COLUMN

田内万里夫 SUB-RIGHTS

田内万里夫 SUB-RIGHTS
07: Lieberman’s Choise

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海外の本を自国で刊行する翻訳出版には、契約を成立させるための業務を担う「版権エージェント」という職種がある。このテキストは、一般社会ではあまり聞き慣れない職種「版権エージェント」の仕事、またそこから見聞きすることになった知られざる翻訳出版小史を伝える自伝的小説になっていく予定だ。連載タイトルの「SUB-RIGHTS」とは、著作権の二次的使用を意味する用語である。日本と海外の架け橋となったスコットランド人の版権エージェント、師であったウィリアム・ミラーへ追悼の念を込めて書き綴っていく。
※この物語は、概ね事実を元にしていますが「フィクション」です。登場する個人名・団体名の一部は架空名、もしくはプライバシー保護の観点から仮名にしています。
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「はい、フィーロン・エージェンシーです」
「もしもし、扶桑社の堀内だけど、三輪さんいる? え、いない? じゃあファックス入れておくから、そう伝えて。オファー出しますから」
 会社のある青山骨董通り沿いの洋食屋で昼を済ませて戻ってすぐにそんな電話を受けた。……ほどなくして出先から戻ってきた三輪さんに、扶桑社から電話があった旨を伝える。
「へ? オファー!? なんやろ、フンフン、さてはカミンスキーかな? やっと出してくれたんか。どれどれ」
 三輪さんは髭をさすりながら手にしたファックスを顔からやや遠ざけ、目を細める。
 そして小さくうなずくと「じゃ、このオファーは君からドミニクに出してみようか、はじめてやね、オファー。フン。堀内さんの電話を受けたのも何かの縁かもしれないし、この先どうせ扶桑社も担当することになるんやし」と言ってそのファックスを僕によこした。スチュアート・カミンスキーという著者名、それから『Lieberman’s Choice』という作品名が記されており、そのしたに数字やらメモやらが箇条書きで並んでいる。

