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冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第37回 「ブラック・ライヴズ・マター」と米出版界

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 某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。今回は米出版業界のダイヴァーシティについて、統計データやトップ人事の例から読み解いていきます。

第37回 「ブラック・ライヴズ・マター」と米出版界

▼米出版界の人種構成

 コロナウィルス禍のなか、米国内で大きな運動となった「ブラック・ライヴズ・マター」については、ここであらためて解説する必要はないでしょう。
 この標語自体は何年も前から使われてきていますが、今年2020年5月のジョージ・フロイド氏が警察官に殺害された事件を受けて、全米はもちろん、人種差別へ反対する活動として世界中にひろがりました。
 それとともに、社会構造に内在する人種問題についても目が注がれることになりました。

 さて、ここは海外出版事情のコーナーなので、米国の出版界の人種事情について見ることにしましょう。
 出版界というと、進歩的な印象もあるかと思いますが、じっさいはどうなのでしょうか。

 米国出版界の現状について調査した結果があります(2019年に行なわれ、出版社やリテラリー・エージェント等から7900近い回答を集計)。

(出版界のダイヴァーシティはどこに? 2019年の多様性基礎調査結果)

 米出版界における人種構成では、白人が76%、すなわち3/4以上という結果でした。
 つづいてアジア/太平洋系が7%、ヒスパニック/ラティーノ系が6%、黒人は5%とのこと。
 米国民全体の人口では、白人が6割に対し、ヒスパニックが18.5%、黒人が13.4%、アジア/太平洋系が6%といった割合だそうですから、かたよりがありますね。
 また、全体の74%が女性というのも特徴的です。
 そして、性的指向においてはストレートが81%。障害においては障害なしが89%でした。

図1

 じっさいにわたしたちが国際ブックフェアなどで米出版界の人たちと会うときの印象も、ほぼこのとおりだと思います。
 ほとんどが白人で、圧倒的に女性。
 男性はいますし、アジア系やラテン系に会ったことはありますが、黒人担当者とミーティングしたことはないような気がします。まあ、もう何年も前の、かぎられた経験ではありますが。

 この調査は2015年にも行なわれており(そのときは回答数3700余)、当時の結果では、白人の割合は79%(→今回は76%)、女性は78%(→74%)、ストレートは88%(→81%)、障害なしが92%(→89%)だったので、4年間ですこしずつ多様化が進んでいるとはいえそうです。

 そうはいっても、人種のかたよりがあるとすると、当然疑問が出されます。
 出版界で働いている人たちにダイヴァーシティが欠けているとしたら、ほんとうに多様な声を届ける本が作られているのだろうか、と。

▼出版市場における人種事情

 米国における出版では、じっさいに人種差別があるのでしょうか?

 米映画界について考えてみると、マーヴェルの『ブラックパンサー』が興行収益を塗りかえ(チャドウィック・ボーズマンに黙祷)、さらに『クレイジー・リッチ・アジアンズ』(山縣みどり訳)が小説も映画も大ヒットし、黒人のみならずアジア系も観客に受け入れられることが示されました(しかし、映画の邦題『クレイジー・リッチ!』では「アジアン」という重要な要素が外されていることに注意すべきでしょうか)。

 出版界においても、近年最大のベストセラーは、ミシェル・オバマの自伝(『マイ・ストーリー』長尾莉紗・柴田さとみ訳)で、米出版史上もっとも売れた回顧録とされました。いうまでもなく黒人の前大統領夫人の著書です。
 フィクションでは、黒人奴隷の歴史にたくみな想像力で切りこんだ、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(谷崎由依訳)が、評価も売行も高い作品でした。
 YAでは、友人が白人警官に殺害されるという事件に直面するティーンを描いたアンジー・トーマス『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』(服部理佳訳)がニューヨーク・タイムズのベストセラーに50週とどまる大ヒットとなり、映画化もされました。
 SF/ファンタジイではヒューゴー賞3年連続受賞のN・K・ジェミシン、米国で活躍するナイジェリア作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、ジャマイカ初のブッカー賞受賞者マーロン・ジェイムズ等々、人気と実力を兼ねそなえた黒人作家は数多くいます。
 その他、息子に差別の現実を語る『世界と僕のあいだに』(池田年穂訳)などのタナハシ・コーツ、『バッド・フェミニスト』(野中モモ訳)のロクサーヌ・ゲイ等々、エッジイで多様な作品が生まれていることはまちがいないでしょう。
 もちろんこれまでだって、ラルフ・エルスン、ジェイムズ・ボールドウィンから、トニ・モリスン、マヤ・アンジェロウ、テリー・マクミランといった数多くの作家たちがいたわけで、白人が多い出版界とはいっても、黒人作家たちに対して、けっして門戸を閉ざしているようには見えません。

 しかし、それもまだまだかたよった結果ではないか、という疑念もあります。本来ならもっと多彩な有色人種作家たちが活躍できたのではないか。
 また、出版界における人種差別が顕在化する事案も起きています。
 たとえば、エンターテインメント文芸の最大ジャンルであるロマンス小説界では、作家協会内の問題が大きな騒動に発展しましたし、SF界では女性や非白人作家に対するアンチ運動のキャンペーン「サッド・パピーズ」が論議を呼びました。

 そして今般の「ブラック・ライヴズ・マター」の流れのなかで注目を浴びたのが「#PublishingPaidMe」(出版界からいくら払われたか)です。
 作家たちは、出版契約に際して、版元から印税前払金という形で支払を受けます。いわば契約金のような形で、日本とはシステムが大きくちがいます。刊行後は実売部数をカウントしていって、累積した印税が前払金をこえると追加の支払が発生する仕組みです。
 その印税前払金をあえてあかし、人種のちがいが不均衡を生んでいないかを確認しようというのです。

