COLUMN

山内康裕 未明のマンガ論—マンガは拡張する3.0

山内康裕 未明のマンガ論—マンガは拡張する3.0
「マンガをもっと使えるものにすること—ツールとしてのマンガ」

manga_mimei

 DOTPLACEにて2013年から連載を開始した「マンガは拡張する」。マンガを取り巻く現況を俯瞰し、マンガと人々がいかにして出会うことができるか、その可能性を綴った全10回の「連載コラム」。そこで描いた構想を直接第一線で活躍する方々にぶつけていった「対話篇」。その「マンガは拡張する」シリーズが装いも新たに新連載を開始します。題して「未明のマンガ論」。連載開始から約5年の間にも、マンガのポテンシャルは拡張し続けています。その実態を様々な角度から捉え、より広げていくために、今回の連載ではリレー形式でテーマを受け継ぎながら、複数の異なる経験を持つ執筆者が実態をレポートしていきます。
 第一回は山内康裕(マンガナイト)さん。この連載のベースとなるべきマンガの持つポテンシャルを総括しつつ、最新の事例もあげてくださいました。

「マンガは拡張する」シリーズ
●「マンガは拡張する[連載編]」はこちら
●「マンガは拡張する[対話編]」はこちら
●「マンガは拡張する[対話編+]」はこちら

「コミュニケーション」から「ツール」へ。マンガ置かれた環境の変化と可能性

 今から10年近く前になる2009年、僕は「マンガナイト」というユニットを結成した。マンガナイトは「マンガに出会う」「マンガでつながる」を合言葉に、マンガを介したコミュニケーションを生み出すユニット。仲間内の小規模な読書会などから、活動はスタートした。
 当時はマンガの売上が雑誌に加え単行本も低迷し始めていた頃で、新しいデバイスやアプリの登場もまだ先のこと。このままでは、マンガ文化が停滞・衰退しかねないと一マンガ好き読者として勝手に危惧していた。作品性の素晴らしさだけでなく、「コミュニケーションツールとしてのマンガ」という切り口をも有り得るのではないかと考え始めたのは、そんな時代背景からだった。
 それから10年。時代は大きく変化した。スマートフォンやタブレットが普及し、電子コミックやマンガアプリも隆盛だ2017年の実績は連載「鷹野凌 今月の出版業界気になるニュースまとめ2018年2月」でも伝えられています。すでにマンガは、日本の文化産業の一つとして定着し、日本文化としてはずっと残っていくことは間違いないと思っている。

 この時代の動きの中で、僕の考えも変容してきた。マンガ文化の下支えには「コミュニケーション」に限らず、広く「ツール」としてのマンガの「機能面」全体へのアプローチの必要性を感じるようになった。
 一方で新たに浮上してきたのが、“子どものマンガ離れ”という問題だった。マンガの読み方がわからない子どもが増えている。現在の子どもにとって、マンガはすでに他の娯楽に比べ、「少し難しいもの」「手に取りにくいもの」になりつつあるというのだ。このまま若い世代のマンガ離れが加速していけば、マンガ文化は先細っていき、日常から切り離された文化になってしまうかもしれない。

 しかし、そうではなく、この先もずっと人の生活のかたわらにあり続ける、「大衆文化」としてのマンガを、僕は存続させたい。そう考えたときに、マンガがある種の「ツール」として「使える」ものであることを広く示していくのが、そのひとつの有効な方法ではないかと思うようになったのだ。

大衆文化のもつ「共通言語性」

 戦後、マスメディアとともに発展してきた「大衆文化」としてまず挙げられるのは映画やテレビ、小説だ。そしてより新しいものとして文化の仲間入りしたものにマンガ、アニメ、ゲームがある。これらの「大衆文化」には、一様に「共通言語性」。つまり、誰もがそれを自然と理解することができるという特性を持っている。例えばマンガはコマ割り、吹き出しなどのルールがあるが、右から左に読むこと、ギザギザの吹き出しは大声、などの独特な「文法」を自然と身に着けてきた。表現の中で起こっていること、描かれていることを、誰も理解できる。これは、「ツール」としてとても重要な要素だと僕は考えている。
 映画とテレビ、小説は世界でほぼタイミングを同じくして発展してきたが、マンガ・アニメ・ゲーム分野の発展は日本が顕著で、マンガはその中でも特に、日本固有の発展を遂げてきた。
 ここで、その大衆文化としての共通の性質に、「ツール」としての「機能性」というフィルターをかけたとき、マンガには固有の特徴が多数挙げられる。

