池田剛介+寺井元一
「アートと地域の共生をめぐるトーク」
松戸駅の半径500メートルを「MAD City」と名付け、アーティストやクリエイターを誘致してまちづくりを行う「まちづクリエイティブ」(以下、まちづ社)の代表・寺井元一さんと、MAD Cityにアトリエを構えている美術作家・池田剛介さんによる、まちづくりとアートをめぐるトークをレポート。池田さんがMAD Cityの公式サイトで連載している「アートと地域の共生についてのノート」や具体的な事例をもとに、アートがまちづくりに関わっていく可能性について、議論が交わされました。
●本記事は、2015年5月29日にFANCLUB(松戸市)にて開催された「池田剛介+寺井元一 アートと地域の共生をめぐるトーク」を採録したものです。なお池田さんは現在、台北での滞在制作を行っており、その経緯は「アートと地域の共生についてのノート(台湾編)」にて掲載中です。
●連載「アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方」本編はこちら。
[前編]
急増する地域の芸術祭とまちづくりの関係性
寺井元一(以下、寺井):それでは、よろしくお願いします。まちづクリエイティブの寺井と申します。今日は美術作家の池田剛介さんをお招きしました。
まず、池田さんの「MAD City(マッドシティ)プロジェクト」の公式サイトでの連載「アートと地域の共生についてのノート」をある程度読んでいただいている方もいるか思います。今ちょうど、第5回がスライドに出ていますが、どんな問題意識でこの連載を書かれたのかを伺っていこうと思います。
池田剛介(以下、池田):池田剛介といいます。美術作家をしていて、大きく言えば自然現象やエネルギーへの関心を軸に制作をしています。2011年の震災以降は、特に電力の問題を扱いながらインスタレーションやプロジェクトなどに取り組む機会が多くなっています。松戸との関係としては2010年に「松戸アートラインプロジェクト」で展示をしたのが始まりで、その時の会場(古民家スタジオ 旧・原田米店)をそのままスタジオとして使っていて、僕がちょうどそこを改装しているときに2011年の震災が起こったので、それから4年以上経ったことになります。
寺井:連載の第5回のトップに出ている写真は、池田さんの最近の作品なんですよね。簡単に作品の説明をしていただけますか。
池田:ちょうど去年(2014年)から台湾での仕事の縁が続いていて、実はあと10日後くらいからポーラ美術振興財団からの助成で、台北に1年間滞在する予定になっています。今お見せしているのは、南部にある台南という都市での芸術祭に参加したときの作品です(《モノの生態系 – 台南》, 2015年)。街の中で見つけた様々なモノたちを集めてきて壁面に配置し、その向かい側の壁面にはソーラーパネルが設置されています。ソーラーパネルの近くのライトが点滅しているんですが、ライトが光ったときにソーラーパネルからエネルギーが生成され、生み出された微細なエネルギーをオブジェクトたちに供給することで動きが起こったり、動いている音をアンプで増幅させたりしている作品です。
《モノの生態系 – 台南》, 2015年 from Kosuke Ikeda on Vimeo.
寺井:全体が1つの仕組みになっているというか、つながっている作品なんですね。
池田:いくつかのモノたちが直接的につながっているというよりは、ソーラーパネルから与えられたエネルギーによって、それぞれのモノたちから微細な動きや音を引き出しています。オブジェクトたちが個別性をもちながら、与えられた電力を動きや音へと変換し、それらを見る鑑賞者の知覚のなかで相互干渉が生まれる、というようなものです。
今、台南での芸術祭の話をしましたが、世界的に見ても近年、ビエンナーレやトリエンナーレといわれる芸術祭が多くなってきています。特に日本は独特な感じではありますが、大都市で大きなプロジェクトとして行われているものから、小さな予算で山奥とかでやっているようなものまで含めて、本当に数えきれないくらいの芸術祭の類いが生まれてきているような状況です。そうした中でアートが社会とどのように関わっていくかが問われるようになっています。
特に震災以降、社会の中での「絆」をつくることが叫ばれたり、あるいはそれよりも前からあった地方の過疎化・高齢化の問題が震災によって急速に露呈したり、ということが起こりました。こうした日本の抱えてる問題とも関連しながら地域行政がスポンサーとなって、これらのアートプロジェクトは行われる傾向にあります。そういった現状について自分なりに考えてみようというのがMAD Cityのウェブサイトでの連載「アートと地域の共生についてのノート」で、ここでの問題意識の延長線上で、今回はアートとまちづくりやコミュニティデザインとの関係について考えていければと思っています。
震災以前と震災以後のアート
寺井:ちなみに連載は第5回まで書いてもらってるんですけど(2015年5月時点)、池田くん的に特に思い入れがある回とか、改めて考えたいという話題はありますか?
