マンガを取り巻く現況を俯瞰し、マンガと人々がいかにして出会うことができるか、その可能性を綴ったDOTPLACEの連載コラム「マンガは拡張する」。これまでの全10回の更新の中で著者の山内康裕が描いた構想を、第一線でマンガ界を盛り上げる人々に自らぶつけていく[対話編]の三人目のゲストは、株式会社コルクの代表取締役、佐渡島庸平さんです。株式会社コルクがここのところ温めてきたというある“新しい試み”についても、単刀直入に聞いてきました!
この内容の再編集版をDOTPLACE LABELの電子本『コルクを抜く』で読むことができます。
これまでDOTPLACEやマガジン航が取材してきた
佐渡島庸平さんのインタビュー・イベントレポートが一度に読める一冊です。
「経験」が価値になってきた。
——今日はよろしくお願いします。さっそくですが、コルクでは、これから新しい取り組みをされるようですね。
佐渡島:ずっと考えていたことがやっとできるようになった、というところです。
今のインターネット社会には、Googleや楽天など“大きな組織”が存在しますよね。でも、インターネットは本来、小さい規模でも大きな力を発揮できるのが一番の魅力だと思うんです。たとえばインターネットでの情報発信によって、地方のお菓子屋さんでも全国的な知名度を得ることができるようになった。そういう変化が起きていったわけですよね。個人の発信も容易になってきていて、10年前だとメールを使おうと思ったらプロバイダと契約して月々数万円払わないとメールアドレスを持てなかったところから、YahooやGoogleで無料で使えるようになっている。いろいろなインターネット上のサービスが公共的なインフラになりつつある。そこで個人が情報を発信することが容易で、当たり前になってきた。
それに加えて、価値観も多様化してきました。年収が600〜800万円以上になると、個人の幸福感と年収は比例しなくなるという調査もありますが、「モノ」があふれてくると、人は金銭的満足ではなく、精神的満足を求めるようになりますよね。その精神的満足は何から得られるかと言うと、「心」から。それはつまり、言い換えると「経験」です。どれだけたくさんリッチな「もの」を持っているか、ではないんですよね。みんなが欲しいと思うような「もの」、例えば家、車、新しい電化製品、それが全て満たされてしまったとき、それ以上の満足を得ようとすると、その対象が人それぞれ、一致しないものになってきている。
例えば僕はAKB48のメンバーの誰とも握手したいとは思わない。むしろ握手会に並ぶくらいならバイト代が欲しいくらいです。でも、そんなことを言ったらファンの人から怒られますよね(笑)。だから、AKBとの握手は、価値があると思っている人と、全く価値を感じない人との差がとても激しい。価値観に個人差があるものって、値付けがすごく難しいんですよ。すごくおいしい牛肉に対して1万円の値段がついているのであれば、みんなも納得しやすいと思いますが、「AKBとの握手」という一見よくわからない価値には、値段を付けづらい。ここで言う「よくわからない価値」というのが、「経験」なんです。「AKBと握手するという経験」には値段が付けづらい。
今の資本主義社会の基本的な構造は「モノ」を売る社会です。ユニクロやセブン‐イレブン・ジャパンなど、大量消費に対応した小売業は、物流を効率化して、価格を下げて、店舗を増やすことによって、利益を出している。そこでは「早く」、「安く」、「いつでも」というのがキーワードです。それはインターネットベンチャーも同じで、シリコンバレーで立ち上がっているベンチャー企業はこの三つのキーワードをシステムで実現しようとしている会社です。だからそういう人たちはすぐに上場を目指して、今のトレンドに乗ることで世の中を変えていこうとしている。でも、僕が株式会社コルクを設立してベンチャーをやっているのは、今のトレンドに乗りたいのではなく、今からさらに5年後、10年後のトレンドを作りたいと思っているからなんです。
「コンフォータブル」から「サティスファクション」へ
佐渡島:世の中がどんどん便利になって、何でも「早く」、「安く」、「いつでも」手に入るようになってきた。そこから先に必要なことは全く逆で、「遅く」、「限定的で」、「特別なもの」であることだと思うんです。価格も高くていいと思っています。これをキーワードに、エンターテイメントの世界でビジネスを再構築できると考えているんです。例えば、東京ディズニーシーの中にある「ホテルミラコスタ」は、従業員の数やサービスを考えると他のホテルよりも相対的に価格が高いホテルです。でも、稼働率は他のホテルよりも高いし、お客さんもみんな満足している。「ミラコスタ」は、「コンフォータブル」(comfortable)を用意するのではなく、人に「サティスファクション」(satisfaction)を与えるホテルなんです。社会が発達するにつれて、「コンフォータブル」から「サティスファクション」へ、人に与えるものが変わってくるんです。でも、人が何に満足するか、「サティスファクション」を計るのは数値では難しいし、効率化もしづらい。だからそれに挑戦している人がまだ極端に少ない状態なんです。
