2009年にスタートした京都ヒストリカ国際映画祭は今年で第8回目を迎えました。京都ヒストリカ国際映画祭は世界で唯一の「歴史映画」の映画祭ということで世界中から注目されています。
映画祭の期間中、「ヒストリカ スペシャル」「ヒストリカ ワールド」「ヒストリカ フォーカス」という3つのプログラムで世界の歴史映画を上映すると同時に、世界中の映画関係者を集めてワークショップで時代劇をつくるという「京都フィルムメーカーズラボ」も開催。
世界でも類を見ないこのユニークな映画祭はどういいった経緯で始まったのでしょうか。そして映画祭に込めた想い、実際の作品選定の基準や方法などについて、京都ヒストリカ国際映画祭実行委員会のプログラム・ディレクター、髙橋剣さん(東映株式会社 京都撮影所 製作部次長)にお聞きしました。
取材・文:宮迫憲彦/協力:衣川くるみ (2016年10月4日、東映京都撮影所にて)
二条城が「007」や「ミッションインポッシブル」の舞台になってほしい
――今回で第8回目を迎える京都ヒストリカ国際映画祭ですが、この映画祭の成り立ちについて教えてください。
高橋剣(以下、高橋):京都ヒストリカ国際映画祭は2009年にスタートしました。その少し前、2007年末に京都文化博物館の森脇清隆さんという方が、「一緒にベルリンに行きませんか」と声をかけてくれました。
ゲーテ・インスティトゥートの方が、ベルリン国際映画祭の育成部門である「ベルリンタレントキャンパス」を京都に持って来たいという野望を抱いていて、森脇さんにお声がけしたようなのです。それで私に「一緒に行こう」と。
――「ベルリンタレントキャンパス」というのは何でしょうか。
高橋:世界三大映画祭として、「カンヌ国際映画祭」「ヴェネツィア国際映画祭」「ベルリン国際映画祭」があります。
カンヌとヴェネツィアは観光地の小さな街の映画祭ということもあり、参加者同士がすぐに繋がったり偶然の出会いが発生しやすい映画祭で、そこが大きな魅力となっています。それに対し、ベルリンはドイツの首都で人口も多いですから、そういうネットワークが生まれにくい映画祭といわれていました。
そこで映画人のネットワーキングと若手の育成のために、この映画祭の期間中、世界中から映画関係者の若手を集めて、約300人を合宿させるということを始めました。それがベルリンタレントキャンパスです。
300人の中には、制作の人も当然いますし、その他批評家、俳優、コンポーザー、ジャーナリストなど映画に関わるあらゆる職種の人がいます。実際ベルリンでタレントキャンパスを見て、私も森脇さんもとても衝撃を受けました。とても情熱的で可能性を感じたのです。
ぜひ京都でもこれをやりたいと思いまして、2008年の6月にベルリンタレントキャンパスのディレクターの方に京都に来てもらって京都文化博物館でシンポジウムをやりました。
そして2008年の8月に第1回目の京都フィルムメーカーズラボがスタートしました。これは、プロから指導をもらいながら実際のスタジオやセットを使って時代劇を制作するというワークショップ(ハンズオン時代劇)で、世界中から応募があります。募集定員は40名程度です。
そして時を同じくして2008年の暮れあたりに、経済産業省が東京でやっていた「コ・フェスタ」のようなコンテンツ系のイベントを京都でもやりたいという流れがあり、そこに比較的大きな予算がついたのです。そして「KYOTO CMEX」という名前の組織が誕生しました。
実は2004年くらいから、京都府さんとは映画産業振興についていろいろと議論をする機会があり、その中のメニューのひとつに「映画祭をやる」というのがありましたので、いろんなタイミングが一致したここでじゃあ立ち上げようかということで2009年に第1回目の京都ヒストリカ国際映画祭をスタートしました。
――なぜ歴史映画に特化した映画祭をしようと思ったのでしょうか。
高橋:まず前提として、太秦や京都の歴史的な建物や遺産を世界の映画関係者(たとえばプロデューサー)に見てもらいたいという想いがありました。例えば「007」や「ミッションインポッシブル」シリーズの舞台として二条城が使えますよ、というようなことを世界にアピールできると、京都の映画産業振興にとってとても大きな意義があります。
