに対して妥協しない…そうして生み出されたものが結果的に人の心を打ち、魅了するのだろう。
[Art Book Publishers Catalogue:第1回 了]
注
*1│映画「世界一美しい本を作る男」より
*2│アーティストの指示によって製作される、大量生産型の作品
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