つまりそれは、「もの」ではない商品を売ることなんです。人は「もの」を購入するときには、「早く」、「安く」、「いつでも」を求めます。例えば電化製品を買うときは、店頭で買っているのに翌日に配送されなかったらイヤだし、取り寄せで2週間も待たされるのなんてイヤですよね。さらにそこで買うんだったら他店より安いか、ポイントが付くのか、あるいは自分が買いたいときにはいつでも店が開いていてほしいじゃないですか。それはネットで電化製品を買うときと同じ感覚ですよね。それは本や電子書籍も同じで、AmazonのKindleストアで電子書籍を買う場合も、実体がないだけで売り買いしているのは「モノ」なんですよ。だからちょっとでも安く買いたいし、無料キャンペーンがあるならそのときに買いたい。その反対がアップル製品。この間、表参道にアップルストアがオープンしたとき(2014年6月13日)も、店を見るためだけに人が並んだりしますよね。アップルストア自体に価値があるし、アップル製品をアップルストアで買うことに価値があると思われている。アップルストアで買うことが重要で、それを家電量販店で買おうとは思わないわけですよね。そこでみんなが何を買っているかと言うと、ただのパソコンではなくて、「パソコンを通じた経験」を買っているんですよ。「経験」という精神的な満足を与えるものを買っているから、多少高い値段でもアップルストアで買う人がいなくならない。ほかのパソコンはすべて安さや機能を売りにしているけど、アップルはデザインを売りにしている。安さよりもデザインを売りにするということは、精神的に満足させることを最重要視しているということなんですよね。
作家から直接、電子書籍が買える。
佐渡島:そういう環境の中で、僕が何をしようとしているかというと、読者が作家を応援できる仕組みです。「今日のコルク」を連載してもらっている羽賀翔一のオフィシャルサイトに行くと、単行本の試し読みからそのまま直接、サイト上で電子書籍を購入できるようになっています。
作家のサイトで、作家から電子書籍を購入できるようにしてあるんですよ。まだベータ版なので改良の余地はたくさんありますが、クレジット決済ができて、そのまま買うことができます。ブラウザで見ることもできるし、EPUBデータがダウンロードされるので、各種デバイスで見ることができる。ストリーミングではなく、データ自体がダウンロードできるので、仮に電子書籍提供会社が倒産しても、データは手元に残ります。もちろん海賊版対策はしっかりされています。この仕組みはコルクと契約している作家、安野モヨコや三田紀房などのサイトでも導入していますし、これからは英語版も順次購入できるようにしていきます。サイトではページ上だけでなく、試し読みをした直後の画面でそのまま購入できるように設計しています。
ケシゴムライフ/羽賀翔一短篇集を読む
今までだと、試し読みの後にKindleや他のサイトへのリンクをクリックしないと、電子書籍が購入できなかった。こういうネット上の状況って、試着室しかないお店をみんなが開いているようなものなんですよ。試着室しかないから、試着だけしてもらったあと、購入は各店まで行って買ってください、と言っているようなもので。それはリアル店舗で考えるとすごく不便ですよね。お客さんの都合を考えると、欲しいと思ったらその場で買いたい。ネットの世界のワンクリックがどれだけ重要かは、Amazonでジェフ・ベゾスがすでに証明しているわけです。途中で絶対に余分なクリックを増やすべきではないし、それによってどれだけ多くのお客さんを逃しているのか。他の産業ではしっかりとインターネット空間で購入しやすいシステムを作っているのに、出版業界だけができていない。それを阻んでいるのはある種の魔法の言葉なんです。「作家を守る」、あるいは「著作権」。僕たちは実際には何を、どうやって守っているのか。それをしっかりと考えないといけない。業界の歴史が長ければ長いほど、思考停止の言葉が多くなっていて、「作家を守る」と「著作権」は、一歩間違えばその引き金になりかねないですよね。
作家から「経験」を買ってほしい。