 ドミニク、ドミニク・エイベルというのはこの本の権利者で、この人には先日のニューヨークで引き合わされてきたばかりだ。ミステリを専門とする物静かで穏やかなベテランの独立系出版エージェントで、「彼ならキツイことも言わないやろし、そもそもこれシリーズ物で競合もないし、過去の契約をなぞればそれでいいから手間ないし、フンフン、はじめてのオファーにはちょうどいいんちゃう? うんそう、ドミニク、会ってみてどやった? フンフンフン、はいおめでとう」という三輪さんの判断により、僕が担当するはじめての契約がこの本に決まった。カミンスキーが誰か知らないが、教えられたとおりに英文でオファー・レターの原稿を作成する。
 アドバンス(Advance = Advance royalty payment)というのが印税の前払い金で、この金額が折り合えば大抵のオファーは契約に結びつくという。それから印税率(Royalty rate)が重要で、日本での翻訳出版契約の場合これは大抵6%から8%のあいだに設定される。初版の予定が5,000部未満の単行本なら5,000部の売上までは6%、5,001部から10,000部まで7%、それ以降の売上は8%の印税というぐあいで、単行本よりも大きな初版部数が設定される文庫本の場合なら一律7%が相場だが、6%フラットという契約もあれば、稀に景気良く8%という提示をしてくる素敵な出版社もあるらしい。当然のことながら印税率を高く設定するほうが権利者や著者から喜ばれる。 
 6%をくだることはほぼないので、この先その点に注意して交渉することと教えられる。印税支払いについては著作権使用料に対するアメリカ合衆国と日本のあいだの租税条約で20%の源泉税率が定められているが、二重課税排除のための簡単な事務手続きをとることにより、それを10%に留めることができるそうだ(※ちなみにこの6年後の2004年には日米および日英の租税条約が更新され、以降は手続きを踏むことで源泉地である日本においては0%に免税されることになる。しかしそのための手続きは煩雑を極めるもので、日本の版権エージェントのみならず本国の権利者もその実務に大いに煩わされることとなる)。
 その他、契約期間については7年、出版期限は契約日から24ヶ月以内、翻訳版出版後の著者および権利者への献本は6部、翻訳や編集のための作業用見本の提供は3部を希望などなど、こまかな条件を並べてオファー・レターの文面を書式に従い整える。予定初版部数や予価も書き記すが、これはアドバンス額の根拠を示すのに役立つもので、つまり前払い金が、その本の翻訳版の初版部数分の印税を保証するものか否かがひとつの目安になるのだそうだ。例えば定価が1,000円の本で印税率が7%なら一冊あたり70円、それを1万部の初版で出版する予定なら70円x1万部=70万円が保証されるべきというのがアドバンス額の一応の目安となる考え方で、仮に1米ドル=100円で計算すると7,000ドルが妥当と見做される数字となる。もっとも著作権使用に対してどれほどの印税を前払いすべきかについて明確な線はなく、複数の出版社がおなじ本の版権を奪い合うような場合には、価格や初版部数の設定などはさておき、その本に込める各出版社の期待値によって条件が大きく変わってくる。
 権利者側の事情により特に高い条件を求められる作品もなかにはあり、アドバンス額が数万ドルに達する契約も珍しくない。場合によっては数十万ドルや、ごくごく稀に百万ドル、つまり日本円にして億の単位が動くケースもありうるという。要はその出版社がどれほどその本の権利を欲しがっているかというのがポイントで、だからこそ著者のネームバリューや過去の著作の実績、フィクションであれば映画化や大きな賞の受賞歴といった話題性、なによりもその本に書かれている内容の質やテーマの重要度が翻訳著作権の取引額の大小に影響するのだそうだ。ジャンル物の人気作家の新作や、時事的にタイムリーな大型ノンフィクション作品の翻訳権には高い値がつくことになる。
 版権エージェントだって商売だから、高値の見込める作品の扱いを増やそうと血眼になるのは自然なことで、多数の出版社がある本の翻訳権を得ようと殺到すれば、版権エージェント同士もその企画を奪い合うというような状況が生じることもある。とはいえ、大抵の欧米作品の場合には一本の作品に対して予め決まった版権エージェンシーに独占的に取り扱いを任せると約束がなされている。これは権利者と日本のエージェンシーとの関係性に基づく取り決めで、例えば海外の権利者が日本の複数のエージェンシーと代理店関係を結んでいるような場合であっても、一本のタイトルを複数のエージェンシーに同時に扱わせるということはほとんどない。あるタイトルを一社の版権エージェンシーに一度預けると決めたら、たとえ他のエージェンシーが日本の版元からのリクエストをぶらさげて現れたところで、そのリクエストは最初に扱わせると決めたエージェンシーに回される。ほとんどの場合はそうだ。これは一種の紳士協定であり、余計な混乱を回避するための知恵でもある。権利者にすれば日本だけを相手にしているわけではなく、翻訳出版の盛んな国々をわずか数人の版権担当者が忙しなく取り仕切っているのが実状で、よほどの事情がない限りは、物事の関係性を分かりやすくシンプルに留めておくことが結果として仕事を無理なく回すことに繋がるのだと、先日シカゴで知り合って一緒に飲んだアメリカ人の若い出版エージェントが言っていた。
「おまえだってあと2、3年もこの業界で過ごせば、だいたいどこを見ても見覚えのある顔ばかりになるよ。そんな狭い世界でひどい無茶をやったら業界の鼻つまみになるのがオチだろうな。あまりに自分勝手で変なやつはなかなか長続きはしない。まあ俺たちみんな多かれ少なかれ“変なやつ”だけどね。だって常に本を読んでるような人間て周囲にどれくらいいる?」

