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冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第9回 電子書籍は「バカげた商品」か?

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第9回 電子書籍は「バカげた商品」か?

kindle

▼大出版グループ、アシェット

 アシェットといえば、いわゆる5大出版社のひとつ(あとの4つは、ペンギン・ランダムハウス、サイモン&シャスター、ハーパーコリンズ、マクミラン)。

 200年近く前にフランスで創業し、いまでは世界中で150以上のインプリントを持ち、年間17,000点を出版し、2016年の売上は28億ドル超。ちなみに内訳は、ヨーロッパやカナダをふくめたフランス語圏が1/3、北米が1/4、英連邦諸国が2割といった構成だそうです。

 アシェットがインドに進出して10周年ということで、CEOのアルノウ・ノウリイが当地でインタビュウに答えています。

 市場も文化も異なる国々で世界的な展開を成功させるコツについて聞かれた彼は、共通した価値観は保持しながらも、ただひとつのエートスにこだわらず、それぞれの国情のなかでポジションを得ることが重要だと説いています。

 そんななかで物議をかもしたのが、電子書籍に関する議論でした。
 下の見出しをご覧になれば、おわかりになると思います。

(アシェット・グループのCEO曰く、「電子書籍はバカげた商品だ。創造性も向上性もない」)

▼アシェットと電子書籍の歴史

 まず、これまでの経緯をふりかえっておいたほうがよいでしょう。

 といっても、話は電子書籍の歴史をどこまでもさかのぼってしまうので、とりあえずは米アマゾンがキンドルを発売した2007年からはじめましょう。

 キンドルは、PCを介さず本体に直接ダウンロードできるうえ、アマゾンが運営するキンドル・ストアで電子書籍の強力な値下げが進められたため、先行する電子書籍リーダーをほぼ駆逐して、圧倒的なシェアを確保しました。キンドル自体が電子書籍の隆盛に大きく寄与したことは、ご存じのとおりです。

 電子書籍の価格破壊に危機感をつのらせた大手出版社(冒頭にあげた5社)は、2010年にiPadの発売を予定していたアップルと組んで、価格維持に乗りだします。売り手が販売価格を決める「ホールセール・モデル」にかわり、出版社が価格を決めてアップルに一定の手数料(30%)を保証する「エージェンシー・モデル」への移行です。アップルは、他の出版社との交渉内容を伝える形で、結果的に5社と同条件で契約することになったとされています。

 これで大手5社の電子書籍の平均価格は1割上昇したそうですが、米司法省および欧州委員会によって、この路線は公正な競争を脅かすと判断され、修正を余儀なくされました。

 こんな流れを経て、2014年、アマゾンがアシェットとの契約更新に際して、これまで以上に自社に有利な条件を迫ったことから、両社ははげしく対立します。アマゾンが対抗措置として、アシェットの出版物の価格を下げ、出荷を遅らせ、はては購入ボタンを外して販売を取りやめることまでしたのですから、まさに全面戦争の様相。

 さすがにアマゾンに対して批判の声があがり、1000人近い作家が両社の和解をもとめる抗議文を出す事態にまでなりましたが、それぞれが納得できる条件で合意するまでには、半年以上もかかったのでした。

▼なぜ電子書籍は「バカげた商品」なのか

 ノウリイCEOは、デジタル化において先行していた音楽・映像・雑誌業界(海外では、書籍と雑誌では業種がちがうのですね)は、ふたつのあやまちを犯したと分析します。ひとつは、デジタル化への対応が遅れ、海賊版の蔓延を招いたこと。もうひとつは、市場価格をコントロールできず、著作権者の収入や自分たちの売上を損ねたこと。

 そのため彼は、電子書籍が市場に出はじめた当初から、価格決定権の保持につとめたのです。出版産業が築いてきたシステムを守らなければ、書店も、書籍を売るスーパーマーケットも倒れ、作家の収入も絶たれてしまう。それが2014年の戦いだった、と彼はいいます。音楽業界が10年で売上を半分まで落とした轍は踏みたくなかったのだ、と。