佐渡島:ネット上ではAmazonや楽天市場はもちろん、「STORES.jp」やフリマアプリの「メルカリ」など、電子書籍だけでなくあらゆる店があり、あらゆるものが売っています。そこでは電子書籍も他の店や商品と同列に並ぶんです。ネット全体がコンビニみたいなもので、全部揃っているけど、それぞれの売り場はとても小さい。そういう環境では商品を見つけてもらうだけで大変。それならば、三田紀房や安野モヨコといった「作家」を軸に専門店を作るほうがいい。もちろん同じ電子書籍はAmazonでも買えるんです。でもそこで買えるのはあくまで「モノ」。それに比べて、今回の試みで作家から直接電子書籍を買うときは、作家を応援するという「経験」を買ってほしいと思っているんです。そんな場を作りたいんですよ。例えば作家から直接買った場合は、作家から描き下ろし漫画がプレゼントされるとか、お礼の手紙マンガがプレゼントされるとか、あるいは1年に1回、作家に誕生日カードを特別に描いてもらって、誕生日にプレゼントしてもらえる、とか。それは他の店では買えない「経験」になります。
もっと具体的には、「応援する」という機能も作っています。HTMLコードを公開していて、このコードを貼り付ければどこにでも試し読みページを埋め込むことができるんです。これはつまり、売り場自体が拡散されていくということ。みんなのブログに作家の売り場ができる。これを続けていくと、面白い話を作ったときにはどこまでも拡散されていく可能性がある。今、電子書籍で面白い1巻を作ったとしても、Kindleでは無料にしても拡散されません。なぜなら他にもっと有名な作品が無料になっているから。有名でない限り儲からない仕組みになっているんですよ。でも例えば、僕らがネットで見ているYouTubeの映像って、有名な作家の作品じゃなくても拡散されているじゃないですか。そういう知名度に関わらず拡散しやすい仕組みがあって、そこから購入もできる環境が整備された中で、本当に面白い作品があったらどうなると思います?
今までは、読者は本を読みながら作家との精神的なつながりを一方的に感じることはできても、実際に体験することができなかった。ネット上なら、ゆるやかなコミュニケーションを生み出すことによって、作家と読者がつながることができる。さらにここでは、作家自身がどうやってこの本を作ったかも発信できる。「2年間かけて作った」というエピソードがある本を、ファンが割引で買いたいと思うかどうか。そこには価格以上の価値があるはずです。無料にするのもストアの事情ではなくて、今日は作家、あるいはキャラクターの誕生日だから割引きます、といった作家発信の理由で割り引きが行われる。その方が読者と作家、作品との結びつきが強くなるんじゃないか。そう思ってこの仕組みを作っています。
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——今はコルクの所属作家が利用していますが、システム自体の開発はどうしているんですか。
佐渡島:システムは「コルク」が作っているわけではなく、「マグネット」(https://magnet.vc)という会社が作っているシステムを使わせてもらっています。ベータ版をコルクが使わせてもらって、実験している段階ですね。他の会社や作家が使うこともできるので、そういうケースも少しずつ増えてくるかもしれません。
山内:電子書籍の展開は、電子書籍販売サイト、出版社の電子書籍サイト、DeNAが運営する「マンガボックス」など、異業種が運営する電子コミックサイトといくつかのパターンがありますが、それぞれのサイト同士が全く連携していないと感じています。読者の立場からすると、どこのサイトが良いかという以前に、販売導線がわからない。同じ出版社の電子書籍サイトですら、雑誌レーベルごとに違うサイトがある。読者としては、「あると便利なのに、なんでできないのか?」と思うような状況で、それは佐渡島さんが仰るとおり、業界慣習が理由でできていないことが多い。今回の取り組みは、それを飛び越えているのかなと思います。
——作家本人のサイトで販売される電子書籍は紙の単行本も出るし、他の電子書籍販売サイトでも買うことができる。その中でも作家から買ってほしい、ということですね。
佐渡島:みんなが自分の「経験」を選んで買うということですね。Macだってどこの家電量販店でも買えるけど、みんなアップルストアで買う。同じ服でもブランド服を買う人、ユニクロで買う人、いろんな選択肢から自分で選んで買います。そういう時代に出版業界だけ選択肢を提供できないのは、業界にとってもデメリットだと思います。
大きな仕組みというわけではなく、小さな規模でもネット上で人と人との人間的コミュニケーションが生まれる、それを目指してやっています。
[2/3に続きます]
構成:松井祐輔
(2014年6月17日、株式会社コルクにて)
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