池田:書き始めてみると、いわゆる日本の「地域アート」というものに真正面から取り組むというよりも、ある意味ではより抽象的に、アートがいわゆる「現実世界」とどのように関わるのか、という問題が一つのテーマとして浮かび上がってきました。アートは一般的に、ギャラリーや美術館の中で「きれいなもの」「作品として完結したもの」と考えられがちですし、日本でいうとマイクロポップと呼ばれるような私的な感覚にフォーカスしたり、サブカルチャーとかオタクカルチャーの影響を受けた作品が震災以前の傾向として強かったと思います。欧米のアートシーンに比べて、政治性や社会性への関心が欠けているということは、よく指摘されてきました。
ですが特に震災以降、ある意味そうした空気が一変したように、アートの社会性という話が出てきている。そうした中で「地域アート」と呼ばれるものが乱立し、あまり議論が積み重ねられないまま様々な実践が行われている状態です。欧米では、アートが社会の問題と関わるというのは90年代以降のいわばメジャーな流れとしてすでにあったわけで、そうした展開なども見据えながら、アートと「現実」との問題をどういうふうに考えていくのかということを特に連載の第3、4回目で取り組んでいます。今回はその延長上で、もう少し違う話もできればと思っています。
寺井:なるほど。連載の第1回目で出てくる「リレーショナル・アート」[★1]という、まさに関係性やコミュニケーションにまつわるアートが、欧米では90年代頃にはもうすでに出ていて、それが今日本で爆発的に増えたりしているという話って、「関係性」という意味ではまちづくり的にはワークショップのようなところに接点があるのかなって感じがするのですが、そのあたりはどのように考えていますか?
★1│リレーショナル・アート:「関係(性)の芸術。作品の内容や形式よりも『関係(relation)』を重んじる芸術作品を総称的に示す言葉として、1990年代後半より広く用いられるようになった。(中略)他方、『関係』という言葉の汎用性ともあいまって、リレーショナル・アートという言葉は(ニコラ・)ブリオーによる当初の定義を越えて、何らかの仕方で社会性を主題に掲げた作品や、地域密着型のプロジェクトなどにも今日広く用いられている。」(「現代美術用語辞典ver.2.0」より)
池田:コミュニティデザイン[★2]で参加者の関係性を作っていく、みたいなことって実際によく行われていると思うんですね。芸術祭が林立していく中で、ワークショップやら子どもが参加できるような企画なども、よく聞かれるようになっています。
★2│コミュニティデザイン:「コミュニティの力が衰退しつつある社会や地域のなかで、人と人のつながり方やその仕組みをデザインすること。施設や空間を具体的につくるのではなく、ワークショップやイベントといった『かたち』のないソフト面をデザインの対象とすることで、コミュニティを活性化させる。(後略)」(「現代美術用語辞典ver.2.0」より)
たしかに日本ではコミュニティが失われてきているという問題が全般的にあって、都市圏でも地方でもそうだと思います。たとえば都市圏では人口が過密で、たとえば松戸でもマンションを新しくたくさん建てていて、「ちゃんと人が入るのかな?」なんて思ったりするけど意外とすぐに埋まったりする。でもマンションには人がたくさんいるかもしれないけど、実際には隣に誰が住んでいるのかわからなかったり。あるいは地方だったら過疎化や高齢化の問題で、人そのものがいなくなっているわけで、日本のさまざまな場所でコミュニティが失われて住民同士のつながりがなくなっていく、という問題は急速に進んでいますよね。
寺井:それはまちづくり的な観点でいうと、ほとんどの人が「そうじゃない」とは言えない、つまりすごく強いトピックですね。
池田:そうした問題とも関連しながら様々な芸術祭ができてきている。越後妻有アートトリエンナーレが、そこでの一つのモデルケースになっているように思います。外から人を呼んできて地域を活性化させたり、プロジェクトの中で何らかのコミュニティらしきものを作ったりすることが求められているような状況があって、いわゆる「コミュニティデザイン」がいろいろな場所で必要とされているのは間違いないと思うんです。
「市民参加」は本当に望まれているのか
池田:そうした関連で考えさせられたのは、國分功一郎さんという哲学者による、小平市の都道建設問題にまつわる話です。
寺井:大切な森があって、森の真ん中に行政が道路を通そうとして、一部の住民が反対運動を起こしたっていう話ですね。
池田:そうです。その道路を通すことによって小平で住民に親しまれてきた雑木林が失われてしまうと。
寺井:國分さんは、道路建設に反対だったんですよね?
