※下記からの続きです。
第1回:武田俊(KAI-YOUディレクター/1986年生まれ)1/4
第1回:武田俊(KAI-YOUディレクター/1986年生まれ)2/4
1980年代後半以降に生まれた〈ゆとり世代〉周辺の若手編集者にインタビューしていく「これからの編集者」スピンオフ企画。
第1回目は、ポータルメディア「KAI-YOU.net」などを手がける、今最も“POP”なメディアプロダクション・KAI-YOU LLC.ディレクターの武田俊さん(1986年生まれ)です。
(▲武田俊さん)
◆偏見をガッと越えてくる人は、気持ちいい
――武田さんは、学年的にはギリギリ「ゆとり世代」ではないんですよね。
武田:そうです。厳密には「ゆとり世代」ではないんですが、僕が通っていたのはヘンな小学校だったので、実験的にゆとり教育自体は受けていたんです。「総合的な学習の時間」も4〜5年生の時のカリキュラムに入っていたし、そういう意味では、実際のところちょっとだけ“ゆとっ”ていたんですよね。
――そうだったんですか! 総合学習とか、訳も分からないままやりましたよね。
武田:「給食のおばちゃんにしゃもじをつくってプレゼントしましょう」とか、よくわからない授業をやっていましたね(笑)。「これ、図工なんじゃね?」とか言いながら受けていました。
――いわゆる「ゆとり」という言葉がDIs(誹謗)ワードとして使われる、という現象があるじゃないですか。そういったものを横目に、自分の世代に足りていないものって、どういうものだと思いますか。
武田:「みんなで何かをする」という体験じゃないですか。あまりに言い古されたことばですが、やはり「大きな物語」的なものがなくなった以降の、最初の子どもたちが「ゆとり世代」なのかなと思います。
それこそ、あさま山荘事件みたいな「事件」をお茶の間のテレビの前で全員が見ていて、視聴率が90%近くあったりだとか、そういう「みんなで同じ光景を見る」、「同じものを消費して話題にする」ということをほぼ経験せずにここまできた、というのが僕たちの世代だと思います。
だから、先ほど話した「メディア経由の欲望」に曝されなかったし、マスマーケティングが機能しにくくなったんでしょうね。「みんなが理解できてうらやましがる成功体験」みたいなものもなかった。例えば、大手の外資系企業に入った人から「すぐに年収1000万円越えちゃったよ、ドヤッ」とか言われても、「ふーん、いいねー」というぐらいの感覚で、「ちくしょー」とは僕はたぶん思わない。
――「この人はこの方向を選んだんだな」ぐらいの感覚ですよね。
武田:色んな道と価値観があるなかで、「この方向を選んで成功したいと思っているなら、こういうタイプの人なのかな」といったように思考が働きます。
――「すぐに類型化してしまう」みたいな傾向も若干あるような気がします。
武田:僕もそう思います。だから、その偏見をガッと越えてくるっていう人っていうのは、気持ちいい。「おっ、この人●●の事もよく知ってるし、全然違う◯◯の分野も掘り下げてる」みたいな事が一緒に呑んで話していると分かったりする。そういう人と一緒に仕事をできるとすごく楽しいし、自分もそういう風でありたいな、と思ってます。
◆「mixi=僕たちの黒歴史が積もってるWebサービス」
――同世代や下の世代で、注目していたり気になっている存在はいますか。
武田:おもしろいと思う人はたくさんいます。例えば、毎号東京の23区の中から1つの区を選んで特集している雑誌『TO』の川田洋平さんは、本当につくりたいものを体を張りながら作っていて、その姿勢が素敵だなと思ってます。単純にプロダクトのレベルもすごく高いんですよ。
あと短編アニメーションレーベル・CALFを運営している廣瀬秋馬さん。短編アニメーションのプロジェクトを色々と企画しながら、アニメ作家の方たちとCMを制作するなど、作家がクリエイティブでお金を稼いでいくスキームを組み立てられているところがすごいと思ってます。同い年で、カルチャーを軸に活動する経営者でもあるので、そこも刺激的です。
――KAI-YOUの学生インターンの方々とも、普段接することが多いと思うんですが、自分よりさらに下の世代に対して、自分ともまた異なる価値観を感じたりといった事はありますか。
武田:普段はそこまでないかもしれないですね。でも、彼ら・彼女たちの方が、よりインターネットに対してより「ふつう」なものとして触れていると思います。
最近意外と悲しかったのが、先日の「mixiが下方修正」のニュース。僕たちの世代って、“あの時のmixi”のおもしろさを体感してたじゃないですか。世代的には「mixi=僕たちの黒歴史が積もってるWebサービス」なんだけど、はじめて多くの人がSNSに触って、趣味を経由して色んな人とつながって「あの時めっちゃおもしろかったな」っていう感覚が残ってる。