 英米においては、書籍全体における電子書籍の占有率は2割ほどで、例の2014年をピークに落ち着き、やや下がりはじめているというデータがあります。このへんが電子書籍の限界だ、というのが彼の見解です。

 そのなかで、電子書籍が「バカげた商品」だという発言が出てきます。電子書籍といっても、たんにデジタル・データだというだけで、紙版と内容的に変わるところはまったくなく、新たに作りあげる要素も強化される部分もなく、真の意味でのデジタル的な経験を提供するものでもない。つまり、出版社にとって電子書籍の制作はたいした仕事ではない、というのですね。

 書籍に音楽や動画を付加した、いわゆるリッチ・コンテンツも作ってみたものの、失敗。アプリの開発や、ウェブ上にコンテンツをあげるなどの試みも、「100失敗してひとつふたつ成功しただけ」。さまざまな試みの結果、彼が得た結論は、出版社はいい原稿を見抜き、それをページ上にデザインする能力を持っているのであって、3Dをはじめとするデジタル技術を使いこなせるわけではない、ということだったのです。

 それでも、出版社は読者に新たな経験を提供しなければならないと考える彼は、この2年間でゲーム会社を3つ、アシェットの傘下にくわえたそうです。これで、電子書籍をこえたデジタル展開を考えられる才能を出版社に引きこもうとしているというのですから、さすがというべきでしょうか。

▼電子書籍は「バカげた商品」ではない

 このニュースは注目を浴び、英「ガーディアン」が紹介すると、1000近いコメントが集まりました。

(「電子書籍はバカげている」と世界有数の出版社のトップが語る)

 当然ながら、反論も寄せられました。

 まず、いくら本をキープしても場所を取らないとか、どこにいてもすぐに本が買えるといったメリットがあげられます。

 さらに、現在では電子書籍リーダーの多くに音声読みあげ機能がついていて、目が不自由な人も合成音で聞いて本を楽しむことができますし、テキストを点字に変換する装置もあるそうです。

(電子書籍は「バカげて」はいない——障碍がある人にとっては命綱である)

 たしかに、上のような説明は、わたし自身も電子書籍の利点として、よくあげるポイントです(いまでも、電子書籍に反対する人を説得しなければならない場面に出くわすことがあるのです)。

 くわえて、書籍が潤沢でない時代を経験している高年齢層にとっては、きれいな状態でいつでも読める電子書籍はかけがえのないものだという指摘もあります。読書が人間性をたもち、心身の健康の助けになるのであれば、「バカげた商品」などということはないのだ、というわけです。

(あなたはまちがっている、アルノウ・ノウリイ。電子書籍は「バカげて」はいない)

 個人的な意見を添えれば、わたしも電子書籍が「バカげた商品」だなどとは思いません。

 紙版と電子版があったら電子版で読む、という層が日本でも確実に増えてきていますし、出版社としては、作品をより多くの読者に届ける道を確保すべきであって、電子書籍は大きな役割を持っていると思うからです。

▼アシェット、驚きの新商品

 もちろん、アシェットが電子書籍をやめたり、縮小したりしようとしているわけではないことは、いうまでもないでしょう。

 いっぽうで、アシェットはオーディオブックで意外な新商品を発表しました。

 音楽レーベルと組んで、オーディオブックをLPレコードで出すというのです。

(アシェット・オーディオとワックス・オーディオ・グループが、レコードでオーディオブック・シリーズを立ちあげる)

 2017年、米国内のLPレコードの売上は、前年比9%増で過去最高を記録したそうで、それをにらんだ施策のようです。

 ラインナップも、レイ・マニュエル・ミランダ『ハミルトン』やアマンダ・パーマー、ジェリー・ガルシアなど、レコード・ユーザーを意識したものになっています。

 さて、「100失敗してひとつふたつ成功」のどちらになるのか、気になるところではあります。

[斜めから見た海外出版トピックス:第9回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro