某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。今回はコロナ影響下での独立系書店の事例をご紹介。もちろん良い話ばかりではありませんが、読者の「できるところから応援したい」という気持ちも続いているようです。
第38回 コロナ禍を生きのびた書店の物語
▼小さな本屋の物語
この連載では、何度かコロナウィルス禍での米国の書店の動向を見てきましたが、今回はひとつの実例を紹介したいと思います。
米国マサチューセッツ州の西の端あたりに、レノックスという町があります。
タングルウッド音楽祭で有名な土地ですが、ボストンから200キロほど離れていて、人口は5000人程度。
そんな小さな町にも書店があります。
その名も〈ザ・ブックストア〉。
店主はマット・タネンバウム、74歳。1976年のエイプリル・フールに経営者となり、「先週火曜からコミュニティに奉仕しています」というモットーをかかげ、2016年には40周年を祝いました。
タネンバウムは、ヨーロッパからの難民がひしめくNYのアパートメントで育ち、12歳で父を亡くします。著名な心臓外科医による手術の前日に、発作を起こしてしまったのです。
教師を志して大学に入りますが、有名な書店〈ゴッサム・ブック・マート〉で働いたことから、書店業に魅せられることになります。
なにしろ、店でテネシー・ウィリアムズやパティ・スミスと知りあい、だれかにぶつかって転びそうになったらそれはサリンジャーだった、などという経験もあるというのですから。
当時のヴェトナム反戦の気分のなか、大学をやめて職を転々としていた彼は、ロウ・スクールに入りますが、自分にはまったくあわないため、けっきょくそこもやめてしまいます。
ワシントンDCの書籍流通の現場で働いたりしたものの、マサチューセッツ州郊外に流れついた彼は、自分にすっかり自信を失っていたといいます。
ところで、伝説的な歌手ウディ・ガスリーの息子アーロが歌い語った曲に「アリスのレストラン」があります。
本人の体験談という体裁で、マサチューセッツ州ストックブリッジでレストランを経営するアリスの家のゴミを不法投棄して逮捕される顛末をコミカルに語りながら、後半はヴェトナム反戦につなげていく歌で、のちにこれをもとに、当のアーロ・ガスリー主演、アーサー・ペン監督で映画も作られています。
歌われたアリスは実在し、本好きの彼女にすすめられて、知人のデイヴィッド・シルヴァースタインが1966年に書店を開業。のちに隣り町レノックスに移転したのが、現在の〈ザ・ブックストア〉なのです。
77年にシルヴァースタインがこの店を売りに出し、それを買い取ったのがタネンバウムでした。30歳の誕生日をむかえたばかりでの、大きな決断でした。
マット・タネンバウムと〈ザ・ブックストア〉は、レノックスの町でこよなく愛される存在となります。
アン・ビーティをはじめ、多数の著者が来店。朗読会など、さまざまなイヴェントを開催し、2010年にはワイン・バーを併設。
町の文化活動の拠点となりますが、これは地域に根ざした独立系書店の典型でもあります。
「本当にすばらしい人。この小さな本屋さんに感謝したい。すごく親密な場所だし」と84歳になる顧客が語ります。
「クリエイティヴな才能があるんですね。ワイン・バーをご覧なさい。彼は、わたしたちみんなのためのコミュニティを作ってくれている。だからこそ、コミュニティのみんなが彼を好きなのです。この町の〈ザ・ブックストア〉のことを口にすれば、みんなが『ああ、マットね!』というでしょう」
それぐらい、店主と店とが不可分なのですね。
タングルウッドのシェイクスピア劇団の創設者もいいます。「博識だけれど、気取ったところも浮世ばなれしたところもない。彼がいなかったら、この町はもっと貧しい場所だったでしょう」
こんな話もあります。あるとき通りを歩いている夫に、妻がくりかえし声をかけていたそうです。「あなた、〈ザ・ブックストア〉に入っちゃダメよ」と。しかし、夫は店に入っていってしまい、妻は「これで、もう帰ってこないわ」と嘆いていたとか。
そんな〈ザ・ブックストア〉に、予想外の危機が訪れました。
コロナウィルスです。
3月なかばには閉店を余儀なくされ、予約された本を店の外で顧客にわたすだけになりました。
もちろんこれでは、膨大な経費をまかなうにはとうてい足りません。
4月に政府からの支援金5500ドルが入ったものの、それも人件費や光熱費であっという間に消えてしまったといいます。