「あの時のあのインターネットがおもしろかった」っていう記憶――それこそ地震が起こる前のコンテクチュアズ(現・株式会社ゲンロン)さん周辺の何か新しい事が始まる予感に満ちていたような、そういう「良いインターネット感」がジャンルを越えてそれぞれあったと思うんですよ。でも下の世代の子たちは、おそらくもっと日常のものとしてインターネットを使ってるから、「あの時期のあのインターネット感、やばかったよね」というのも多分なくて。年下でも、インターネットが昔から好きだった、っていう人はいると思うんですけど、もっと一般的な今の大学生の子たちにとっては、インターネットやソーシャルメディアが本当にデフォルトなものとしてあるものなんだと思いますね。
◆日常としてのWeb、祝祭としての現実空間
武田:今、僕たちが生きている情報空間とリアルの空間との関係において、「日常」がWebの方にあって、「祝祭」がリアルの方=現実空間にあると思うんですよね。
「日常」における他愛もないコミュニケーションのほとんどを、僕たちはWebを通して行っています。下手をすると5年間会っていない地元の友人が今朝何を食べたかを僕たちは知っていて、「おいしそうだね、今度実家帰ったらそこ行ってみるよ」なんて会話をしたり、誰かがinstagramに上げた写真を見て「今度の飲み会はそこにしよう」と決めたり……。それはすごく、日常的な世間話レベルのものですよね。その代わりに、土日や夜における現実空間で過ごす時間が「祝祭」の時間になっている。
――マルチネレコードなどのネットレーベルが主宰するクラブイベントなんかも、それこそ「大規模オフ会」のような感じですしね。
武田:そうですよね。そういう場で会った時に「最近どうしてた? 元気?」って声を掛けても、相手が元気だなんてことはもう知ってるんですよ。さっきまでリプライ飛ばし合ってたんだから(笑)。その感じが、既にスタンダードなものとしてある。
だから、「祝祭」と「日常」のおもしろさの両方を実装できる場として、KAI-YOU.netを使ってコンテンツをお届けして、「祝祭」としてのイベントを仕掛けたり、そのイベント情報をメディアで展開できるかを考えたり。その相互の連関がデフォルトなわけだから、どれだけ楽しくこの「祝祭」と「日常」のレイヤーを行きつ戻りつの時間が過ごせるようにできるかな、というのを最近よく考えてます。
◆50年残るメディアは必要ないけど、50年生き続けるコンテンツはつくりたい
武田:実は、最近紙の本をよく買うようになりました。というのも、昨年Kindleを買ったんですね。どう利用しているかというと、Kindleではおもにプロダクトとしては魅力的じゃないんだけど、読むべき話題書やビジネス書などを買って読むようにしたんですね。そうなると、逆に家の本棚に好きな本だけがガーッと置けて、そこに並んでいる文脈を見て発想の種にしたりするのが楽しくなった。それでもっと読みたい本が可視化されてきて、より紙の本を買うようになりましたね。
――確かにそう言われてみると、そのクリアな本棚の感じというのは、なんだか嬉しくなりますね。
武田:自分の思考の構成要素としての本たちが、「背が並んでる」という光景として一覧できるというのは、めちゃくちゃ重要な事な気がするんですよね。「これとこれの間が抜けてるな、じゃあ足そう」とか、「このジャンルはもっと勉強しよう」とか、「この辺りの時代はある程度深堀りできてるから、だったらもう少し時間を遡って……」とか。時間軸としての「縦」軸とジャンルとしての「横」軸をそれぞれどう広げていくか、というような発想がしやすくなると思いました。
――そういった、例えば50年後も残っていくようなフィジカルなメディアを、武田さんご自身はつくっていきたいと思いますか。
武田:僕は、メディアは50年も残らなくていいと思います。メディアは時代に合わせて形を変えるべきで、その中で生まれたコンテンツが残ればいい。例えば僕らの場合は、コンセプトを一番大事に考えていたので、意地で雑誌にこだわる必要もなかったわけです。今後はWebにこだわる必要もなくなるかもしれないし、50年後になったら、例えばアニメ『電脳コイル』の世界みたいにウェアラブルデバイスのアプリケーションが主流になるかもしれない。そうなったら、編集の方針は変わらなくとも、コンテンツの実装のしかた・展開のしかたはまったく変わってくるんじゃないかなと思います。メディアのあるべき姿を考える時には、時代の状況とテクノロジーの側に僕は優位があると思うので、そこにいくらでも合わせればいい。魂だけあればいいと思ってますし、魂があれば同じ名前でやり続ければいい。
50年残るメディアは必要ないですけど、50年生き続けるコンテンツは逆に言えばつくりたいかもしれないですね。「50年生き続ける」っていうと、同じ形で残ってるように見えるじゃないですか。でも、形や輪郭線を変えながら生き続いていれば、それが一番かっこいい気がしますね。