(1)「時間」が圧縮され、再読しやすい
 受動的に目に飛び込んでくる情報を受け取ることの多いテレビ、視聴時間がキッチリ決まっている映画と異なり、マンガは主導権が読み手にあり、読むタイミング、時間をコントロールできる。早く読むことも、逆にじっくり時間をかけることもできる。さらに、小説と異なるのは反復性に優れていること。1冊を読みきるのにかかる時間が少なく、好きなエピソードの巻のみ気軽に繰り返し何度も味わうことが容易だ。これは、作品を好きになった際の内容定着度の高さにもつながる特徴だ。

(2)余白がかきたてる「拡張性」と「没入感」
 コマとコマの間に、ふたつのシーンをつなぐ大きな「余白」がある。これはコマ割りだけではなく、ストーリー上の「余白」も同様だ。この説明されない「余白」部分の空想や妄想を、読者は思い思いに楽しむことができる。これは見方を変えれば、共通のプロットを根底にした世界での想像や妄想を、同じ作品を知る他者と共有しやすいということでもある。
 また、テレビや映画に比べマンガには音がない。キャラクターがいて、台詞をしゃべっていても、それがどんな声なのかは読み手が想像するしかない。誰もがマンガのアニメ化で声優の声に違和感を抱いたことがあるだろう。自身の想像上の声でキャラクターにしゃべらせることは、ある意味で、読み手が作品中のキャラクターに自分自身を投影することに近い。
 小説とも共通するが、マンガ独特な情報の制限幅による独自の拡張性と没入感がある。

(3)絵が伝える「共通言語」
 映画、あるいはアニメに比べて、一枚の絵を見る時間が長いのでワンシーンの印象が強く残り、それが共通言語になりやすい。例えば『SLAM DUNK』の「バスケがしたいです……」と言ったら、多くの人が三井寿が安西監督の前で跪く同じ絵を思い浮かべるであろう。全員が同じページ、同じコマを思い浮かべることになるので認識の一致度が高く、理解も早い。もしこれが映像だとしたら、三井が振り向き目に涙を浮かべ跪いてセリフを言う、この一連の動作のどこをイメージしているのか、それぞれの頭の中では異なるかもしれず、認識の齟齬が生まれてしまうかもしれない。映像化されていない小説の場合は、そもそも同じシーンを同じ絵で思い浮かべることが不可能だ。
 絵が共通言語となり、全体の理解を早める働きをするのだ。

(4)独特の「読み方(ルール)」
 マンガを読むとき、人は1つのコマから「絵」「台詞」「オノマトペ」という、異なる多彩な情報を一度に見て取得する。さらに、見開き2ページを1つの単位として、右上から左下に向かって斜めに視線を移す読み方が形式として確立されている。
 これらのルールによって、読み手は大きな視野で俯瞰的に状況を読み取ることを自然と促されるのだ。

 そして最後に、やや精神論的な言い回しになるが、一マンガ読者の実感として

(5)作者が魂を込める
 大勢のスタッフによる共同作業で制作されることが多い他のコンテンツメディアに対して、マンガはマンガ家やアシスタント、編集者など少数で制作されていることが多い。作者がほぼ1人で描いていることも少なくない。それだけに、マンガは作者が手仕事として作品に“魂”を込めやすい表現手段なのだと僕は思っている。強い感情や思い入れが込められた作品は、読み手にも相応の熱量をもたらし、説得力を持つとともに、強い共感を誘う。

 これらの特徴は、あらゆる文化の共通言語性のなかでもマンガにしかないものだ。

「ツールとしてのマンガ」がぶつかる壁と、これからのマンガ

 こうした、「情報の伝達」「感情の共有」などの面でのマンガの特徴に着目して、僕はさまざまな活動や事業を展開してきた。マンガナイトでのワークショップ企画のほか、一部蔵書の選書、マンガ家や編集者のトークイベント、マンガの描き方教室などでも関わっている「立川まんがぱーく」では、親子での「コミュニケーションツール」としてマンガ活用し、かつ新たな子供の読者や描き手を育てようとしている。