 権利者と日本のエージェンシーとが会社単位の独占関係、いわゆるエクスクルーシブな関係を結んでいる場合には、物事は至ってシンプルだ。互いが相手に対して誠実に仕事をし、相応の成果を上げ続けている限り、その独占的関係が崩れることはまずない。独占的な関係が壊れるというのは、この小さな世界においてはちょっとしたニュースですらあるようだ。ときどき三輪さんや他の先輩エージェントが大きな声をあげて飛び上がったり頭を抱えてうなだれたりしているのを目にして驚く。結び付きのそれほど強くないクライアント、つまり権利者が、我が社の扱いであるはずのタイトルを他のエージェンシーに預けると決めたと連絡をよこして来ることがあるのだ。
「私だってこの本の翻訳権を売らなきゃならないんだから、仕方ないのよ。ごめんなさいね。ユニ・エージェンシーが5桁のオファーを出すって言ってきたの。あなた達、じゃあこの2年間でうちの企画を何本契約してくれた? シリーズものの3本だけよ。私のリストには他にも20人以上の作家がいるの。ずっと塩漬けにしておくわけにもいかないのよ。分かってくれるわよね? もちろん少しは待つわよ。あなただって紹介している出版社があるんでしょうから、そうしないとフェアとはいえないもんね。3週間でどうかしら? その間にオファーを持ってきてくれたら、私も考え直さなきゃならないわね。でもあなたこの企画、もう1年以上も扱ってるのよ?」
 こんな文句が放たれるときは、まあ大抵はその権利者の意志は既に固まってしまっている。つまり「サヨナラ」だ。こんなふうにして関係が断たれることもあれば、おなじようにしてライバルのエージェンシーに対し、こちらが煮え湯を飲ませる場合だってある。
「また、ユニの上野にオファーを取られた! んもう。まいったわ。忘れた頃にちょっかい出してきて」と、三輪さんが砂を噛むような顔をしている。上野さんというのは、フィーロン・エージェンシーよりも古く、規模の大きい日本ユニ・エージェンシーで売り上げのトップを張るエージェントだそうだ。フィーロンさんにいわせれば、その昔、まだ上野さんがこの仕事に就いたばかりの頃は好感の持てる文学青年という印象だったそうだが、とにかくルールなど度外視で、たとえよそのエージェンシーに約束されたタイトルであっても、「これ!」と狙いを定めた本に対して仲の良い編集者からオファーを引き出しては、それを手土産にして権利者を取り込んでしまうらしい。あの上野っていう男はまるで蛇だと、フィーロンさんが言うのを何度か耳にした。「あの男のことを慕う編集者も多いようだが、とにかくうちにとっては害のある毒蛇さ……」とフィーロンさんがつぶやく。
「警戒してる編集者だってかなり多いんちゃう? なにしろディールのやり方だって、フンフンフン、かなり荒っぽいらしいしね。高い金を払わされた、大事な著者をよその出版社に移されたって、そんなこという編集者もおるわ。相手はどうせソニマガちゃうの? フンフン。そう、ソニー・マガジンズ。あそこもお構いなしやわ、まったく。編集長の新井さん、上野とべったりの仲みたいやし……」自分の担当していた本を横からさらわれた三輪さんは口をとがらせて、憤懣やるかたないといった様子だ。表向きは実直そのものといった印象の三輪さんとは対照的に、遊び人風の上野さんは野心的な若手編集者やノリのいい女性編集者を多く取り込んでいるのだという。「みんな、口車に乗せられて……」と、三輪さんはまだ収まらない。

