第10回 ベストセラー戦略の大失敗
▼突然のベストセラー
2018年のアメリカの出版界は、年明け早々からトランプ政権の暴露本『炎と怒り』が大ヒットを記録、次にひかえる大玉は4月に出る元FBI長官ジェイムズ・コミーの回想録……と思われていたのですが、突然のベストセラーが出現しました。
“A Day in the Life of Marlon Bundo(マーロン・ブンドの暮らしの、ある一日)”です。
ご覧のとおりの絵本で、事情を知らずに見ると、なぜこれが売れたの? という感じかもしれません。
▼マーロン・ブンドとは?
タイトルにもある「マーロン・ブンド」とは、マイク・ペンス副大統領が飼っているウサギのこと(実在します)。
そもそもは、このウサギの視点で副大統領の日常を描く趣向の“Marlon Bundo’s A Day in the Life of the Vice President(副大統領と暮らすマーロン・ブンドの、ある一日)”という絵本があったのです。
これはペンスの娘が文章を書き、ペンスの妻がイラストを描いたもの。問題の本は、そのパロディなのですね。
じつは、ジョン・オリヴァーがホストをつとめる風刺ニュース番組の企画出版でした。
いったいどんなストーリーかというと——
ある日、マーロン・ブンドは、おなじウサギのウェスリーに出会います。ホワイトハウスをいっしょに跳ねまわって意気投合した彼ら(オス同士)は、これからもずっといっしょに跳ねまわるために結婚することにしました。
しかし、くさいカメムシ(マーロン・ブンドの飼い主を彷彿とさせます)が、ふたりを止めます。
「男のウサギは女のウサギと結婚しなければならない」と。
そこでふたりは……
というわけで、同性婚に反対するペンス副大統領を皮肉る内容なのでした。
しかも、ご本家であるペンスの娘と妻による絵本が発売される前日に、番組で告知されたのです。
「マーロン・ブンドの“ふつうの”本に対し、こちらはマーロン・ブンドの“よりよい”本」という触れこみで、仕掛け人のジョン・オリヴァーは、番組で視聴者にこう呼びかけました。
「この本は、いまこの瞬間から、アマゾンと〈betterbundobook〉のサイトで買えます!」
▼爆発的売れ行き
本書の版元は、サンフランシスコの有名な独立系出版社クロニクル・ブックス(ちなみに、日本法人も設立されています)。
彼らは、昨年秋にペンスが一家で本を出版する話を聞いて、この企画を思いついたといいます。関係の深いケーブル局HBOとタイアップで進められ、ジョン・オリヴァーの番組での告知・発売となったようです。
番組で紹介されるや、アマゾンでは1時間で5000部が売れ、その後12時間たらずで7万5000部に達し、15万部を増刷。
翌朝にはアマゾンで1位、キンドルでも1位、オーディブルで2位になっています(キンドルはもちろんアマゾンの電子書籍部門、オーディブルはアマゾンのオーディオブック部門です)。
発売日が3月18日だったので、イースターも近いし(主人公がウサギなので)、エイプリル・フールも来るし、ゲイ・プライドの6月まで売れるだろう、と版元は強気の発言。
結果的に、パロディのほうが本家をはるかにしのぐ売れ行きなったのでした。
ちなみに、本書の収益は、AIDS対策やLGBT活動に寄付されるそうです。
と、まあ、ここまでなら、よくあるTV発のベストセラーという話なのですが、ところがこの本の販売方法が騒ぎを巻き起こします。
▼アマゾン限定発売
先に紹介したように、本書はアマゾンだけで売り出されました(特設サイトも、購入するにはアマゾンに誘導される仕組み)。
夜の番組で紹介し、それを見た読者がすぐに買えるようにするとなれば、オンライン書店で売りだすのは、あたりまえのようにも思えます。
しかし、この本はそもそも、一般の書店には供給されていなかったのでした。
取材に答えた書店主によると、この本について、クロニクル・ブックスの営業担当からはじめて連絡を受けたのは、番組放送の翌日だったそうです。つまり、これほど話題になる本が、書店には、納品どころか事前の告知すらされていなかったのです。
なにしろ「副大統領がウサギを飼っていることすら知らなかった」というのですから、パロディ本どころか、本家のペンス家の絵本すら、小売の現場には紹介されていなかったらしいのです(ペンス家の絵本を出したのは、ワシントンにある保守系出版社で、共和党関係者の本が中心という版元)。
クロニクル・ブックスは、各地の書店組合に宛てて、事情を釈明するメールを社長名で送りました。
それによると、番組を見た視聴者がすぐに買えるように、まずは初版のうち相当の部数をアマゾンに納入し、残りはできるだけすみやかに他の流通へまわすつもりだった、とのこと。
けっして書店への供給を制限するつもりではなかった、というのですが、番組の反響が予想をはるかにこえるもので、初版4万部がわずか4日間で40万部まで跳ねあがり、おかげで書店に対応することができなかったのだ、との説明でした。
そして、「いまはみなさんの書店に商品を届けることを第一の目標にしている」といい、国内の複数の印刷所で増刷中なので待ってほしい、と訴えています。
▼書店側の反発
これに対し、書店側の反応は冷ややかなものでした。
夜の番組で一躍話題となった本が書店に届かない、という事態を出版社が引き起こしたわけですから、しかたない気がします。
書店側の不安はつのります。
「この本を買おうと地元の書店を訪れた客が、店に置かれていないのを知れば、次回からわれわれのところに最初に来るのをやめてしまうおそれがある」。
社会現象になるほどの本が店になければ、読者の書店離れを加速し、長期的に出版産業全体にとってマイナスになりかねないというわけです。
いくら秘密を保ちたい本であっても、事前に書店へ納入しておいて、書店側も発売日まで情報を明かさない、というのは、いままでだって例がないことではないので、なぜクロニクル・ブックスがこの通常の手続きを踏まなかったのか、疑問に思わざるをえないところです。
以下のような、強い反発も出されました。
この書店組織は、クロニクル・ブックスが「本を買うのはすべてアマゾン」というあやまったメッセージを読者に送ってしまった、と批判します。
じっさい、ほとんどの書店はオンラインで本を買えるシステムを持っているので、夜の放送だからアマゾンだけで買えるようにするというのも、じつはまちがっていて、独立系書店でも対応できたのです。
おなじようにTV番組をベースにして数多くのベストセラーを生みだしてきたオプラ・ウィンフリーのブッククラブでは、視聴者があらゆる流通経路をとおして本を購入できるような形で長年運営されてきているといいます。
さらに、「平手で顔を叩かれたようだ」という、きびしい反応も出ています。
それは、LGBT専門書店を運営する、自身もゲイの書店主からでした。
クロニクル・ブックスは、その後さまざまな対応を整え、いまでは特設サイトには、独立系書店から買える「IndieBound」の窓口も追加されています。
しかし、このような形でつくってしまった溝を埋めるのは、容易ではないかもしれません。
もっとも、出版社=アマゾン=独立系書店というバランス構造がむずかしくなっているのは、アメリカばかりではないわけですが。
[斜めから見た海外出版トピックス:第10回 了]
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