IMG_4081
18424109_1351647938245561_5061836519787396083_n

 事務局長を務めるプロジェクト「これも学習マンガだ!」では、いわゆる「学習漫画」ではない一般のエンタメ作品の中から、歴史や文学、科学といった分野はもちろん、学校教育では扱われにくい社会課題や多様な生き方について「学べる」マンガを選出することで、マンガが「教育・学びのツール」として有用であることを示してきた。

koremo_poster_2016_fin_ol

 「情報伝達ツール」としての面から企業の広告マンガを手伝ったこともあるし、その他、さまざまな施設や空間の企画・制作にも携わってきた。

 だが、そうして実際にツールとしてのマンガというものを考えていくうえで、たびたび直面するのが、「作品としての質」と「ツールとしての質」の両立という問題だ。人気作だけが「ツール」としてすぐれているわけではない。この二者はベクトルが異なっているし、さらに後者は、どういう「ツール」として使おうとしているのか、その立場によってとらえ方が異なる。
 そもそもマンガは、すでに多様な「ツール」として活用されているが、呼び方も様々で体系的に捉えられてこなかった。
 文化芸術として受け止める場合は「作品」だし、作り手から離れたところで商売をする――流通・販売に携わる人にとってのマンガは「商品」だ。表現技法や歴史を研究する立場の研究者にとっては「資料」。アニメやテレビ、映画産業にとっては「原作」で、さらに二次、三次利用してグッズ化する立場からすれば、一緒に並べるグッズと横並びに、マンガも「グッズ」の一つと捉えられる場合もある。「マンガでわかる〇〇」といった書籍やいわゆる「学習漫画」の類であれば、「参考書」の一種とも考えられるだろう。そして、ツールとして使う場合には、“使える”情報か否かの判断の対象となる「情報コンテンツ」でもある。
 「大衆文化」として広く受け入れられてきたからこそ、その受容・利用のされ方も多種多様なのだ。その微妙なバランスのうえに成り立っているものであることを理解したうえで、それぞれの隙間を埋める・つなぐことで達成できる何か(それは作品かもしれないし、プロジェクトだったり、システムかもしれない)を生み出すことができるか、つまり
――マンガをもっと面白い、もっと使えるものにすること
が、マンガ全体の「ポテンシャルを上げる」ためのカギになると考えている。

 これらマンガの特徴をうまく利用した好例として、最近では200万部を突破した『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著、羽賀翔一漫画、マガジンハウス)がある。

kimitatihadouikiruka

 1937年から読み継がれてきた名作をマンガ化した作品だ。従来の学習マンガのような「正確な情報を伝えるため」の手法と異なり、ストーリーものとして面白く描かれている一方で、マンガ内で主人公が読んでいる文章がテキストとして数ページにわたって表記されており、より原作への理解を深めている。絵と文章が混在するこのような手法が違和感なく成り立つのは、マンガならではだ。

 また、マンガのファンブック、副読本の内容充実も見逃せない。『宇宙兄弟 コミックガイド』(小山宙哉著、モーニング編集部監修、講談社)

utyukyodai

 では、未公開イラスト、マンガに加え、JAXAやNASAといった関連知識にも多くのページが割かれている。人気マンガのファンブックということで部数も多く、この本で初めてJAXAに詳しく触れた読者も多いだろう。これはマンガと関連した情報だからこそできる、PRであり学習手法だ。

 こういったことは簡単ではないし、一筋縄ではいかない部分が多い。けれど、それだけに意義も大きい。
 無限大であるはずのマンガのポテンシャルを拡げていくこと。
 これからの10年で、たとえば「学び」や「コミュニケーション」ツールとしての実証研究も含め掘り下げ、作品が表現する範囲の拡張によるアプローチする層の拡大など、そのマンガの可能性に対して、自分なりに活動の中で仮説を立証していきたいと考えている。
(構成協力:鈴木史恵)

次回の更新は、DOTPLACEにて『重版未定』を連載する川崎昌平さんです。


PROFILEプロフィール (50音順)

山内康裕(やまうち・やすひろ)

マンガナイト/レインボーバード合同会社代表。 1979年生。法政大学イノベーションマネジメント研究科修了(MBA in accounting)。 2009年、マンガを介したコミュニケーションを生み出すユニット「マンガナイト」を結成し代表を務める。 また、2010年にはマンガ関連の企画会社「レインボーバード合同会社」を設立し、“マンガ”を軸に施設・展示・販促・商品等のコンテンツプロデュース・キュレーション・プランニング業務等を提供している。 主な実績は「立川まんがぱーく」「東京ワンピースタワー」「池袋シネマチ祭2014」「日本財団これも学習マンガだ!」等。 「さいとう・たかを劇画文化財団」理事、「国際文化都市整備機構」監事も務める。共著に『『ONE PIECE』に学ぶ最強ビジネスチームの作り方』(集英社)、『人生と勉強に効く学べるマンガ100冊』(文藝春秋)、『コルクを抜く』(ボイジャー)がある。http://manganight.net/