じゃあどうやったらプロデューサーに京都を見てもらえるのか、そもそもどうやったら京都にそういう人を呼ぶことができるのか。そういう謎かけを解く鍵として「映画祭」があったということです。
京都のポテンシャルを最大限発揮できるもの、あるいは世界的にもアピールできるものとしてやはり「歴史」映画というものをクローズアップしたいと思いました。
また、京都はゲームやアニメ、マンガなどのコンテンツ産業が盛んな都市です。そこにもうひとつ「歴史映画」というものを加え、「クロスメディア」と「クロスボーダー」、つまりメディアと国境を越えた映画祭を開催することが京都のこれからにとってもっともいい形なのではないかと思いました。
そして、外国の歴史映画や他メディアを京都に持って来てそこから学ぶことで、日本の時代劇が元気になってくれればいいなと思ってスタートしました。京都ヒストリカ国際映画祭は、世界で唯一の「歴史」映画祭ということでやっていますし、そこに対するこだわりは今後ももっていきたいです。
「クロスメディア」と「クロスボーダー」の映画祭
――「歴史」映画にフォーカスするといった場合、日本の歴史映画に特化するという選択肢もあったかと思うのですが。
高橋:日本の歴史映画に関しては、京都映画祭(現:京都国際映画祭)が時間をかけて取り組んでいた作業でもありましたし、そこについては一段落ついているという認識をもっています。また昔の京都の時代劇はよかったよね、というような回顧主義的なムードになるのではないかという危惧もありました。
それにこの50年くらい、日本の時代劇の主戦場は映画ではなくテレビだったという事実もあります。京都映画祭で振り返っていた時代劇というのは、テレビ以前の作品が主なものでしたし、そういう意味で、今この時点で日本の歴史映画のみにクローズアップするという作業をわれわれがもう一度やることの意義を見出せなかったのです。
それに2009年に映画祭をスタートした時点では、日本の時代劇をリバイバルさせられる糸口が日本国内には見いだせなかったというのも事実です。
2000年代の日本映画の中における時代劇(歴史映画)は山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』(2002年)、『隠し剣 鬼の爪』(2004年)、『武士の一分』(2006年)など特筆すべき作品がいくつかありましたが、総じて厳しい状況だったと思います。
それが「クロスボーダー」にしようと思った理由です。
そして先にもいいましたが、もうひとつ京都ヒストリカ国際映画祭の特徴である「クロスメディア」という事に関して印象的なエピソードがあったのでご紹介します。
2008年に「太秦戦国祭り」という催しでゲーム『戦国BASARA』のプロデューサーであるカプコンの小林裕幸さんにトークショウをやっていただきました。その際に「なんでこんなゲームをつくったのですか」という質問をしたら、「映画で合戦シーンを見れないからゲームでつくったんだ」とおっしゃるわけです。
それまで映画業界では、いかに合戦シーンを省略して物語を語るかというテクニックを追及してきました。要するにお話をこなしてということです。でも映画の外にいる人が、「合戦自体の面白さもあるでしょう」と言っているのを聞いて大きなショックを受けました。
その時期の海外の映画のことを考えてみると確かに戦闘シーンや合戦シーンをふんだんに盛り込んだ映画というものが結構ありました。世界はそのことに一足先に気づいていたのです。
そういう意味で、「クロスメディア」と「クロスボーダー」というのはこの映画祭の核となるコンセプトだと思いました。
「歴史映画」の基準とその選びかた
――実際に上映する作品はどのような基準で選んでいるのでしょうか。「歴史」映画といってもなかなか定義が難しいと思うのですが。
高橋:世界中のあらゆる映画をスクリーニング(ふるいわけ)できるWEBサービスというものがいくつかあるのですが、そこで例えば「historical」とか「epic」というワードでフィルターをかけてみると、ウォーターゲート事件(1972年)やミュンヘンオリンピック(1972年)などを素材にした作品ががひっかかってくるのです。