(作家たちが印税前払金をシェアし、人種間の不均衡をあばく)

 自分の収入をさらそうというのですから、かなり思いきった話ですが、じっさい多くの作家が参加しました。
 その結果、黒人の女性作家たちは、白人男性作家にくらべ、前払金がすくないことがあきらかになったのです。
 たとえば、さきほど名があがったN・K・ジェミシンが1作2万5000ドル〜4万ドルの前払金を得ていたのに対し、おなじSF作家のジョン・スコルジーは13作で340万ドルという契約を結んでいました。1作あたり26万ドル強という計算ですから、文字どおり1桁ちがいます。
 もちろん、それまでの作品の売行によって契約は左右されますし、じっさいにベストセラーになって前払金以上の売上になれば、作家も経済的には報われることにちがいはないわけです。
 しかし、契約時にどれぐらいの金額を積むかは出版社次第であり、ここに見すごせない格差が出ていることが判明してしまったのです。それこそ、構造的な問題が露呈してしまったといえるでしょう。

▼出版社における変化

 そんななか、出版界をにぎわす大きなニュースがありました。
 米5大出版社のひとつ、サイモン&シュスターが、上席副社長兼出版責任者として、黒人女性デイナ・カナディを招いたのです。
 大手出版社のトップに黒人が就くのは、これがはじめてだといいます。
 これだけ多様性が進められているなかで、大手では初というのですから、出版界の特性がわかる話でもあります。

(サイモン&シュスター、新たな出版人にデイナ・カナディを指名)

 カナディは、地方の新聞記者としてキャリアをスタートし、ニューヨーク・タイムズ紙に入って10年後にはシニア・エディターに昇格。国内の人種状況に迫ってピューリッツァー賞を受賞した連続企画にも参加しています。
 20年つとめたのち、彼女はそのピューリッツァー賞の管理者に就任し、音楽部門でケンドリック・ラマーを選出したり、19世紀の黒人記者アイダ・B・ウェルズに特別賞を贈るなど、ダイヴァーシティの拡充に貢献したと評価されています。
 この経歴からわかるとおり、彼女は出版業の経験がなく、その意味でもこれは異例の人事といえるでしょう。

※もっとも、カナディは本を1冊、出版しています。恋人だった軍人が、彼女とのあいだの息子のために手記を書き残しながら、イラクで亡くなったことをまとめたメモワールで、これも大手のペンギン・ランダムハウスから出版され、デンゼル・ワシントン監督、マイケル・B・ジョーダン主演で映画化が予定されています。

 さっそくニューヨーカー誌がカナディにインタビュウしているのですが、そのなかで、突っこんだ質問をしています。

(サイモン&シュスターの新トップ、ファクトやダイヴァーシティ、出版の未来について語る)

 たとえば、サイモン&シュスターはトランプ政権関係者の出版物も多いが、ダイヴァーシティを重視するカナディの方向性と合わないのではないか、と。
 カナディは、こう答えています。読者は広範な興味を持っているものであり、それに応えるのが出版社である。もし、トランプの主張を伝えないとしたら、それは書き手の側の職務放棄に等しい、と。
 また、白人作家ジャニーン・カミンズがメキシコ移民を描いたとして大きな論争となった『夕陽の道を北へゆけ』(宇佐川晶子訳)については、新聞記者の経験から、誰が作品を書いたかではなく、どれだけ正確に、どれだけ把握できて書かれているかが重要だという立場を表明していて、このあたりも興味深いところです。

 サイモン&シュスターのデイナ・カナディにつづくかのように、こちらも大手のペンギン・ランダムハウスも黒人女性リサ・ルーカスを上席副社長に迎え、傘下のクノップフ=ダブルデイのインプリント2社の出版責任者に据えました。
 彼女もまた、全米図書協会の会長職という外部から招かれる形でした。

(リサ・ルーカスが全米図書協会を離れ、クノップフの出版人に)

 変化は、トップ人事だけではないようです。
 たとえば、出版界へ入る専門教育プログラムを行なっているニューヨーク市立大学では、人種的に多様な学生の受け入れが進んでいるとのこと(ただし、出版社によっては消極的な反応も多いようですが)。
 このプログラムと密接な関係を持つ出版社ニュープレスでは、スタッフの半分、取締役の4割弱が非白人ということですし、出版における多様性を進めようという組織も動きはじめています。

(「ブラック・ライヴズ・マター」時代の出版界のダイヴァーシティ)

 大手のトップに黒人が就けば、社全体の意識も変わっていくでしょう。
 そのいっぽうで、下からの変革もあって多様な人材が出版社に入ってくれば、この流れは進んでいきそうですし、進んで当然といえるでしょう。

 もう二十年近く前、日本のエージェントさんといっしょにニューヨークのリテラリー・エージェントを訪問した際のこと。
 担当者とのミーティングを終えたあと、オフィスの半地下にあたる部屋で、アジア系の若いアシスタントさんと話す機会がありました。
 そこで彼が、最近のおすすめの作品として、韓国系作家の文芸を紹介してくれました。きらきらした眼でたいへんな熱意をこめて語る様子に、こちらもアテられ、帰国してからきちんと検討し、出版にいたったのがアレグザンダー・チー/村井智之訳『エディンバラ 埋められた魂』でした。

 チーはその後、広範な活動をつうじて注目の作家になりましたが、それをささえたおなじくアジア系のエージェントがいたことは忘れられません。
 彼らのような存在が出版界をよりよい方向に動かしていくのではないか、と信じたいと思います。

[斜めから見た海外出版トピックス:第37回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro