某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。「リトル・フリー・ライブラリー」をご存じでしょうか。図書館とコミュニティづくりの活動が、コロナ禍で別側面からも注目を集めている、という事例をご紹介。
第39回 リトル・フリー・ライブラリーという活動
▼庭先の本棚
「リトル・フリー・ライブラリー」をご存じでしょうか。
自宅の庭先などに、ちょうど鳥の巣箱のような本棚を設置し、そこに本を入れておくというもの。
通りがかりの人が、そこから本を勝手に持ち帰って読んでもらえる仕組みで、読み終えたらそこへ返します。
「1冊取ったら、1冊入れてください」と書かれている場合も多く、利用者が相互に本を持ちこむ形になっていたりもします。
まさに、リトル=小さくて、フリー=自由かつ無料のライブラリー、というわけです。
これなら、だれでも工作気分で作ることができます。
本屋や公共図書館が近くにない地域などでは、貴重ですね。
個人宅だけでなく、学校をはじめとする公共施設やバス停など、さまざまなところに置かれているそうです。
▼リトル・フリー・ライブラリー小史
リトル・フリー・ライブラリーはアメリカではじまったものですが、自然発生的にひろがっていっただけではなく、じつはNPOとして運営されています。
創始者は、トッド・ボル氏。
2009年、ウィスコンシン州ハドスンの自宅に設置したのがはじまりだといいます。
当時、ボル氏は業務と家庭の都合でつとめていた会社を退職し、起業するために自宅のガレージをオフィスに改築していました。
そのガレージの扉がいい造作だったので、それを素材に本棚を作りました。
ちょうど、教師だった母親が亡くなったあとだったため、彼女を記念して学校の校舎のような形に仕立てあげ、その本棚を庭に設置したのだそうです。
その後、ボル氏が自宅でガレージセールをしたところ、集まった人たちがこの本棚を見て大喜び。
たしかに、庭先に設えられた本棚というのは魅力的だったことでしょう。
まるで魔法のような力を持っている、と感じた彼は、これをひろげる活動をはじめます。
ボル氏の期待どおり、リトル・フリー・ライブラリーは米中西部のさまざまな地域にひろまっていきました。
図書館は地域文化のカギであり、かつてアンドリュー・カーネギーは全国に図書館を建設し、その数は2510にのぼるといいます。
しかし、2012年にはリトル・フリー・ライブラリーはこの数をこえます。
もちろん、カーネギーが作った図書館にくらべれば、とても小さく、蔵書数も比較になりませんが、住民に根ざした読書交流の場を提供する、という本質はつうじているはずです。
その2012年、リトル・フリー・ライブラリーはNPO法人として登録。
本棚を作るキットの提供なども進め、遠く離れた地域へもひろがっていきました。
現在、リトル・フリー・ライブラリーは、アメリカのみならず、すでに90ヵ国以上にひろがり、9万をこす数になっているそうです。
そこには日本も入っていて、人びとが本を持ち寄って共有する「まちライブラリー」の活動とも結びついているようです。
さらに、リトル・フリー・ライブラリーは、文化交流としてだけでなく、シェアリング・エコノミーやフリー・リサイクリングの観点からも注目されるようになったのです。
▼リトル・フリー・ライブラリーの理念
創始者トッド・ボル氏は、リトル・フリー・ライブラリーについて、4つのプログラムをあげています。
1)本に触れることができない子供たちへの提供
識字力や学力の向上には読書が重要ですが、さまざまな事情で本が手に入らない子供も多いのが実情です。
リトル・フリー・ライブラリーがあれば、近隣の人たちが子供の読書環境を支え、教育の助けになることができます。
2)公共図書館がない地域への提供
自治体の規模が小さく、公共図書館を持てない町が、米国には1万1000あるそうで、そういった場所にリトル・フリー・ライブラリーを設置しようという運動です。
地域の団体や教会などに作製や運営のノウハウを伝え、それぞれの町の特性にあった形で進めてもらうようにしているそうです。
3)年齢をこえた交流
リトル・フリー・ライブラリーによって、本を読んで話をする場を提供しようというものです。
おなじ地域に住んでいても、高齢者と若者は触れあう機会もすくなく、どうせ話があわないと思いこんでもいます。
しかし、おなじ本を読めば会話のきっかけになり、交流が芽ばえることにもつながるだろう、ということです。
4)草の根の国際交流
積極的に海外へ本を送り、リトル・フリー・ライブラリーをひろげ、SNSをつうじてつながろうという企画です。