 さておき、版権エージェントという仕事に就いてはじめてのオファーをしたためたファックスを、僕はドミニク・エイベルに宛てて送る。手続きを任されただけのオファーに過ぎず、自分の仕事という実感が伴うわけではない。しかしそれでも出版という世界のなかではじめて目に見える役割を演じているような気分を味わう。事務所の本棚に過去に扱ったスチュアート・カミンスキーの文庫本を見つけて抜き取ると、なんだか愛着すら湧いてくる。仕事帰りにフィーロンさんに、またいつもの店に連れていかれ、初オファーを乾杯のネタにして飲む。
 翌週にはオファーに対する返事がドミニクより届く。著者もOKしたから契約に進んでくれとのこと。交渉の必要もなくめでたく快諾。
「まあ、今回はシリーズ物で扶桑社だけの案件だし、そういう意味では契約条件も予め決まってたようなものだから楽よね。ドミニク・エイベルも長いことうちの独占だし、ジェントルで付き合いやすい相手だしね。契約書も前作のを見れば問題ないはずだし、手続きも簡単でしょ。一応、契約書の文言は一度はちゃんと読んで頭に入れておいてね」と、先輩エージェントの鈴木さんから、条件合意後の事務手続きに関する指南を受ける。雛形となる英文契約書の文言には一応目を通すものの「hereinafter」とか「whereby」とか、見たことのない副詞がいきなり目に飛び込んできて咄嗟に意味を捉えられない。テンプレートどおりでいいというのだから、あれこれ考える必要もないんだろう。アドバンス額や印税率、そして勿論タイトルと著者名、権利者の名義と日本の出版社名とそれぞれの住所など、必要と思われる穴を埋める。そして本棚で見つけたカミンスキーの『冬の裁き』のページをめくりながら、ドミニクに礼状を書く。
 エイブ・リーバーマンという定年間際の渋いベテラン刑事が主人公の刑事モノで、いかにも英語からの翻訳といった、元の英語の文章が透けて見えるようなアメリカンな文体がハードボイルドな雰囲気を醸している。舞台は治安が悪く寒い冬のシカゴ。殺人事件とその捜査を軸にストーリーが展開してゆくのは典型的な流れだろうが、刑事同士のちょっとした会話のやりとりや人間模様、それから彼等の私生活の描写がブラックなユーモアと哀愁に満ちていて、とにかく多彩なカメラワークが楽しい。先日のブックフェアの出張で初めて訪れたシカゴの街並みを思い浮かべる。リーバーマンがユダヤ系のユダヤ教徒なら相棒のハンラハンというアルコール依存症の刑事はアイルランド系のカトリック教徒で50代のバツイチ、そのハンラハンの若いガールフレンドは中国系アメリカ人。そこにメキシコ系の凶悪なギャングが登場したりして、アメリカという国の人種的混沌が背景に見えるネタがアクセントとなって随所に効いている。登場人物たちそれぞれの哀愁溢れる人生がひとつの舞台のうえで交差しながら憂鬱そうに踊っている。セリフとセリフ、場面と場面を繋ぎながら薄暗い部屋でにんまりと笑みを浮かべる著者の顔が目に浮かぶようだ。派手さはないが渋さの光るストーリーはアメリカで会った出版人たちがエンターテイメント小説を語るときに常套句のようにして使っていた「ページターナー」という表現がびったりで、ページをめくる僕の手は止まらない。小難しいことなどなにもなく、とにかくその翻訳然とした文体さえ捕まえてしまえば、軽くて気が利いていて読み進めるのが楽だ。次から次へと思わず口に運んでしまう酒のつまみのように後を引き、気付けば左手に残るページもわずかだ。そういえば読書にはこんな気楽な楽しみ方もあったのだと、今更のように再発見する。リーバーマンの他にもいくつもの作品を書いている多作の著者ということで、これまで文藝春秋と新潮社からも異なったシリーズが出版されている。新潮社の「ロストニコフ捜査官」の一作、『ツンドラの殺意』は1989年のエドガー賞の最優秀長編賞を受賞しているらしい。カミンスキーにはアメリカ探偵作家クラブの会長を務めた過去もあるそうだ。