池田:はい。國分さんの『来るべき民主主義』(幻冬舎新書、2013年)という本で紹介されていますが、小平市での道路計画の説明会の中で質問コーナーがあって住民からの質問に行政の人が答えるわけですが、それに対して再質問はできない。行政側が質問に対して要領を得ない回答をしたとしても、それに対して反論できないような状態だから、結局決まったことを報告するだけ。その説明会での違和感をきっかけにして、國分さんは小平での道路計画をめぐる住民投票の活動に関わっていかれたそうです。
そこには住民と行政側との間に大きな断絶があるんだと思います。自分たちは住民としてそこに住んでいるにもかかわらず、その地域を作る行政そのものには何も関わることができない。あるいは住民投票を通じて意思表示をしようとしても、投票は50%以上の投票率がないと開票すらされない。結局、小平での道路建設をめぐる住民投票の投票率は35%くらいで、その中身は公表されなかったわけです。
寺井:補足するとその住民投票は、投票率50%に満たなければ無効という決まりだったので、反対派の戦略は「できるだけ行かない」っていうキャンペーンを行うことになってしまった。どっちが票を集めるかじゃなくて、行くか行かないかだけの勝負みたいな形になった。それは外から見たら、「住民投票やったけど3割しか集まらなかったしみんな興味なかったんだね」と可視化されちゃう、ということでもあります。
池田:行政側は「市民参加」という旗印を掲げるわけだけれど、その実あまり市民参加を望んでいなかったりする。國分さんが言っているのは、そもそも行政側が市民参加のやり方を知らず、それを実現させていくためのメソッドを持っていないということなんです。そうした参加を可能にするための具体的な例として、國分さんは山崎亮さんの実践を紹介しています。
寺井:山崎亮さんは、日本全国的にいうと「コミュニティデザイナー」という肩書きの一番の中心人物みたいな人です。
池田:そうですね。山崎さんは住民によるワークショップなどを通じて、住民が地域のレベルのプロジェクトを作っていく、というようなことを各地でされているそうです。様々な地域に行って現地の人の話を聞き、ワークショップに参加してもらい、そこから何らかのプロジェクトが生まれる。山崎さんが著書の中で書かれていることで面白いのは、彼自身も「こういうプロジェクトをやったほうがいいんじゃないか」というアイデアは持ってるんだけど、ワークショップの場では出さない、と。なぜかというと、それを言って外から与えてしまうと、結局のところ住民自身のものにはならないから。多少の方向付けをしつつも住民が自分たちでディスカッションやワークショップを通じてアイデアを出していくことが重要で、そうしたプロセスを経ることによって、地域レベルのプロジェクトが住民の主体性によって現れてくる、というわけです。
[中編「コミュニティデザインの必要性についてはよくわかるわけですが、アートはどうすればいいのか。」に続きます]
構成:二ッ屋絢子
取材・撮影・編集:後藤知佳(numabooks)
(2015年5月29日、FANCLUBにて)
[「アソシエーションデザイン」関連イベントのお知らせ]
林暁甫×寺井元一「地域アートプロジェクトとアソシエーションデザイン」
「混浴温泉世界」(別府)、「鳥取藝住祭」(鳥取)に加えて、直近では六本木アートナイト、同じく六本木での「リライトプロジェクト」など、地方と都心を横断してアートプロジェクトに関わってきた林曉甫さんをゲストに招き、地域アートプロジェクトについて考えるトークイベントを行います。
開催日:2016年4月29日(金・祝)15:00〜18:00(14:45受付開始)
出演:林曉甫(NPO法人inVisible)、寺井元一(MAD City/まちづクリエイティブ)
定員:30名 ※定員を超えた場合、ご予約の方を優先いたします。また、立ち見の場合がございます。
参加費:1500円(1ドリンク付き)
会場:FANCLUB(JR/新京成線松戸駅徒歩2分)
主催:株式会社まちづクリエイティブ
協力:DOTPLACE
★イベントの詳細・ご予約はこちらのURLから(ご予約は前日まで受付中)。
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