ふだんなら交わることのない国の人びとと、本をとおして触れあうことで、理解や協調がはぐくまれ、ひいては国際平和の構築にもつながる、という考えです。
なるほど、読書を基盤にしたコミュニティづくりというのは、大きな可能性をもっているのだと思わされますね。
じっさい、庭先にリトル・フリー・ライブラリーを設置する人たちにはそれぞれの人生があり、その本を読む人たちも生活を背負っています。
そこに予期せぬ人間どうしの交流が生まれ、それぞれの暮らしに影響をあたえます。
本があれば、楽しみを共有することもできるし、ときには生きかたを変えるようなことも起こりえます。
それを、自宅周辺というミクロなレヴェルで支えるのが、リトル・フリー・ライブラリーなのですね。
▼リトル・フリー・ライブラリーの不協和音
さて、順調にひろがっていたリトル・フリー・ライブラリーに、不幸な出来事が起こります。
2018年、創始者のトッド・ボル氏が亡くなったのです。
脾臓癌で、62歳という若さでの急死でした。
リトル・フリー・ライブラリーを運営するNPO法人は、弟のトニイ・ボル氏が暫定的に引き継ぎました。
ところが、これにボル氏の遺児オースティン氏(31歳)が反発。
そして翌月、トニイ氏はNPO法人の長の座を追われます。
詳細はあきらかにされていませんが、トニイ氏は解任されたと主張しています。
NPO法人を離れたトニイ氏は、シェア・ウィズ・アザーズ(他人と共有しよう)という営利目的の企業を立ちあげ、リトル・フリー・ライブラリーを継承するとうたい、本箱などの販売をはじめます。
NPO法人側は、リトル・フリー・ライブラリーの商標を拡張し、「本を収納する木箱」へと範囲をひろげる措置を取ります。
理由としては、ウクライナの企業がリトル・フリー・ライブラリーと冠した本棚を販売していることなどをあげ、それを阻止するためとしていますが、トニイ氏は過剰反応だと述べています。
「まるで、鳥の巣箱をすべて自分たちでコントロールしようとして『鳥が巣を作る木箱』に商標をひろげるようなものだ」
しかし、シェア・ウィズ・アザーズ側は、自社製品から「リトル・フリー・ライブラリー」の名をはずしました。
これには多大な費用を要したといいます。
トッド・ボル氏がかかげたリトル・フリー・ライブラリーの理想とはほど遠い、みっともない騒動になってしまったわけで、なんとも残念な話です。
▼リトル・フリー・ライブラリーの現在
しかし、そんなファミリー・ビジネスの確執をよそに、リトル・フリー・ライブラリーの価値はますます高まることになりました。
ウィルス禍です。
ロックダウンで書店や図書館が閉鎖された米国において、本をもとめる場として、リトル・フリー・ライブラリーが重宝されたのです。
街路に置かれた本棚からピックアップするので、借りるのに他人と接触することもなく、安全です。
さらに状況が悪化すると、リトル・フリー・ライブラリーのなかに、本ではなく、食料や生活必需品を入れておくという利用法がひろまりました。
缶詰や乾麺、トイレットペイパーやソープなどをしまっておき、近隣の人が自由に使えるようにしたのです。
これを「リトル・フリー・パントリー」と称し、買い物が不自由な環境下では、まさに生命線として機能したことでしょう。
図書館としての側面にも、新たに光が当たります。
ジョージ・フロイド氏殺害を契機にひろがったブラック・ライヴズ・マターを受けて、読書をとおして多様性を実現しようという運動が起き、身近なリトル・フリー・ライブラリーで実行されていったのです。
リトル・フリー・ライブラリーは、利用者が持ち寄る本で構成されます。
そこで、マイノリティ作家の作品やダイヴァーシティを扱った書籍を増やすことで、周縁に追いやられがちな多様な声に耳をかたむけよう、というわけです。
これを、本棚の「非植民地化(decolonize)」と呼んだりするようですが、生活に密着したリトル・フリー・ライブラリーだからこそできることでもあり、目に見える変化をもたらし、影響も大きいのですね。
読書を媒介にして共同体が結びつく、という発想は、着実に根ざしたようです。
運営母体がどうであろうと、リトル・フリー・ライブラリーというシステム自体は、コミュニティのなかで育てられていくことでしょう。
創始者トッド・ボル氏は、亡くなる際、こんなメッセージを残したそうです。
「すべての人の手に本がわたることを、心から信じています。人びとが近隣を、そしてコミュニティをととのえ、このシステムを共有していき、たがいを理解しあい、この星にもっと住みやすい場所を見いだすことを」
[斜めから見た海外出版トピックス:第39回 了]
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