全体の7割くらいがそのあたりの時代です。これらは確かに歴史的に大きな事件ではありますが、基本的には現代劇だと思っています。
私なりに整理すると、ヒストリカ国際映画祭で扱う「歴史」映画のひとつの基準として、
①階級制が厳然と残っている時代
②大衆社会や消費社会が始まる前の時代
というものがあります。その場合、第1次世界大戦(1914年)あたりがひとつの区切りになるのかなと思っております。
ただ、世界中が同じ時間軸で動いているわけではありません。例えばフィリピンなどはまた別の時間軸で動いているので、第1次世界大戦前後というのが絶対的な物差しになるというわけではありません。
なので、第1次世界大戦をひとつの区切りとしつつも、その前後をもう少し広く拾う形で最初のスクリーニングをしますね。そこで約300作品に絞り込みます。
――WEBでは歴史映画作品をピックアップしていくのは難しいというお話でしたが、実際に作品をリストアップしていく作業はどのようにして行われているのでしょうか。
高橋:基本的には国際マーケットに乗っている作品を調べていくという作業になります。
ヨーロッパフィルムマーケット(EFM)というのがベルリンで2月にあるのですが、そこからヒストリカの作品選定がはじまります。
(マルシェ・ド・フィルムの様子)
そこの膨大なリストだったり、あるいは香港国際映画祭、カンヌの国際映画マーケット「マルシェ・ド・フィルム」にかかっている作品を調査します。そこで上映作品を観たり、そこで海外のエージェントや配給会社の人と話をしたりして作品情報を仕入れます。それに加えて中国・韓国・インドなど国際マーケットに乗らないような国にも結構な作品があるので、そのような少し地域性の高い国の作品をほじくり出す、という作業をして300本のリストをつくります。
この作業を2人でやっています。
――その300本は毎年一新されるのですか。あるいは翌年に持ち越しになる作品もあるのですか。
高橋:持ち越しもあります。翌年になると値段がグッと下がったり、前年は全然話を聞いてもらえなかったのに、翌年は話を聞いてもらえるようになるとか、そういうことがあったりするので。映画にも旬があるんですよね。
そもそもの前提として国際マーケットに乗る必要のない作品群というものがあります。「007」なんかはハリウッドメジャーが制作して、配給に関しては各国の支社が独自に行っているわけです。そういうものは国際マーケットには乗りません。興業価値という観点からいうと「007」のようなトップクラスのものではなくて、15番目くらいから下の作品が市場に乗っかっているというイメージです。それをわれわれがピックアップしていくという作業をしています。
――約300に絞られた作品群の中から実際上映する作品はどのように選んでいくのでしょうか。毎年テーマを持たせて選定してくのでしょうか。
高橋:この300の作品から選んだ作品は、「ヒストリカワールド」や「ヒストリカスペシャル」という枠で上映する作品なのですが、もうひとつ「ヒストリカフォーカス」という枠があり、テーマ性という点では「フォーカス」というカテゴリが一番近いかと思います。
実はテーマということについては毎年議論のあるところです。誰も知らないようなイタリア映画やデンマーク映画をどうやって観てもらうのか、興味をもってもらうのか、そのためには一貫したテーマのようなものが必要だとは思うのですが、実際は上映したいと思っている作品が、条件などが折り合わず、上映できないということがあったりして、テーマ性を持たせた作品を揃えることは難しいのです。結局アラカルトにならざるを得ないというのが実情だったりします。
ビジネスではないからこそ、上映することができる作品がある
――お客さんはどのような方が多いですか。
高橋:毎年のプログラムによって違うのですが、コアな層としてやはり関西の映画マニアが一定数いると思います。本当は制作サイドの方、あるいは将来映画を撮りたいというような方にも来ていただきたいのですが、なかなか思うようにはいきません。例えばうち(東映)の社員が観に来ているかというと、そうはなっていないのが現状です。現場の人間は映画を観る余裕がないほど忙しくしていますからね。
でも俳優さんはよく来ますね。待ち時間のある商売ですので。