地域で愛される書店とはいえ、「つねに資金不足で、負債をおっていた」とタネンバウムはいいます。「状況は切迫していた」
従業員をすべて切り、娘に店をゆずって、自分は補佐にまわるということも考えたそうですが、8月になって彼は、インターネットのクラウド・ファンディングに賭けます。
目標額は、6ヵ月ぶんの経費に相当する6万ドル。
金額として、これなら達成できるかもしれないし、いままで失ったぶんの補填にもなるだろうとの考えだったそうです。
タネンバウムにとっては窮余の一策でしたが、蓋をあけてみると、なんと2日で目標額をクリアしてしまいます。
9月末の時点で、寄付はその倍の12万ドルをこえています。
予想外の反響に、彼は驚きと感動を隠せません。
「どういうわけか、わたしはみんなから好かれていたらしい」
そして、こういいます。「わたしはジョージ・ベイリーだ」
それは、アメリカでもっともポピュラーな映画のひとつである『素晴らしき哉、人生!』の主人公。
絶望し、自殺しようとするジョージ・ベイリーが、自分では気づかなかったものの、これまでの生涯でさまざまな人に影響をあたえ、助けていたことを知り、今度は町の人びとから助けられる…という物語です。
そんな映画になぞらえたくなるのもわかる話ではあります。
▼「独立系書店の日」
そんななか、恒例の「独立系書店の日」が8月29日に祝われました。
これは文字どおり、米国内の独立系書店の記念日で、各店舗が思い思いの催しで客を呼ぶのですが、例年は4月の最終土曜日のところ、今年はコロナウィルスの影響で、8月最後の土曜日に延期して開催されたのです。
米国ではまだまだ感染者も多く、対策がもとめられているところで、店頭での企画はやりにくかったようです。
そのため、書店協会が著者イヴェントなどをウェブでライヴ配信するなどのサポートが組まれました。
(配信された動画は、のちにオープンにされて、書店が活用できるようになっています)
書店によっては、店舗を閉めてウェブでの取引のみに移行していたり、あるいは、あけてはいても店内に人を入れずに外で商品の受けわたしをしている書店もあります。
また、通常営業はしていても、店内に人が集まるのを避けるために、独立系書店の日を祝うのをやめる決断をした店もありました。
そんな、いつもとはちがう、きびしい環境のなかでの独立系書店の日でしたが、前週の土曜にくらべ、売上は30%以上の増加という結果になりました。1週間の売上も20%近くのプラスとなり、客足が増えていることもわかりました。
▼書店のゆくえ
とはいえ、書店ビジネスがこのままではうまくはまわらなくなっている実態は、コミュニティで愛される〈ザ・ブックストア〉がクラウド・ファンディングに頼らざるをえなかったことからもわかると思います。
調査によると、8割以上の書店がなんらかの形で店をあけているとのことですが、逆にいえば2割弱はオープンできていないわけです。開店しているとはいえ、上でも述べたように、時間短縮や入店制限など、限定的な営業にとどまっている店も多いのが実情です。
これから年末のホリデイ・シーズンにむけて、書店は書き入れ時をむかえていきます。
パブリッシャーズ・ウィークリイは、ともかく売上を回復したい、という書店現場の悲痛な声を拾っています。
このようななかでも、じつは新たな書店が各地で生まれつづけていることは知っておきたいと思います。
たとえば、カリフォルニアの新しい書店主はいいます。「おとなになってからずっと、この仕事をはじめたいと夢見てきましたが、まさかこんなとんでもない時期になるとは思いもしませんでした。2020年のこの苦難や不平等を見ていると、人びとがたがいの言葉を聞き、学びあうコミュニティの場所が必要だと強く感じます」
あるいは、サウスカロライナの店主はこういっています。「本屋をひらくのは夢でしたから、ウィルスが来たからといってやめようとは思いませんでした。地域のサポートには驚かされました。この状況下でも店をささえることに決めた、とみんながいってくれて、おかげでこうして仕事ができています」
仕事に対して熱意をもった書店主がいて、町にはそれをささえる顧客=読者たちがいる。
こうしたなかで、たくさんのマット・タネンバウムの物語がつづいていると信じたいものです。
[斜めから見た海外出版トピックス:第38回 了]
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