「今回みたいに買い手が予め決まってる場合はいいけど、いくつもの出版社が一本のタイトルを巡って競合になることもけっこうあるから、そんなときは慎重にね。まあその時がくれば三輪さんがいろいろとアドバイスしてくれるとは思うけど、三輪さん、ときどきなに言ってるかわからないでしょ。オークションになったりすると、ディールをまとめるのにかなり気を使わなきゃいけないケースもあるから注意しないとダメよ」と、鈴木さんは僕の作った契約書の草稿にざっと目を通す。「じゃあ、これは契約書担当の伊藤さんに回して。この先の契約書の進行は彼女がやってくれるから。間違いがあれば指摘してくるし、あの人に任せてしまえばこっちはもう問題ないから」
「オークションって、競りみたいな感じでやるんですか? あっちがいくら、じゃあこっちはいくら上乗せだ、っていう具合に? なんか楽しそうですね」
「うーん。オークションするほどのタイトルだと自然と高い条件が出る流れも生まれるから、楽しいっていうか、嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、まあ勝つのは一社だけだから、競り負けた出版社に私たちが恨まれたりする場合もあって、まあ大変っちゃ大変よ。どれもこれも公平なオークションなら問題ないはずなんだけどね」
 聞けばオークションにもいくつかの種類があるらしい。
 最も一般的なのがいわゆる「オークション」で、例えばA、B、Cという社が一本の作品の翻訳権を巡って競い合う場合に、A社が8,000ドルのオファーを先ず提示したならB社はその上を狙って9,000ドル、最高値での落札を狙うC社が9,500ドルを提示したところで、A社が1万ドルの大台を張る。B社はそこで落札を諦めるが、食い下がるC社が11,000ドルを提示。対するA社が12,000ドルをぶつけたところにどうしてもこのタイトルの翻訳権が欲しいC社が一気に15,000ドルに条件を引き上げてトドメを刺すという具合。最初の提示額についてはB社以外は様子見で、C社ははなから15,000ドル程度の予算を確保した上で、9,000ドルの提示をして、相手の出方に目を凝らしている。入札する各社に対して現時点の最高アドバンス額は開示されるが、もちろんのこと、それぞれの社名は伏せられたまま明かされない。
 もうひとつ一般的な方法としては「ビッド」もしくは「ワンタイム・ビッド」と呼ばれる方式がある。A、B、Cそれぞれの社が同時に出せる限りの条件を提示し、もっとも高い額を出した出版社が一発で競り落とすというすっきりとした方法だ。A社の12,000ドルの提示に対し、B社が17,000ドル、C社が9,000ドルのオファー。つまりB社の勝ちといった具合に、それぞれの社の精一杯のオファーが出会い頭に衝突する。相手の様子を受けて金額を設定することができないので、この本をどうしても欲しい出版社だけが飛び抜けて高いオファーを提示するようなこともありうる。この場合も、どの出版社が手を挙げているのか、当然のことながら開示されることがない。
 競合相手の目星がつけば、その社がどれくらいの予算感を持って翻訳権を競り落としにくるのかなど、狭い業界内で常にしのぎを削り合う編集者同士、お互いになんとなく察しがついてしまうらしい。相手はどこだと、ときにあからさまな探りを入れてくる編集者もいる。ライバルの出版社がどこかをかなり分かりやすく匂わせながら相手を刺激しているときの三輪さんは、「これは条件が出るわ!」とつぶやきながら、心の底から嬉しそうな顔をしている。
 それらの落札方法に加え、「トッピング・ライツ」という変則的なルールを採用することがたまにあるのがフィーロン・エージェンシーだそうで、どういうことかというと、例えばA、B、C、D社にいわゆるオークションを競わせ、最後に2社だけが残った時点で高値を付けている社にトッピングの特権を与える。残ったのがA社とD社であったとして、A社がD社の条件を上回っていた場合、D社に対してA社の条件を超える条件提示を一度だけ認める。仮にA社の28,000ドルのオファー提示に対しD社が予算一杯の35,000ドルの最高額を提示した場合、D社にはその先のチャンスを与えることなく、トッピングの手札を持ったA社がD社の最高額に10%を上乗せした金額を提示することができれば、つまり35,000ドルのD社のオファーに10%を上乗せ足した38,500ドル以上のオファーを提示することができれば、そのタイトルの版権をA社に落とすという方法だ。D社は高い金額を引き出すためのダシに使われたような恰好となり、当然のことながら面白くない。オファーを出すということはその予算を捻出するための社内調整もおこなうわけだから、その時間もエネルギーも無駄に使わされる羽目になる。フィーロンさんが早川書房の社長とだけしか対面で仕事をしないのを知っている各社の編集者は、どうせ早川ありきのディールを仕組んだんだろうと腹を立てる。実際に、フィーロン・エージェンシーにおいてはこのトッピング・ライツの競りで最終的に早川書房が版権を手にすることが多いのだと、何社かの編集者から恨み言を聞かされている。もっともこれは一般的なオークション方法とはいえず、この方式をときどきとはいえ採用しているのはフィーロン・エージェンシーと、あと稀にイングリッシュ・エージェンシーがそうするのみだそうだ。
 ちなみに「蛇」とフィーロンさんが呼ぶユニの上野さんが仕掛けてくるのは大抵の場合「ワンタイム」のビッド。つまり、最高値での一発勝負。ダメならダメで気が済みやすく出版社にとっては後腐れのない方法だ。後腐れがないといってもそれは出版社、編集者にとってそうなのであって、競り合いを迫られるエージェントにとってはそう単純な話でもない。一本のディールが楔となって大切な権利者を奪われてしまったり、その後の権利者との関係が不利なものとなったりしてしまうからだ。