――この映画祭自体は営利目的ではないと思いますが、もしビジネスとしてこの映画祭をやるとしたら、それは可能だと思いますか。
高橋:それは難しいと思います。このような単発の上映では収支はなかなか整いません。でも映画祭が作品を発掘して上映することの意味や意義は間違いなくあると思っています。
商業的に成立しそうな作品であれば、ちゃんと配給会社が買い付け、しかるべきルートで配給・上映されたほうがいいに決まっています。しかし、配給会社が手を出しにくい作品というものも存在します。それは例えば商業的にリスキーな作品。とても素晴らしい作品だけれども、儲けという観点からは零れ落ちてしまう作品。
そういう配給会社が手をつけないようなものをあえて拾って上映する、というところに映画祭の意義があるのだと思います。
要するにビジネスではないからこそ、上映することができる作品があるということです。
――作品を最終的に決定するのは、誰ですか。セレクトした作品に最終決定者の趣味や趣向が反映されていたりするのでしょうか。
高橋:最終ジャッジという点でいえば私ということになります。もちろん、メンバーで議論もしますし、点数をつけたりもします。でも必ずしも上位のものが選ばれるというわけではありません。作品側の事情もありますので。映画祭の1か月前にすでに配給と公開が決まっているとか、まだ隠しておきたい作品なので、という場合もあります。お金の条件が合わないということも当然あります。
あと、こちらの事情としても実際に作品を並べてみて、どうも弱いなとか、偏りがあるな、ということで作品を入れ替えるということもあります。トークイベントも含めてこの作品の方がうまく番組を作れそうだという判断が入ることもあります。
先に「歴史」映画としての時代的な基準(第1次世界大戦をひとつの区切りとする)についてはお伝えしましたが、ヒストリカの作品を選ぶときには3つの基準を持って選びましょうね、ということにしています。
- ・その国の文化や歴史を知らなくても楽しめる
- ・メロドラマになっていない=予定調和になっていない
- ・新しい画が見えているかどうか
文化性や歴史性を知らなくても楽しめるというのは要するに普遍的な作品ということです。でも、そればかりでもつまらなくなるので、結局は全体の構成を見て、作品を取捨選択していくということになるのですが。
私の個人的な趣味がプログラムに反映されているかというと何とも言えないですが、思いがけず自分の好みにバッチリはまる作品に出会うということはよくあります。それが楽しみのひとつでもあります。
――この映画祭で日本で初公開されるという作品も多いと思うのですが、その後その作品の配給が決まったというような例はありますか。
高橋:結構ありますよ。例えば今年公開の『彷徨える河』という作品は、昨年度の上映作品です。
――映画作品は映画館で上映されるという以外にも、DVDやブルーレイ、動画配信で楽しむことができます。現代において映画館で映画を観るという行為がもつ意味についてどのようにお考えですか。
高橋:よりイベントとしての価値が高まっていると思います。映画側もIMAXや4Dという技術を投入して映画館でしか経験できないものをやろうとしています。
いま女子高生が映画を支えている側面があるなと思っています。いわゆる女子高生ムービーといわれている作品がここ数年ヒットしていますよね。彼女たちにとっては、友達と一緒に観にいこう、という動機が一番大きいんだと思います。女子高生のコミュニティがイベントを求めていて、そこにイベントとしての映画がうまくはまったのではないかと思っています。
――最後にひとことお願いします。
高橋:京都ヒストリカ国際映画祭は今年で8回目を迎えることができました。2009年には時代劇や歴史映画を扱うということに対してずいぶん冷ややかな視線を感じたものですが、最近はそのようなアゲインストはなくなりました。
地道な取り組みを継続することの重要性をかみしめているところです。みなさんの期待にお応えできるように映画祭は今後も継続していくつもりです。
世界で唯一の「歴史」映画に特化した映画祭ですので、みなさんもぜひ会場にお越しください。
[京都ヒストリカ国際映画祭のつくりかた 了]
COMMENTSこの記事に対するコメント