◆どれだけ“事故率”を上げていくか
――以前、このサイトで連載していた「これからの編集者」のインタビューの中で、『BRUTUS』編集長の西田さんが、「純粋に“編集”ということに没頭するには今のところ(紙の)雑誌というメディアが一番ふさわしい」という風におっしゃっていたんですが、それに対して武田さんはどう思われますか。
武田:まず、編集っていう言葉は多様だなと思いました。西田さんがおっしゃっているような、〈『BRUTUS』という雑誌の看板があって、編集に没頭する〉というのは、僕らは味わったことがないし、今後も味わうことはないと思う。なので、すごく羨ましいな、と思いつつも、その「編集」と僕が目指している編集は、また違う気もします。
「特集企画のレイアウトはどうしようか」とか、「今回はいつもと違う紙をつかってみよう」とか、そういう思考の張り方は雑誌『界遊』をつくっていたときに手探りながらやっていましたし、今も案件によっては行なっています。でも、それはとても“手仕事”的な編集なんだと思います。だからこそすごく素敵に見えるけれど、僕らの世代が新たにメディアを立ち上げる時、そういった思考法のもとに「編集」を行う機会は今後あまりなくなると思います。その手仕事的な「編集」の魅力を理解できる人も減ってきているでしょうし、声高に「こういう編集が重要だ」と言えば言うほど閉ざされたものになっていく。じゃあ未来をつくる、新しいメディアにおける編集についてどう言語化できるのか。それを日々考えながら、実践しているつもりです。
――もともと、武田さんはそういったいわゆる往年の「編集者の仕事」というものへの憧れはあったんですか。
武田:ありましたね。でも、他の人に比べたらそこまででもなかったかもしれません。
それこそ、東京生まれ・東京育ちで、大学1年生の頃から大手出版社の雑誌編集部に入ることを志していた友達も周りにはいて、そういう人は、例えばマガジンハウスでバイトをしていて、その延長で今も雑誌の編集部にいたりします。そういう方向の展望は、僕にはなかったです。
なぜか中学校の時から雑誌よりも、小説の方が偉いって思ってて(笑)。雑誌も書籍だと思って読んでましたね。高校生の時は『STUDIO VOICE』や『relax』のバックナンバーをブックオフで買って、“研究”してました。「この時期にはこんな特集がされていた傾向がある」とか「あの人って昔はこういう活動してたんだ」とか。あとは、色んな雑誌でやられている「本特集」などで作家が登場して小説の話をしているようなものは、すごく好きで読んでました。雑誌よりは書籍の編集者になりたかったかもしれないですね。
――「これがいわゆる『編集』だ」という意識で活動されていた事は、もともとあまりないんですか。
武田:こう言うとズルい言い方になっちゃうんですけど、仕事に関する全てが「編集」だと思ってます。書籍やWebをつくるのはもちろんですが、イベントの企画・運営も空間というメディアを使った「編集」です。
とりあえず今はモノが多いので、どんな作業も編集的な要素が入ってくると思うんですよね。例えば「飲み会」ってものも、すごく「編集」的だと思います。何人かの参加メンバーがいて、それぞれの年齢層と、なんとなく想像するそれぞれの収入と、個別に知っている好きな食べ物や好きなお店の雰囲気があったとして、じゃあ今日はこのお店に行ってこんな話をしようとか。「編集」って別に本をつくる事だけじゃない。
本づくりにおける手仕事としての「編集」や、フィジカルなメディアをつくる事にはあこがれもあります。だけど、その手段では未来を拓けないという実感があるし、そうじゃない「編集」の楽しみも僕たちは知っている。メディアの種別や取り上げるジャンルを越えて、ひょんなところで予想もしないことやモノに出会えること。そういうある種の事故みたいなものがもたらしてくれる興奮と快楽は、世の中が多様だからこそ、色んな仕掛けでもって組み上げられるものだと思います。「読者」がそういう楽しさに出会えることができれば、ひいては多様な世の中を肯定するような意識もフィードバックして生まれてくるはず。
そのためにも自分たちのメディアで、どれだけその“事故率”を上げられるか、っていうところが僕らの行う「編集」の醍醐味だと思っています。
「武田俊(KAI-YOUディレクター)4/4」に続く(2013/10/18公開)
聞き手・構成:後藤知佳(numabooks)
1987年生まれ。ゆとり第一世代。東京都出身。
出版社勤務などを経て、現在「dotPlace」編集者。
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