 いずれの場合にせよ、一本のタイトルを狙って入札する出版社は競合する社がどこなのか、ジャンルや作風から推して大方の検討はついてしまうようだ。彼らにしたら、結局は僕たちエージェントが与し易い、仲の良い相手に版権を落としたがっているのだろうと勘ぐるから、競り負けた場合には権利を勝ち取った出版社に対してエージェントがなんらかの便宜を測ったのではないか、場合によっては落札条件を耳打ちしていたのではないかなどと邪推することもあり、嫌味のひとつやふたつ言ってくることだって少なくないらしい。「あっちの顔色を見て、こっちの顔色を見て、いろいろ面倒なのよ」と、鈴木さんが大袈裟なため息をつく。実際には競合相手など存在しないのに、条件を釣り上げるために架空の競合状態をエージェントがでっち上げているのではないかと疑いを持つ編集者だっているのだそうだ。あとはもう相性の問題だそうで、「だって、日々の付き合いっていうのがあるじゃない。いやな相手もいれば、いい相手だっているじゃない。いつもねちねち面倒くさいことを言ってくる編集者と、コミュニケーションの取りやすい編集者がいたとすれば、話の分かる編集者にいい企画を取ってもらいたいと思うのって人情じゃない? その方が面倒な思いをすることだって少ないんだし。もちろん、金額を操作して釣り上げるなんてこと、私はしないけどさ。でも狭い業界だからこそ、いろいろ言う人達もいるのよ。権利者の相手をするだけだって大変だっていうのにさ」
 そんな話を聞かされた僕は、いつもの仕事後の酒場でフィーロンさんに対し、なぜトッピング・ライツ方式のような方法を用いるのかと訊ねる。すでにボトルが空きかけており、フィーロンさんはこのあと食事をどうしようかと頭のなかで店を選んでいる。
「決めた。今夜はオーバカナルで兎でも食べよう。そろそろ腹も減ったろう?」
「おなかは確かに空いてますけど、僕の質問、聞こえてました?」
「ああ、オークションだな」と、フィーロンさんはボトルの底のワインをグラスに注ぎ切って、20本目の煙草に火を灯す。「たしかにトッピングライツもたまにはやる。私に言わせれば、あれはあれで理に適ったな方法なんだよ。例えばある一冊の本に対して、それを出版して欲しいと思う特定の出版社や編集者が私たちの側にあることだってないわけじゃない」と、フィーロンさんは臆面もなくそう言う。「当然のことながら、私たちは相手がどのような出版社か、編集者かを見るべきだし、知るべきだ。そのうえで一冊の本がどの出版社から出されればより好ましいのかを考えることだって、間接的にとはいえ著者の代理人という立場にある私たちの果たすべき責任なんだ。それもエージェントの仕事のうちなのさ。私たちは別に御用聞きというわけじゃない。誰だって自由なのだし、物事の価値を見極めるこの仕事に対して誇りを持って臨めばいい。一冊の本と出会って、それが日本でどのように出されるべきかを直感することだってある。もっとも直感が外れることだってあるにはあるが、でも直感には大抵耳を傾けるべき価値と理由があるのさ。それは私たち自身の経験によりもたらされる声なのだから。……なにも仕事のことばかりを言っているんじゃない。だいたい人生とはそういうものだろう?」
「飲んでるときの直感は疑うようにしてますけどね……」
「酔ってるからこそ面白い発想に撃たれることだってあるだろう!」
「僕は大抵、それで後悔しますけど……」
 会社の名刺だけで威張って仕事をするようなつまらない編集者だっていないわけではないとフィーロンさんの声がますます大きくなる。話の尺度が大きくなってきているし、そろそろ酔いが回ってきているのかもしれない。優れた編集者は会社の大小に関わらずそこかしこにいるのだと次から次へと名を挙げる。「とにかくいろんな出版社の人々と会って話をすればいい。ピンとくる相手がいたらその関係をとにかく大切にしなさい。仕事においては人間関係を優先的に考えて、そこさえ間違わないようにさえしていれば、大きな問題はそう簡単には起こらない。例えなにかあったとしても、助け舟が必ず現れると思うよ。私たちが相手の助けになることだって勿論ある。金は確かにものを言うし重要だ。無ければ困ったことになるし、あれば大いに役に立つ。だけどそれよりも大切なのは人だ。信頼し合える相手と出会うことだ。なにしろおまえはまだ若いんだし、良い人と出会えば彼らが喜んでなんでも教えてくれるだろう。導いてくれる相手だって現れる。この仕事の、いやこの人生の醍醐味は、そんな人々との出会いといっても過言ではない。……そうだ、おまえ青山出版の河上さんと会ってきなさい。新しい出版社を立ち上げるという噂があるんだ。翻訳物の現代文芸を中心にした出版社をやりたがってるらしいから、面白がってくれるかもしれない。出版業界ではなかなかお目に掛かれない豪快な実業家タイプで、不思議な男だ」
 当時の僕にとってはほとんどどうでもいいことだったが、この1998年は長銀事件を筆頭に、日本の経済界、金融業界には大きな事件が相次いだ年だった。ただ日本経済の苦境は今にはじまったことではなく、前年には三洋証券や山一證券という日本の好景気の代名詞のようだった巨大金融組織が相次いで破綻した。1989年に3%で導入された消費税が5%に引き上げられ、消費の冷え込みがあちこちで囁かれている。バブル経済が弾けたと大騒ぎしたのは1991年のことだったが、それから7年という時間が流れ、社会の踏ん張りもいよいよ利かなくなりつつあるようだ。バブルのエルドラドを満喫した世間の大人たちの多くが「いよいよ来たか」と身構えている様子だが、ではいったいこれからなにが襲ってくるのかなど予想もできずにいるのではないだろうか。まだ20代の僕たちは、大人たちの世界の崩れ落ちてゆく様を、心のどこかで面白がっていた。前年、1997年まで右肩上がりの売上を達成してきた出版業界も、この1998年に横ばいになり、それを境に下降線を辿ることになる。華々しく派手な振る舞いの編集者もまだ多くいる一方で、用心深く、慎重に、警戒心を強めている人も、特にベテランで高い立場にある編集者には少なくないようだ。そんななか、ただでさえ読書人口の多いとはいえない翻訳ものの現代文学小説を出版しようという出版社を探すのはもう難しくなってしまったと、オードブルサイズでと注文したステーキタルタルをフィーロンさんは憂鬱そうに口に運ぶ。
「そこに新しい文芸系の出版社を立ち上げようとしている人が現れたんだ。素晴らしいと思わないか? おまけに、あの全共闘の時代には軽トラックで国会議事堂の正面の門に車両ごと突っ込んで逮捕されたっていう話だぞ! 面白いに決まってる」

「……もしもし、はい、フィーロン・エージェンシーです」
 二日酔いの重い頭で受話器を取る。
「扶桑社の堀之内ですけど。あ、あなたマリオさん? あのさあ、オファー通ったんなら通ったって、ちゃんと教えてくれなきゃ困るよ。それがルールでしょ? 契約関係の書類がうちに届いてるみたいだけど、私にはなにも返事もらってないよ? 契約の手続きいきなり始めないでくれるかな。そういうこと教えられてない?」
 はい、すみません! そういえばカミンスキーのオファーはその後めでたく契約手続きが進行している。ありがとうございます。
「あなたまだ仕事はじめたばかりだっけ? そういうとこ、先ず注意しないとダメよ。私なんかはまだいいけど、気にする人はいるからね? いきなり書類送ってこられても……。まあ今回は大目に見るけどさ。じゃあ、訳者の手配とか進めちゃっていいわけね? 物事には“てにをは”っていうのがあってさぁ、ひとりで仕事してるわけじゃないって、あなたにだって分かるでしょう? しかもこっちはオファー出してるわけだしね? 私の言ってること伝わってるかな? あなたにとって私の立場、わかる? そう。そうそう。で、条件は全部あのままでいいんだよね? だめなの? あ、いいの。ならよかった。そうならそうと、分かった時点で言ってくれないと。しっかり伝えないと。相手あっての仕事でしょ? 三輪さんにそういうこと注意されてないの? とにかくちゃんとしてよね」
 そんなふうに詰め寄られたスチュアート・カミンスキーの『Lieberman’s Choise』だが、『裏切りの銃弾』というタイトルで出版されたのは結局それから2年近く経った2000年2月のことだった。

To be continued…


PROFILEプロフィール (50音順)

田内万里夫(たうち・まりお)

1973年生まれ。埼玉県出身。版権エージェント(現在はアルバイト)。マリオ曼陀羅の名義で画家としても活動、国内外で作品発表をおこなう。主な展示として『LOVE POP! キース・ヘリング展 アートはみんなのもの』壁画プロジェクト【キースの願った平和の実現を願って】(伊丹市立美術館・2012年)などがある。著作に『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(猿江商會)。本書はイギリス、台湾、イタリアでも刊行。訳書に『なぜ働くのか』(朝日出版社/TED BOOKS)。


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